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さいきん賭けに負けたのだ。ささいな事ではあったがとても悲しかった。はじめて、負けるということがどういうことか分かった気がした。それはこんなにも悲しいことなのである。もう負けるのはごめんだと思った。でもあさ起きたらもうあんまり悲しくなくなっていた。宙ぶらりんなきぶんが残っただけだ。床で寝ていてたすかった。
負け組・勝ち組、昨今はやたら、人間をゲームの勝敗みたいに言いたがる。そしてきまってみんなぼくのことを、お前は勝ち組だよ、どこをとっても、勝者だ、といった。ぼくにはこの実感はなかった。だからじぶんが敗者だという実感もないけど、勝者だという実感もまたない。これまで、ぼくには社会をゲームみたいに語ることばはピンとこなかった。でも、こんかい、ささいな事ではあれ、賭けに負けて、はじめて、勝者としての実感がわいたのだった。なるほどたしかにぼくはみなが口々に言うとおり、勝者なのだと理解した。だって、こんなにも、負けたということに悲しんでしまうのは普段じぶんは勝っているという認識に基づいてのことだ。
親友は言った――
「まず、俺らのいう勝ち、負けってのは、一回いっかいの勝負のことじゃないんだ、あくまで、そのひとの置かれた状態のことをいう。たとえば、親のないやつは、負け組だ、それは親がないという不幸な状態を彼が強いられているからだ。でも、親がないやつだって、そのときどきの勝負に勝つことはできるだろう。たとえば、お前がせんじつ賭けをして負けたやつ、そいつは現に、親のないやつかもしれない。だからといって、そいつが勝者で、お前が敗者ということにはならない。お前はあくまで、ふた親がそろっている時点で、勝者でありつづける、そいつはぎゃくに、敗者のままだ」
とりあえずは納得した。しょうじき、状態・できごと(偶発事)による二分法はいろいろ突くところがあるとは思う。ぼくにふた親が揃っているんだって一個のできごとだ。ぼくがさいきん賭けに負けたことは以後状態を形づくる。そんなに截然と区別できるはずないんだ……がめんどくさがった。
「いや、そいつも、ちゃんと二人とも生きてるよ、まだ」
「例えばの話、たとえば」
例えばねぇ。――あさ起きて、悲しみすでにうすれ、ぼくは新たな力に、陽光のごと漲っているじぶんを感じ、きのう一日何もせずすごしたことを悔やまなくなった。悔やんでもどうなるというものでもないし。今日は新しい一日とおもわねばいけない。今日のため、休みを取ったとさえ思えば、きのう何もせずにいたことだって、意味と価値を与えられる。事後的にでも。
賭けに負けたことときのうまで何もしなかったことはおそらく繋がっているともいえるし、負けたことの悲しみをちょうどいい口実にしたともいえた。そのあたり、人間の心の因果は順序があいまいでただしく系列立てるのは困難だけど、ゆえにこそ、秘匿領域だともいえる。じぶんにも、どっちとも決めがたい闇の領域。それがなくてすべて白日のもとに晒されれば人間はじぶんが何処ひとつ動物と異ならないことを知ってそのけっかほんとうに動物に堕してしまうんではないか――
賭けはまったくささいなものだった。対象もさることながらその為にぼくの賭けたものも同等に。いや――実をいうと対象も、品物もちょっとだけ規模の大きいものなのだけど、悲しみはそれとは無関係だ。その証拠に、目が醒めたらもううすれてる。
試みに悲しみを説明してみる――
ある熱帯夜、寝ぐるしく、眠いのに、疲れてもいるのに、午前2時ころいちど目が醒めてしまう。時計をみ、あぁ、まだ2時か、とほんとうに驚いているんだろうか思い、まだあさ陽まで4時間はあると思い、そのことに安堵を覚えた、しゅんかん。
4時間もどうして過ごすかという問題が待ち受けているのに気がつく。一瞬前の安堵、あれは何だったんだ、と思い、そうか、まだ寝ていられる、という安堵だったのだ、と解明し、しかし、現時点、ぼくは目が醒めてしまっているから、寝ていないんだから、そんな安堵、なんのためになるものか、と修辞疑問したとたんに、悲しくなるときと、同じ悲しみ。
だろうか。そんな気もするしそうじゃない気もするけど。ここは、亜熱帯だ。
ぼくはへやから海へ下りてゆく。それはほんの、ぼくのへやの、玄関から345歩のところに始まっている。
345歩の内訳はこう――玄関から、右にからだを向けるのに1歩・外階段まで外廊下を24歩(このあたりでもう汗は噴きはじめる)・4階から、一区間15段ずつの階段を6つと、3つの踊り場、折り返しのそれぞれ5歩を合算して120歩・町営住宅棟の入口から、護岸と、建物に板ばさみされた細長い駐車場の一台目の車まで48歩・車体のカーブにそって方向転換するのに3歩・二列に駐められている車の、建物がわの一台目から護岸がわの七台目まで、斜めに横切るのに36歩。その車のすぐ隣りに、護岸への切通しがある。
しげみを誰かが剪定しているのか、みながそれを使うから空白が定着しているのか(けれどぼくはここの人が、海に通っていくすがたをみたことがない)切通しをぬけるのに20……、2歩だった。ぬかるみを避けるのに1歩とばした。
護岸がきれて、砂浜の始まる地点まで赤ら剥げた鉄柵にそって83歩。ここが、直線距離でいちばん長い。だから後はかならず海に着くことができる――砂浜におり立つ物理的にだけ大きな1歩・潮の浸潤が例外的に大きくなりそうな時をねらって、1、2、3、4、5、6、(さっきとばした1歩もちゃんっ、と)7歩でゆびさきが潮の前線と叉わる。――上を脱いで靴のまま海にとりこまれていった。ぼくは背が低いから、遠浅のここ珊瑚礁の海でもまもなく頭のうえ3分の2が洋風の朝食の専用の容器に入ったボイルドエッグみたいに、海のうえにぽっかり泛んでみえる。
(続きは本誌でお楽しみください。)