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正岡子規

ドナルド・キーン/著 、角地幸男/訳

781円(税込)

発売日:2022/05/30

  • 文庫
  • 電子書籍あり

俳句と短歌に革命をもたらした激動の生涯。全日本人必読の決定的評伝が待望の文庫化!

西洋文明との出会いという衝撃により伝統文化が危機に瀕した明治日本。そんななか雑誌ホトトギスを舞台に、「写生」という新たな手法を創出、俳句と短歌に革命をもたらした子規。国民的文芸の域にまで高からしめ、俳句は今や世界的存在となった。幼時の火事体験からベースボールへの熱狂、漱石との交友、蕪村の再発見、そして晩年の過酷な闘病生活までを綿密に追った日本人必読の決定的評伝。

目次
第一章 士族の子
――幼少期は「弱味噌の泣味噌」
第二章 哲学、詩歌、ベースボール
――実は「英語が苦手」ではなかった学生時代
第三章 畏友漱石との交わり
――初めての喀血、能、レトリック論義
第四章 小説『銀世界』と『月の都』を物す
――僕ハ小説家トナルヲ欲セズ詩人トナランコトヲ欲ス
第五章 従軍記者として清へ渡る
――恩人・陸羯南と新聞「日本」
第六章 「写生」の発見
――画家・中村不折との出会い、蕪村を評価
第七章 俳句の革新
――伊予松山で雑誌「ほとゝぎす」を発刊
第八章 新体詩と漢詩
――読者の心を動かす子規の詩歌
第九章 短歌の改革者となる
――『歌よみに与ふる書』十篇を世に問う
第十章 途方もない意志力で書き続けた奇跡
――随筆『筆まかせ』から『松蘿玉液』『墨汁一滴』へ
第十一章 随筆『病牀六尺』と日記『仰臥漫録』
――死に向かっての「表」と「内」の世界
第十二章 辞世の句
――友人・弟子の証言、詩歌への功績

参考文献

書誌情報

読み仮名 マサオカシキ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 正岡子規「近代日本人の肖像」(国立国会図書館)を加工して作成/カバー写真、ドナルド・キーン 田村邦男(新潮社写真部)/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 432ページ
ISBN 978-4-10-131357-3
C-CODE 0195
整理番号 き-30-7
ジャンル 文学・評論
定価 781円
電子書籍 価格 781円
電子書籍 配信開始日 2022/05/30

