マリー・アントワネットの日記 Rose
649円(税込)
発売日:2018/07/28
- 文庫
- 電子書籍あり
このプリンセス、他人とは思えない!
ハーイ、あたし、マリー・アントワネット。もうすぐ政略結婚する予定www 1770年1月1日、未来のフランス王妃は日記を綴り始めた。オーストリアを離れても嫁ぎ先へ連れてゆける唯一の友として。冷淡な夫、厳格な教育係、衆人環視の初夜……。サービス精神旺盛なアントワネットにもフランスはアウェイすぎた――。時代も国籍も身分も違う彼女に共感が止まらない、衝撃的な日記小説!
書誌情報
読み仮名 | マリーアントワネットノニッキローズ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫nex |
装幀 | 斉木久美子/カバー装画、鈴木久美/カバーデザイン、川谷デザイン/フォーマットデザイン |
雑誌から生まれた本 | yom yomから生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 272ページ |
ISBN | 978-4-10-180130-8 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | よ-37-21 |
ジャンル | キャラクター文芸、コミックス |
定価 | 649円 |
電子書籍 価格 | 605円 |
電子書籍 配信開始日 | 2018/08/10 |
書評
王妃と青春と恋の「切実さ」
マリー・アントワネット。私、彼女のことなら結構詳しいです。あれは中学生の頃、麗しく気高い女近衛連隊長がベルサイユで活躍する人気漫画を読んでいた時のこと。自分の前世が二百数十年前のパリの町娘で、オーストリアからお輿入れしてきた美しい王太子妃に、憧れたりムカついたりしていたことを突然に思い出したんですよ。懐かしさのあまり、彼女についての本をいろいろ読んだり、映画を見たりしてきました。
という話を人にすると、「この人大丈夫?」みたいな目で見られてしまうのですが、とにかく私はアントワネットさまウォッチャーの元パリジェンヌ(今は東京の書店員)なので、吉川トリコ氏の『マリー・アントワネットの日記 Rose/Bleu』を当然のように手にしました。悲劇の王妃なのにあまりにノリが軽すぎないか? と思いつつ読み始めたのですが、予想を超えて心にグサグサ刺さる日記でした。
たった14歳でフランスの王太子に嫁ぐことになったマリー・アントワネットは、日記帳にマリアという名前をつけ、親友に心を打ち明けるように日々の出来事を綴ります。慣れないしきたりや、常に人目に晒されることに戸惑い苦しみ、夫とのうまくいかない関係や、なかなか生まれない跡継ぎに悩み、贅沢な装飾品や取り巻きとの遊びに散財し、ある男性との恋仲を噂され……。細かいエピソードも丁寧に描かれていて、史実にかなり忠実なのに、文体は炎上気味なギャルママのブログそのものです。ギャルだったことは一度もないのですが、気持ちわかるわ! と何度も心の中で叫び、友情と家族愛と恋心に、涙腺崩壊しました。そして、最後はなんだか勇気が出ちゃう素敵な日記でした。王妃さま。もし私が前世に戻れたなら、あなたを批判する人たちに「アントワネットさまはそんなに悪くないじゃん。ギロチンやりすぎ!」と大声で言ってやりたいです。革命下のパリでは、フルボッコにされちゃうでしょうけれど……。愛すべき悲劇の王妃に出会わせてくれた著者に、拍手を送りたいです。
愛すべき主人公と言えば、最果タヒ氏の『渦森今日子は宇宙に期待しない。』です。自意識過剰気味な青春を過ごしている女子(と元女子)の皆さんに、課題図書としてお勧めしたい一冊です。渦森今日子は、宇宙探偵部に所属する女子高生ですが、実は宇宙人で本名はメソッドD2。UFOが不時着して仕方がなく地球に暮らしているとか乗っ取りを企んでいるとかではなく、自分の意思でこの星に暮らしていて、仲の良い友達には秘密も打ち明け、自然な感じで受け入れられています。そんな彼女の日常は、ゆるく部活に参加したり、コンビニのアイスを食べたり、片思い中の友達に気を使ったり、進路に悩んだりという平凡なもの。とは言え宇宙人ですから、時々SFチックな出来事も起こります。
設定はかなり不思議ですが、自分の居場所や行くべき方向に悩む渦森さんの青春は、微笑ましくて、なんだか懐かしくて、ちょっと切なくて、胸の奥が疼きました。実は宇宙人という特殊な秘密を、ナチュラルに受け入れて生きている渦森さんの物語を、自意識に押しつぶされてひたすら空回りしていたあの頃の私に、読ませてあげたいです。
UFOが出てくる新潮文庫といえば、竹宮ゆゆこ氏の『砕け散るところを見せてあげる』について書かないわけにはいられません。竹宮氏の小説は新潮文庫nexから3作品が刊行されていますが、未読の方にまず手にしていただきたいのが大好きなこの1冊です。
高校3年生の清澄は、1年生の女子・玻璃が、同級生から壮絶な嫌がらせをされているところを目撃してしまい、行きがかり上助けることになります。ほとんどしゃべらない彼女は、自分をかばってくれた清澄にも警戒心を解かず、そっと触れただけで大声をあげて逃げていく始末。それでも助けることをやめない清澄に玻璃は心を開き、前髪で覆われていた顔も見せるようになります。生きづらさと孤独に打ち勝とうとする玻璃の生命力は、少しずつ花が開いていくように美しく、心打たれずにはいられません。
うまくいかないことは「全部UFOのせいだ」と言う彼女の発言の謎と、その後の二人の運命にハラハラしつつ、想像もしなかったやり方で物語を終結させた、著者の類まれな破壊力に驚愕していただきたいです。そしてぜひ、他の竹宮ゆゆこ作品もお楽しみください!
(たかとう・さわこ 書店員)
波 2019年9月号より
宝塚フリークのはるな檸檬さん激推し!!
《ベルばらファン》《ヅカファン》《ミュージカルファン》も、みんな必読――21世紀最高の日記文学誕生
インタビュー/対談/エッセイ
MeToo、母娘問題、妊活……。マリー・アントワネットがギャル語でぶっちゃける「女にかけられた呪い」とは。
そんなさあ、王妃になったぐらいで人はそうそう変わったりしないって。むしろあたしがフランス王妃とかwww マ? マ? くっそウケるwww ってかんじなんすけど。昨日までちゃらんぽらんだったやつがなにかをきっかけに圧倒的成長を遂げていっぱしの大人みたいな口利くようになったりしたらむしろそっちのほうがうさんくさくない? ないわー、信用できんわーってかんじしない? というわけで王妃マリー・アントワネットもこれまでどおりでいくから! 調子アゲてこ、プチョヘンザ!(1774年5月17日(火)『マリー・アントワネットの日記 Bleu』より)
***
池田理代子の「ベルサイユのばら」、遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』、ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」など、革命に散ったフランス王妃・マリー・アントワネットの生涯を描く名作は枚挙にいとまがない。平成30年8月、ここにまったく新しいマリー・アントワネットが誕生した。作家・吉川トリコが生んだ、ギャル語とネットスラングを駆使し、生来のお調子者として大暴れするアントワネットである。冒頭の日記はまさにそのアントワネットが綴ったもの。処刑当日まで克明に綴られた彼女の日記は、読む者に大きな衝撃と深い共感を与える――。
***
――ギャル語のマリー・アントワネット、画期的ですよね。
吉川 もともとギャル語が大好きで。すごくクリエイティブですよね。新しい言葉を創造してゆく。流行語を多用して書かれた小説も以前からよく読んでたんです。中森明夫さんの『東京トンガリキッズ』とか田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』とか。岡崎京子さんの『くちびるから散弾銃』も、当時の風俗や流行語がいっぱい出てくる作品で。私はリアルタイムではなくて3~4年遅れて読んだので、固有名詞が全然分からなかったんですけど、妙に楽しくて大好きでした。
――いつか自分でも、流行語満載の小説を書きたいと思っていらしたんですか?
