ホーム > 書籍詳細:マリー・アントワネットの日記 Bleu

マリー・アントワネットの日記 Bleu

吉川トリコ/著

693円(税込)

発売日:2018/07/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

世界に嫌われた王妃を、愛さずにはいられない。

え、あたしがフランス王妃とかwww ウケるってかんじなんですけどー。1774年5月10日、ルイ15世が崩御し、夫・ルイ16世が国王に。だが、アントワネットへの世間の風当たりは強まる一方だった。取り巻きたちとの夜遊び、膨大な服飾費、授からない子ども、根も葉もない噂。そして、本当の恋。だが革命が起こり、すべては終わる――。王妃の最期の言葉に、涙があふれるクライマックス!

書誌情報

読み仮名 マリーアントワネットノニッキブルー
シリーズ名 新潮文庫nex
装幀 斉木久美子/カバー装画、鈴木久美/カバーデザイン、川谷デザイン/フォーマットデザイン
雑誌から生まれた本 yom yomから生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 320ページ
ISBN 978-4-10-180131-5
C-CODE 0193
整理番号 よ-37-22
ジャンル キャラクター文芸、コミックス
定価 693円
電子書籍 価格 649円
電子書籍 配信開始日 2018/08/10

書評

王妃と青春と恋の「切実さ」

高頭佐和子

吉川トリコ『マリー・アントワネットの日記 Rose』 マリー・アントワネット。私、彼女のことなら結構詳しいです。あれは中学生の頃、麗しく気高い女近衛連隊長がベルサイユで活躍する人気漫画を読んでいた時のこと。自分の前世が二百数十年前のパリの町娘で、オーストリアからお輿入れしてきた美しい王太子妃に、憧れたりムカついたりしていたことを突然に思い出したんですよ。懐かしさのあまり、彼女についての本をいろいろ読んだり、映画を見たりしてきました。
 という話を人にすると、「この人大丈夫?」みたいな目で見られてしまうのですが、とにかく私はアントワネットさまウォッチャーの元パリジェンヌ(今は東京の書店員)なので、吉川トリコ氏の『マリー・アントワネットの日記 Rose/Bleu』を当然のように手にしました。悲劇の王妃なのにあまりにノリが軽すぎないか? と思いつつ読み始めたのですが、予想を超えて心にグサグサ刺さる日記でした。
 たった14歳でフランスの王太子に嫁ぐことになったマリー・アントワネットは、日記帳にマリアという名前をつけ、親友に心を打ち明けるように日々の出来事を綴ります。慣れないしきたりや、常に人目に晒されることに戸惑い苦しみ、夫とのうまくいかない関係や、なかなか生まれない跡継ぎに悩み、贅沢な装飾品や取り巻きとの遊びに散財し、ある男性との恋仲を噂され……。細かいエピソードも丁寧に描かれていて、史実にかなり忠実なのに、文体は炎上気味なギャルママのブログそのものです。ギャルだったことは一度もないのですが、気持ちわかるわ! と何度も心の中で叫び、友情と家族愛と恋心に、涙腺崩壊しました。そして、最後はなんだか勇気が出ちゃう素敵な日記でした。王妃さま。もし私が前世に戻れたなら、あなたを批判する人たちに「アントワネットさまはそんなに悪くないじゃん。ギロチンやりすぎ!」と大声で言ってやりたいです。革命下のパリでは、フルボッコにされちゃうでしょうけれど……。愛すべき悲劇の王妃に出会わせてくれた著者に、拍手を送りたいです。

最果タヒ『渦森今日子は宇宙に期待しない。』  愛すべき主人公と言えば、最果タヒ氏の『渦森今日子は宇宙に期待しない。』です。自意識過剰気味な青春を過ごしている女子(と元女子)の皆さんに、課題図書としてお勧めしたい一冊です。渦森今日子は、宇宙探偵部に所属する女子高生ですが、実は宇宙人で本名はメソッドD2。UFOが不時着して仕方がなく地球に暮らしているとか乗っ取りを企んでいるとかではなく、自分の意思でこの星に暮らしていて、仲の良い友達には秘密も打ち明け、自然な感じで受け入れられています。そんな彼女の日常は、ゆるく部活に参加したり、コンビニのアイスを食べたり、片思い中の友達に気を使ったり、進路に悩んだりという平凡なもの。とは言え宇宙人ですから、時々SFチックな出来事も起こります。
 設定はかなり不思議ですが、自分の居場所や行くべき方向に悩む渦森さんの青春は、微笑ましくて、なんだか懐かしくて、ちょっと切なくて、胸の奥が疼きました。実は宇宙人という特殊な秘密を、ナチュラルに受け入れて生きている渦森さんの物語を、自意識に押しつぶされてひたすら空回りしていたあの頃の私に、読ませてあげたいです。

竹宮ゆゆこ『砕け散るところを見せてあげる』  UFOが出てくる新潮文庫といえば、竹宮ゆゆこ氏の『砕け散るところを見せてあげる』について書かないわけにはいられません。竹宮氏の小説は新潮文庫nexから3作品が刊行されていますが、未読の方にまず手にしていただきたいのが大好きなこの1冊です。
 高校3年生の清澄は、1年生の女子・玻璃が、同級生から壮絶な嫌がらせをされているところを目撃してしまい、行きがかり上助けることになります。ほとんどしゃべらない彼女は、自分をかばってくれた清澄にも警戒心を解かず、そっと触れただけで大声をあげて逃げていく始末。それでも助けることをやめない清澄に玻璃は心を開き、前髪で覆われていた顔も見せるようになります。生きづらさと孤独に打ち勝とうとする玻璃の生命力は、少しずつ花が開いていくように美しく、心打たれずにはいられません。
 うまくいかないことは「全部UFOのせいだ」と言う彼女の発言の謎と、その後の二人の運命にハラハラしつつ、想像もしなかったやり方で物語を終結させた、著者の類まれな破壊力に驚愕していただきたいです。そしてぜひ、他の竹宮ゆゆこ作品もお楽しみください!

(たかとう・さわこ 書店員)
波 2019年9月号より

インタビュー/対談/エッセイ

MeToo、母娘問題、妊活……。マリー・アントワネットがギャル語でぶっちゃける「女にかけられた呪い」とは。

吉川トリコ

 そんなさあ、王妃になったぐらいで人はそうそう変わったりしないって。むしろあたしがフランス王妃とかwww マ? マ? くっそウケるwww ってかんじなんすけど。昨日までちゃらんぽらんだったやつがなにかをきっかけに圧倒的成長を遂げていっぱしの大人みたいな口利くようになったりしたらむしろそっちのほうがうさんくさくない? ないわー、信用できんわーってかんじしない? というわけで王妃マリー・アントワネットもこれまでどおりでいくから! 調子アゲてこ、プチョヘンザ!(1774年5月17日(火)『マリー・アントワネットの日記 Bleu』より)

 ***

池田理代子の「ベルサイユのばら」、遠藤周作の『王妃マリー・アントワネット』、ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」など、革命に散ったフランス王妃・マリー・アントワネットの生涯を描く名作は枚挙にいとまがない。平成30年8月、ここにまったく新しいマリー・アントワネットが誕生した。作家・吉川トリコが生んだ、ギャル語とネットスラングを駆使し、生来のお調子者として大暴れするアントワネットである。冒頭の日記はまさにそのアントワネットが綴ったもの。処刑当日まで克明に綴られた彼女の日記は、読む者に大きな衝撃と深い共感を与える――。

