
幸福について―人生論―
781円(税込)
発売日:1958/03/12
- 文庫
- 電子書籍あり
幸せを目指すのではなく、不幸を減らす。他人と比べてしまうあなたへ贈る人生論。
幸福とは一体何だろう。私たちはどうして幸せになることに執着するのだろう。不幸とは他人との比較によって生まれ、幸せとは自身に備わっているものを育むことで、初めて生まれるのだと著者は説く。明日から何かが劇的に変わるわけではないけれど、本書はきっと先の見えない人生をそっと照らす道標となる。不世出の哲学者が語りかける、社会を一歩ずつ歩いていくための厳しくも優しい人生論。
第二章 人のあり方について
第三章 人の有するものについて
第四章 人の与える印象について
第五章 訓話と金言
第六章 年齢の差異について
書誌情報
| 読み仮名 | コウフクニツイテジンセイロン |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮文庫 |
| 発行形態 | 文庫、電子書籍 |
| 判型 | 新潮文庫 |
| 頁数 | 368ページ |
| ISBN | 978-4-10-203301-2 |
| C-CODE | 0110 |
| 整理番号 | シ-6-1 |
| ジャンル | 哲学・思想 |
| 定価 | 781円 |
| 電子書籍 価格 | 781円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2016/05/20 |
書評
特集「新潮文庫の100冊」の50年
「新潮文庫の100冊」から選ぶ、迷いを断ち切る三冊
物を書く仕事をしている。その仕事机の横、椅子に座ったまま手が届く位置に、積み上げ式の本棚を置いている。八十冊ほど収まり、目下の原稿のための資料と、繰り返し読む「常用」本をそこに積んでいる。その常用本から、今年の「新潮文庫の100冊」に入る三冊を紹介する。

まずは、ショーペンハウアーの『幸福について―人生論―』である。二百年ほど前のドイツの哲学者が、人間が幸福に(=できるだけ苦痛少なく)生きるための、ものの考え方を示してくれる。大学に入った頃に読んで波長が合うと感じ、以来、お気に入りの音楽を聴くように、何度となく読み返している。解剖刀のように鋭く、皮肉の効いた言葉で書かれた人生論は、日々、仕事として物を書き続けるうえでも、実に助けになっている。
原稿を書いていると、「もっと名文を書いてやろう」という虚栄心がふと頭をもたげることがある。あるいは、「すでに誰かが同じことを書いているのではないか」「反論がくるのではないか」と不安にかられることがある。そうなると、途端に文章はダメになる。他者の機嫌をとるように無駄な説明が増え、ぐねぐねと婉曲的になり、気づけば自分本来の身体感覚からずっと遠いところに行ってしまう。
そんな状態に陥る前に、この一冊を開く。ショーペンハウアーは、他人の評価に振り回される人間を「他人の意見、他人の思惑の奴隷」と言う。そして、幸福に寄与する道として、他人に評価されたいという「名誉欲」は、「不断に責めさいなむこの棘」であり、それを「われわれの生身から抜き取るのがいちばんよい」と説く。この忠告は、まだ現れてもいない読者の顔色をうかがい、最初に自分の内側から出てきた文章を歪める愚かさを、バッサリと断ち切ってくれる。すると、ざわついた脳が沈静され、「今の自分に書けるものを素直に書けばよい」という場所まで戻ってこられる。

さて、他人の評価を欲深く追い求めた者の末路を描いたのが、中島敦『李陵・山月記』に収められた「山月記」である。「詩人として名を成す積りでいた」李徴は、しかし、自分には才能がないのではないかという疑念を薄々抱き、作品を世に問うことに怯え、ついには虎になってしまった。人の形を失った李徴は、なお自作の詩を友人・袁傪に託す。その詩を聞いた袁傪は、次のように感じる。「しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところがあるのではないか」と。
この感想は、実に生々しい。地道に努力すれば、七十点くらいのものは書ける。だが、七十点のものを九十点にするには、通常、膨大な時間とエネルギーが必要で、自分の才能の限界に嫌というほど向き合いながら、それでも書き続けなくてはならない。九十点のものを九九点にするには、より抜きん出た才能を要し(おそらく李徴はその手前で虎になった)、百点、つまり後世に残るほどの第一流の作品となれば、才能に加えて偶然も必要となる。
仕事として物を書き続けるなら、自身の生来の特性に照らして、目の前の原稿を何点まで追い込むかを見極めなくてはならない。場合によっては、七十点のものをそのまま世に出す勇気が必要である。その見極めを誤ると、李徴のようにいつまでも作品を世に出せない。だからこの話は、私にとって創作者の悲劇であると同時に、実務上の戒めでもある。
それはそれとして、痛々しい自意識を抱えた李徴は愛おしい。文字どおり虎に変身したのなら、それを才能として誇り、陽気に生きてほしかったな、とも思う。