吉川 そうですね。一時期流行った、記号を組み合わせて作る「ギャル文字」がありましたよね。「|ナ」=「け」みたいな。デビュー当時、あれを駆使して小説を書きたいと話したら、編集者から「それはやめて下さい」とか言われて(笑)。
――それから10年以上経って、やっと念願のギャル語小説が実現したんですね。
吉川 マリー・アントワネットに興味を持って、彼女を書きたいと思ったとき、「あっ、これをギャル語で書けばいいんだ!」ってひらめいたんです。現代の女の子をギャル語で書くよりも絶対面白くなるって思った。
――ネットスラングやHIP HOP用語も多数出てきますが、こういった言葉についても詳しかったのですか?
吉川 ある程度は馴染んでましたけど、この作品を書くためにめちゃくちゃ勉強しました(笑)。ネットとか、たまにファッション誌に載ってる「現代用語辞典」とかを見つけるとせっせとメモして、リスト作って。連載が終わってもまだまだ用語のストックが残ってたので、後からどんどん書き足しました。一時期、Twitterで「#クソ語彙小説」っていうのが流行ってたんですよ。
――クソ語彙小説?
吉川 古今東西の名作を140字の「クソ語彙」で翻訳する。「桃太郎」だったら「やばめの桃流れてきてぱっかーんしたら中から子供でてきたウケるwww」みたいな。あれに一時期ハマっていろいろ集めてたんですよね。その影響も受けていると思います。
――母娘問題やMeToo、フェミニズムをテーマにしようという気持ちは書き始めた当初からありましたか?
吉川 意識的にそう思っていたわけではないんですけど、マリー・アントワネットの資料をいろいろ読んでいくうちに、現代の女性と同じ悩みを彼女も抱えていたんだなとわかったんです。それに、やっぱり関心があるんですよね、フェミニズムに。だから自然と作品にも反映されるんですけど、ここまでしっかり書いたのは初めて。ギャル語だとフェミニズムについてすごく書きやすかったんです。
――それはどうしてなんでしょう。
吉川 一般的な日本語で書くと、どうしても真面目になっちゃうからかな。……やっぱり私のなかに恐怖があるんだと思います。「フェミニストって怖い」って言われるじゃないですか。それに対する恐怖。「おお~こっわ~www」みたいに言われがちですよね。
――「フェミですかwww」と。
吉川 そういう冷笑的な態度に晒されるのが怖いから、ストレートに書くことを恐れていたのかもしれない。フェミニズムに対する批判として、「そんなにギャーギャー怒らないで、もっと冷静に、もっと賢く主張するべき」という言い方がありますよね。「トーン・ポリシング(語調統制)」と呼ばれる、こちらを潰すやり方です。「細かいことにいちいち目くじら立ててると、本当に主張したいことを聞いてもらえなくなるよ」と。私はそれって全然違うと思っていて。女性差別の問題に大きい小さいもなくて、小さく思えることでも、それについて今泣いている人がいるんだったら、怒っていくべきです。……って気づくとまた怒ってる(笑)。
――怒りたくなるようなことばかりです!
吉川 強火で行こ! どんどん怒っていきたいです。じゃないと何も変わらないから。
――本作でいちばん好きな登場人物は誰ですか?
吉川 うーん、やっぱりルイ16世かな。最初は一生懸命、彼を恰好良く書こうとしてたんですよね。でも「モアナと伝説の海」を観て変わった。モアナの相棒となるマウイを結構情けない感じで描いていましたよね。あれを観て、ディズニーはいま女性だけじゃなく男性をも解放しようとしているんだな、と思いました。「私ったら、ルイを恰好良く書こうとしてた……!」ってハッとした。
――たしかに本作を読むとルイ16世のイメージが一変します。
吉川 ベルナール・ヴァンサンの『ルイ16世』(祥伝社)という資料があって、ルイ16世への見方が変わる良書。実はとても賢くて国民のことを第一に考える民主的な王だった、というようなことが書かれています。錠前ヲタの小デブじゃないよ、と。「マリー・アントワネットに操られていた」というようなイメージもありますけど、晩年にうつ病を患うまでは、妻を政治に関わらせないという強い意志を持っていたそうです。
農民と一緒に畑仕事をしたりもしていたらしくて。階級社会なので本当はありえないことですよね。王があんなことをしている、とその姿は笑いものだったみたい。でも私はそのエピソードにたまらなくキュンときてしまった(笑)。
――「ベルばら」(「ベルサイユのばら」)だとフェルセンにときめく人が圧倒的に多かったと思いますが、本作でルイ派に転向する人もいそうです。
吉川 完璧な王子様が好きな人にはフェルセンがぴったりだし、弱いところも見せる屈折した男性が好きな人はルイに行ったらいいですね。私は屈折した男性が好きなので……。
タイプの違う、でもこんなにすてきな2人の男性に愛されたんだもん、アントワネット、そりゃあ人気が出るはずだよ! と思いますよね。私も、アントワネットを書けてよかった。
(よしかわ・とりこ 作家)
あの王妃は、ヨーロッパ最強のギャル!
母娘問題、女性蔑視への抵抗、〈推し〉への尽きせぬ愛。
フランス王妃の日記には、「ほんとそれな!」の連続だった――。
作家と早慶の仏語講師が、キュートで破天荒な魅力を語り尽くす!
王妃も母娘問題に悩んでいた
中島 『マリー・アントワネットの日記』を読ませていただいて、今日は徹夜で語り合いたいと思って来たんですけれども。まず伺いたいんですが、なぜマリー・アントワネットをギャル語・ネットスラング満載の文体で書こうと思われたんですか?
吉川 デビューした頃から、ギャル語で小説を書きたいとずっと思っていたんです。でもなかなか企画が通らなくて。普通のギャルがギャル語で喋ってる小説って、たしかにあんまり面白くなさそうですよね。
中島 ケータイ小説みたいな?
吉川 そうそう。ソフィア・コッポラの映画(「マリー・アントワネット」)が2006年公開で、アントワネットを等身大の女の子として描いていました。あれを観て、あっ、マリー・アントワネットをギャル語で書けばいいんだ!って。
中島 ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」、今日観てから来ました。かわいいんですよ。十年前に観てたらぞっこんだったと思うんですけど、この本読んじゃったあとですから、薄っぺらかったですね。
吉川 そんな……(笑)。ソフィア・コッポラがインタビューで「マリー・アントワネットは母親からの抑圧を受けていた」と語っていたことも、アントワネットに興味が湧いたきっかけでした。
中島 そう! 母娘関係というのはトリコさんの作品の大きなテーマのひとつだと思うんですけれども。
吉川 そうなんです。マリア・テレジア(アントワネットの母)って圧が鬼じゃないですか。
中島 圧が鬼(笑)。ヨーロッパ全土に鬼のような圧力をかけてますからね。
吉川 たしかに! そしてヨーロッパ全土にかけるのと同じだけの圧を娘にもかけてる。それでいうと、うちの母もすごく圧が強いんですよ。
中島 お母さーん、今日お見えですかー?