 ***

――ギャル語のマリー・アントワネット、画期的ですよね。
吉川 もともとギャル語が大好きで。すごくクリエイティブですよね。新しい言葉を創造してゆく。流行語を多用して書かれた小説も以前からよく読んでたんです。中森明夫さんの『東京トンガリキッズ』とか田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』とか。岡崎京子さんの『くちびるから散弾銃』も、当時の風俗や流行語がいっぱい出てくる作品で。私はリアルタイムではなくて3~4年遅れて読んだので、固有名詞が全然分からなかったんですけど、妙に楽しくて大好きでした。

――いつか自分でも、流行語満載の小説を書きたいと思っていらしたんですか?
吉川 そうですね。一時期流行った、記号を組み合わせて作る「ギャル文字」がありましたよね。「|ナ」=「け」みたいな。デビュー当時、あれを駆使して小説を書きたいと話したら、編集者から「それはやめて下さい」とか言われて(笑)。

――それから10年以上経って、やっと念願のギャル語小説が実現したんですね。
吉川 マリー・アントワネットに興味を持って、彼女を書きたいと思ったとき、「あっ、これをギャル語で書けばいいんだ!」ってひらめいたんです。現代の女の子をギャル語で書くよりも絶対面白くなるって思った。

――ネットスラングやHIP HOP用語も多数出てきますが、こういった言葉についても詳しかったのですか?
吉川 ある程度は馴染んでましたけど、この作品を書くためにめちゃくちゃ勉強しました(笑)。ネットとか、たまにファッション誌に載ってる「現代用語辞典」とかを見つけるとせっせとメモして、リスト作って。連載が終わってもまだまだ用語のストックが残ってたので、後からどんどん書き足しました。一時期、Twitterで「#クソ語彙小説」っていうのが流行ってたんですよ。

――クソ語彙小説?
吉川 古今東西の名作を140字の「クソ語彙」で翻訳する。「桃太郎」だったら「やばめの桃流れてきてぱっかーんしたら中から子供でてきたウケるwww」みたいな。あれに一時期ハマっていろいろ集めてたんですよね。その影響も受けていると思います。

――母娘問題やMeToo、フェミニズムをテーマにしようという気持ちは書き始めた当初からありましたか?
吉川 意識的にそう思っていたわけではないんですけど、マリー・アントワネットの資料をいろいろ読んでいくうちに、現代の女性と同じ悩みを彼女も抱えていたんだなとわかったんです。それに、やっぱり関心があるんですよね、フェミニズムに。だから自然と作品にも反映されるんですけど、ここまでしっかり書いたのは初めて。ギャル語だとフェミニズムについてすごく書きやすかったんです。

――それはどうしてなんでしょう。
吉川 一般的な日本語で書くと、どうしても真面目になっちゃうからかな。……やっぱり私のなかに恐怖があるんだと思います。「フェミニストって怖い」って言われるじゃないですか。それに対する恐怖。「おお~こっわ~www」みたいに言われがちですよね。

――「フェミですかwww」と。
吉川 そういう冷笑的な態度に晒されるのが怖いから、ストレートに書くことを恐れていたのかもしれない。フェミニズムに対する批判として、「そんなにギャーギャー怒らないで、もっと冷静に、もっと賢く主張するべき」という言い方がありますよね。「トーン・ポリシング(語調統制)」と呼ばれる、こちらを潰すやり方です。「細かいことにいちいち目くじら立ててると、本当に主張したいことを聞いてもらえなくなるよ」と。私はそれって全然違うと思っていて。女性差別の問題に大きい小さいもなくて、小さく思えることでも、それについて今泣いている人がいるんだったら、怒っていくべきです。……って気づくとまた怒ってる(笑)。

――怒りたくなるようなことばかりです!
吉川 強火で行こ! どんどん怒っていきたいです。じゃないと何も変わらないから。

――本作でいちばん好きな登場人物は誰ですか?
吉川 うーん、やっぱりルイ16世かな。最初は一生懸命、彼を恰好良く書こうとしてたんですよね。でも「モアナと伝説の海」を観て変わった。モアナの相棒となるマウイを結構情けない感じで描いていましたよね。あれを観て、ディズニーはいま女性だけじゃなく男性をも解放しようとしているんだな、と思いました。「私ったら、ルイを恰好良く書こうとしてた……!」ってハッとした。

――たしかに本作を読むとルイ16世のイメージが一変します。
吉川 ベルナール・ヴァンサンの『ルイ16世』(祥伝社)という資料があって、ルイ16世への見方が変わる良書。実はとても賢くて国民のことを第一に考える民主的な王だった、というようなことが書かれています。錠前ヲタの小デブじゃないよ、と。「マリー・アントワネットに操られていた」というようなイメージもありますけど、晩年にうつ病を患うまでは、妻を政治に関わらせないという強い意志を持っていたそうです。
 農民と一緒に畑仕事をしたりもしていたらしくて。階級社会なので本当はありえないことですよね。王があんなことをしている、とその姿は笑いものだったみたい。でも私はそのエピソードにたまらなくキュンときてしまった(笑)。

――「ベルばら」(「ベルサイユのばら」)だとフェルセンにときめく人が圧倒的に多かったと思いますが、本作でルイ派に転向する人もいそうです。
吉川 完璧な王子様が好きな人にはフェルセンがぴったりだし、弱いところも見せる屈折した男性が好きな人はルイに行ったらいいですね。私は屈折した男性が好きなので……。
 タイプの違う、でもこんなにすてきな2人の男性に愛されたんだもん、アントワネット、そりゃあ人気が出るはずだよ! と思いますよね。私も、アントワネットを書けてよかった。

(よしかわ・とりこ 作家)

あの王妃は、ヨーロッパ最強のギャル!

吉川トリコ中島万紀子

母娘問題、女性蔑視への抵抗、〈推し〉への尽きせぬ愛。
フランス王妃の日記には、「ほんとそれな!」の連続だった――。
作家と早慶の仏語講師が、キュートで破天荒な魅力を語り尽くす!

