百年の散歩
649円(税込)
発売日:2019/12/25
- 文庫
- 電子書籍あり
通りを歩き、あの人を待つ。ベルリンの声と記憶に耳を澄ましながら。街を読む物語。
豆のスープをかき混ぜてもの思いに遊ぶ黒い〈奇異茶店〉。サングラスの表面が湖の碧さで世界を映す眼鏡屋。看板文字の「白薔薇」が導くレジスタンス劇。カント、マルクス、マヤコフスキー。ベルリンを幾筋も走る、偉人の名をもつ通りを、あの人に会うため異邦人のわたしは歩く。多言語の不思議な響きと、歴史の暗がりから届く声に耳を澄ましながら。うつろう景色に夢想を重ね、街を漂う物語。
カール・マルクス通り Karl-Marx-Straße
マルティン・ルター通り Martin-Luther-Straße
レネー・シンテニス広場 Renee-Sintenis-Platz
ローザ・ルクセンブルク通り Rosa-Luxemburg-Straße
プーシキン並木通り Puschkinallee
リヒャルト・ワーグナー通り Richard-Wagner-Straße
コルヴィッツ通り Kollwitzstraße
トゥホルスキー通り Tucholskystraße
マヤコフスキーリング Majakowskiring
書誌情報
読み仮名 | ヒャクネンノサンポ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 花松あゆみ/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 304ページ |
ISBN | 978-4-10-125582-8 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | た-106-2 |
ジャンル | 文学賞受賞作家 |
定価 | 649円 |
電子書籍 価格 | 649円 |
電子書籍 配信開始日 | 2020/05/22 |
書評
書物であり、劇場としての街
時空を軽やかに越えつつベルリンの街路をめぐり、心ときめき言葉が飛翔する。楽しくて、少し切なくもある街歩きの書。『百年の散歩』というタイトルには、百年前のベルリンで暮らしていた思想家のヴァルター・ベンヤミンをはじめ、さまざまな作家や芸術家たちへのオマージュも含まれているだろう。ベルリン生まれのベンヤミンは、「1900年頃のベルリンの幼年時代」というテクストのなかで、記憶に残るベルリンのスポットを思い出とともに再現している。パリのパサージュ論や、「都市の肖像」を描くエッセイも記している彼は、「街」というものの知的な観察者であり、熟練した散歩人だった。散歩、さらに優雅に言えば逍遥、ドイツ語ではFlanieren(ぶらぶら歩き)。目的地へと急ぐのではなく、あえてゆっくりと歩いて回ることで、見えてくるものがある。眼前の風景と記憶のなかのイメージをつなぎ合わせていくうちに、独自の都市像が浮かび上がってくる。
多和田葉子にも、『溶ける街 透ける路』という旅のエッセイ集や、移動の連続から生まれた『容疑者の夜行列車』『アメリカ 非道の大陸』などの実験的な二人称小説がある。母語の外側に出る経験が綴られた『エクソフォニー』では、第一部の章タイトルは訪れた土地の名前だし、そうそう、『旅をする裸の眼』という小説もあった。まさに旅をしつつ、見つつ、言葉を紡いでいく、移動の達人なのだ。本書ではそんな多和田が、十年前から暮らすベルリンの街を、彼女にしかできないやり方で透視し、じっくり描写してみせる。
ドイツ帝国の首都として繁栄し、ナチ政権下で暗黒の日々を体験し、空襲で破壊され、戦後は壁によって分断され……ベルリンが抱える歴史は重い。東西統一から四半世紀を経たいまも、街のそこかしこに歴史の爪痕を見ることができる。記憶を風化させまいとする取り組みもある。ホロコースト警告碑、ユダヤ博物館、壁博物館、街の随所に見られる「躓きの石」(戦争犯罪の犠牲者の名が刻まれている)、標識の下の短い解説、建物にはめ込まれたプレートなど。なかったことにはできない過去と、街の現在が、常に対峙させられている。通りや広場の名に残る人名も、歴史の記憶を伝え続けている。ベルリンに何千とある通り、その多くにつけられた死者の名……。死者の名が連呼され、住所に記される。たとえば筆者は以前、ベルリンのハンス・オットー通りに住んでいた。ある日、ナチに関する展示を見て、それがナチへの抵抗運動に参加し三十三歳で拷問死した俳優の名であることを知った。