吉川 来てないです(笑)。
中島 でもこれまでの作品をお母さんは読んでる?
吉川 読んでます。小説で母娘問題を書き続けているのは、母に向かって訴えているようなところがあるんですね。分かってほしくて。でも、都合のいい部分だけを「これって私のことだよね♪」とか言って喜んでいて、こちらが伝えたいことについては何も届いていないんです。
名古屋の女性は生きづらい?
中島 偏見だったら申し訳ないんですけど、トリコさんがずっと暮らしている名古屋という土地も「女性はこうあるべき」というような圧が強い場所かなという気もするのですが。
吉川 私は26歳で作家デビューして「ちょっと変わった人」という枠に入ったので、そういうものから逃れられたんですが、妹や周りの友だちを見ていると「結婚しない女は人に非ず」「子を産まぬ女は人に非ず」みたいな圧力を受けてますよね。
中島 ぎゃーーー!!
吉川 名古屋の女の子が自由に生きている話を、と思って書いた作品(『ぶらりぶらこの恋』)を東京の友だちが読んでくれて「この子けっこう縛られてるね」と言われたことがあって、ハッとしました。自分も「名古屋的価値観」が無意識に内面化されてるんだ、と。
中島 ジェンダーに関することは「刷り込み」のように内面化されているものが本当に多い。ジェンダーギャップ指数114位(144ヶ国中)の国で生まれ育つとどうしてもそうなってしまうわけです。
吉川 ほんと、先進国とは思えない順位……。
中島 『マリー・アントワネットの日記』は、フェミニズム的な意味でも正しいんです。「でも、あのマリー・アントワネットでしょ?」って思われるかもしれませんが、彼女が痛快に斬ってくれるんですね。当たり前のようにはびこる女性蔑視や性の不平等を。それは私たちが今も変わらず抱えている問題でもある。読んでいて「あいつに渡したい!」って思う女友だちが何人も思い浮かびましたよ。
十人十色のアントワネット
中島 私はマリー・アントワネット自体にはこれまであまり興味がなかったんです。「ベルばら」(『ベルサイユのばら』)を読んでもあまり共感しなかった。
吉川 「ベルばら」のアントワネットは気高いですよね。だからちょっと遠い存在に感じるのかな。
中島 ソフィア・コッポラのアントワネットもたしかに等身大でかわいいんだけど、話は合わなそう(笑)。でもトリコさんのアントワネットはとても好きなんです。友だちだな、と思うんです、心の底から。どうしてかというと、「立場主義」とは無縁な人だから。「王妃」や「母」という立場でものを考えるのではなく、本質で考える。
吉川 私は90年代に高校生で、コギャル全盛期だったんですね。私はギャルじゃなかったんですけど、ギャル幻想があるんです。ギャルは無敵、ギャルこそが本質を突くっていう。
中島 ああ~。それは分かる。
吉川 この作品は私のギャル幻想の結晶なんでしょうね。
中島 あとは、この新潮社が誇るアントワネットといえば遠藤周作先生の『王妃マリー・アントワネット』(上下巻・新潮文庫)ですよ! どうですか、これは?
吉川 すごく面白いんです。展開も巧みで、翻訳ものの評伝より読みやすいと思います。でもちょっと、ミソジニー(女性嫌悪)があるんですよね……。
中島 「女特有の○○」みたいに書いてあるところがあって、ぐぬぬ……となる。ただ、さすがの遠藤先生、ぐいぐい読ませます。そしてアントワネットといえば、やっぱりフェルセン(スウェーデンの名門貴族の家に生まれた軍人。フランス遊学中にアントワネットと出会い、恋仲になる)。「ベルばら」ではフェルゼンですが、フランス語読みとしてはフェルセンですね。
吉川 私も「ベルばら」でしか知らなかったんですけど、他の文献も読んでいくと「えっ、嘘でしょ!?」というエピソードの連続なんです。少女漫画かよ!? っていうような史実がたくさんあって。
中島 21世紀に入ってマリー・アントワネット研究が急速に進みまして。アントワネットとフェルセンがやりとりした恋文の暗号が解読されて、本当に二人が恋仲だったことが分かったんですよね。私たちの妄想じゃなかった!
アントワネット人気は日本特有?
吉川 アントワネットは本国フランスでも人気なんですか?
中島 うーん、二年間フランスに住んでいたときには、フランス人からマリー・アントワネットの話題が出たことはなかったですね。日本では一昨年に六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで大規模な展覧会が開かれたり、アントワネットの世界観を模したビュフェに予約が殺到したりしましたよね。圧倒的に日本人女性からの人気が高いと思います。
吉川 やっぱり「ベルばら」の影響?
中島 そうですね。フランスに住む友だちは、アントワネット人気が高いのはアメリカと日本だけじゃない? と言ってました。
吉川 それはどうしてなんでしょうか。
中島 あの華美で豪奢なヴェルサイユ宮殿は現代フランス人の趣味じゃなさそう。「シンプル・シック」が好きな人たちですから。派手好き、エキゾチズム(異国情緒)好きのアメリカ人には合うんじゃないかな。あと、歴史上の人物を「好き」「嫌い」「萌え」みたいな価値観で語るのは、とても日本的な文化だと思います。
吉川 なるほど。キャラとして見るスタンスが根付いている国ですもんね。
我ら、ルイ16世推しです!
中島 フェルセンもいいんですが、なんといっても、我らの推し・ルイ16世についてお話しさせて下さい。皆さんの「ルイ16世観」は20世紀で止まっているかもしれませんね。ルイ16世=錠前ヲタの小デブと思っていませんか? 大間違いですよ!
吉川 肖像画では、国王は実際よりも恰幅よく描かれるものだったみたいですね。
中島 最近歳のせいかちょっとやそっとのことじゃ涙が出なくなっていたんですが……甘かった。アントワネットとルイ16世の最後の別れの場面、朝の東急目黒線で号泣ですよ。
吉川 嬉しい~。
中島 ああ、こういう人だったんだ、って。絶対王政ではなく民主制の時代に生まれるべき人でしたよね。新しいタイプのリーダーだった。それはアントワネットも同じなんです。ヴェルサイユ宮殿の窮屈なしきたりに疑問をもって、それを表明した彼女自身が「革命」だった。そんな二人が革命によってギロチンにかけられて死んだというのが本当に皮肉です。
吉川 ルイ16世はあの時代の王として、マッチョな精神を持て、雄々しくあれ、と「男らしさの呪い」に苦しめられた人だと思うんです。今の目で見ると、現代的で進歩的ですごくすてきな人。ベルナール・ヴァンサンの『ルイ16世』(祥伝社)はそんな人物像に迫っていて、おすすめです。
中島 いや、『マリー・アントワネットの日記』こそ爆推しですから! 私が気に入っているのは、結婚式の最中にアントワネットが大笑いしてしまって「トワネットちゃんオワタ\(^o^)/」というところ。また親切に、ネットスラングやギャル語に編集部から注釈がついてるんですよ。ものすごくなめくさった解説が……。「つらみがエグくて俺氏無理ぽよ」に「『ひどく辛くて私は無理だ』の意。」とか(笑)。100年後には資料的価値も出そう。「平成の日本人はこのような言葉を使ってウェブ上でやりとりをしていたのか」と。
吉川 たしかに(笑)。文体ははちゃめちゃなんですけど、史実に忠実に書きました。
中島 そう。歴史小説ファンにも自信をもって推薦します!