王妃も母娘問題に悩んでいた


中島 『マリー・アントワネットの日記』を読ませていただいて、今日は徹夜で語り合いたいと思って来たんですけれども。まず伺いたいんですが、なぜマリー・アントワネットをギャル語・ネットスラング満載の文体で書こうと思われたんですか?
吉川 デビューした頃から、ギャル語で小説を書きたいとずっと思っていたんです。でもなかなか企画が通らなくて。普通のギャルがギャル語で喋ってる小説って、たしかにあんまり面白くなさそうですよね。
中島 ケータイ小説みたいな?
吉川 そうそう。ソフィア・コッポラの映画(「マリー・アントワネット」)が2006年公開で、アントワネットを等身大の女の子として描いていました。あれを観て、あっ、マリー・アントワネットをギャル語で書けばいいんだ!って。
中島 ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」、今日観てから来ました。かわいいんですよ。十年前に観てたらぞっこんだったと思うんですけど、この本読んじゃったあとですから、薄っぺらかったですね。
吉川 そんな……(笑)。ソフィア・コッポラがインタビューで「マリー・アントワネットは母親からの抑圧を受けていた」と語っていたことも、アントワネットに興味が湧いたきっかけでした。
中島 そう! 母娘関係というのはトリコさんの作品の大きなテーマのひとつだと思うんですけれども。
吉川 そうなんです。マリア・テレジア(アントワネットの母)って圧が鬼じゃないですか。
中島 圧が鬼(笑)。ヨーロッパ全土に鬼のような圧力をかけてますからね。
吉川 たしかに! そしてヨーロッパ全土にかけるのと同じだけの圧を娘にもかけてる。それでいうと、うちの母もすごく圧が強いんですよ。
中島 お母さーん、今日お見えですかー?
吉川 来てないです(笑)。
中島 でもこれまでの作品をお母さんは読んでる?
吉川 読んでます。小説で母娘問題を書き続けているのは、母に向かって訴えているようなところがあるんですね。分かってほしくて。でも、都合のいい部分だけを「これって私のことだよね♪」とか言って喜んでいて、こちらが伝えたいことについては何も届いていないんです。

名古屋の女性は生きづらい?

中島 偏見だったら申し訳ないんですけど、トリコさんがずっと暮らしている名古屋という土地も「女性はこうあるべき」というような圧が強い場所かなという気もするのですが。
吉川 私は26歳で作家デビューして「ちょっと変わった人」という枠に入ったので、そういうものから逃れられたんですが、妹や周りの友だちを見ていると「結婚しない女は人に非ず」「子を産まぬ女は人に非ず」みたいな圧力を受けてますよね。
中島 ぎゃーーー!!
吉川 名古屋の女の子が自由に生きている話を、と思って書いた作品(『ぶらりぶらこの恋』)を東京の友だちが読んでくれて「この子けっこう縛られてるね」と言われたことがあって、ハッとしました。自分も「名古屋的価値観」が無意識に内面化されてるんだ、と。
中島 ジェンダーに関することは「刷り込み」のように内面化されているものが本当に多い。ジェンダーギャップ指数114位(144ヶ国中)の国で生まれ育つとどうしてもそうなってしまうわけです。
吉川 ほんと、先進国とは思えない順位……。
中島 『マリー・アントワネットの日記』は、フェミニズム的な意味でも正しいんです。「でも、あのマリー・アントワネットでしょ?」って思われるかもしれませんが、彼女が痛快に斬ってくれるんですね。当たり前のようにはびこる女性蔑視や性の不平等を。それは私たちが今も変わらず抱えている問題でもある。読んでいて「あいつに渡したい!」って思う女友だちが何人も思い浮かびましたよ。

十人十色のアントワネット

中島 私はマリー・アントワネット自体にはこれまであまり興味がなかったんです。「ベルばら」(『ベルサイユのばら』)を読んでもあまり共感しなかった。
吉川 「ベルばら」のアントワネットは気高いですよね。だからちょっと遠い存在に感じるのかな。
中島 ソフィア・コッポラのアントワネットもたしかに等身大でかわいいんだけど、話は合わなそう(笑)。でもトリコさんのアントワネットはとても好きなんです。友だちだな、と思うんです、心の底から。どうしてかというと、「立場主義」とは無縁な人だから。「王妃」や「母」という立場でものを考えるのではなく、本質で考える。
吉川 私は90年代に高校生で、コギャル全盛期だったんですね。私はギャルじゃなかったんですけど、ギャル幻想があるんです。ギャルは無敵、ギャルこそが本質を突くっていう。
中島 ああ~。それは分かる。
吉川 この作品は私のギャル幻想の結晶なんでしょうね。
中島 あとは、この新潮社が誇るアントワネットといえば遠藤周作先生の『王妃マリー・アントワネット』(上下巻・新潮文庫)ですよ! どうですか、これは?
吉川 すごく面白いんです。展開も巧みで、翻訳ものの評伝より読みやすいと思います。でもちょっと、ミソジニー(女性嫌悪)があるんですよね……。
中島 「女特有の○○」みたいに書いてあるところがあって、ぐぬぬ……となる。ただ、さすがの遠藤先生、ぐいぐい読ませます。そしてアントワネットといえば、やっぱりフェルセン(スウェーデンの名門貴族の家に生まれた軍人。フランス遊学中にアントワネットと出会い、恋仲になる)。「ベルばら」ではフェルゼンですが、フランス語読みとしてはフェルセンですね。
吉川 私も「ベルばら」でしか知らなかったんですけど、他の文献も読んでいくと「えっ、嘘でしょ!?」というエピソードの連続なんです。少女漫画かよ!? っていうような史実がたくさんあって。
中島 21世紀に入ってマリー・アントワネット研究が急速に進みまして。アントワネットとフェルセンがやりとりした恋文の暗号が解読されて、本当に二人が恋仲だったことが分かったんですよね。私たちの妄想じゃなかった!

アントワネット人気は日本特有?

吉川 アントワネットは本国フランスでも人気なんですか?
中島 うーん、二年間フランスに住んでいたときには、フランス人からマリー・アントワネットの話題が出たことはなかったですね。日本では一昨年に六本木ヒルズの森アーツセンターギャラリーで大規模な展覧会が開かれたり、アントワネットの世界観を模したビュフェに予約が殺到したりしましたよね。圧倒的に日本人女性からの人気が高いと思います。
吉川 やっぱり「ベルばら」の影響?
中島 そうですね。フランスに住む友だちは、アントワネット人気が高いのはアメリカと日本だけじゃない? と言ってました。
吉川 それはどうしてなんでしょうか。
中島 あの華美で豪奢なヴェルサイユ宮殿は現代フランス人の趣味じゃなさそう。「シンプル・シック」が好きな人たちですから。派手好き、エキゾチズム(異国情緒)好きのアメリカ人には合うんじゃないかな。あと、歴史上の人物を「好き」「嫌い」「萌え」みたいな価値観で語るのは、とても日本的な文化だと思います。
吉川 なるほど。キャラとして見るスタンスが根付いている国ですもんね。

我ら、ルイ16世推しです!

中島 フェルセンもいいんですが、なんといっても、我らの推し・ルイ16世についてお話しさせて下さい。皆さんの「ルイ16世観」は20世紀で止まっているかもしれませんね。ルイ16世=錠前ヲタの小デブと思っていませんか? 大間違いですよ!
吉川 肖像画では、国王は実際よりも恰幅よく描かれるものだったみたいですね。
中島 最近歳のせいかちょっとやそっとのことじゃ涙が出なくなっていたんですが……甘かった。アントワネットとルイ16世の最後の別れの場面、朝の東急目黒線で号泣ですよ。
吉川 嬉しい~。
中島 ああ、こういう人だったんだ、って。絶対王政ではなく民主制の時代に生まれるべき人でしたよね。新しいタイプのリーダーだった。それはアントワネットも同じなんです。ヴェルサイユ宮殿の窮屈なしきたりに疑問をもって、それを表明した彼女自身が「革命」だった。そんな二人が革命によってギロチンにかけられて死んだというのが本当に皮肉です。
吉川 ルイ16世はあの時代の王として、マッチョな精神を持て、雄々しくあれ、と「男らしさの呪い」に苦しめられた人だと思うんです。今の目で見ると、現代的で進歩的ですごくすてきな人。ベルナール・ヴァンサンの『ルイ16世』(祥伝社)はそんな人物像に迫っていて、おすすめです。
中島 いや、『マリー・アントワネットの日記』こそ爆推しですから! 私が気に入っているのは、結婚式の最中にアントワネットが大笑いしてしまって「トワネットちゃんオワタ\(^o^)/」というところ。また親切に、ネットスラングやギャル語に編集部から注釈がついてるんですよ。ものすごくなめくさった解説が……。「つらみがエグくて俺氏無理ぽよ」に「『ひどく辛くて私は無理だ』の意。」とか(笑)。100年後には資料的価値も出そう。「平成の日本人はこのような言葉を使ってウェブ上でやりとりをしていたのか」と。
吉川 たしかに(笑)。文体ははちゃめちゃなんですけど、史実に忠実に書きました。
中島 そう。歴史小説ファンにも自信をもって推薦します!