しかし本書は、単に歴史を振り返る本ではない。現在のベルリンの、多国籍の住民に彩られ多言語が飛び交う日常の情景が、鮮やかに浮かんでくる。語り手の「わたし」は旧西ベルリン、旧東ベルリン、どちらの地域も歩き回る。この街歩きがちょっと切ないのは、「あの人」が不在だからだ。「カント通り」と題された最初の章の冒頭で、「わたし」は「黒い奇異茶店、喫茶店」で「その人」を待っている。そもそも出だしが「奇異」な「茶店」。ベルリンの繁華街に近く、さまざまな人が腰を下ろしているその喫茶店に、待ち人は現れない。その後、全部で十の章が綴られていくなかで、「あの人」は絶えず想起され、言及されるが、「わたし」がいまいる街区で二人が合流することはけっしてない。「あの人」はベルリンの西部に住んでいるらしく、街の東部にそれほど強い関心はなく、わりと保守的で変化は好まず、合理的で、将来住むならスイス、と考えている。恋する少女のように語り手は「あの人」「あの人」と連発するけれど、男か女かもわからない「あの人」との関係は時間を経るに従って変化し、最初の章の弾むような言葉遊びのトーンも沈んでいく。「あの人」の幻影に伴われた「わたし」の街歩きは、やがて意外な結末を迎える……。
目次には通りや広場のドイツ語名も出ているから、ちょっとググってみるという楽しみ方もある。画像がたくさん出てきて、日本にいながらにして街の様子が垣間見えるかもしれない。たとえばカール・マルクス通り。なんとこの通りは、旧西ベルリンのノイケルン地区にある! 冷戦時代も、そしていまも、この名前が保存されていることにベルリンの懐の深さを感じる。
街は大きな書物であり、大きな劇場だ。そこで何を見出すかは、道行く人の心眼に委ねられている。本書は多和田葉子がとらえたベルリンとそこに住む人々の、まったく新しい肖像画である。
(まつなが・みほ ドイツ文学者・翻訳家)
波 2017年4月号より
単行本刊行時掲載
『百年の散歩』をめぐる散歩
「カント通り」を読んで、どうしてもカント通りに行きたくなった。多和田文学を読む楽しみはいろいろあるが、描かれた場所が実在する場合にそこを実際に歩いてみることは、作品を読むことを通して疑似的に旅をすることと同じように楽しい。「カント通り」に続いて、歴史上の人物の名前がついたベルリンの通りや広場を描く連作小説が「新潮」に発表されるにつれて、私の中で舞台探訪への思いは一層強まっていった。結局、完結を待てずに一昨年の夏と昨年の夏に作中の「わたし」の足跡を追いかけることにした。地図の代わりに、『百年の散歩』という魅力的な書籍タイトルがつけられる前の作品を手に。
まず「カント通り」に登場する「黒い喫茶店」をめざす。出発はツォーロギッシャー・ガルテン駅から。通称ツォー(Zoo)駅は『雪の練習生』の白熊のクヌートがいた動物園の最寄り駅で、駅名にOの文字が並ぶ。硬化した状態を攪乱するエネルギーの噴出口としてOの文字を描いてきた多和田文学の最新作の舞台を訪れるスタートにふさわしい。
駅から動物園とは逆方向に向かうと、カント通りに出る。しばらく歩くと、看板と窓に鸚鵡の電飾のある店に着く。創業は1978年、反体制芸術に由来するらしい店名はシュバルツェス・カフェ。「黒い喫茶店」とはその直訳だ。「わたし」は「黒い奇異茶店で、喫茶店で」と、ドイツ語と日本語の意味と音を反響させ、「あの人」を待つ空間を奇異で刺激的な言語遊戯の場へ変身させたのだ。この店には中庭や二階にも席があるが、私は「わたし」を真似て煉瓦の壁に囲まれた一階の席に座り、掲載号を開いた。シュバルツェス・カフェが描かれた小説をこっそりその店で読む。ささやかな秘密を抱えた読書に心が躍る。
店を出て再びカント通りを歩く。「わたし」のいう、家具を扱う会社の、「夕空を覆い尽くす巨大なビルの透明な青いガラスに翼を広げた文字」とは何だろうと思い、空を見上げながらツォー駅の方向に戻っていくと、ウーラント通りと交差する角に立つビルの看板が目に飛び込んでくる。丸みを帯びた赤い文字の連なりはstilwerkだ!