2018年7月26日
神楽坂la kaguにて
(よしかわ・とりこ 作家)
(なかじま・まきこ フランス語講師)
波 2018年9月号より
関連コンテンツ
本書より[1770年1月1日(月)]の日記
最初の一行をなんて書こうか、せっかくだから超キメキメのパンチラインではじめたかったんだけど、どんなかんじがいいかと考えているうちに3日が
あ――――っ! またやっちゃった。あたしってすぐこういうこと言いがちなんだよね。
「素直で正直なところ、それはあなたの美点ですが、同時にひどく心配なところでもあります」
とかなんとか、お母さまからもよくお
でも、いいんです。
なぜならこれは日記だから!
だれにも見せないあたしのほんとの気持ちを置いておく場所だから!
3日間も頭を悩ましたあげく最初の日記がこれなんてがっかりさせちゃった? まあ、それもあたしらしいんじゃないかと思ってるんだけど。あなたにも気に入ってもらえたらいいな。だってほら、なんだかんだ言ってみんなそういうの好きじゃん? ありのままのプリンセスってやつ?
長い文章を書くのは得意じゃないので、続きはまた明日。
本書より[1770年1月4日(木)]の日記
いえーい!
三日坊主にならずにすんだyeah~!
でもこれを書いてるのは1月5日ですyeah~!
しかし困ったことに、4日目にして書くことが思いつかない……。聞いたところによると何もなかった日には、「何もなし」とわざわざ日記に記述する人もいるとか。うええええ、ぞっとしちゃう。いくら特別なことがなかったとはいえ、その日食べたものとか会った人とか、なんかしらあるでしょうよ。いったいどんなつまらない日々を送っているのかしら? おそろしく感受性が鈍いとか? 「何もなし」なんて味気ないことを書くぐらいなら、毎日そんなにきちきちっとつける必要もないんじゃないかって思っちゃうけどね。
そうそう「何もなし」で思い出した。最近あたしはある男の子のことをよく考えています。あたしがまだうんと幼かったころ、シェーンブルン宮殿の鏡の間で、チェンバロの演奏をした天才児アマデウス・モーツァルトのことを。
あまりに見事な演奏に大人たちは驚嘆し、幼いモーツァルトに惜しみない称賛の言葉を
「あっ!」
じたばたと手足を振りまわしながら背中から倒れていく彼と目が合った瞬間、あたしは直感した。彼もあたしと同類なんだって。そう、「お道化がすぎる」ってやつ!
そうとわかったら放っちゃおけません。あたしはいのいちばんに駆け寄って彼の手を引っぱりあげました。痛みと驚きと恥ずかしさで彼が泣き出してしまわないように。
断言してもいい。あの時、あの場所で、彼の気持ちがわかるのはあたしだけでした。
さっきまで神童だなんだと彼を
「おや、これはなんともかわいらしい」
手を握りあって小さく床に丸まっている皇女と神童に気づいただれかがそんな声をあげると、大人たちはいっせいに面白がってあたしたちを
いったんそうなってしまうともうだめでした。わかるでしょ? たちまちあたしとモーツァルトの中のお祭り野郎が騒ぎ出しちゃったのよ!
「おお、君はなんてやさしい女の子なんだ! 大きくなったらぼくのお嫁さんにしてあげるよ」
モーツァルトはぴょんと飛び跳ねるように立ち上がると、うやうやしく一礼してあたしの手の甲にキスしました。その時になって、ようやくまともにモーツァルトはあたしの顔を見た。こんなことになっちゃってごめんね、とばかりにウィンクして共犯者のほほえみを浮かべる彼に逆らえるはずもなく、
「ハイ、喜んでー!」
意識高い系居酒屋のバイトリーダーかよってぐらい威勢のいい声で返事しちゃったわよ。
こうなったらもうあたしたちの
それにしても、
いまごろアマデウス・モーツァルトはどこでどうしてるんだろう。ヨーロッパ中を演奏してまわっていると風の
――と、まあ、そんなことをつい考えてしまうのは輿入れが近づいているからなのかな? なんべんでも言うけどあれが初恋なんてことじゃないんだよ? あれを恋だと片づけてしまったとたん、なにかとてもつまらないものになってしまう気がする。それこそ「何もなし」で済ましてしまいたくなるような、ね。
本書より[1770年5月29日(火)]の日記
また今日もクロッテンドルフ将軍夫人の訪れはありませんでした。最初にお会いしたのが今年の2月、その後2回ほど順調にいらしてましたが、ウィーンを離れてからというものとんとご
あ、そうか、あなたにはまだお話ししてなかったっけ。クロッテンドルフ将軍夫人というのはあたしとお母さまのあいだで取り決めた月のものを示す暗号です。なんでそんなまわりくどいことを、と思われるだろうけど、そのものずばりを口にするのがなんでかためらわれちゃうんだよね。生々しいかんじがするからなのか、
そちらの将軍夫人だけど、はっきりした理由もないのにこの2ケ月ほどお顔が見れなくてどうしたものかと思ってるところなんです。――は? おめでた? ねーしwww あるわけねーしwww ウケるわ。あんまり笑わせないでよ。……はあ。
隠し事はしないでなんでも正直に話すこと。これが最初に決めたあなたとあたしとのルールだったよね。このことについて話すとなるとずーんと胃のあたりが重たくなるかんじがするんだけど(だからおめでたじゃないってば! こってりしたフランス料理に疲れてるわけでもないからね!)、共有しておかないとこの先いろいろとこじれそうなのでここらで覚悟を決めてお話することにしましょうか。
正式な結婚式から半月
……っていうか待って? 自分で言っておいてなんだけど「純潔を守る」ってなに? 女は殿方のお手付き(ってこの言葉ももう!)になったら穢れるってこと? 夫婦生活に励んで子どもをたくさん産むことはよきこととされているのに?
将軍夫人との初対面の時にも思ったけど、どうしてこの手のことにまつわる言いまわしは、どれもこれもよくよく改めてみると「ん?」と引っかかるようなものばかりなんだろうね。疑問も抱かず無意識のうちにぬるっと使ってしまってる、そのことになによりぞっとしてしまいます。疑問を持ったら不幸になるだけ、疑問を持ったら不幸になるだけ……としきりに自分に言い聞かせてきたけど、このごろほんとにそうか? と思うことがありすぎる。少なくとも今後二度とあたしは「純潔を守る」なんて言いまわしをすることはないでしょう。こうやって自分の頭で考えて疑問に対処できることはあたしにとって幸福……とまではいわないかもだけど、歓迎したいことではあります。
そう、なにもあたしは将軍夫人そのものを嫌ってるってわけではないんだよ。将軍夫人をとりまくこのシステム、これがマジないわー、きもいわーって思っちゃうだけで。ねえだってきもくない?
