
十字軍物語1
2,750円(税込)
発売日:2010/09/17
- 書籍
「神がそれを望んでおられる!」聖都(イェルサレム)を巡る第一次十字軍の壮絶な戦い!
十一世紀末、長くイスラム教徒の支配下にあった聖都イェルサレムを奪還すべく、カトリック教会は「十字軍」結成を呼びかけた。結集した七人のキリスト教国の領主たちは、それぞれの思惑を抱え、時に激しく対立し、時に協力しながら成長していく。異国の地を独力で切り拓いた男たちの戦いは、いかなる結末を見たのか――。
書誌情報
読み仮名 | ジュウジグンモノガタリ1 |
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発行形態 | 書籍 |
判型 | A5判変型 |
頁数 | 296ページ |
ISBN | 978-4-10-309633-7 |
C-CODE | 0322 |
ジャンル | 歴史・時代小説 |
定価 | 2,750円 |
書評
カエサルが十字軍の戦記を書いたら
ヨーロッパを観光旅行したことはない。イギリスとフランスには仕事で数泊しただけだ。ドイツやスペインには足を踏み入れたこともない。家族旅行の行き先はモロッコ、エジプト、ネパール、ケニアなどだった。娘には変化しつづける新興国の今を見せておく必要があると思ったのだ。ヨーロッパの観光地は夫婦の老後の楽しみにとってある。変化しないことが確実だからだ。
しかし、イタリアには毎年ふらふらと足を運んでしまう。とりわけ仕事が忙しい時期に、見てはいけない、読んではいけない、と思いながらもつい塩野七生の本を手にとってしまうからだ。フィレンツェもヴェネチアも本の追体験をするべく旅行した。
もちろん、ボディブローで効いたのは『ローマ人の物語』だった。十五年間にわたって、毎年古代ローマを体験させられたのだ。いまや奈良や明日香よりもはるかに身近に感じるローマへは、帰省するがごときの旅行となる。
それがゆえに、本書『十字軍物語1』を読むことには若干躊躇してしまった。旅をするには面倒そうなシリアやレバノンにまで足を運ばなければいけないのかと思ったからだ。第一次十字軍は陸路を通ったことだけは勉強しておいたのだ。ところが、本書はそのような誘惑を仕掛けてこない。
『ローマ人の物語』は標準ズームレンズ、『ローマ亡き後の地中海世界』が広角レンズで撮った作品だとすると、『十字軍物語1』は花や虫の接写を得意とするマクロレンズで撮った作品だ。そのマクロレンズの画面には中世のキリスト教徒とイスラム教徒の滑稽だが凄惨なドラマが写されている。著者の意図とは異なることを承知で表現すると、虫眼鏡を通して、赤や黄色に染まった複数のアリの集団が、入り乱れて戦っているごときを見ている錯覚に陥る。
個々のアリは防衛しているのか、略奪しているのかが判然としない。はたして赤のライオン印を付けたアリと、黄色と青の格子のアリは協力関係にあるのだろうか。しかし、全体として十字印をつけたアリが勝っているというような印象なのだ。
それゆえに、興味をそそられたのは土地よりも十字軍に参加した諸侯の紋章であり、武具であり、それこそはヨーロッパ各地で見ることができるものばかりである。これで堂々とヨーロッパ旅行に出かけることができるというものだ。
ともあれ、本書の接写感はレンズの喩えだけでは表現しきれない。接写感といってまずいのであれば、現場感であろうか。その現場感をもっとも感じることができる戦記はカエサルの『ガリア戦記』だろう。簡潔だが細部をおろそかにしない記述、不用意な解釈を伴わない冷静な観察、翻訳がもう少しこなれてさえいれば、二千年以上前の指揮官本人が書いた本だと想像できるひとはいないであろう。
じつは本書を読み進めるにつれ、その『ガリア戦記』と錯覚しはじめるのだ。もちろん主語はカエサルでない。しかし、戦いのなかから戦いのための教訓は得られるが、戦争やら人生やらのなにがしかを見つけたければ、それは読者の勝手だという立場は一致しているように見える。その意味で最良の戦記文というのは二千年ものあいだ、さほど進歩はできないものだと妙に感心した。逆にいうと、本書はカエサルが記述するとこうなるかもしれないという十字軍戦記なのかもしれない。二千年の時を超えた共作だ。
(なるけ・まこと 早稲田大学客員教授)
波 2010年10月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
塩野七生
シオノ・ナナミ
1937年7月7日、東京生れ。学習院大学文学部哲学科卒業後、イタリアに遊学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくむ(2006 年に完結)。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2007年、文化功労者に選ばれる。2008ー2009年、『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊完結。2013年、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)を刊行。2017年、「ギリシア人の物語」シリーズ全3巻を完結させた。