2018年7月26日
神楽坂la kaguにて

(よしかわ・とりこ 作家)
(なかじま・まきこ フランス語講師)
波 2018年9月号より

関連コンテンツ

本書より[1778年12月19日(土)、1779年2月14日(日)]の日記

 1778年12月19日(土)

 本日、午前11時半ごろ、元気なベビガールちゃんを出産いたしました♪
 陣痛がはじまったのが夜明け前の午前1時過ぎ、出産まで10時間とかなりの長丁場になりましたが母子ともに健康です。
 はじめてベビちゃんをこの腕に抱いたときの感動はちょっと言葉にできません。これまで感じたことのないようなあったかいキモチがどばっとあふれてきて……ほんとにしあわせで胸がいっぱいになって……なんという奇跡! なんと神秘的なんでしょう! ひとつの小さな命が神からもたらされたのです。せいいっぱい大切にはぐくんでいきます……と新米ママは神様に誓いをささげました。
「ゆっくり休まなくてはいけないよ」と陛下はくりかえしおっしゃっていましたが、あなたにはいち早くご報告したくて筆をとった次第です。
 ほんとだったら妊娠報告から今日まであたたかく見守り応援してくださった大勢の方々にありがとうを言ってまわりたいぐらいですが、さすがに体力が許しませんので今日のところはこのへんで。

 最後に我がいとしの娘マリー・テレーズ・シャルロットへ……

 ねえ、ベビちゃん、あなたはどんな女性になるのかしら?
 元気に生まれてきてくれてありがとう。やっと会えてうれしいよ。
 ママになったばかりで至らないところもあるかと思いますが、愛情だけは世界中のどんなママにも負けないつもり。
 あたしたち、どっちも生まれたてみたいなものだよね?
 よちよち歩きでも、一歩一歩ゆっくり踏みしめて、ともに歩んでいけたらいいなって思ってます。
 これからどうぞよろしくね、あたしのベビちゃん♡


 1779年2月14日(日)

