遮光
539円(税込)
発売日:2010/12/24
- 文庫
黒ビニールに包まれた謎の瓶、それが私のすべてだった。純愛か、狂気か? 極限の愛を謳う衝撃の物語。野間文芸新人賞受賞。
恋人の美紀の事故死を周囲に隠しながら、彼女は今でも生きていると、その幸福を語り続ける男。彼の手元には、黒いビニールに包まれた謎の瓶があった──。それは純愛か、狂気か。喪失感と行き場のない怒りに覆われた青春を、悲しみに抵抗する「虚言癖」の青年のうちに描き、圧倒的な衝撃と賞賛を集めた野間文芸新人賞受賞作。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家の初期決定的代表作。
文庫解説にかえて 『遮光』について 中村文則
書誌情報
読み仮名 | シャコウ |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 160ページ |
ISBN | 978-4-10-128953-3 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | な-56-3 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 539円 |
書評
普通がわからなかった私のための三冊
本棚から、新潮文庫はすぐに見つかります。背表紙のふもとに小さく書かれたゴシック体の文字。文庫本なのにスピンがついている高級感。特徴的な上部のギザギザは天アンカットという手間のかかるものだと、YouTubeで本を紹介するお仕事を始めてから知りました。今、私の本棚にあるボロボロの新潮文庫は、学生の頃に出会ったものの証です。
ただただ本が好きだった学生時代。エンターテイメント性が強い本も、純文学も、近代文学もなんでも、気になったら読んでいました。しかしながら、心に残るのはいつも他者から異常だと言われてしまう人の物語でした。
例えば、村田沙耶香さんの『ギンイロノウタ』。表題作は、極端に臆病で人と話すことが出来ない少女、有里が、文房具屋で出会った銀の指示棒を魔法少女のステッキに見立てて心の支えとするお話です。子供部屋の押し入れの中で銀のステッキを持てば、満たされていた彼女の世界。ある出来事をきっかけにその世界は破壊され、彼女は次第に狂ってしまいます。
私も小さい頃、有里のように自分だけの世界を作りました。うるさい現実を遮断して、大人になればこの訳のわからない息苦しさから解放されると信じ、閉じこもっていました。普通に生きたいだけなのに、周りからおかしいと言われる。何も出来ないと決めつける親にも、他の生徒と足並みを揃えさせようとする教師にも苛立ち、黒い感情が爆発しそうになる。周囲と自分のギャップに悩む有里の心を覗いていると、自分の感情を初めて言語化してもらえた気がしました。こんな薄暗い感情が自分にもあったのかと驚きながらも、苦しかったのは私だけではないのだと、気持ちが楽になったのです。
嶽本野ばらさんの『ロリヰタ。』を読んだ時も心がぎゅっと鷲掴みされました。ロリータ・ファッションを愛する作家の「僕」と、美少女モデルのピュアな愛の物語。乙女のカリスマと呼ばれる作家の恋愛は、事実と異なるスキャンダラスな報道によってめちゃくちゃになり、2人は引き裂かれてしまいます。彼らの恋には、嫌悪感を抱く人が多いかもしれません。「絶対に許されない」と思う人もいるでしょう。それでも好きな人との愛を貫こうとする強さに、私は惹かれました。恋も愛もよくわからない時期に読み、『ロリヰタ。』で描かれている強い感情こそが「恋愛」なのだと学んだのです。ラストで綴られるまっすぐな愛のメッセージは、何度読んでも切なくなってしまいます。
許されざる想いといえば、中村文則さんの『遮光』も衝撃でした。恋人を事故で亡くした男性が、死を受け入れられず、彼女が生きていると嘘をつき続けるお話です。彼は事故でばらばらになった彼女の遺体から、指をこっそり持ちかえり、ホルマリン漬けにして持ち運ぶようになります。この本を初めて読んだ時、彼の行動に驚きました。普通の感覚からすれば、死を受け止めてきちんと弔うことが彼女のため。でも大切な人が亡くなった時、簡単に受け入れられるわけがありません。だから彼がしたことは全く異常ではないのです。彼女への愛が募り続けるなか、嘘をつくことを誰が止められるのか、その愛を誰が否定できるのかと、読むたびに考えてしまいます。人は、こんなにも深く誰かを愛することが出来るのだと胸を揺さぶられました。
周りを見ると、みんな上手に生きていていいなっていつも羨んでいました。普通とか当たり前とかがわからなくて、人との付き合い方も苦手で、そのくせ自分の生き方は曲げたくない。私はとても不器用だなと感じていました。だけど小説のなかには、不器用でわがままで、必死に自分を生きようとする人がいる。私は彼らに救われ、もっと頑張って生きなければと思えたのです。