書評

父は本質的に詩人だった

キーン誠己

 今年は父ドナルド・キーンの生誕百年の年です。神奈川近代文学館などで回顧展が開かれますが、その父が晩年に選んだテーマが正岡子規であり、石川啄木でした。
 ドナルド・キーンは三島由紀夫川端康成安部公房をはじめとした同時代の小説家たちと深い関係を切り結んだことで知られていますが、文学への関心は小説にとどまらず、詩への愛情は子どもの頃からのものだったと思います。彼は本質的に詩人だったのではないかと思うくらいです。父が亡くなったあとの書斎を眺めてみると、ひしひしとそう感じられました。俳句も詠みました。
 子規の墓がある東京北区・大龍寺は住まいの近くですので、散歩がてら、よくお参りに行きました。また、啄木は渋民尋常高等小学校の代用教員をしていましたので、父と同じく教師でもありました。この二人に対しては特別な感情を持っていたでしょう。小説家の平野啓一郎さんに対しては、こんなふうに語っていたそうです。“『正岡子規』はどちらかというと、書かなければならないと思って書いた本でした。けれども、今連載している『石川啄木』は、書きたいと思って書いている本です”と。
 二人とも明治に生きた詩人として、伝統的な日本の文芸の危機を肌で感じた人々です。子規は士族の出であり、啄木については「最初の現代人」と父は見なしていましたので、二人は好対照ではありますが、日本語そのものの危機と相対したという点では共通しています。父は『正岡子規』にこう書いています。
〈子規が偉大なのは、著名な俳人が欠如し、また西洋の影響下にある新しい詩形式の人気によって俳句が消滅の危機に晒されていた時に、新しい俳句の様式を創造して同世代を刺激し、近代日本文学の重要な要素として俳句を守ったからである。もし子規が俳句を作らず、批評的エッセイを書かなかったならば、短歌と同じく俳句もまた、生きた詩歌の形式ではなくなった連歌のように、好古趣味の人たちの遊びに過ぎないものになっていたかもしれない。〉
 しかしいまや俳句は日本にとどまらず、HAIKUと呼ばれて世界中で愛される存在になりました。子規がそのことを知ったらどれだけ驚くことでしょう。
 啄木については、こう書いています。
〈啄木は今から一世紀も前に死に、その後の日本が大きく変化を遂げたにもかかわらず、その詩歌や日記を読むと、まるで啄木が我々と同時代の人間のように見える。読みながら、我々は啄木と自分を隔てるものをまったく感じない。〉〈千年に及ぶ日本の日記文学の伝統を受け継いだ啄木は、日記を単に天候を書き留めたり日々の出来事を記録するものとしてでなく、自分の知的かつ感情的生活の「自伝」として使った。啄木が日記で我々に示したのは、極めて個性的でありながら奇跡的に我々自身でもある一人の人間の肖像である。啄木は、「最初の現代日本人」と呼ばれるにふさわしい。〉
 啄木の短歌だけではなく、ローマ字で綴られた『ローマ字日記』を重んじて「傑作」とまで評したのは、紫式部や海軍情報士官だった時に読んだ日本兵の日記から日本文学の道に入った父らしいと言えるかもしれません。
 ところで、彼が『正岡子規』を「新潮」に連載したのが2011年のことです。同じく「新潮」に『石川啄木』を連載したのが2014年から2015年にかけてで、それぞれ八九歳、九二、三歳の時ということになります。父は九〇歳を越えても驚異的な集中力と持続力を発揮できる人でした。朝起きて雑事が済むと書斎に籠り、何時間でも資料を読み、仕事をしました。休憩するのは私が食事の準備ができましたよと声をかける時くらい。夜の一時を過ぎても仕事を切り上げないようなことも頻繁にあって、「お父さん、これ以上は無理になりますよ」と言っても、「僕は無理が大好きです」とにっこり返されたことをよく覚えています。
 明るい人でもありました。書斎に籠って『ローマ字日記』などを読んでいるかと思うと、「面白いなあ、ちょっとここを読んでみなさい」といって嬉しそうに飛び出してくるのです。そうした明るい好奇心が、集中力と持続力の源泉だったのかもしれません。(談)