 出産直後に書いた日記を読みかえして愕然がくぜんとしています。
 なにこのポエム? 有名人の出産報告ブログかよ? ベビガールってなんだよ女児って言えよ! 「妊娠報告から今日まであたたかく見守り応援してくださった大勢の方々」ってだれ? そんな人どこにいんの? 女児が生まれるように呪詛じゅそをかけたり出産ビジネスで大儲おうもうけしようと画策したりしてた人はそりゃ大勢いただろうけどさ!
 もう、恥ずかしいぐらいに盛りあがっちゃってるよね? 合法ドラッグ「SYUSSAN」キマりまくってるよね? ホルモンこわい! なにもかもみ込んでなんとなくほわほわしあわせなムードにしてしまうパステルカラーの魔法こわい! 出産ヤバい!
 王妃になったときも思ったけど、そんなさあ、母になったぐらいでそうそう人間変わったりしないって。人によっては合法ドラッグ「SYUSSAN」のおかげでタガがぶっとんじゃって母性があふれて止まらない!(母乳のまちがいじゃなくて?)と言わんばかりに聖母マリア面で恍惚こうこつとしてたり、「子を産んで神に近づいた!」とか調子こいたこと言い出したりするみたいだけど。偉業をなしとげて崇高な存在にでもなった気がするのかな? グラミー賞んときのビヨンセじゃねえんだから。勘違いしとったらあかんで! それぜんぶホルモンのしわざですから!――なんて、あたしもしっかりホルモンにやられちゃってたクチだからあんま強く言えないんですけど……。
 産後18日間は寝たきりで、そのあいだ当世大流行中のルソー先生の教えによる「母乳育児」を試していたので、しばらくはほわほわ幸せホルモンの影響で夢の中にいたのですが、お母さまからの大反対を食らって乳母にバトンタッチすることになりだいぶ落ち着いてきました。なんでも母乳を与えているあいだは次の子が授かりにくいんだとか。あんな死ぬような思いをしてやっと一人ひり出したばかりだっていうのにもう次の子を産めと!? とびっくりしてしまいましたが、生まれてきた子が女の子じゃしょうがないですね……。もし男の子を産んでたらすぐさま国に取り上げられてお乳を与えることも許されなかったでしょうから、いいんだか悪いんだかってかんじです。
 なんにせよ子どもに母乳を与えたのは歴代のフランス王妃でははじめてのことだそうで、またしても意図せずレジェンドを生み出しちゃったみたいです。まあ漏れなく付属物もついてきましたけど。おなじみ伝統を重んじる諸世紀シエクルのみなさまからは「フランス王妃ともあろう者がブルジョワジーみたいな真似まねをしてみっともない」とひんしゅくを買い、乳母から仕事を奪っていたずらに不安にさせたというそしりも受けました。出る杭は打たれるD  K   Uってか。あーあ、革新派はつらいよっ。
 とはいえ、さしものマリー・アントワネットさまも堅固なしきたりから完全に自由になったわけではございません。
 出産の日に話はさかのぼりますが、生まれてきた子が男児なのか女児なのか、この目で確かめることもできないうちにあたしは気を失っていました。長時間に及ぶ分娩ぶんべんで体力を使い果たし痛みで意識が朦朧もうろうとしていたところへ、大勢の見物人が押しかけ、締め切った部屋の中に熱気がこもって空気が薄くなっていたからです。
 そうなんです! あの初夜の日と同じはずかしめがくりかえされたのです! フランスでは古くからのしきたりで王妃の出産が公開され見世物にされるのだとか(絶句!)。いよいよ陣痛の間隔が短くなり痛みが強くなってきた頃には、「フェスか!?」ってぐらい大勢の人がぎゅうぎゅう詰めになっていたようですが、後半ほとんど意識が飛んでたのが不幸中の幸いでした。そんな屈辱の中で子を産むなど普通の状態だったら耐えられなかったでしょうから。
 そんだけ多くの人が詰めかけていたというのに、生まれてきた子の性別に気を取られるあまり、しばらくだれも王妃の異変に気づかなかったようです。最初に気づいた陛下があわてて窓をこじ開け、冷たくかわいた新鮮な空気が部屋に流れ込んできて、ようやくあたしは意識を取り戻しました。そうして、赤ん坊の泣き声が胸の中に降りてくるのを夢うつつの状態で待ちわびていたのです。
「かわいそうな小さな女の子プティット・フィーユ。みんなが望んでいた王太子ではなかったけれど、あたしはあなたが女の子でよかったって思ってる。だってあたしだけのものにできるもの。男の子はフランスのもの、だけどあなたはあたしのものよ、だれにも渡さないわ。幸せは半分こにして、かなしみはいやしあうの。ぜったいによ」
 つるりとき出しになったマリー・テレーズの額にくりかえしキスするあたしの頭頂部に、「ありがとう」と陛下もキスをくりかえしました。彼にしてはめずらしく熱っぽく目をうるませて。
 そのときになってはじめてあたしは陛下とのあいだにしっかりしたきずなが生まれた気がしました。どれだけしとねをともにしてもどれだけ言葉を交わしてもつかみきれない雲のようなお人だと思っていたけれど、陛下の愛がたしかに感じ取れたのです。マリー・テレーズがあたしたちを家族にしてくれた。あの日、生まれた子が男の子でも女の子でもそれだけは変わらなかったと断言できます。
「ごめんなさい、陛下。女の子でさぞがっかりしたでしょうね?」
 半分笑いながらそんな冗談を口にすると、
「ああ、そうだね、絶望的だ。君によく似たマダムを新しくこの宮殿に迎えるだなんて。君一人でも手を焼いてるっていうのに」
 そう言って陛下も片目をつぶりました。
 まだなにか面白いことが起きるんじゃないかと期待していつまでもぐずぐず居残っていた見物人たちは、国王一家のそのできすぎたパフォーマンスを前にして鼻白んだように部屋を後にしていきました。どれだけあたしたちの地位が特別なものだとしても、あたしたち一家の幸福は他人からすれば退屈で平凡なものに映るのでしょう。あたしにとってそれはとても喜ばしいことでした。この幸福感がホルモンのしわざだとしても、そんならそれでバッチコーイ! てかんじです。
 マリー・テレーズが乳母のもとに連れ去られたばかりのころは、それこそ半身を引きちぎられるような思いがしたものですが、いやいやいやいやそれだってホルモンのせいだから! と気を散らすことでなんとかやりすごしました。まだ胸も張っていますし、母乳があふれてくることもあります。いったいみんなどうしてるんでしょう? 母と子は引き離せないようにできているのに、体がそういうふうになってるのに、どうしてあたしたちは別々にされるんでしょう?
「子どもの犠牲になる気は毛頭ございませんわ。ブルジョワジーのあいだで母乳育児が流行はやってると聞きますけどなんて野蛮なんでしょう。お乳をあげたら胸の形が崩れてしまうではないですか。おおいやだ」
 ヴェルサイユのご婦人方は出産後すぐ舞踏会に顔を出し、生まれてきた子は乳母にまかせっきりにしています。育児にかかずらわって社交をおろそかにするなど無粋の極みなんだそうです。出産の翌日にはけろりとした顔で国事に励み、生まれてきた子の性別にしか興味を示さなかった鉄の女マリア・テレジアの例だってありますし、子どもに執着するあたしのほうがどこかおかしいんでしょうか(ホルモンの影響受けすぎなのかな)。
 できることならいつまでもふわふわと幸福のおくるみの中にいたかったのですが、背後からひたひたとなにかが忍び寄ってくる足音がします。正体不明の大きなうねりが近づいてきていて、あたしの目をこじ開けようとしているのを感じるのです。
 いつからって? さあ、いつからでしょう? つい最近のことのような気もするし、もうずっと前、フランスの王太子に嫁ぐのだとお母さまに告げられたときからのような気もします。言いしれぬ不安が胸の底にずっと根を張っていて、そこから目をそらすためにくるくると遊びまわっていた――なんて言い訳に聞こえるかもしれませんが、でもそうなんです。こんなことメルシーに言ったって「またなんかトチくるったこと言い出したぞ」ってスルーされるだけだからあなたに話してるんです。
 先週、王女誕生の祝典が開かれ、あたしたちは夫妻でパリを訪れました。王太子妃時代に公式にパリを訪れたときの熱狂ははるか彼方かなたへ遠ざかり、国王への声援は聞こえてきても王妃への声援はごくまばらで、沿道に並んだ多くの市民は国王夫妻を乗せた豪奢ごうしゃな馬車が通り過ぎるのをひややかに眺めていました。オワコン感はんぱない。現実をの当たりにして、横面よこっつらたたかれたようにあたしは夢の世界から引き戻されました。ああ、もうこんなところまで来ている。彼らが近づいて来ている。
 いつのまにあたしはこんなに嫌われていたんでしょう。あたしが男の子を産んでいれば、あるいはちがっていたのでしょうか? こんな想像したってしょうがないことだってわかってる。愚かなことだとわかっていても、それでも考えずにはいられないのです。
 もし生まれてきた子が男の子だったら祝典はこの何倍もの規模で行われ、花火の数も格段に増えたことでしょう。祝砲の数は5倍に、産科医への報酬も4倍にはねあがると聞きました。お母さまの喜びはいっそう強く深くなったでしょうし、あたしの地位は絶対的なものとなり、したがってメルシーは大はしゃぎで、王位継承の順位が繰り下がった義弟やその妻たちにいらぬ嫉妬しっとを抱かせることにもなったでしょう。
 それでも彼らの足音が止まることはない。
 ならば音楽をかけて踊りましょう。この世のものとは思えぬほど優雅に、幸福にまどろむお姫さまのように。
 あたしにできることといったらそれだけなのですから。