久しぶりに読み返した新潮文庫は私の手に馴染み、出会った時を思い出させてくれました。そしてまたいつでも読み返せるように私はしっかり本棚に差し直しました。
(さいとう・あかり 女優/読書系YouTube「ほんタメ」MC)
波 2023年10月号より
書き残された自意識
自分の家の本棚にも、図書館や本屋さんにある“本の検索機”があればいいのに……と、本のお仕事で自宅の本棚をひっくり返すたびに、思う。といっても、そんなに大袈裟に大量な本があるわけでもないし、家を訪ねて来てくれた友達の鞄に、こっそり本を入れる悪趣味のお陰で“適量”を保てている気がする。そんなこんなで「この本もう一度読んでみよう」から何時間、そして何日間もひっくり返したままの本が散らばっている状態。意外に悪くない。
そんな私が文学を好きになったのは、十八歳か十九歳で読んだ『パンドラの匣』という作品集に入っている「正義と微笑」との出会いがきっかけだった。
人間が生まれて初めて会話する相手は、テレビの中のキャラクターでも、母親でもなく、“自意識”ではないのか。そんな風に感じてしまうタイプの人間は、最後にお別れを告げる相手さえも、自意識なのではないか。と思うと、謎に震え上がる。己への永遠の問いかけに、それを破壊しようとするエネルギーで生かされている気もする。
日記というものは、私自身、ずっと末恐ろしかった。ただただそれと向き合わなければならない。真正面で、目まで合った状態で。
この小説は、そんな面倒臭い私が初めて出会った日記形式の小説で、本屋さんで少しの高揚と興味本位で、立ったまま一ページ目をめくったその時、「人間は、十六歳と二十歳までの間にその人格がつくられる」と言う平たい文字。私の目にはそこだけが大きく映った。当時その年齢の渦中だった私には、自分の悩みの種に、太宰の文章は栄養を与えて、それはどんどん成長し、芽が出て花までさかす勢いだった。
物語の行く先に明るさを感じる事が、太宰の小説の中では珍しいと知るのは、そのすぐ後の事だった。
太宰好きな人が「出会った」ではなく「出会ってしまった」と言う言葉をよく使う気がするが、その気持ちが「分かってしまった」気がした。
呪いをかけられた。その呪い、私は未だに解けていない。はぁ。
私は料理が好きだ。家事も好きだし、手先を動かす仕事が大好きだ。一般的にはそういった女性は、“穏やかで家庭的な女性”そういうカテゴリーに当てはめられるのであろう。私自身も何回かそういう言葉を言われてきたが、褒め言葉としてその度に笑顔で返してきた。
けれど、どうだろう。家事ほどエネルギーが必要で、料理ほどエゴイズムが強いものはないのではないか。
そんな事を気づかされた『BUTTER』。私はこの高カロリーな小説を読んでいる間、ずっと具合が悪かった。
似たような経験を思い出す。
「本が好きだから、大人しくて内向的で言葉が綺麗なんですね」
と言っていただくことも多いけれど、
「本が好きな人はドロドロしていて、凄くアクティブで探究心の塊だと思う」
といつも私は心の中で呟いて、少し寂しくなるのだった。
身体を洗っても洗っても、落ちない汚れがある。それは、日々蓄積されているようで、すり減っていく。気持ちとは裏腹に、“空っぽ”はどんどん空っぽという言葉が似合っていく。問題なのは、そこに気が付いているってことだ。気が付いているのに、どうしたらいいかわからないってところに問題があるんだと思う。
気が付いていなければ、気が付いていないというところが問題だけれど、気が付いているのに分からないって事の方が長い人生でもっともっと辛いんだ。
皆、自分にかけてあげる言葉を探している。そんなことを考えていた時期に、『遮光』に出会った。
確かにこの登場人物の精神状態は異常だし、果てしなく逃げ場も隙もない暗い小説ではあるけれど、中村文則さんの小説は、どんなに暗い小説でも、それを産み落とした最強ポジティブなエネルギー(私はそう呼んでいる)が、その暗さに負けない力でいつも存在してると思う。私はいつもそのエネルギーに感銘を受ける。そして文学にいつも救われている。だから、小説が好きなんだと思う。そして憧れるんだと思う。
(さくま・ゆい 俳優)
波 2021年5月号より
著者プロフィール
中村文則
ナカムラ・フミノリ
1977(昭和52)年、愛知県生れ。福島大学卒業。2002(平成14)年、「銃」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2004年、「遮光」で野間文芸新人賞、2005年、「土の中の子供」で芥川賞、2010年、『掏摸(スリ)』で大江健三郎賞を受賞。同作の英語版『The Thief』はウォール・ストリート・ジャーナル紙で「Best Fiction of 2012」の10作品に選ばれた。2014年、日本人で初めて米文学賞「David L. Goodis 賞」を受賞。他の著作に『悪意の手記』『最後の命』『何もかも憂鬱な夜に』『世界の果て』『悪と仮面のルール』『王国』『迷宮』『惑いの森』『去年の冬、きみと別れ』『A』『教団X』がある。