直木賞受賞エッセー 私の小説の原点 朝井リョウ【中日新聞 2013年1月24日掲載】
 先生が赤ペンで書く文字は、ところどころが省略されていたり、次の字と繋がっていたりして、なんだか読みづらかった。子どもの少ない田舎の小学校とはいえ、クラスメイト全員の日記にコメントを書くのは大変だったのだろうと想像できるようになったのは、大人になってからだ。あのころの僕にとって、毎日提出する日記に対して赤ペンでコメントを返してくれる先生は、世界でたったひとりの「読者」だった。そんな、たったひとりの読者から返ってきた赤色の「感想」をせっせと解読するのが、あのころの僕の一番の楽しみだった。
 夜、こちらに近づいてくる車のライトの色の変化。冬、通学路に積もる雪の中に埋めてみた水入りのペットボトル。月曜日、伊吹山を越えて吹く風にじゃまをされて自転車がなかなか進まない上り坂。グラウンド、全校生徒で練習した、その町の伝統の表佐太鼓踊り。
 ドッジボールと、一輪車と、なわとびと、給食と、ほんのいくつかのものだけでできている何も起こらない毎日を、二百文字の中に織り込んでいった。先生は二日間かけてクラス全員にコメントを返すから、ノートは二冊用意しておく。交互に提出すれば、「読者」は毎日「感想」をくれる。
 先生は、いつも少し高いところに立っていた。僕たちは下から見上げるようにして、先生が書いた黒板をうつす。先生は少し高いところから、僕たちを怒る。僕たちは低い椅子に座ったまま先生に怒られる。あの狭い教室の中で、先生だけが大きくて、子どもではなかった。全くちがう生き物だと思っていた。日記のノートの中でも、それは当てはまる。僕は黒えんぴつで日記を書く。先生は赤ペンでコメントを返す。色もちがう。僕は一マスに一文字書く。先生はマスを気にせず流れるような字を書く。文字のかたちも、全くちがう。
 あのころは、さまざまなものを、「自分とちがう」と判断していた。怒ると怖い先生、あんまり話したことのないあの子、町で見つけるだけでなんだか怖かった中学生の人たち。みんな、別の生き物なのだと思っていた。
 ある日、こんな「感想」が返ってきた。
 あなたの日記は、まるで小説を読んでいるみたいです。
 流れるような赤文字をそう解読できたときのことを、今でもはっきりと覚えている。
 自分で書いた小説を読んでほしいと思った。想像上の「読者」ではなく、本当の読者になってほしいと思った。原稿用紙百枚ほどの小説を書き、すぐに先生に渡した。
 あれは、小学校の卒業式の日だっただろうか。先生は、便箋三枚に及ぶ感想文を返してくれた。私は家に帰ると、貪るようにその感想を読んだ。そして、何周目かで、ハッとした。
 便箋の中の文字は、黒色だった。いつもの赤ペンではない。全員の日記にコメントを返すときとも、テストに採点をするときとも違う、黒い文字。それは、先生が「先生」ではない時間に書いてくれた文章だった。
 私はこのとき、先生が、「先生と生徒」ではなく、ひとりの人間同士として、自分と向き合ってくれたのだと思った。赤ペンでもなく、マス目を無視することもなく、きれいな字で感想を書いてくれた先生は、「自分とちがう生き物」なんかでは全くないのだと気が付いた。
 これはものすごいことだと思った。大発見をしてしまったと思った。文章をあいだに挟めば、「自分とちがう」と思っていた人たちが、自分に向き合ってくれるのだ。ものすごい武器を手に入れた、と、小学六年生の私はヒーローにでもなったかのようにひとりで興奮していた。
 私の小説の原点はそこにある。
 私にはまだ、向き合ったことのない世界がたくさんある。向き合ったことのない人がたくさんいる。だから私は小説を書く。小学六年生のときのあの大発見をもう一度追い求めるようにして、私はこれからも小説を書きつづけていくのだと思う。

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