毒母ですが、なにか
737円(税込)
発売日:2020/08/28
- 文庫
- 電子書籍あり
娘は私の作品なの――。「食堂のおばちゃん」シリーズの著者が贈る、読む手が止まらない圧巻の長編!
16歳で両親が事故死し孤児となったりつ子は、絶縁状態だった父の生家・財閥の玉垣家に引き取られる。贅沢な生活を送りながらも常に〈よそ者〉でしかない孤独感を紛らわすかのように勉強に励み、東大に合格。卒業後は名家の御曹司と結婚し、双子を出産する。すべてを手に入れたりつ子が次に欲したのは、子どもたちの成功だった――。永遠にわかりあえない母娘を克明に描き出す圧巻の長編!
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
書誌情報
読み仮名 | ドクハハデスガナニカ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 石井理恵/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 384ページ |
ISBN | 978-4-10-102271-0 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | や-82-1 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 737円 |
電子書籍 価格 | 737円 |
電子書籍 配信開始日 | 2020/09/01 |
書評
文庫はモバイルバッテリー
「役者は待つのも仕事」という言葉があるくらい、撮影現場では待ち時間が多い。過去最長は、とある特殊な撮影で17時間。5、6時間はザラである。私はこれをとてもラッキーと思っていて、いつも本を読んでいる。
発売されたばかりのハードカバー本も勿論読むが、現場に持ち込む荷物は小さい方がいいので、文庫を連れて行く回数が圧倒的に多い。その中でも、読んだ後、それぞれ別の理由で演技へのエネルギーを高めてくれた3冊を挙げたい。
山口恵以子『毒母ですが、なにか』は不穏なタイトルに惹かれ購入した一冊。
前半は「毒母の生成過程」である。美しく不幸な生い立ちの女性主人公が、幸せな家庭に執着して徐々にバランスを崩していく……。こう書くと類似本は多々ありそうだが、この過程がとても丁寧に描かれていて、誰もが理解できる感情の流れに沿っている。
「理解できる」=自分にも毒母の要素があるのではないか……と心配になってくるくらい、リアルに、ゆっくりと崩壊していく。さらに主人公が娘に手を上げだし、「この先は読むのが辛いかな」と思いはじめる頃、絶妙なタイミングで被害者である娘のターンに切り替わる。
終わり方もいい。表現として振り切っているのだが、生身の人間の可笑しみと哀しさが詰まっていて、一頻り笑った後にしんみり。
この数日前、ちょうど監督と「バッシングされそうな難しいテーマの時こそ、フルスロットルの演技が必要ですよね」という会話をした後だったので、余計参考になった。どんな表現もエンタメに昇華できるという確信は、役者に力を与えてくれるのだ。
次に、何度も繰り返し読んでいる杉浦日向子『一日江戸人』。
日本で制作される時代劇は、江戸時代のものが圧倒的に多い。泰平の時代は事件も人情も御家騒動もなんでもござれ、ドラマを作りやすいらしい。時代劇の撮影前にこの本を読み直すと、江戸がどんな町で、どんな風に人々が暮らしていたか、当時の空気が体に染み込んでくる感じがする。
全編を可愛らしいイラストが誘導してくれるが、その情報量たるや圧倒的。折角なので一つ小ネタをご紹介しよう。
「垢抜ける」の語源は、1日4、5回はザラの入浴好きな江戸っ子達の肌がパサパサだったことに因るそうだ。また、公衆浴場は狭く暗かったので、今時期の寒い中では「ひえもんでござる(体が冷えているので当たったらごめんなさいね)」と言いながら湯船に入ったという。冬の京都時代劇撮影で冷えて帰った後など、宿泊ホテルの個室風呂でもこれに倣うと江戸っ子の遊び心で心まで温まってくる。
杉浦さんの江戸への愛情が、端から端まで溢れている一冊。読んでいるこちらにも飛び火し、演技の上でも江戸っ子になれる撮影日がさらに待ち遠しくなる。
最後に、昔はあまり読まなかったエリアの一冊、谷川俊太郎『ひとり暮らし』。
本に関しては雑食だが、詩歌関係は遠い世界だった……のが、自身の歌集制作が決まり、30を過ぎて読むようになった。
未開のジャンルに改めて意識的に踏み込む時、いつも「有名どころの凄さ」に感激する。こう書いてしまうと薄っぺらいが、やはり有名なのには理由があるのだ。谷川さんの詩は教科書で読んでいたし、エッセイも何冊も買っている。しかし、内容を「詩歌を作るための思考」として読むとまた違う。
例えばこんな風だ。
「君は善人すぎるよ。善人すぎるのも時には悪の一種だ。」「死生観というようなものは、もっても無駄である。観念に過ぎないからだ。観念通りに死ぬことが出来ないのが現代である。」
既知のようでいて、ここまで明確な言葉で考えたことのなかった内容が続く。それらを読んでいくうちに、「感性」と呼ばれるものは実は徹底した「論理」が根っこに無いと成り立たない、ということに気づかされる。