(きーん・せいき 浄瑠璃三味線奏者)
波 2022年7月号より

百十一年子規が待っていた人 鬼怒鳴門

黒田杏子

 ドナルド・キーン氏にとって、この『正岡子規』執筆の時期は特別のものとなった。
新潮」連載スタートの2011年1月、氏はニューヨークに発たれた。そして3月11日。日本への帰化が表明され、連載は12月号で完了。被災地みちのくはもちろん、キーン氏の足跡は日本のすべての都道府県に印されている。例えば佐渡。多くの文人墨客が訪ねている山本修之助邸の大版の芳名録。その一頁に、
  罪なくも流されたしや佐渡の月   ドナルド・キーン
 堂々たる筆跡は私の眼の奥に棲みついている。「三十年前から興味深く読んでいた子規の俳句について、やっとのことで執筆しました」とにこやかに語られた一冊は、実にいきいきと躍動感あふれる構成で、読みはじめたら止められない。
 日本人鬼怒鳴門キーン・ドナルド氏の子規に対する評価は一巻の最後の結論に尽きている。それは胸のすく文章で、国民文芸としての俳句と共に日々生きている私のようなものにとって、これまでに読んだどの子規論よりも共感を覚え、かつ限りない励ましを与えられる見解である。
 引用させて頂き、ここに掲げることをお許し頂きたい。
「子規が俳句の詩人ないしは批評家としての仕事を始めた時、世間には俳句に対する関心の衰えだけがあり、しかも記憶に残るような俳人は当時一人もいなかった。子規の重要性は、子規が仕事を始めて以来、俳句が博してきた絶大な人気を通して評価することが出来る。今や百万人以上の日本人が、専門家が指導するグループに入って定期的に俳句や短歌を作っている。新聞は毎週、権威ある俳人や歌人によって評価された素人の詩人たちの詩歌にページを割いている。大いなる関心は、日本人だけに限られているわけではない。日本以外の国々で、何千という人々が可能な限り多くの規則を守りながら、自国の言語で俳句や短歌を作っている。いわゆる俳句を作る技術は、今や多くのアメリカの学校で教えられていて、子供たちはソネットや他の西洋の詩形式で詩を作ることが出来なくても、俳句で詩的本能をみがくことを奨励されている。子規の俳句が翻訳の形で現れる以前、外国の日本学者たちは(かりに彼らが俳句に言及してくれたとしての話だが)俳句をただの気の利いた警句として片付けていたものだった。しかし、これはもはや事実ではない。
 子規の早い死は、悲劇だった。しかし、子規は俳句と短歌の本質を変えたのだった」
 何と明快。そして現代の日本と世界の現実を余すところなく完ぺきにとらえている結論。私は涙がにじんでくるのを感じていた。
 勿論、この一巻の中であらためて知り、感動した部分はいくつもある。例えば、
 ☆子規は数え七歳から祖父大原観山に漢文を学び、毎朝五時、素読の指導を受けに通った。☆子規は英語の教師に恵まれた。高橋是清、坪内逍遥に学んだのだ。☆子規はあらゆる詩形を含む名称として「詩歌」という言葉を使った最初の人間である。☆明治二十四年(1891)子規は「俳句分類」の仕事をはじめた。☆子規には「畏友」漱石が居た。明治二十八年(1895)、喀血した子規は松山に帰省。愚陀仏庵で漱石と五十日余りを暮らす。時に子規が漱石の俳句を手伝うこともあったが、代りに子規は当代随一の作家の優れた文学観、芸術観を聞くことが出来た。☆新聞「日本」に掲載された定期的な俳句批評は、広く読者の心に俳句の重要性を定着させた。☆画家中村不折との出合いと友情が俳句の歴史を変えることとなった。☆新聞「日本」連載の『俳人蕪村』は俳句史上最も重要な文章の一つである。などなど枚挙に暇がない。
 三十五歳でこの世を発った青年子規は九十歳卒寿の鬼怒鳴門にまるごと理解されたのである。
 まもなく子規忌、糸瓜忌がくる。没後百十一年、子規はドナルド・キーンを待っていた。この一巻を田端・大龍寺の墓前に供えたい。


(くろだ・ももこ 俳人)
波 2012年9月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

ドナルド・キーン

Keene,Donald Lawrence

(1922-2019)ニューヨーク生れ。コロンビア大学名誉教授。日本文学の研究、海外への紹介などの功績によって1962(昭和37)年、菊池寛賞、1983年、山片蟠桃賞、1990(平成2)年、全米文芸評論家賞、1993年、勲二等旭日重光章を受章。2002年、文化功労者に選ばれる。2008年、文化勲章を受章。2012年、日本国籍を取得。『百代の過客』(読売文学賞、日本文学大賞)『日本人の美意識』『日本の作家』『日本文学史(全18巻)』『明治天皇』(毎日出版文化賞)など著書多数。

角地幸男

カクチ・ユキオ

1948(昭和23)年、東京生れ。早稲田大学仏文科卒。ジャパンタイムズ編集局勤務を経て、城西短期大学教授を務めた。

判型違い(単行本)

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