
荒地の家族
572円(税込)
発売日:2025/05/28
- 文庫
- 電子書籍あり
【第168回芥川賞受賞作】あの災厄から十数年。男は答えのない問いを抱え彷徨い続ける。
40歳の植木職人・坂井祐治は、十数年前の災厄によって仕事道具を全てさらわれ、その2年後、妻を病気で喪う。自分を追い込み肉体を痛めつけながら仕事に没頭する日々。息子との関係はぎこちない。あの日海が膨張し、防潮堤ができた。元の生活は決して戻らない。なぜあの人は死に、自分は生き残ったのか。答えのない問いを抱え、男は彷徨い続ける。止むことのない渇きと痛みを描く芥川賞受賞作。
書誌情報
読み仮名 | アレチノカゾク |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 木戸孝子 「The Unseen」シリーズより/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン |
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 176ページ |
ISBN | 978-4-10-105961-7 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | さ-97-1 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 572円 |
電子書籍 価格 | 572円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/05/28 |
書評
あれからの十年を描く
小説の舞台は宮城県、仙台より南に位置する亘理町。福島県から流れ込んだ長大な阿武隈川が内側へと蛇行して海へとたどり着くところだ。ここは東日本大震災での津波の被害があった場所だが、小説のことばとしてそれは「津波」と名指されることがない。「災厄」「天災」「海の膨張」と表現されていて、この小説がニュースで知るような、たとえば津波で家財を失い、家族を失った被災者が再生していくなどの、ありがちな被災の物語を描くつもりがないことがわかる。
そもそも東日本大震災から十年が過ぎた2021年の3月には世界はコロナ禍に見舞われていたのである。あの東日本大震災を経験したあとでなお、またしても大規模な「災厄」が起こるとは思いもよらなかったことだ。しかも小説が描く亘理町は、2019年の大型台風の被害で、阿武隈川の氾濫によるさらなる水没を経験した土地でもある。そうしたあれからの「災厄」の数々をその外にいる者はいったいどこまで記憶しているだろうか。東日本大震災という大きな被災の記憶は、その後のあらゆる「災厄」の記憶をむしろ覆い隠してしまっているのではないだろうか。
『荒地の家族』の語りの現在は、「災厄から十年以上経」た、「新潮」2022年12月号の掲載時に近い頃である。小説の最終場面は2019年の台風被害の時点である。亘理の浜の景色は次のようにある。
白くすべすべした無機質な防潮堤はさざ波立った人の心の様をまざまざと表す。災厄直後の亘理の浜に、防潮堤より他に建設するものはなかった。限界まで巨大に設計された防潮堤は、ついこの間経験したばかりの恐怖の具現そのものだった。海からやってくるものの強大さをいわば常時示すように防潮堤は海と陸をどこまでも断絶して走っていた。
あのときの恐怖感。それが巨大な防潮堤となって立っている。そこには、もしいま復興計画がなされたなら、こんなにも大きな防潮堤がたてられただろうかという疑問もうかがえる。復興とはなんだろう。あれからの十年とはどんな時間だったのだろう。
『荒地の家族』の主人公の坂井祐治は、造園業のひとり親方として独立した直後に災厄に見舞われた。それから二年後には息子の啓太を残して、妻の晴海をインフルエンザで失っている。妻の死から六年後、友人の紹介で知り合った知加子と結婚するも流産したことをきっかけに一方的に離婚されてしまっていた。それらは確かに次々と襲ってきた「災厄」に違いないのだが、東日本大震災の津波の被災とは直接には関係がないことになる。しかし人の人生はつながっているのである。あれとこれとは別の話というわけにはいかない。だから祐治は「元の生活に戻りたいと人が言う時の「元」とはいつの時点か」と思わずにはいられないのだ。
小中学校の同年であった近所に住まう明夫は、妻と娘を「海の膨張に巻き込まれ」て失くしている。明夫の酒癖の悪さに愛想を尽かし実家に戻って行った直後のことだった。明夫は大学時代、祐治の妻となった晴海のことが好きだったのである。それを奪うようなかたちで結婚したことから明夫にとって祐治は成功した男にみえる。だから祐治の再婚相手が出て行ってしまったときいて、思わず「お前でもうまくいかねえのか」とつぶやく。そこで明夫がふと口にした「報いだよ」ということば。祐治はそれを「苦しむのは自業自得で、晴海が死んだのも、知加子の腹の赤子が死んだのもみんな自分のせいである気がした」と受けている。しかし小説の終盤、仕事は続かず、なにをやっても上手くいかないと感じている明夫は「捨て鉢になって一刻も早くこの世から逃れたい」というように自暴自棄を繰り返す。「報い」だというのは明夫自身へむけたことばだったのだと祐治はふいに理解できるようになる。では明夫の悲劇と災厄との因果関係はどこにあるのだろう。ただそれは「報いだ」と自分を責めてしまうような時を生き続けることそのものにある。
海を隠すように海岸線沿いに建設された防潮堤、山をつぶして嵩上げした土地、空き地のままの海辺の土地。復興したはずの亘理は「宅地から海のほうへ抜けると、そこは荒地ともいうべき広大な景色が北へ南へどこまでも続いていた」とあって、いまだ「荒地」なのである。十年をかけて行われた復興とはいったい何だったのか。私たちが想像もしていなかった時間がここには描かれている。
(きむら・さえこ 津田塾大学教授)
波 2023年2月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
佐藤厚志
サトウ・アツシ
1982(昭和57)年、宮城県仙台市生れ。東北学院大学文学部英文学科卒業。2017(平成29)年、「蛇沼」で新潮新人賞を受賞しデビュー。2020年「境界の円居」で仙台短編文学賞大賞を、2023(令和5)年『荒地の家族』で芥川賞を受賞。他の著書に『象の皮膚』『常盤団地の魔人』がある。