今回が最終回になります。第五部まで読み終えた方のみクリックしてください。



最終回 「贈られた言葉〔下〕」

※このメールは、第五部『まだ遠い光』を読み終えてから、お読みください。

 満天の星を見て、約二ヵ月後のこと。
 刊行開始が間近に迫り、ほぼ一週間ごとにMr.ブルーと会っていた。
 年明け早々、『幻世の祈り』の最終確認をおこない、三日後には第二部『遭難者の夢』のあとがきを渡して、宣伝用に使うという短い文章も書いて、渡した。
 一週間後、自分の受けたインタヴュー記事の直しを渡し、翌週までに『遭難者の夢』の再校(二度目のゲラ)を仕上げて、アラタメールの第一回も書いた。このときには、刷り上がった『幻世の祈り』の完成見本も受け取っている。
 苦労した本が形となって、喜びもひとしおだったが、祝杯を挙げる余裕もなく、一週間後に渡す約束の、第三部『贈られた手』の初校に力を尽くさねばならなかった。『まだ遠い光』のゲラにする前での手直しを、自分から申し出ており、この作業も進めていた。
 さらには、エピローグの最後の言葉、つまり『家族狩り』五部作の最後の言葉が、自分のなかでまだ決まっておらず、どうすべきか苦しんでいた時期でもあった。
 ちなみに世相では、アフガニスタンで米軍が民間人を誤爆し、十一人が死亡していた。イラクでは、派遣された米兵の自殺者が二十名を超えたという新聞報道もあった。ただし国内では、アフガンにおける痛ましい死者も、米兵の自殺者も悼まれることはなく、野党の一議員の経歴詐称のほうがよほど大事件であるかのような騒ぎぶりだった。
 外の悲劇に目を向けず、内々の、巨悪でもない、しょぼくて、強く言い返してこない相手を海外まで追い回す世相は、たとえば子どもたちの心理や、物事の考え方に影響を与えないかと、考えさせられてもいた時期……。
 『まだ遠い光』の手直しも、エピローグの仕上げも、少しだけ先に延ばしてもらい、ともかく『贈られた手』のゲラ直しを優先した。二日間で一時間しか寝ていない状態で、約束当日の夕方四時、なんとか完成させ、いつもの待ち合わせ場所へ自転車を走らせた。
 Mr.ブルーにゲラを渡すまでは頭もはっきりしていたが、帰路は安堵したこともあって、ぼうっとペダルをこぎながら、ひとつのことだけ考えていた。物語をどんな言葉で終わらせるか、どんな言葉であれば終わってくれるのか……。最後の場面が、馬見原ということだけはわかっていた。彼がこの長い物語を終わらせるだろうが、そのとき、どんな言葉が用意されるかは、まだ見えていなかった。
 住宅街のあいだに小さな商店が点在する道路を走っていたときだ。横手の路地から、小学校低学年らしい男の子が二人、飛び出してきた。自転車を止めると、男の子たちは笑顔で走り去りながら、それぞれの家へ別れてゆくらしく、互いを振り返り、「また明日ね」「うん、また明日」と言い合った。
 それを聞いた瞬間、涙ぐみそうになった。イラクでもアフガンでも、国内でも、多くの人が亡くなっていた。明日がどうなるかわからないような悲劇があふれていた。だが男の子たちは、明日が来ることを信じて疑っていない。きっと明日も会おうと約束し、互いの言葉にぬくもりを感じて家に帰り、明日また会えることを楽しみにして、眠りにつく。
 自分にも、そうした年頃があった。友人と「また明日」と言い合い、別れた。明日また会えることを信じ、日々を送っていた。
 人と人との信頼のいしずえとなる、素晴らしい言葉だと、あらためて感じた。疲れていて、心が弱くなっていたこともあるのかもしれない。男の子たちが、天から〈言葉〉を託(たく)すようにつかわされた、天使のようにさえ思えたのだから。
 長い時間ずっと『家族狩り』の物語を生き、個々の人物の感情も経験してきた。その自分が、あやうく涙ぐみそうになった言葉は、この物語に必要なものだと信じられた。読者にも、きっと届くはずの言葉だと。
 それでも、一週間はこの言葉を抱えて、何度も吟味した。馬見原の感情に沿って考えても、やはりこれ以上の言葉はないと思い、最後の場面に引用した。

 「誰かが呼んだ気がして、振り返った。
 風が出たのか、葉桜が柔らかく揺れてい
 る。また明日と言われた気がした。
  いまでも子どもたちは言い合っている
 のだろうか。単純だが、これ以上ない言
 葉だと思い、うなずいた。ああ、また明
 日だ。」

 言葉は、自分で選び抜く。だが、ときには、本当にどこからか贈られてくる。
 贈られてきた言葉の響きが、新鮮で、心を打つものであれば、確かに真実の言葉だと、信頼できるものとなる。

 2004年6月30日。
 この本によって、何が変わるだろう。たとえひと握りの人の心にでも、何かしらの変化が生じたなら、幸せだと思う。
 それがよい変化であることを願って、『気まぐれアラタメール』も筆をおく。
 もう新しい作品が始動している。ちょっとは休みたかったんだけどね……。ずっと待ってもらっていたから、仕方がないかな。
 悲しみはつねに身近だ。海外でも、国内でも、知る人のあいだでも……。残念な訃報にふれた。冥福をお祈りするばかりだ。
 読者の皆さん、それでも思うけれど、笑顔もきっと身近にあるはずです。皆さんご自身が、納得のゆく生き方へ、進まれますことを。
 じゃあ、また明日。また新しい作品で。