きもいといえば、うえええ! 超きもいこと思い出してサブイボ立っちゃった。ヴェルサイユのしきたりの中でも究極にきもいしきたりがあって、どこから話したらいいんだろう……そう、あれは結婚式があった16日のことでした。ちょっと――いや、かなり長くなるけど、心して聞いてちょうだいね。
あの日は朝からよく晴れて、午前9時半にあたしたち一行はヴェルサイユ入りしました。はじめて目にしたヴェルサイユ宮殿の印象を一言であらわすなら、「でかっ!」てとこかな。思わずあたし、爆笑しちゃったもん。あまりに度をはずれたものを前にすると笑うしかなくなるじゃん? そんなかんじ。なにを思ってこんなもの作ったんすか? ルイ14世バカなの?www って。これまで目にしてきたオーストリアのお城とはくらべものにもならないほど壮大で
「ようこそヴェルサイユへ!」
陛下のエスコートで宮殿の中に入っていくと、大理石にかこまれたホールをつめたい風がすり抜け、「さむっ!」ってあたしとっさに身震いしちゃった。5月の強い
そこはまあ、根っからのお道化者のトワネットちゃんのことですから、
「すっごぉ~い、こんなのはじめてぇ~」
一オクターブ高い声を出してうんとサービスしてあげたら、
「そうか、そうか」
陛下はまんまとやに下がっておられました。ルイ15世ちょろすぎかよwww
けれどもやっぱりあたしはロココの娘。いずれ自分の
王太子妃の居室に案内されると、すぐに国王陛下の指示で大きな宝石箱が届けられました。身をかがめればあたし一人ぐらいすっぽりおさまってしまいそうなほどの、それはそれは大きな宝石箱です。フランス王太子妃に代々受け継がれてきたというその中には、大粒の真珠のネックレスやブレスレット、ダイヤモンドのイヤリングや宝石をちりばめた扇、「MA」とイニシャルの入った七宝焼の留め具、繊細な彫金細工の小物入れ……等々、目もくらむような装飾品がおさめられていました。衆人環視の中で箱を開けたあたしは、今度はふりでもなんでもなく「きれい……」と感嘆のため息を漏らし、ちょっとだけ涙ぐんでしまいました。
ほんとうに美しいものを見ると涙が出ちゃうのはなんでなんだろう。胸のときめきがわっとあふれだし、涙に姿を変えてしまうみたい。
今日からこの宝石がすべてあたしのものになる。これに花嫁道具としてお母さまから持たされたダイヤモンドを加えたらとんでもない数になる。そう思ったら、「フ――――ッ」て叫んでいますぐヴェルサイユの広大な庭を全周しなきゃおさまらないくらい
「まだ幼いとはいってもやっぱり女だな。目の色が変わったぞ。王太子よ、この先が思いやられるなあ」
キャバ嬢に高価なプレゼントを
だけど、どうしてだろう。宝石箱の
「お式の時間が迫っております。おしたくをいたしますので、どうぞこちらへ」
ノワイユ伯爵夫人に声をかけられ、あたしは国王陛下と王太子殿下にご
問題が起こったのはその後すぐ、おしたくの部屋に移動してからのことでした。パリの服飾デザイナーに作らせたという白いブロケードの花嫁衣装に
「待って? 丈も! 丈も足りてないから! つんつるてんだから!」
太ったのではなく成長期なだけだと必死の言い訳をしたけど、「大変だわどうしましょう」「レースでうまく隠せないかしら」「はやくお針子呼んできてっ」とてんやわんやの大騒ぎでだれも聞いちゃいねえ。かくして「食いしん坊の王太子妃」というイメージがまたたく間にできあがり、ぶざまな花嫁姿で結婚式にのぞむことになってしまったのです。うえーん! まさに「この
宮殿内にある王室礼拝堂にはヨーロッパ中から王侯貴族が集められ、世紀のロイヤルウェディングがはじまるのをいまかいまかと待ち構えていました。この
そんなこともあってか、結婚式のあとの晩餐会では水とフルーツにちょっと口をつけただけでほとんど食事をとりませんでした。フランス製のコルセットはやたらきつくてまともに食事する気が起きないっていうのもあったけど、あれで少しは「食いしん坊の王太子妃」のイメージが
そうでした。もともとその話をしようと思ってはじめたんだった。やれやれ。ずいぶん前置きが長くなっちゃったね。
晩餐会が終わると、あたしたちは寝室に移動することになりました。あたしたちっていうのはもちろんあたしと王太子殿下ってことだけど、でもそれだけじゃない。その場にいた全員、陛下や叔母さま方をはじめとする王族から、名前も知らない宮廷人までぞろぞろ
どういうことだか意味がわからないって? あたしだってだよ! あたしはただ、ありのままそのとき起こったことを話してるだけなんだから!
「この人たちはなに? どうしてあたしたちの後をついてくるのですか?」
すぐ隣の王太子殿下に小声で
「彼らはヴェルサイユ人。理由なんてほかにない。ヴェルサイユ人だからついてくるんだ」
いまから思えばあれはとびきり皮肉なジョークだったんでしょう。王太子殿下がはじめてあたしだけに囁いてくれた個人的な言葉。だけど、そのときのあたしはほとんどパニックを起こしていて気のきいた返しのひとつもできませんでした。
寝室にたどり着くと、王太子殿下は国王陛下から、あたしはシャルトル公爵夫人からナイトガウンを受け取り、大勢の目がある中で着替えさせられました。は? ここで? みんなが見てる中で? 着替えろって? マジありえないんですけど! とまわりを見渡してもだれも助けてくれそうになく、それどころか「王太子妃殿下、さあどうぞお着替えくださいませ」と
いくら
「良いか、おまえたち。今夜はしっかり励むのだぞ」
国王陛下の下卑た冗談に観衆からどっと笑い声が起きても、王太子殿下はうっそりと視線をやるだけでろくに返事もせず、あたしはあたしで一刻も早くこの悪夢が終わってくれないかとそればかりを念じながら俯いていました。幼い新郎新婦からヴィヴィッドな反応が得られないことにがっかりしたのか、陛下はさもつまらなそうに目をすがめると、さっさとご退出あそばされました。ぞろぞろとその後に続いて、大勢のヴェルサイユ人たちも寝室を去っていきます。天蓋付きベッドのカーテンが引かれ、あたしたちはようやくあたしたちだけになりました。
これが、ヴェルサイユでのもっともきもいしきたりです。ね、想像を絶するきもさでしょ? キング・オブ・KIMO儀式っしょ? これを超えるきもいしきたりなんて世界中どこを探しても見つからないんじゃないかって思います。
後から聞いたところによると、これはフランス宮廷で婚礼の夜に代々おこなわれてきた伝統なんだとか。王太子殿下のご両親も、国王陛下もみんなみんなみんなそうしてきたんだって。だからうちらだけ拒否るわけにはいかないんだってさ! 儀式それ自体のいびつさもさることながら、あの場にいただれもかれもがみんなあたりまえのような顔をしていたのが思い出すだにきもくてたまりません。余興の一種かなにかとでもかんちがいしてるのか、押しあいへしあいしてベッドをのぞき込んでる人までいたんだから!