一つの世界に没頭してきた人間だけが放つ爽やかさ。私も短歌だけでなく、自分の本職に論理を持つぞと、新たな空気を吸い込んだ。
このような良書達が、待ち時間も本番中も、私に熱量を与えてくれている。小さいのに頼もしい、私のモバイルバッテリーだ。
(みむら・りえ 女優、エッセイスト)
波 2021年2月号より
母と娘の答え合わせ
ここまで古傷をまざまざと思い出させ、それをなぞるような作品に初めて出会った私です。
いや、できれば、出会いたくなかったかもしれません。
過去、私は母を嫌っていました。「おかあさん」と言葉に出すのすら吐き気がしたし、母にとっての孫である幼い娘を抱いているのを見た時、私の大切なものに触るなと叫びたくなりました。それは、私を愛さなかったくせに、自分の名誉をこわさないよう生きろと言ってきたくせに、なにを今更、という気持ちを呼び覚ます光景だったからです。
母娘の関係で悩んでいる人は意外に多いということは社会に出た時、知りました。母が死んでなお憎んでいる娘、憎みながら親の面倒を見続ける娘、それぞれがそれぞれの悩みに苦しんでいます。
それでも母を尊敬し、仲の良い親子を見るたびに、私は人としてどこか欠落しているんだろうと思っていたし、それを他人に見破られるのを恐れていたように思います。
母を許せないと口に出す度に、いま私、軽蔑されたな、と感じる経験が何度もありました。
財閥企業の頂点に君臨する玉垣家の父と、私生児の母の駆け落ちの末、産まれた子供が、この小説の主人公、りつ子です。りつ子が中学生のとき、両親は急死。途方にくれるりつ子は、初めて会う祖父母に引き取られました。りつ子は美しく、頭脳明晰でしたが、祖父母が自分を愛しているとは感じられなかった。生活は良くなりましたが、りつ子は全く幸せを感じられない。上流階級に属していながらも決して一員にはなれない、中途半端な境遇だと思い知っていくのです。誰にも愛されていないのだと。自分は孤独なのだと。
りつ子は、玉垣家を見返すことを目標に生きることになります。猛勉強し、最高の学歴を手に入れるも、昭和40年代当時キャリアを持つ女性は、今ほど尊敬される存在ではなく、認められない。良い家柄に嫁ぐ、ということが、女性にとっての幸せだと信じられていた時代です。あきらめることのなかったりつ子はもてる武器はすべて使って、それも叶えていきます。ようやくりつ子は自分を愛してくれる相手を見つけることができました。名家の一人息子と結婚、そして出産。母が私生児だったことを理由に、姑から女中のように扱われながらも、子供の教育にのめり込んでゆきます。まずは名門校に入学させることに打ち込んでいきますが、娘の出来は良くなくてことごとく試験に落ちてしまう。徐々にりつ子は、「このできそこない!」と娘を罵倒し、手をあげるようになってしまう。殺意すら心に抱いて修羅になりながらも、りつ子は常にこう思うのです。「全てあなたのためなのよ」
どんな不幸が降りかかろうともりつ子は、次の目標へ次の目標へと突き進んでいきます。
一方で、娘は母の夢を一つ一つ叶えながらも母を激しく憎んでいました。
娘が母をどう感じていたか、答え合わせのように記されていきます。物凄い憎しみが怒濤のように押し寄せてきて、正直、読み進むのが怖かった。最後の一行を読んだ時、吐きそうになりました。りつ子は真の悪者ではないのです。死に物狂いで娘を育ててきたのです。
「あなたのために」という魔法のような言葉は母親の免罪符なのかもしれませんが、たいていの場合、娘にとってはありがたくないものなのでしょう。母というものは時に世の中で一番憎むべき相手になり、復讐するために、その存在とどうにか決別するために、残りの人生を生きていくことになってしまいます。
夫はりつ子にこんな言葉をかけました。「僕は幸せだったよ。――だけど、君は違っていた。いつも僕たちの家庭にはない何かを探して、それを手に入れようと躍起になっていた。血眼だった」著者に、所詮男とはこうだよと、言われてしまった気がしてため息をついた私です。愛されている実感が持てないりつ子は、もっともっと、なのだ。乾いている心ごと丸ごと愛して、大丈夫だよと教えてやれないものなのだろうか。
これはオンナのホラーです。
読了後、ドロリとした感情が蘇ってきて、強烈にこびりついています。ああ、とうの昔に治ったと思っていたキズが疼くのです。
私は、いま娘であり、母です。憎まれることだけは避けたいと思いつつ、日々娘を愛しんでいるつもりです。そうであっても、母には母の事実があり、娘には娘の事実がある。答え合わせをしても、仕方ないのかもしれません。
(あおき・さやか 女優、タレント)
波 2017年11月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
山口恵以子
ヤマグチ・エイコ
1958(昭和33)年、東京生れ。早稲田大学文学部卒。会社勤めのかたわらドラマ脚本のプロット作成を手掛ける。2007(平成19)年、『邪剣始末』で作家デビュー。2013年『月下上海』で松本清張賞を受賞。当時、丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤めながら執筆したことから「食堂のおばちゃんが受賞」と話題に。おもな著書に「食堂のおばちゃん」「婚活食堂」シリーズ、『恋形見』『いつでも母と』『さち子のお助けごはん』などがある。