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懐かしい風景。秘密めいた場所。ふわふわした感触。そういう世界を愛する人へ。

つめたいよるに

江國香織/著

506円(税込)

本の仕様

発売日:1996/05/29

読み仮名 ツメタイヨルニ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-133913-9
C-CODE 0193
整理番号 え-10-3
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家、芸能・エンターテインメント
定価 506円

デュークが死んだ。わたしのデュークが死んでしまった──。たまご料理と梨と落語が好きで、キスのうまい犬のデュークが死んだ翌日、乗った電車でわたしはハンサムな男の子にめぐりあった……。出会いと別れの不思議な一日を綴った『デューク』。コンビニでバイトする大学生のクリスマスイブを描いた『とくべつな早朝』。デビュー作『桃子』を含む21編を収録した初々しい短編集。

著者プロフィール

江國香織 エクニ・カオリ

1964年東京都生まれ。1987年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、1989年「409ラドクリフ」でフェミナ賞、1992年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞、2010年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞。他の著書に『ちょうちんそで』『はだかんぼうたち』『なかなか暮れない夏の夕暮れ』など多数。小説以外に、詩作や海外絵本の翻訳も手掛ける。

書評

誰かを救う十分間

大友花恋

江國香織『つめたいよるに』  駅で階段につまずいた昼間の自分を、シャワーを浴びているとふと思い出して、あーっと声をあげることがある。穴があったら入りたいなんて言葉では足りず、別の世界に逃げこみたくなる。
 そんなとき、私は本を読む。登場人物に降りかかる災難や心の深い部分に触れると、自分の恥ずかしい失態や悩み事がどれだけちっぽけか気づくことができる。美しい言葉に触れ続けたからか、読んだあと世界の見え方が鮮やかに変わることもある。
 短編集を好きになったのは、中学生のときだ。
 きっかけは江國香織さんの『つめたいよるに』。この本に収録されている「デューク」という短編が国語の教科書に載っていた。
「私」は飼っていた愛犬、デュークが死んでしまい泣いている。見知らぬ少年がそんな「私」を気遣ってくれたので、お礼をするために一緒にその日を過ごすことになる……。
 当時、私自身が愛犬をなくしたばかりだったということもあり一気に引き込まれ、何度も読み返した。少年の優しさや、読めば読むほど感じる切なさに心が震えた。たまらなく大好きだった。
 なぜ、この話はこんなにも私を魅了するのか。歌うような言葉やストーリーの素敵さはもちろんだが、それらが短編にすっきりとおさまっていることも大きな理由だったのだと思う。
 一話を読み終えるまでたったの十分。その十分間で私は救われた。愛犬のいない寂しさを、つめたいものからあたたかいものに変えてもらったのだ。
「デューク」が『つめたいよるに』に収録されていると知り、私は本屋に走った。
 他の話もこどもの夢のフルーツパフェのように、とびきりだった。逆三角形のガラスの器はどこか儚く、沢山のフルーツがここに収まっているなんて奇跡だ、と思う。さくらんぼもシロップの味のみかんの数も少ないかと思いきや、充分。そのくせ、食後の甘美な物寂しさったら。
 その贅沢を知り、私はすっかり短編集の虜となったのだ。

山田詠美『放課後の音符』  山田詠美さんの『放課後の音符』を読んだときは高校生活の真っ最中だった。
 恋愛のことがよく分からない私に、この本は衝撃を与えた。十人十色の恋が、余すところなくきちんと詰め込まれている。幼馴染みに自分の恋の香りを悟られないようにする少女や、年上の女性に彼氏を奪われた少女が真っ赤な口紅を塗ってした決別のキスは、自分の周りにある話のようでいてどこか遠く、ドキドキした。
 ふらっと立ち寄ったお店で、店員さんに試しに大人な香水を吹きかけてもらう。今はここにあるのに、いつか消えてしまう繊細さ。自分がこんなものを知ってしまっていいのだろうかという背伸び感が、この本にも存分にあった。
 たまらなかった。喜びも怒りも悲しみも全て「うっとり」に包みこまれた短編集。憧れの恋愛はこの短編集のなかにある。

川上弘美『ざらざら』  憧れでなく日常の恋がしまいこまれているのは、川上弘美さんの『ざらざら』だと思う。
 ここに収録されている話は、他の短編よりも更に短めで、読みやすい文で日常を切り取っている。それだけだとなんてことない話に思えるが、間違いであることにすぐに気がつく。どの話も、ハスキーさと重力を持っているのだ。どこにそんな風に思う要因の言葉があるんだろう、と改めて探しても見つけられない。でも、読み終えると切なさに近い感覚に陥る。地元にしかないと思っていたファミレスをふいに見つけた感覚にも近い。なんてことない日常を改めて想うと、心がきゅっとなる。
 たった十分間できゅっとしながら、主人公の日々を追体験し世界の見え方が少し変わる。短編集にそっと救われ、私は歌なんて口ずさみながらシャワーを浴びるのだ。
 それは「デューク」で少年が心からのお礼を告げたことで「私」がふと前を向けた状況に似ている。
 この文章を読み始めて、そろそろ十分。この十分があなたの目の前の世界を少し軽やかに変える何かしらのきっかけとなりますように。

(おおとも・かれん=1999年、群馬県生まれ。女優、モデル)
波 2020年1月号より

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