そんなバカ騒ぎの最中にあって、王太子殿下だけがあからさまにうんざりした態度を貫きとおしていたのがあたしにとって唯一の救いであり、もどかしさに頭を
「わお! ヴェルサイユ人ってとんでもなくクレイジーなのね」
あのとき、王太子殿下の皮肉なジョークにそう言って肩をすくめていれば、いまごろちょっとでも殿下の態度がソフトになっていたのかもしれない。そう考えると悔やんでも悔やみきれず、もう一度あそこに時間を巻き戻してやり直したい、とまで思うんだけど、そうなるとあの辱めをもう一回受けなくちゃならなくなるわけじゃん? それはちょっとな……と思ってしまうヘタレなあたしをお許しください。
初対面の相手といきなり今日から夫婦だなんて言われたって戸惑うのはあたりまえ。初日から「オーモナムール、ジュテーム♡」ってなるほうがどうかしてる。頭ではわかってるんです。わかってるんだけど、なにかちょっとしたきっかけさえあればすぐに打ち解けられる気がするのです。「お道化仲間だ!」とすぐに見破ってアマデウス・モーツァルトと「夢の共演」を果たしたあのとき、あたしたちはろくに言葉もかわさぬうちからおたがいを認め合い、魂と魂でかたく結ばれていた。いずれは王太子殿下ともそうなれるんじゃないかと期待せずにはいられません。
しかし、「ヴェルサイユってなんかビミョーじゃね?」という価値観だけでは共通点として弱すぎるでしょうか。それぐらいでは
そう、だから初夜がどうだったのか、わざわざここに記さなくたって勘のいいあなたならもうわかってるよね? みなまで言わんでもってかんじだよね? だからもったいつけてるわけじゃないって! ほんとに聞きたい? 後悔するよ? ぶっちゃけそんなに面白い話じゃないよ? それでも?
……
は? だからそのまんまの意味だって。何度も言わせないでよ。さっきも話したじゃん。王太子殿下とはまだ正式な夫婦じゃないって。文字通り「何もなし」だったの!
初夜をむかえた夫婦がベッドでなにをするかぐらい、いくら世間知らずのあたしだって知ってるっつーの。どんだけみっちり花嫁修業を積んできたと思ってんの。そこらの
だからといって、「あとは若いお二人で……」とばかりにお
見物人が立ち去り、静まり返った寝室には、それでもさっきまでのざわめきの
「王太子殿下は狩りにお出かけになりました」
着替えを持ってきた侍女が教えてくれました。
あっけなく初夜が終わってしまったことにほんとだったら
本書より[1771年1月1日(火)]の日記
ボナネー!
昨年はお世話になりました。今年もどうぞよろしくお願いします。
はいっ、というわけではじまりました1771年なんですけども、がんばっていかなあかんなっていうことで、今年の抱負とか発表しちゃう? しちゃう? 実はもうあたしの今年のテーマは決まってるのです。ずばり「
――え? なにしれっと日記再開しようとしてんだって? あはは、バレた~? 新年明けたばかりのどさくさではじめたら気づかれないかなーと思ったんだけどだめだったか。ちなみに日付は元日になってるけど、これを書いている今日はすでに14日です⊂二二二( ^ω^)二⊃ブーン
改めて前回の日付を見てびっくりしちゃった。ずいぶんごぶさたしてたね。この空白の4ヶ月のあいだになにがあったか……ってわざわざ説明するのまじメンディーなんでかんべんしていただけたら幸いです♡ 年も明けたことだしここは心機一転、仕切りなおしってことで……ってそんなわけにいかないですよねー、わかってますよ言ってみただけですBoooooooooo!
もうなにもかもがいやだ、すべて放り出してしまいたい、なんてあなたは思ったことがありますか?
あたしはある。めっちゃある。年がら年中そんなかんじだし、なんならいまもその気配濃厚。できることならこの日記も放り出してしまいたい。つっても、ヴェルサイユはあいかわらず退屈でなんにもすることがなく、季節はすっかり冬で運河は凍り、木々は枯れ、庭を歩く人影は皆無。室内にいてもすきま風が吹いて凍える寒さなので、頭から毛皮をかぶってこの日記を書いている状態です。こんなことならいっそなんにもしないのだと割り切ってごろごろベッドで一日を過ごしてもよさそうなんだけど、なんでかそれはそれでいや。怠惰でめんどくさがりなくせに、とにかくあたしはじっとしていることができないのです。ほんとは日記なんて書きたくないけど、なんにもせずにぼうっとしているよりはなんぼかましだと思ってしまうのです。
もうなにもかもがいやだ! とどんなに思ったところで、実際すべて放り出すことなんてなかなか難しいよね。あなただってそうじゃない? 人生やめたいぐらいしんどいことがあったとしてもなにかしらあるでしょう? まだ栓も開けていないワインだとか、来週届く予定の新しいドレスのできばえだとか、読みかけの本の続きだとか、かけらほどには残っているだれかへの愛情や執着だとか。ゼロか百かを迫られると逃げ出したくなるけど、ゼロか一か百かを迫られたら熟考の末に一を選ぶ。あたしはそういう人間です。
――で、なんの話だっけ? あ、そうか、4ヶ月も日記を放り出してた言い訳をしようとしてたんだ。あのときはかなり唐突でびっくりさせてしまったかもしれないけど、なにもいきなり
いちばん最初にあたしが放棄したのは日記ではなくコルセットでした。再三にわたってお伝えしてきたとおり、フランス製のコルセットはほんとに窮屈で、夏の暑さとヴェルサイユの
7月の半ばに殿下が風邪をお召しになったことは話したよね? そのとき国王陛下はこの機を逃すなとばかりに医師にある診察を依頼しました。えっとその、なんていうのか、殿下の男性機能に障害があったりしないか的な? 皮かむ……じゃなかった、えっと、ちょっとした手術で済むことならば処置をお願いしたい的な? えーやだー、トワネットよくわかんなーい。
というのも、どこから漏れたんだか、あたしたちの結婚が
けど、そうなってくると今度はこっちにお鉢がまわってくるんです! 「男をその気にさせられない幼稚で未熟な王太子妃」ってあたしが笑われるようになるのにタイムラグほとんどなかったからね! 自国の王太子を
「洗濯板」「棒っきれ」「やる気そぎ子」みんながみんな好き勝手言ってくれてるところに、女の色香をだだ漏れにさせたデュ・バリー夫人がちらちら目の端に映ったとしたらどんな気持ちがすると思う? ダイヤモンドの首飾りの下であふれんばかりの乳房が揺れ、彼女を見るといやでも夜を想起せずにいられません。コンピエーニュの森ではじめてお会いしたとき、国王陛下があたしの胸をさっと視線で
「おかわいそうに。こんなにも痩せてしまって。いっそコルセットをおやめになってしまえばよろしいんじゃなくて?」
そう提案してくださったのはアデライードさまでした。
「だけどそんなことをしたら、ノワイユ伯爵夫人が黙っていませんわ」
「心配には及びませんよ。実はわたくしたちも普段はつけておりませんの。このようにほら、ストールで隠してしまえば外から見てもわかりませんし」
そう言ってアデライードさまは、たっぷりとしたタフタのストールで腰を
「叔母さま方に相談して正解でしたわ。オーストリアでは普段コルセットをつけずに過ごしていましたが、フランスもやはりそうだったのですね! あんなもの、ずっとつけていろというほうが無茶な話ですもの。そうと知ったらいますぐにでも脱いでしまいたいので、お部屋に下がらせていただきます」
言うが早いかあたしは叔母さま方の