本書より[1787年1月1日(月)]の日記

 ボナネー! ぼんやりしてたらまた年が明けていました。もちろんこれを書いているのは元日ではなく1月19日です! 31歳にもなって根っこのところはなんにも変わっていない自分に頼もしさを覚えると同時におそろしさも覚えている今日このごろ、いかがお過ごしですか?
 今日は、今日こそは、新年一発目ということで何度もここに書こうとして躊躇ためらってきたことをあなたにご報告しようと思い筆をとりました。慎み深いあなたのことだから気になりつつもそっとしておいてくれたのですよね。おそらくあなたにとって――そしてあたしにとってもいちばんの関心事、Aのことを。
 あたしとAはいまとても説明するのが難しい関係にあります。思えばあたしたちは、出会ったときからずっとそういう関係にあったとも言えます。名前をつけてしまったとたん、そこからはみだすものができてしまう、そういう関係。どちらにせよ、ここにきてようやくあたしたちははじまったのです。それだけは間違いないと言えるでしょう。
 アメリカ独立戦争が終わり、Aが帰ってきたのは1783年のことでした。頻繁に手紙のやりとりはしていたのですが、それゆえなんだか照れくさく、再会してしばらくのあいだあたしは彼に人見知りしていました。バカみたいな話だけどほんとに。そんなあたしの様子を面白がってとりまき連中がはやしたてるから、余計に照れくさくて顔もまともに見られない、そんなおもちゃみたいな時期が過ぎ、気づくとあたしたちはふたりきりで会うことが増えていました。早くこうしたかった、とあたしは言い、早くこうするべきでした、とAも答えました。
 フランスに戻った年の9月、Aは陛下よりロイヤル・スウェーデン連隊の指揮官に任命されました。かねてから彼は軍人として身を立てたいと願っておりましたし、彼の願いはあたしの願いでもあります。なによりフランスの外国人部隊に所属すれば、ふらふらと外国を渡り歩いていた彼を長くフランスに引き止められるということです。「王妃にお・ま・か・せ☆」とばかりに腕まくりしてあたしから陛下に口利くちききしたことは言うまでもありません。
 駐屯地とパリ、故国スウェーデンを行ったり来たりするAの生活がはじまりました。パリに戻ってきたときには、なにをおいてもヴェルサイユに顔を出すのがあたしと彼との約束になっています。宮廷で行われる儀式や夜会で顔を合わせることもありますが、あたしたちがふたりきりで会うのは決まってプチ・トリアノンでした。かわいたこけの敷き詰められた「恋の洞窟どうくつ」で、花盛りの庭をばらのアーチをくぐって、小高い丘の上に建てられた展望台ベルヴェデールで……。
 いつのころからでしょう。彼のあたしを見る目が恋する男のものに変わったのは――っていやいやいやいやかんちがいじゃないから! ランバル公妃みたいに妄想がいきすぎちゃったわけでもないからね? あたしだっていちおうは恋する男のひとみを知っているつもりです。こんなのわざわざお伝えすることじゃないから言わないでおいたけれど、これでもあたし、けっこうモテるんです。グッドルッキングガイG  L  Gの何人かは本気であたしを口説こうとしていましたし(そでにしているうちに標的を変えたみたいですけど)、ロアン枢機卿すうききょうをはじめとする一方的で迷惑な崇拝者も多数存在します。ある殿方にいたってはほとんどストーカーのように一日中あたしの後をついてまわっていたので、陛下にお願いして接近禁止命令を出してもらったほどです。
 とまあ、そんなわけで、恋愛経験の乏しいあたしでも、こちらに気のある男性ぐらい見分けられるんです! すれっからしの手練てだれを相手にした恋の駆け引きに疲れた殿方がいやしを求めて初心うぶな聖女(ってだれだよw)に手を出すようなものでしょうか。遊び慣れた男性ほど無理めの女にねらいを定めるもの。王妃などその最たるものです。
 けれどAはそのだれとも違ってました。いまなおあたしは、いつ彼があたしに恋したのかわからないでいるのです。最初にパリを離れたとき、あのときはまだ違ったはず。2回目の別れでアメリカに渡ったとき、あのときもたぶん違う。それならいつ? 戦争から戻ってきてすぐ? 外国人部隊に口利きをしてやってから?
 アメリカから戻った彼を待ちかねていたようにスウェーデンの父親が縁談を持ちかけたようでしたが、彼はまったく興味を示しませんでした。男盛りの年頃、家庭を持ってこそ一人前の男だという周囲からの押しつけに、毅然きぜんと「ノン」を言い続けます。どうも私は結婚には向いていないようなので、と。
「そんなにかたくなにならなくても、結婚なんて形式的なものだってみんなわかってやってるんだよ。我々には子孫を残し家名を継ぐという大事な義務があるんだから。それさえ果たしてしまえば、あとは外で好き勝手すればいいだけじゃないか」
 プチ・トリアノンで開かれたいつものごく私的な晩餐ばんさんの席で、そんな彼の態度を不自然だと揶揄やゆした殿方がおりました。
「しかし、どうでしょうね」とAは顎先あござきを軽くつまんで答えました。「私には、そういった結婚の形こそ自然に反するように思えるのですが」
 いつかの晩にあたしがやらかしちゃったみたいに、今度はAがやらかしました。みんなが鼻白んでいるのがわかります。背徳こそが美徳とされているフランス上流社会において、彼のような考え方は潔癖とみなされ、それゆえ聞き入れられないものでした。
「私はもう決めたんです。結婚はするまいと。私が望む人のものになれないかぎり、結婚にはなんの意味もない。それこそむなしい形式しか残らないからです」
 彼が助け舟を出してくれたみたいに、あたしもなにか言ってみんなの気をそらそうと思ったのですが、彼の告白がそれを遮りました。そう、それは告白でした。彼がだれのことを頭に描いているのか、雷に打たれたみたいにあたしにはわかったのです。それまで彼の恋心に気づいてもいなかったのに。
「んま! 我々に対する痛烈ないやみですわね」
 ポリニャック公爵こうしゃく夫人が茶々を入れ、みんなお愛想で笑いましたが、なんとなく場が白けてしまってその日はそれで散会となりました。最後に残ったAとあたしは夜のプチ・トリアノンを少し散歩することにしました。大勢でいるときよりもあたしはのびのびとして、彼の隣を歩くことに心地よいヴァイブスを感じていました。彼といるときにあんなにリラックスしていられたのはそれがはじめてでした。
「なんか不思議。いまやっとあなたに出会った気がする」
「私はずっと王妃さまにお目通り願いたかったのですが」
「ずいぶん待たせちゃったわね。もうどれだけになるかしら?」
「そうですね、10年ほどかと」
「10年! もうそんなに」
 思わずぴょんと飛び跳ねたあたしを見て、Aがくすくす笑いました。その笑い声はどんな愛の言葉よりあたしをくすぐります。月明かりの下、太陽神アポロンのような美しい横顔が浮かびあがってもあたしは不必要にどぎまぎしたりはしませんでした。
 あたしはずっとからっぽな人間だと彼に気づかれるのがこわかった。恋する価値もないつまらない女だと思われるのがこわくて、「特別な女の子」になりたくておかしなパフォーマンスを繰り広げていた。だけどそれも終わり。そういう時期は過ぎたのです。彼はあたしを知っている。
 人の目を盗んでふたりきりで逢瀬おうせを重ねるようになったのはそれからです。あたしたちはおたがいの気持ちを知っていますが、わざわざ言葉にして確認することはありません。必要を感じなかったし、はっきり言葉にしてしまうことをおそれてもいるからです――言葉にしていたら、陛下への後ろめたさからすぐに潰れていたでしょう。2人のときに話すことといえば、色っぽさのかけらもないことばかり――たわいもない日々の出来事について、故郷のこと、家族のこと、それから驚かれるかもしれないけれど政治の話も最近よくします。
 陛下はあたしと政治の話をしたがりません。お兄さまやメルシーに言われるがまま、オーストリアに有利になるようあたしが働きかけることを陛下はとにかく嫌っています。
「いつになったらわかるんだ。君はフランス王妃なのだよ」
 けん制のつもりか、それだけ言って背を向けてしまうので、あたしは国のことなどなんにもわからないまま取り残されます。あたしだってかたよりたくて偏ってるわけじゃありません。あたしに政治を教えてくれる人がオーストリア人しかいないんだから自然とそちらに傾いちゃうのはしかたのないことだと思わない?
 世界中を旅してきたAはニュートラルな視点でさまざまなことを教えてくれます。世界情勢やいまフランスが置かれている立場、いまこの国で起きていること。ごくごく水を飲むようにあたしはそれを吸収します。知らないことを知るのは気持ちがよくて楽しいことです。そんなことをしてたら今度はスウェーデンびいきのレッテルをられるようになるんじゃないかって? その心配は無用です。スウェーデンの有利に働くよう王妃を操作するなんて、あの潔癖な騎士にできるはずもありませんから。
 すでに一部ではあたしたちのことがうわさになっているみたいですが(「ルイ・シャルルの父親はだれか?」なんて陰でささやかれているようです)、念のため断っておくと、やましいことはいっさいございません――いやほんとマジだってば! マジでやってないから! 先っぽほども入れてないから! たわむれに口づけをかわすことさえ一度もしたことはありません。ほんとにほんとほんとなんだってば! いい年した男女がふたりきりで逢瀬を重ねてなんにもないなんておかしいって思いますか? 男と女がいればすることは一つってそういうさもしい考え方しかできないの? 男と女を結ぶのはほんとにセックスだけなのかな? いろんな形があっていいと思いますけど? っていうかそもそもセックスってそんなにいいもんですかね(爆) みんなセックスを過大評価しすぎじゃない?
 ――ってつい興奮してしまったけれど、正直言うとあたしも最初のうちはなんかちょっとぐらいいいんじゃないかなって思ったんです。スケベ心を発揮してわざとぶつかったり、べたべた腕に触れたり、胸を強調するドレスを着たりしてみたんですけど、こちらが思ってる以上に彼の決意は固かったようです。ランバル公妃の書いた薄い本みたいな展開で恥ずかしいんですけど、あたしたちの関係はあくまで清らかで、それゆえ燃えあがらずにはいられない、そういう性質のものなのです。
 はたして彼は「ほんものの騎士」なのか? そうだとも言えるし、そうでないとも言えます。少なくともあたしの前では清廉潔白せいれんけっぱくな騎士然としているけれど、あたしの知らないところではそういうお相手がいてそれなりに遊んでいるという噂を耳にしました。おかしな話ですが、それを聞いたとき、あたしは嫉妬しっとするどころか血がさざめくような興奮をおぼえてしまったのです。性欲なんてございませんとばかりにつるりとすました顔をしている彼も生身の男だったのだ、と。
「花のように愛らしい女性などいくらでもいます。つやっぽく美しい女性も、賢く尊敬できる女性も。しかし、あなたはそのだれとも違う。私があなたのおそばにいたいと思うのにそれ以上の理由が必要でしょうか」
「うん、いらない! 必要ないね!」
 あのメランコリックな双眸そうぼうに熱っぽく見つめられてこんなことを言われてしまったら、白旗を上げるよりしかたありません。やはり彼のほうが一枚も二枚も上手のようです。かなうわけない。こんな甘美な敗北なら大歓迎です。
 あんな美丈夫を女たちが放っておくわけもありませんし、彼に貞節を守れという権利もあたしにはありません。ほんとうはあたしに触れたくてたまらないのに、あたしを危険にさらすことになるからそうできない彼の胸中を思うだけであたしの胸はせつなくうずきます。
 知らないあいだにあたしもフランスの上流社会に毒されてしまったのでしょうか。あたしだってほんとは彼に触れたい。夜のヴェルサイユ庭園で行われていためくるめくような快楽のうたげを人生で一度ぐらいは体験してみたい。けれど、もしかしたらじかに触れ合うよりも、こんな倒錯のほうがずっと甘やかでエロティックなのかもしれないとも思うのです。陛下とやりたくてやりたくてやりたくて悶々もんもんとしていた10代のころにくらべたらずいぶん成長したって思わない? 天国のお母さま、マリー・アントワネットは大人の階段を少しずつのぼっています……。
 次はいつAに会えるだろう。その日を指折り数えているだけで退屈で空虚な日々もばら色に変わります。遠くからひづめの音が聞こえてくると、プチ・トリアノンの寝室の窓から首を突き出してあたしは彼を探します。ヴェルサイユの林の中を白馬にまたがったAが駆けてくる。いまこの瞬間に死んでしまいたいとあたしは思う。いつか終わってしまうなら、いっそいまここで終わらせて――