先の二冊で何かしら人生の教訓を得た気になったところで、吉村昭の『羆嵐』を開く。1915年、北海道で実際に起きた「三毛別羆事件」を題材にした小説である。一頭の巨大なヒグマが開拓村落を襲い、二日間で胎児を含めて七人の開拓民を殺害する。その大惨事が、精緻に描かれていく。淡々とした語り口によって、事件の異様さと恐ろしさが、読み手の身体にじかに届く。
野生の暴力が剝き出しのまま襲いかかってきたとき、生身の人間にはなすすべがない。説得も交渉も通じない。ヒグマの息遣いの前では、人間の知恵やら自意識やらは、たちまち取るに足らないものとなる──そんな感覚を求めて、『羆嵐』を読む。言葉でどうにかなると思い上がりやすい仕事をしているからこそ、ときどき、言葉ではどうにもならないものに触れておいたほうがよい。
本は、一冊のうちに読者の琴線に触れる一文があれば、それで十分に価値があると思っている。ならば自分の書くものもそれでよいはずだが、つい「もっと気の利いたことを書いてやろう」という欲が出て、筆先に迷いが生じる。そんなとき、これらの文庫を手に取って開き、ときには音読する。よい作品は眼や耳から摂取され、再び澄んだ気持ちで原稿に向かうための力となる。
(おおたに・ともみち サイエンスライター/編集者)
優しい不条理小説
装画の仕事をしていたご縁から初めてエッセイを書く機会を頂いた。
仕事柄、細かに自分について語ることはない為初めて人目を気にせずありのままに書いてみる。
読書家とはいえない私だが、好きな本を聞かれた時まず思い浮かぶのは『車輪の下』だ。
真面目で臆病な少年ハンスは、親や周囲の重圧の中神学校に入学する。彼の青春は勉強と規則ずくめの日々に奪われ、次第に反抗し学校を去り、故郷へ戻って人生をやり直そうとする。
多感で傷つきやすい青年の心理描写が繊細に描かれたヘッセの自伝的小説。
ハンスと同じ年の頃、私は小中高一貫のミッションスクールで育った。一言で言えば監獄のような学生生活で、籠った教室に響く同級生の甲高い笑い声と、意味を持たない厳しい校則の中、卒業までの日にちを数える退屈な日常を過ごした。
脳内は常に、なぜ生まれたのか、私は生まれる事を希望したのか、理不尽についてとかそういうことで満たされ、十六〜十七歳の頃には同級生に馴染む努力をやめひとりで過ごした。
そんな時映画や本の中に表現された「不条理」に出会い居心地の良さを感じた。『車輪の下』はそのうちのひとつだ。
後半このような一節がある。
「この苦しみと孤独の中にあって、別な幽霊が偽りの慰め手として病める少年に近づき、しだいに彼と親しみ、彼にとって離れがたいものとなった。それは死の思いだった」
うっすらとした暗い影が落ちる物語の中で、彼の生きづらさだけが優しく、適切で、美しく表現されたこの作品に私は自らを投影し、同時に安堵した。
名作『変身』は子供の頃の課題で読んだが記憶に薄く、大好きな伊集院光さんの番組で取り上げられていた事から再び手に取ることになった。
冒頭の一節で不条理の特徴全てが端的に表現されている。
「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した」
私たちは人生の中で遭遇する悲劇の殆どを、一年前、一週間前、前日に、少しでも予想出来ただろうか。
ある日突然訪れる。それこそが不条理。
人間は起きる全ての出来事に悪い事の次には良い事があるとか、これは試練だ、バチが当たった等と意味を付け乗越えようとするが、自然界の法則に従い雨や雪が降るように、意味など無く淡々と物事が連続するだけだ。
この乾いた事実は『変身』を通して苦悩の時には私のお守りとなった。
不条理小説が続いたから、次は前向きな一冊を。私が好きな哲学者、ショーペンハウアーの『幸福について―人生論―』。
烏滸がましくも初めて彼の思想に触れたとき、今まで腐るほど考えてきた人間・死・世の中についてが彼の思想と合致して、自分はひとりではなく偉大な先人がいたのだと胸が高鳴った。
幸福についての指南書は数多あるが、この本は至極真っ当な事実を分析しただ淡々と論じている。
人間には「人の有するものについて」「人の与える印象について」「人のあり方について」の三つの根本規定があり、この中で「人のあり方」つまり人柄こそが誰にも奪われず絶えず活動する力をもつという。他の二種は相対的な価値だが人柄の価値は絶対的なもので、例えば哲学や芸術を追求し続けるものは快楽を自分の中で作り出すことが可能となり次第に孤独を歓迎するようになると述べている。
わかっていてもやめられないのが相対的な価値による一時的な快楽だが、この事実を認識しているのといないのとでは苦悩への対処の仕方がかなり変わる。
私は今はまだ一時的な快楽もある種楽しもうと思うが、歳を重ねる自分への投資として徐々に絶対的な人の在り方を追求する努力をしている。
以上が私の選ぶ三冊だ。
最高の本に出会った時、同じ苦悩を抱えて生きた人がいること、そしてそれを読んで感銘を受けた読者が数多いると実感し、自分はひとりではないという事実に強く励まされる。
自分も作品を通して微力でも誰かにとってのそういう存在になりたい。
(ゆきした・まゆ アーティスト)
波 2021年4月号より
著者プロフィール
アルトゥール・ショーペンハウアー
Schopenhauer,Arthur
(1788-1860)ドイツの哲学者。ダンチヒ生れ。当初、プラトンとカントを研究。ゲーテと交わり、その後、インド哲学を学んだ。ヨーロッパのペシミズムの源流となった『意志と表象としての世界』(1819)でワーグナー、ニーチェ、トーマス・マンに影響を与える。人生は最悪の世界だとして、そこからの解脱は芸術的静観と仏教的涅槃によるべきだとした。19世紀の厭世的世相に大いに迎えられた。
橋本文夫
ハシモト・フミオ
(1909-1983)ドイツ文学者。兵庫県生れ。東大独文科卒。中央大学教授。訳書にヤスパース『悲劇論』、『戦争の罪を問う』他。

