「とんでもございません! このグラン・コールは身分の高い女性にのみ許されたステイタスシンボルであり、絶対君主制をあらわしているのです。グラン・コールの着用を拒否するということは王室に泥を塗るのと同じこと。アントワネットさま、どうかお考えをお改めくださいまし」
予想していたとおり、マダム・エチケットがすぐさま飛んできて、ゆったりしたドレスを着てリラックスしているあたしの耳元でわんわん
「うるさいなあ。儀式のある時とか人前に出る時はちゃんと着るってば」
「そういうわけにはまいりませんっ」
「えっ、なんで?」
「それがしきたりだからですっ」
「うわ、出たよ……」
「しきたりをお化けみたいに
「とにかくあたしはもうあんな窮屈な思いをするのはぜったいにぜったいにぜったいにいやだから!」
いつになく折れる様子を見せないあたしに
「いったいどうされたのです、マリー・アントワネットさま」
メルシーは頭ごなしに怒鳴りつけることはせず、コルセットのなにがそんなにいやなのかと落ち着いたトーンの声でたずねました。夏バテでまいってること、叔母さま方の勧めもあったことなど、ごちゃごちゃとこまかな理由を述べてみましたが、それぐらいでメルシーが引いてくれるはずもありません。
「こう言ってはなんですが、内親王さま方はすでにご高齢です。スタイルが崩れたところでいまさらなんの差しさわりもございません。しかし、アントワネットさまはまだお若い。いまコルセットをやめればてきめんにスタイルは崩れ、取り返しのつかぬことになりますぞ。コルセットを脱いで食欲がお戻りになったことはさいわいですが、ちょっと気を許したらそのままぶくぶくぶくぶく牛のように太ってしまいかねません」
だからそのスタイルが問題なんでしょうが! どんなに腰が細くたって、その上にふさふさ揺れる肝心のものがなくちゃ意味なくない?! だなんて殿方のメルシーに言えるわけもなかったし、貧乳だと自分で認めるのもいやで、結果あたしは
「うるさいうるさいうるさいうるさ―――――い! とにかくいやだって言ったらいやなの!!!」
まさかそれが大騒ぎを引き起こすことになるなんて、そのときは思ってもいなかったのです。あたしはただ巨乳になりたかっただけなのに……。
王太子妃コルセット拒絶のニュースはあっというまに広がり、いちばんホットな
コルセットを身につけないことがどうしてこんなに問題になるのかあたしにはまるきり理解できませんが(「炎上」ってそういうものですよね……)、これがヴェルサイユなのです。彼らにとって着飾ることは殉教と同じ。青いジャケットや赤いヒールの靴、燃えるような頬紅、体を締めつける礼装用のコルセット等々、こまかく定められたステイタスシンボルをみなが競って誇示するマウンティングの合戦場で、コルセットを脱ぐことは
「いったいなにがいけなかったんでしょう。殿下はコンピエーニュに移ったら、と約束してくださったのに」
耐えきれず叔母さま方に泣きつくと、叔母さま方はそれはそれはやさしくあたしの背中を
「王太子殿下ったらいけませんね、こんなかわいらしい妃殿下を放っておかれるなんて」
「機会があればわたくしたちからも注意しておきましょう」
「わたくしたちにまかせてくだされば、悪いようにはしませんからね」
早速その日の晩、叔母さま方は王太子殿下を呼び止めてお話をしてくださることになりました。妻がいたのでは話しづらいこともあるかもしれないとあたしは早々にその場を辞しました。立ち去るとき、なんとも心細げな表情であたしをふりかえった王太子殿下のお姿がいまも胸のどこかに引っかかっています。はじめてお会いしたときよりさらに身長が伸び、肩幅も広くなって、どんどん大人に近づいているのに、あのときの殿下はさながらネバーランドに置いてきぼりにされたピーター・パンのようでした。しかし、あたしはとにかく夜を完遂し、あたしを笑いものにしてくれちゃってる宮廷人たちを見返してやることで頭がいっぱいで、殿下の心の機微に気づくことができなかったのです。
さすがに叔母さま方の言うことであれば殿下も素直に聞き入れてくれるのでは、とハーブから抽出した香水を胸元にふりかけてベッドでお待ちしておりましたが、その晩も殿下のお通りはありませんでした。朝目覚めてから、ひんやりと乱れなく整ったベッドの残り半分にやけくそで飛び込んでバタ足するのがそのころのあたしの日課でした。
「あー、おなかが
おまけに起きた瞬間からやたら空腹で、ラヴェンダーで香りづけしたショコラをがぶ飲みし、山盛りのクロワッサンをぺろりと平らげ、ポタージュとゆで卵と冷肉をおかわりし、青りんごを丸かじりしてもまだまだ足りません。
「なんとおいたわしい、このままだと入るドレスがなくなってしまわれますよ。王太子妃殿下、どうか後生ですからコルセットをおつけになってくださいませ。妃殿下は
ノワイユ
「昨晩も殿下は寝室にいらっしゃいませんでした。それどころか、先日叔母さま方にご忠告していただいてからよけいにあたしを避けるようになった気がします。今朝だって早起きして狩りに出かける殿下を見送ったのに、目も合わせてくださらないんですよ」
おやつにしょっぱいタルトと甘いタルトを交互に
「照れているだけですよ。あの子は昔からシャイであまのじゃくなところがあるから、宮廷でこれだけ噂になってしまって気が引けているのでしょう」
「しようがないわねえ、男の子ったら。こういう時は女のほうがどっしり構えていないと」
「今度の誕生日であの子も16歳になります。16歳といえば立派な大人。もしかしたらその日につとめを果たそうと考えているのではないかしら」
そうか、殿下は照れてるだけなのか。なんだそれ、かわいいかよ。
叔母さま方の慰めに、あたしはころっと希望を取り戻しました。叔母さま方がやたらと殿下を「あの子」と呼ぶのが気にはなりましたが、そんな
そうして待ちに待った8月23日……お察しのとおり、待てど暮らせど殿下はお越しになりませんでした。1ヶ月近く食って食って食いまくってきたせいでぱつぱつにはじけそうなボディをベッドに横たえ、あたしは静かに目を閉じました。今夜もデュ・バリー夫人の
――やってらんねえ。
そのとき、ぷつんとあたしの中でなにかが切れました。どれだけがまんして王太子妃らしくふるまったところで、なんにもいいことなんてない。期待したって裏切られるだけなら最初から期待などしなければいい。そうすれば不要に傷つくこともありません。
なにもかもがすっかりいやになり、そのうちあたしはコルセットや歯みがきだけでなく、もったいぶった儀礼の数々や王太子妃の義務のひとつである夜会の開催も拒否し、公式のカード遊びもボイコットし、フランス語の授業も読書の時間もスピネットのレッスンも、これまでいやいや受け入れていたことすべてに「ノン!」を言うようになりました。
「アントワネットさま、なりませぬぞ!」
すぐにメルシーが目の色を変えて飛んできましたが、いまさらそれぐらいでグレなずんだあたしの心は更生しません。
「カトリックの教義では
「フンッ! 離縁になったらなったでいっそせいせいするわ」
「いくらなんでもお言葉がすぎますぞ! ここでは壁という壁がだれかの耳だということを肝にお銘じください! 離縁などとんでもない。マリア・テレジアさまが苦労してやっと取り結んだフランスとの和平同盟を
お手上げのメルシーは
そもそもは王太子殿下といつまでも夫婦の契りを結べないでいることを気に病みコルセットを放棄したのに、そのせいで離縁されるかもしれないだなんておかしな話です。「夫婦の契りを結べ」というのと同じぐらいの熱量で、「コルセットを身につけろ」と言われる。意味わかんない。あたしはフランス王太子妃なのに、なんでこんなになにもかもが思い通りにならないの?
