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凍える牙

乃南アサ/著

880円(税込)

発売日:2000/01/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

音道貴子。年齢、三十と少々。職業、刑事。離婚歴あり――。バツイチ刑事の孤独な闘い。直木賞受賞!

深夜のファミリーレストランで突如、男の身体が炎上した! 遺体には獣の咬傷が残されており、警視庁機動捜査隊の音道貴子は相棒の中年デカ・滝沢と捜査にあたる。やがて、同じ獣による咬殺事件が続発。この異常な事件を引き起こしている怨念は何なのか? 野獣との対決の時が次第に近づいていた――。女性刑事の孤独な闘いが読者の圧倒的共感を集めた直木賞受賞の超ベストセラー。

  • 受賞
    第115回 直木三十五賞
  • 映画化
    凍える牙(2012年9月公開)

書誌情報

読み仮名 コゴエルキバ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 528ページ
ISBN 978-4-10-142520-7
C-CODE 0193
整理番号 の-8-1
ジャンル 文芸作品、ミステリー・サスペンス・ハードボイルド、文学賞受賞作家
定価 880円
電子書籍 価格 825円
電子書籍 配信開始日 2014/12/05

インタビュー/対談/エッセイ

波 2012年4月号より 【『凍える牙』韓流映画化記念エッセイ】 韓国生まれの「孫」

乃南アサ

一分間ほどのインパクトあるプロローグからオープニングクレジットに切り替わる。オートバイのエキゾーストノートが響いた。その瞬間の、あの感覚をどう表現したらいいのだろうか。おそらく原作者にしか分からないに違いない、つまり世界中でただ一人、私にしか感じられないものだったと思う。
クレジット画面は、都会を疾走するオートバイと、駆け抜けるオオカミ犬とが互いにオーバーラップしながら、随所に本編のモチーフが盛り込まれたものだ。そこで私の抱いた「間違ってない」という感覚は、「大丈夫だ」という確信へと変わった。
それにしても、何と真正面から斬り込んできたものだろうか。『凍える牙』ではオートバイとオオカミ犬とが大きな柱となっている。そのことを下手な駆け引きなど一切抜きにしてオープニングからぶつけているのだ。それが『凍える牙』を原作とした韓国映画「ハウリング」の出だしだった。
小説家にとって、自らが生み出した作品は我が子にもたとえられる。作品は人間の子どもと同様に、産み落とされた瞬間から、その子なりの運命を歩んでいく。たとえ産みの親であっても、子どもと関わる人々のところについて回って「いい子なんです。よろしくお願いします」などと言って歩けるはずもない。
『凍える牙』は、ある意味で数奇な運命を辿ることになった子どもだ。最初の構想段階から実際に出版されるまでに五年ほどの歳月を要した難産の子でもあった。生まれ落ちる寸前にも、危うく親の意思に反したタイトルに変えられそうになって、最後の最後まで気が抜けなかった。
その子は世間に出た途端に疾走を始めた。直木賞を受賞したことを機に、映像化の話も次々に受けるようになった。ところが、来る話来る話、どれもこれも頓挫していく。民放での連続ドラマが決まる寸前まで漕ぎ着けながら、最後に判子を押す立場の人が異動になったとかで、おじゃんになったこともあった。そうしてようやくNHKでドラマ化されるまでに、またも五年の月日が流れた。そこからさらに九年という年月を経て、二〇一〇年にもテレビ朝日系でドラマになった。
作品が我が子だとするなら、作品を原作とした映像や芝居などは孫にあたるだろうか。ところで、その「孫」の誕生は楽しみな一方、実のところは複雑な思いにもさせられることが少なくない。
文章と映像とでは表現方法が異なるのだから、自ずと人物の描き方や物語のアピールの仕方が違ってくるし、ドラマでも映画でも、時間的な制約が大きい。一人で作り上げるものと、大勢の人が関わっていくものという違いもあるだろう。その点は私なりに理解しているつもりだが、それにしても、どうしてそんな風に「いじくる」のか、まったく理解出来ない場合がよくあるのだ。ストーリーだけでなく、登場人物のキャラクターが変わっていたり、意味不明のエピソードが盛り込まれていたり、テーマ性そのものがずれていたりする。それで面白くなっているのなら結構だが、大抵の場合は逆効果。愛読者からは酷評を受け、いくら「孫」でも、どうにも喜べないことが、これまでにもあった。
今回の韓国での映画化の話も、もっとも心配したのは、やはり「脚色」の部分だ。日本と韓国とでは価値観も国民性も違うだろう。それだけに、日本での映像化よりもさらに譲歩が必要かも知れない。やがて送られてきたシナリオには「ハウリング」というタイトルがつけられていた。脚色、挿入されたシーンもあるし、ラストシーンも違っている。だが一読して、私はオーケーを出した。交渉に当たっていた担当者が拍子抜けするくらいにあっさりしていたかも知れない。
要するに作品世界に通底しているものさえ的確に捉えられ、描かれていれば、それでいいのだ。日本語に訳されているシナリオを読んで、私は、そこに「我が子」の遺伝子がきちんと受け継がれていることを理解した。その上で、外国人の書いた小説が、韓国人の彼らによってどう映像化されるものか、それを見てみたいとも思った。『凍える牙』を書くきっかけともなったオオカミ犬の名前が、原作のまま「疾風」だった(韓国語読みになるため、チルプン)のも嬉しかった。疾風が、今度はソウルの町を駆け抜ける。メガホンを取るのはユ・ハ監督、主演はソン・ガンホとイ・ナヨン。その顔ぶれを聞いただけで、韓国映画ファンならまず間違いなく面白い映画になると確信するだろう。それでも、海外でのことだ。どんなトラブルに見舞われるか分からない。どうか無事にいい「孫」が生まれますようにと、二〇一〇年の暮れは、祈るような気持ちで過ごした記憶がある。