stilwerkという社名を「文体作業」と訳す「わたし」は、ベルリンの様々な通りや広場で出会うものを次々に翻訳していく。「わたし」によれば、移民とは「大人になっても毎日、手帳に新しく発見した単語を書き記し、語彙を増やしていく人」であり、その中には「もうどんな国民言語にも属さない単語も出てくるかもしれない」という。
フランツ・ヘッセルはSpazieren in Berlin(ベルリン散歩)で、“Flanieren ist eine Art Lekture der Straße”(ぶらぶら歩くことは通りの一種の読解である)と規定したが、それから約九十年後のベルリンを散歩する「わたし」は新鮮な言語感覚と翻訳観で文体作業に従事する存在のように思えてくる。「わたし」が世界都市ベルリンをめぐって作り出す文体は、歴史と記憶、難民から捕鯨まで今日的な諸問題を風景の中に想起させる。とすれば、この連作小説を携えてベルリンを歩くのは、小説世界の内と外を往還しながら現代の遊歩者、すなわち都市の翻訳者の思索の軌跡を追いかける読書行為となるだろうか。
カント通り散策の後も、私は「わたし」に導かれて旧東西ベルリンを歩いた。たとえばプーシキン並木通りの記念公園でソ連軍の戦没者慰霊碑を見て、マルティン・ルター通りでTaekwon-Doの道場を覗いた。ローザ・ルクセンブルクの言葉が刻まれた道を歩き、レネー・シンテニス広場のベンチに座り、広場前の郵便局から手紙を出した。
そんな私に思いがけないプレゼントが届いた。多和田さんから連作の最終回の取材に同行しないかとお誘いがあったのだ。待ち合わせ場所はマヤコフスキーリング! 発表前の小説の舞台を作者その人と訪れるという稀有な体験である。石畳の道を歩き、ポーランド学術アカデミーの歴史研究所やレストラン・マヤコフスキーの跡地等をめぐるにつれ、虚構と現実の境界が溶け出し、読み終える前の小説の中に迷い込んでいくようだった。
(たにぐち・さちよ 日本文学研究)
波 2017年4月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
多和田葉子
タワダ・ヨウコ
1960(昭和35)年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒。1982年、ドイツ・ハンブルクヘ。ハンブルク大学大学院修士課程修了。1991(平成3)年『かかとを失くして』で群像新人賞、1993年『犬婿入り』で芥川賞、2000年『ヒナギクのお茶の場合』で泉鏡花賞、2002年『球形時間』でドゥマゴ文学賞、『容疑者の夜行列車』で谷崎潤一郎賞、伊藤整文学賞を受賞。その他の作品に、『海に落とした名前』『尼僧とキューピッドの弓』『雲をつかむ話』などがある。日独二ヶ国語で作品を発表しており、1996年にはドイツ語での作家活動によりシャミッソー文学賞受賞。2018年『献灯使』で全米図書賞(翻訳文学部門)受賞。2006年よりベルリン在住。