広重ぶるう
935円(税込)
発売日:2024/01/29
- 文庫
- 電子書籍あり
世間から酷評された貧乏絵師が、〈名所絵の広重〉となるまでの涙と人情と意地の人生。
描きたいんだ、江戸の空を、深くて艶のあるこの「藍色」で――。武家に生まれた歌川広重は絵師を志すが、人気を博していたのは葛飾北斎や歌川国貞。広重の美人画や役者絵は酷評され、鳴かず飛ばず。切歯扼腕するなかで、広重が出会ったのは、舶来の顔料「ベロ藍」だった。遅咲きの絵師が日本を代表する「名所の広重」になるまでの、意地と涙の人生を鮮やかに描く傑作。新田次郎文学賞受賞。
第二景 国貞の祝儀
第三景 行かずの名所絵
第四景 男やもめと出戻り女
第五景 東都の藍
書誌情報
読み仮名 | ヒロシゲブルウ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 歌川広重「名所江戸百景 猿わか町よるの景」(東京国立博物館蔵) (C)Image:TNMImageArchives/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 512ページ |
ISBN | 978-4-10-120955-5 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | か-79-10 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 935円 |
電子書籍 価格 | 935円 |
電子書籍 配信開始日 | 2024/01/29 |
書評
広重の気概
昨年、『吾妻おもかげ』で菱川師宣を描いた梶よう子が、次なる主人公に選んだのが歌川広重であった。その新刊、『広重ぶるう』は彼の生涯を五景に分け、いわば五つの修羅と対峙させた構成が光っている。
私達はこの一巻のページを繰るや、我知らず衿を正している自分がいる事に気付かされるであろう。それは本書が、作者と広重との真剣勝負である事がひしひしと伝わってくるからに他ならない。
最初の修羅場は、火消同心の家に生まれた重右衛門、後の広重が絵師を志すもなかなか芽が出ず、しかしながら北斎が使っていた異国の色、伯林でつくられた“ぷるしあんぶるう”通称ベロ藍と出会い、これを広く、どこまでも抜けていく空の色、紺碧の空の色だと捉え、この色は景色を彩る色だとする事によって活路が拓ける。
そして重右衛門は年の瀬の繁華な町で空を仰ぎ、これこそがベロ藍の色だ、そして自分が描きたいものはそうした抜けるような江戸の空だと確信する。
この色との出会いが重右衛門の絵師としての、そして貧乏御家人である火消同心としての修羅から大きく飛躍させる事になる。
自分が描いた江戸の空の色に自信を持った重右衛門は、保永堂から「東海道五拾三次」の画題を依頼され、ベロ藍をたっぷり使ったこの作品は大当りをとる。
そして得意の頂点にある重右衛門は、画狂人北斎から「おれとおめえさんとは同じ景色を見ても、まったく別な画になるんだよ」「おめえがおれと同じ土俵に上がれると思ったら大間違いだ」とやりこめられ、更に「版元のいいなりに下絵を描いて、ちっとぱかし売れたぐれえで浮かれてる画工と、一緒にするんじゃねえ。名所絵なんざおめえにくれてやる」とたたみかけられる。
あの老体のどこから、厚かましい程の熱情が湧いてくるのか、まことの絵描きとはなんだ。重右衛門は周囲から持ち上げられれば持ち上げられる程虚しくなるのだった。
そんな重右衛門を最大の不幸が襲う。貧乏時代から陰になり日向になり彼を支えてきた良き理解者、妻・加代の急逝である。そして加代の死後明らかになる彼女の想い――師匠である豊広の掛け軸。これらのくだりは、さざ波のような感動に満ちている。
かてて加えて、老中水野忠邦による改革で奢侈禁止令が公布される。広重は風景画に特化しているので、実害は被らずに済むが、彼の心中は穏やかではない。
だが一方で、ユーモラスな修羅場もある。重右衛門の下に、押し掛け奉公のお安がやってくるが、男やもめと出戻り女が同じ家に暮していれば、わりない仲になるまでさほどの時間はかからなかった。このお安、大変なうわばみで、言いたい事をぽんぽんぽんぽん言うものだから、重右衛門、何も文句を言わずにじっと耐えていたお加代の事が想い出されてならない。
そんな折、一番弟子の昌吉が若くして労咳で逝ってしまう。弔いが終わった後、彼の母は夜具の中で昌吉が描いたという画の束を見てほしいと渡す。命を削りながら描いた百枚余の画。その中で、たった一枚だけ水茶屋勤めの若い娘が描かれており、おすみと記されていた。このあたり、作者の哀感をそそる筆致はたまらない。
が、オチオチそんな感傷にばかり浸ってはいられない。
義弟・了信の借金五十二両二分を払わないと、養女お辰を売り飛ばすと言われ、これまで手を出さなかったワ印を描く事になるが、元々風景は得意でも人間、それも女を描くのが不得手ときてはいかんともしがたく、これがまたぞろ人間喜劇を生む事になる。
そして重右衛門は、豊国合作の「双筆五十三次」で大当りをとる。しかし、重右衛門には、描き残した江戸の風景が、寝ても覚めても浮かんでくる。が、江戸は安政の大地震に襲われる。瓦解した江戸の中で、重右衛門は、どのようなライフワークを見出す事になるのだろうか――。
本書はここで、復興すらをもテーマに取り込み、広重の生涯を見事に浮かび上がらせる。
特に結末へ向けての収斂は、白眉と言ってもいい出来映えを示している。
(なわた・かずお 文芸評論家)
波 2022年6月号より
単行本刊行時掲載
担当編集者のひとこと
日経新聞、朝日新聞、「週刊文春」の各書評、読売新聞などの著者インタビューで取り上げられ、今夏もっとも話題となっている時代小説『広重ぶるう』の主人公は、浮世絵師・歌川広重。「東海道五十三次」や「名所江戸百景」で知られ、日本人ならどこかで広重の絵を目にしたことがあるのではないでしょうか。
著者は、幕末の浮世絵師を描いた『ヨイ豊』が直木賞候補にもなった梶よう子さん。今作でも史料を丹念に読み込み、朝湯が大好きで、美味しいものに目がない道楽者の一面が実際にあったという広重の人生を活き活きと描き、すばらしい小説に仕上げられました。
武家に生まれながら浮世絵師を志した広重。だが、描く美人画は「色気がない」、役者絵は「似ていない」と酷評されてばかり。葛飾北斎と歌川国貞が人気を博するなか、鳴かず飛ばずの貧乏暮らしに甘んじていた広重は、舶来の高価な顔料「ベロ藍」と出会い、ついに転機を迎えることに……。
広重には、売れない頃からずっと支えてくれている妻や絵の版元がいました。そして晩年になって、やっとやりたいことが見えてくるという、遅咲きだからこそ豊かな広重の人生は、多くの方々の共感を呼ぶものと思います。(出版部・KS)
2022/08/29
著者プロフィール
梶よう子
カジ・ヨウコ
東京都生れ。フリーライターとして活動するかたわら小説を執筆。2005(平成17)年「い草の花」で九州さが大衆文学賞を受賞。2008年「一朝の夢」で松本清張賞を受賞。2016年『ヨイ豊』で直木賞候補、同年、同作で歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。2023(令和5)年『広重ぶるう』で新田次郎文学賞受賞。著書に、「みとや・お瑛仕入帖」「朝顔同心」「御薬園同心 水上草介」「ことり屋おけい探鳥双紙」「とむらい屋颯太」などのシリーズ諸作、『立身いたしたく候』『葵の月』『北斎まんだら』『赤い風』『我、鉄路を拓かん』『雨露』ほか多数。