それから半年あまり。クランクアップ間近の撮影現場を訪れるためにソウルへ行ったのは昨年七月末のことだ。金浦空港に着いた直後から、ぽつぽつと落ち始めた雨は瞬く間に土砂降りになり、私は生まれて初めて二十四時間以上鳴り響き続ける雷というものを体験することになった。車に乗っているときには、まるで屋根の上で太鼓を乱打されているかのような音が車内に響く。それが、一〇四年ぶりといわれる記録的豪雨だった。降り止まない雨のせいで漢江の水は溢れ出し、道路は水没、交通は完全に麻痺した。被害はソウルだけでなく各地に広がっている。そんな状況で、郊外での夜間ロケなど出来るはずもない。結局、念のために押さえていた予備日までも流れてしまった。
テレビをつければ「報道特別番組」ばかり流れていた。溢れ出た水が渦を巻いて車を呑み込む。人々が途方に暮れた表情で泥まみれになりながら避難する。家の中の惨状。建物の三階部分まで色が変わってしまっている団地。土砂にまみれながら行方不明者を捜索する人々。つい数カ月前の東日本大震災の惨状と見紛うばかりの光景だった。胸の痛まないはずがない。帰国予定日の前日になって、図らずも撮影から解放されたプロデューサー、監督、俳優たちと夕食を共にすることになったのが、せめてもの慰めだった。
「この雨を一番喜んでいるのはオオカミ犬だと思いますよ。外見は非常に大きくて立派なんですが、実は意外に体力がなくて。スタッフは皆やきもきしてるのに」
せっかく日本から来たのに残念でしたねという言葉に続けて、プロデューサーのイ・テホン氏は苦笑しながらそう言った。撮影が一日延びれば、それだけ制作費がかさんでいく。プロデューサーとしては頭が痛いところだったに違いない。
「これはと思う原作と出会って、これだけの監督、俳優、すべての条件が整うということは、通常の映画制作でも非常に難しいことなんです。しかも今回は外国の作品ですから。奇跡だと思っています。必ず、いい作品になりますよ」
イ・テホン氏は、そうも語った。
「僕とイ・ナヨンとは『トムとジェリー』って呼ばれてるんです。僕の方が大きくて威張っていて、小さなジェリーを苛めてるんだけど、最後にはジェリーが勝つでしょう? ナヨンはジェリーに似てるじゃないですか」
夕食の席では、いかにも気さくな様子でソン・ガンホ氏がそんな話をしてくれた。言葉少なに微笑んでいるイ・ナヨンさんとの様子を見ていると、二人の息が合っていることがよく分かった。既にいいコンビになっている。気軽な話題の合間合間に、彼らとユ・ハ監督とは、原作での音道貴子(「ハウリング」での役名は「ウニョン」)と滝沢保(同じく「サンギル」)との関係や二人の心理について、また、日本の警察のことなどを質問してきた。『凍える牙』は「ハウリング」となり、彼らによって新たな生命を与えられようとしていた。
それから半年あまり。映画の完成披露試写会のために再び訪れた二月のソウルは、今度は漢江も凍る寒さだった。往十里という場所は、私のごく浅い知識ではかつて日本が支配していた時代に、専売公社などの倉庫が建ち並んでいた場所のはずだ。そこに今、町が出来、巨大なショッピングビルが建っている。ビル内のシネコンが試写会場だった。いくつものホールで十五分くらいずつ時間をずらして「ハウリング」を上映し、その都度、監督と俳優が挨拶に回る形式なのだそうだ。彼らはその日は夜まで、挨拶とインタビュー取材に追われるという話だった。そうして冒頭のシーンになるのである。
映画の前半では、ソン・ガンホ演ずるサンギルの台詞に、何分かに一度、笑いが起きた。飄々とした顔つきで、何かとぼけたことを言っているのだ。もしかすると、その部分は得意のアドリブなのかも知れない。国内向けだから、映画にはもちろん字幕がない。考えている間もなくストーリーは進んでいく。
やがてオオカミ犬が登場する。イ・ナヨン扮するウニョンとの、原作にないからみがある。小説が文字で緻密に積み上げていく部分を、映像はより端的に、分かりやすい形で、一瞬で描く。だが、伝えようとしていることは変わっていない。
クライマックス、ウニョンがオートバイで疾風を追うシーンでの彼女の表情を見たときに、私は改めてユ・ハ監督に心から感謝した。そして感動していた。一度だけ、挨拶に毛が生えた程度しか言葉を交わしていない、しかも外国人の監督が、誰よりも『凍える牙』を理解していることが感じられたからだ。疾風は、思う存分走っている。二十年ほど前に初めてオオカミ犬に出会ったとき、私が抱いた「この生きものを思い切り走らせてやりたい」という思いが、見事に実現していた。
疾風は日本のスクリーンに戻ってきて、さらに走り続けるに違いない。その日を待っている。

(のなみ・あさ 作家)

著者プロフィール

乃南アサ

ノナミ・アサ

1960年、東京生れ。早稲田大学中退後、広告代理店勤務などを経て、1988年に『幸福な朝食』で日本推理サスペンス大賞優秀作を受賞し、作家活動に入る。1996年に『凍える牙』で直木三十五賞、2011年に『地のはてから』で中央公論文芸賞、2016年に『水曜日の凱歌』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。他に『鎖』『嗤う闇』『しゃぼん玉』『美麗島紀行』『六月の雪』『チーム・オベリベリ』『家裁調査官・庵原かのん』など、著書多数。

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