本書より[1789年7月15日(水)]の日記

〈午前5時〉
 先ほど使いの者がきて起こされました。なにがどうなっているのかまだよくわかっていませんが、どうやら昨日のうちにバスティーユが民衆の手に落ちたのだそうです。
「暴動か?」
 深夜に報せを受けた陛下は使いの者にたずねました。
「いいえ、陛下、革命です」
 短く簡潔な言葉で、彼は主君のまちがいを正しました。

〈午前11時〉
 どこから情報が漏れたのか、すでに宮殿内はバスティーユ陥落のニュースで持ちきりになっています。というのも、王の眠りを妨げるなど、緊急時以外あってはならないからです。情報が乏しく不確かな中でみな混乱し、騒然となっています。宮殿のあちこちで顔を寄せあって話す声が聞こえてきます。「バスティーユが……」「そんなまさか」「なにかのまちがいでは?」「なに心配することはない。すぐに王の軍が鎮圧するさ」「殺されるわ! みんな殺されるのよ!」
 使いの者の話によると、昨日パリで数千人にも及ぶ武装した民衆が武器庫を狙ってバスティーユを攻め落としたのだそうです。勝利の味に酔いしれ、血にたけった民衆は、すでに白旗をあげ降伏の意を示していたバスティーユの司令官を虐殺ぎゃくさつし、その首をやりの先に刺して見せしめのようにパリの町を練り歩いたといいます。正確な数字はまだわかりませんが、この反乱でかなりの数の死者が出たようです。あの美しい町が血に染まってしまっただなんてにわかには信じられません。
 たったいま、陛下はプロヴァンス伯とアルトワ伯をともなって「国民議会」のおかれた室内球戯場ジュ・ド・ポームに向かいました。それで事態が好転するとも思えませんが、いまはなにより民衆の怒りをしずめることが先決です。あたしは気が気でなく、なにも手がつかなくていまこうして日記を開いています。
 ――って、なに? ものすごい急展開だけどいったいなにがどうしてこんなことになってるんだって? いまそれいちゃう? っていうかほんとになんにも知らない? 1789年7月14日だよ? この数字見てぴんとこない? ほら、あの有名なあれだってばあれ。えっ、世界史専攻じゃなかった?……あのさあ、それでも「ベルばら」ぐらい読んだことあるっしょ? ない? あの名作を? マジで? 一度も? ああ、そう……。
 そんじゃいまから説明するけど、脳が理解を拒否する場合は飛ばして読んでくれてかまわないからね。年号とか固有名詞とかいろいろ出てくるけど大丈夫! テストに出ないから!