「宮廷中が妃殿下にふりまわされておかしいったら」
「お父さまですら妃殿下のご機嫌を損なうのを恐れるあまり強い態度には出られないみたいですわ」
「いよいよデュ・バリー夫人と
あたしの味方は叔母さま方だけです。もっと自由に好き放題やってごらんなさいな、やりたくないことはいっさいやらなくてかまいません、フォローはわたくしたちにまかせてちょうだい、あなたのような新しい風が吹くことをヴェルサイユはずっと待ちわびていたのですよ――甘い言葉と甘いお菓子だけがあたしを満たし、無尽蔵な食欲はあとからあとから
そのころ宮廷の一部では、「以前にくらべて妃殿下の食欲が増してきているようだ」「そういえばどことなくふくよかになられたような……」「ついにご懐妊か?」「これはめでたい!」などと
なにその
王太子殿下があたしの居室を訪れたのは、ひきこもり生活をはじめて半月ほど
「この頃ずっと話せていなかったから顔を見にきたんだが、これはいったい……」
そう言って殿下は、ベッドのまわりに
「秘密基地みたいでしょ?」足の
あんなにも待ちわびた殿下のお通りだというのになんてひどい態度でしょう! ほんとうにこのときは自暴自棄になっていてなにもかもがどうでもよかったのです。
多少の戸惑いはあるようでしたが、殿下はとくに気を悪くしたふうでもなく、ふらふらと落ち着かない様子で長身を揺らしながら部屋のあちこちに視線を走らせていました。例の
「君のことが、嫌いなわけではないんだ」
しぼりだすような声で、やっとそれだけ殿下は仰いました。
思わずあたしは体を起こし、
「え、それって、つまり……?」
ちょ、それkwskと身を乗り出したいところをぐっとこらえ、最小限の言葉で殿下の真意を探ろうとしました。期待してはいけないときつく自分に言い聞かせたことも忘れ、すでにあたしの目はこれまで以上の期待に
「君を見ていると兄上を思い出す。私にはそれが、耐えがたいのだ」
「お兄さまというと、幼いころにお
殿下の兄上であるブルゴーニュ公の話はあちこちで聞きかじってはいました。10歳の若さでこの世を去った悲劇の王子。美しく才気にあふれ、陽気で奔放、ユーモアのセンスも抜群、
「ほんとうに太陽みたいな子でしたよ。あんな兄がいたらやたらと比較されて卑屈になってしまうのも無理がないかもしれませんわね」
叔母さま方は10年近く昔のことをつい昨日のことのようにお話しされます。
「それでも2人は仲の良い兄弟でした。兄は弟のことをいつも気にかけ、弟は心から兄を慕っておりました。太陽と月のような兄弟でしたわ」
「わたくしは、あの日、あの子が言った言葉がいまも忘れられないのです」
ブルゴーニュ公が亡くなったとき、つきっきりで看病していた王太子殿下は濁りのない水色の目でこう仰ったそうです。
「兄上のかわりに私が死んだほうがよかったのではないでしょうか」
わずか7歳の子どもにそんなことを言わせてしまうフランス王室の体質にぞっとしましたが、そのときの傷をいまも殿下が引きずっているとは考えてもみませんでした。だって殿下はいつも
胸の真ん中がきゅっと
「そんなにもあたし、お兄さまに似ているのですか?」
「似てる。それも、すごく」
「だけど、そんなこと、だれにも言われたことありませんわ」
「姿形のことじゃない。もっと本質のところが……魂に色があるとしたら、おそらく同じ色をしてると思う」
「それって喜んでいいことなのかしら?」
「もちろん――いや、どうかな……」
「そのせいで殿下があたしを避けるのなら、あんまりうれしくはないですね」
「恥ずかしいことだが、いまだに心の準備ができていないんだよ。王太子という立場にも、君の夫になることにも」
たぶんこれこそが殿下の本心なのでしょう。王位継承者の2番目の王子として生まれ、王位を継ぐことなど期待されず、自らも期待せずにいたところへ急に降ってきた「王太子」という立場を持てあましている。そう考えれば、これまでの殿下の言動にも納得がいきます。
「コンピエーニュで叔母たちに
「いえ、お気持ちお察しいたしますわ」
と殊勝に答えながら、やはりあのとき、殿下を置きざりにするべきではなかったとあたしは後悔をおぼえていました。
いったい叔母さま方はどんな口調で殿下を詰めたのでしょう。普段から殿下に対してはずけずけと率直に物を言う「
「ここではみなが好き勝手なことを言う。惑わされまいとガードを固めることばかりに注力してきたから解き方がよくわからない。君が近くにいると、心がざわつくんだ。自分が自分でなくなるみたいで落ち着かない。少しずつ慣れるよう努力してみるから、あんまり
これはあたしのうぬぼれでしょうか。殿下のその言葉は、あたしだけが殿下の心に触れられるのだと言っているように聞こえました。自己抑制こそ美徳ととらえているふしのある殿下が、心が騒いで落ち着かないからあたしを避けるんだとしたら……ここは喜んで引き下がるしかないではないですか。
「三歩進んで二歩下がるってかんじですわね」
肩をすくめてあたしが笑うと、
「それでも進んではいる」
と殿下も顔をほころばせました。
はじめて殿下とまともに言葉をかわせた気がして、あたしはしあわせでした。ほんとうに、すこしでも進んでいる、という実感がようやく持てたのです。非常にゆったりとした
殿下が部屋を出ていくと、すぐにあたしはノワイユ伯爵夫人を呼んで、コルセットを持ってくるように告げました。照れくささも手伝って、なんでもないことのようにそっけなくお願いしたら、
「いま、なんと?」
突然のことにノワイユ伯爵夫人の声は震えていました。
「いまなんと仰いましたか? 私の聞きまちがいでなければ、コルセットと聞こえたのですが……」
うわ、うぜ……と内心うんざりしつつも、「そう! コルセットをつけるって言ってるの! なんか文句ある?」とぶっきらぼうに答えると、ノワイユ伯爵夫人は「文句などあろうはずもございません!」とばかりにドレスの
それ以降、
[新潮文庫nex]オーディオブック 吉川トリコ『マリー・アントワネットの日記 Rose』試し聴き(朗読:天ノ崎稜奈)
著者プロフィール
吉川トリコ
ヨシカワ・トリコ
1977年生まれ。2004年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。2021年「流産あるあるすごく言いたい」(『おんなのじかん』収録)で第1回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『ベルサイユのゆりーマリー・アントワネットの花籠―』『女優の娘』『夢で逢えたら』『余命一年、男をかう』などがある。