〈マリー・アントワネットの「5分でわかるフランス革命が起きるまで」〉
 えっと、1787年にブリエンヌが新しく財務大臣になったとこまでは話したよね? あれから2年のあいだにまあなんやかんやいろいろあってブリエンヌが失脚し、もうどうすんのこれ? だれが財務大臣になっても収まんなくない? みたいな状態の中で、国民にめっちゃ人気のあるネッケルを後任にすれば多少は国民の不満も解消されるんじゃないかってことで採用することにしたんだけど、そのネッケルもなんやかんやでいろいろ問題があって、つい4日前にクビにしたばっかりだったんです。たぶん今回の騒動の直接の引き金はネッケルの解任によるものだと思われます。
 えっ、ところどころ適当じゃねえかって? あたしだってすべて把握してるわけじゃないしこれでいっぱいいっぱいなんです! フランス革命について詳しく知りたい人は勝手に調べてください! 書店に行けば無数の関連書籍が売ってるから! ここで詳細なフランス革命の解説を求められてもスレチとしか言いようがありません!
 うーんとそれで、前々から陛下は三部会を開くようにいろんな方面から圧をかけられてたんだけど――三部会っていうのは第一身分の聖職者、第二身分の貴族、第三身分の平民からなる身分制議会で175年ものあいだ停止されていた古い制度のことね――、いつまでっても税制改革は進まないし、去年から今年にかけての天候不良で不作がマジやばくてパンの値上がりがかなりエグいことになっててパリで大規模な暴動も起こるしで、もうわーってなってがーってなっちゃって、この事態を少しでも改善するためにこの5月に三部会を開催することになったのです。
 啓蒙けいもう思想の風にあおられ、パリは熱狂に包まれます。パレ・ロワイヤルは反乱分子の温床となり、無数の政治結社が暗躍し、体制批判を書き連ねた小冊子リブレが毎日のように発行されます。
「パリではたいへんな騒ぎになってますよ。このごろではどこのサロンに顔を出してもご婦人方のほうが率先して政治の話をされているぐらいです。殿方はご婦人方の気を引くため、知的に見せるためにポーズで政治向きの話をする、といった具合なんですから」
 とはAが冗談で言っていたことです。彼は笑いながら、こうも言っていました。「ある友人は嘆いていましたよ。私が女性とかわしたいのは政治談議などではないのに、と。これは我々――ひいてはフランスにとって大いなる損失だ。女性たちのやさしい胸は政治のためにあるわけではないのに」
「へー、あっそう、友人、、が言ってらしたんですね」とあたしがひややかに彼をにらみつけたら、「おやおや、なにか気にさわるようなことを口にしてしまいましたかな」なんつって首をすくめていました(怒りマーク)
 言うまでもないことかもしれませんが、三部会の議員は全員男性です。投票権でさえ一部の身分の高い女性に許されているだけです(しかも委任投票という形を取らなければなりません)。そりゃそうですよね、「女性の本領はここで発揮されるべきではない」んですから。はあああああ?! 「自由・平等・博愛」が聞いてあきれるわ。
 2年前からあたしも陛下を補佐するようになりましたが、髪をふりみだし眉間みけんにしわを寄せて口角泡を飛ばす勢いで大臣たちとやりあうあたしに殿方がドン引きしていることは肌で感じていました。「姉上ったらせっかくの美貌びぼうが台なしじゃーん? そんな怖い顔しないで、ほら笑顔笑顔~☆」会議の最中でもアルトワ伯がおちょくるようにそんなことを言い、プロヴァンス伯は隣でニヤニヤ笑ってる。それにかぶせるように、大臣たちのお追従ついしょう笑い。肝心の陛下は困ったような顔をしてあたしと男たちの顔を見比べているだけ。
 あらやだごめんあそばせ、ついむきになって本題からずれてしまいましたわ。男性の言葉じりにいちいち目くじらを立てたりせずに女性らしく、、、、、やさしくほほえんでいないと。それからいつも身なりに気をつけてきれいにしてなくちゃいけませんし、調子に乗ってしゃしゃりでることもいけません。賢くふるまうことを求められますが、男をおびやかすほど賢くなってはいけませんし、適度にバカなふりをして優越感をくすぐってやることもマストです。いつでも男を立て、男の世話を焼き、男の言うことをなんでも受け入れ、ベッドでは大胆にみだらに乱れる(ただし俺との時だけにかぎる)……それが「いい女」ってものですよねっ、おほほほほ。ぶっ殺すぞ!
 ――で、えーっとなんだっけ? あ、そうそう、そんなわけで開かれた三部会なんですけれども、開いたら開いたで採決方式をめぐって「有能な国民の代表」がやいのやいのといつまでもめてて一向に討議が進まないときたもんだ。まあ、いつの時代もおなじみの光景といえばおなじみの光景ですけど(ここで問題になってる「採決方法」については説明がめんどいので自分で調べてね☆)。
 6月17日になると、いつまでもこんなことやってられっかとごうを煮やした第三身分の議員たちが「国民議会」を発足させ、20日にはヴェルサイユ宮殿の近くにある室内球戯場ジュ・ド・ポームに集まって「憲法を制定するまで決して解散せず、どこであろうと必要があればしつこく何度でも何度でも何度でも集まってやんぜ!」という誓いをたてます。これがかの有名な「テニスコートの誓い」です。
「憲法?! 憲法ってなんかね?!」
 これには陛下もあたしもびっくりしてしまいました。まさか第三身分の平民たちがそんな大それたことを考えていたなんて! 陛下はいつだって「人民のいちばんの友」なのです。第三身分を味方につけることで改革を有利に進め、国民の幸福のために既得権益を打ち崩そうとしていたのに、まさか彼らの方から王権につばを吐きかけるような真似まねをするとは。やがて第一身分の半数と第二身分の一部(中にはオルレアン公も含まれているようです)も「国民議会」に合流します。
 平常時ならまだしもルイ・ジョゼフの喪中にそんなことが起こったのでお母ちゃんは怒り心頭でした。だれもかれも息子の死をいたむどころかひとひらの興味すら寄せていないのです。彼らがあんなにも望んでいた王太子が死んだというのに!
「ぜったいにぜったいにぜったいにぜったいにそんなこと許してなるものですか! 王太子となったルイ・シャルルのためにも断固として王権を守らねばなりません!」
 争い事を好まない、ましてや国民に銃を向けるなどとんでもない、と主張する陛下をなんとか説き伏せ、国民議会を解散させるために3万の軍隊を呼び寄せてパリを包囲したのが7月の頭。これですべてが収束するだろうとこのときあたしたちは信じていました。いざとなったら武力行使も辞さない構えだとプレッシャーをかけるだけで、なにも本気で彼らに銃を向けるつもりなどなかったのです。
 しかし、民衆の心を制御することは不可能でした。あるいは裏でだれかが扇動でもしていたのでしょうか? 王は軍の力でパリを抑え込むつもりだ、と。愛国者諸君、目覚めよ、やつらの好きにさせておくな、我々に残された道はただ一つ、武器を持て、いまこそ立ち上がるときだ、自由と平等をこの手に! そこへ舞い込んできたネッケル解任の報。大きく動き出した歯車を止めることはだれにもできませんでした。
 ふーっ。急ぎ足で説明したけどこれでご理解いただけたかしら?
 えっ、ずいぶん主観的な解説だなって? 「マリー・アントワネットの」って冠ついてるの見えなかったかな? 多角的な解説がお読みになりたければいますぐ書店に(ry
 そうこうしているうちに陛下がお戻りになられたようです。ちょっと様子を見てきますね。よくわかんないところがあったらいまのうちにググっといて!

著者プロフィール

吉川トリコ

ヨシカワ・トリコ

1977年生まれ。2004年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。2021年「流産あるあるすごく言いたい」(『おんなのじかん』収録)で第1回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『少女病』『ミドリのミ』『ずっと名古屋』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』(Rose/Bleu)『ベルサイユのゆりーマリー・アントワネットの花籠―』『女優の娘』『夢で逢えたら』『余命一年、男をかう』などがある。

関連書籍

この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。

感想を送る

新刊お知らせメール

吉川トリコ
登録
キャラクター文芸
登録

書籍の分類