変身
506円(税込)
発売日:1952/07/30
- 文庫
- 電子書籍あり
世界文学史上最高の問題作。
ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか……。謎は究明されぬまま、ふだんと変わらない、ありふれた日常がすぎていく。事実のみを冷静につたえる、まるでレポートのような文体が読者に与えた衝撃は、様ざまな解釈を呼び起こした。海外文学最高傑作のひとつ。
書誌情報
読み仮名 | ヘンシン |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 144ページ |
ISBN | 978-4-10-207101-4 |
C-CODE | 0197 |
整理番号 | カ-1-1 |
ジャンル | 文芸作品、評論・文学研究 |
定価 | 506円 |
電子書籍 価格 | 352円 |
電子書籍 配信開始日 | 2014/10/31 |
書評
人間に潜む暴力性
美術学科に在籍していた高校時代、課題の絵を描かずに本ばかり読んでいたので、呆れられたことがあります。読むべきといわれる本は大概この時期に読みましたが、その中で僕の創作の原点となったのはカフカ『変身』です。
朝起きたら虫になっていた――。僕の監督デビュー作「鉄男」は身体に鉄の種がうまれて、人間が畳の上で鉄になる話で、『変身』そのもの。僕は「鉄男」をゲラゲラ笑いながら作っていたのですが、カフカも『変身』を朗読するときには笑いながら読んでいたらしい。日常に異常が起こるという設定は僕が目指すものです。
名作はそれなりに読んだと自負していたのですが、大人になるまで取りこぼしていたのが遠藤周作『沈黙』でした。ある日、オーディションの電話がかかってきて、誰の映画だと聞くと、マーティン・スコセッシだという。スコセッシ監督はご存命の監督の中で最も尊敬している方で、内容を聞くと『沈黙』だと。すぐさま書店に走り、一気に読みました。
僕は絶対に踏みます。踏まないなんてあり得ない。踏んで「ごめんなさい。ウソでした」と言います。ですから僕が演じたモキチのような人を演じるには、強い気持ちになれる別のことを見つける必要がありました。僕はどちらかといえばキチジローに近く、共感を覚えます。
でも、今とは全く違うその時の状況だと、どうだろうか。
その時代の生活状況があまりに酷いから、キリスト教に救いを求めていたのでしょう。だとしたら殉教して、短い人生が濃くなる方を選ばないとも限らない。現在の心境では、意地でも生きる道を選びたいですが。
僕が『沈黙』で一番共感したのは「権力者によって一般市民が酷い目に遭う」ということ。外国との貿易を円滑に進めるために国が布教を許したのに、突如方針が変わり、キリスト教は禁止され、信者に拷問までする。それも嬉々としてやっていたのではないかと疑っています。人間の中には恐ろしい暴力性があり、「上から命令された」などの大義名分があれば、人はいくらでも他者を傷つける。つまり人間の凶暴性が引っ張り出されるのが戦争ではないか……。
高校時代、とりわけ衝撃を受けたのが、大岡昇平『野火』です。大岡昇平の実体験が元であるにも拘らず非常に俯瞰的な視点で、冷静に、正直に主人公の気持ちが描かれていました。人肉食を含む凶事が淡々と描かれているので非常にわかりやすく、僕自身がまるで戦場にいるかのようにリアルに状況が迫ってきました。
同時にフィリピンの自然描写が大変美しかった。自然の美しさと人間の醜さ、この対比が素晴らしいと思い、当時8ミリ映画を撮っていたので、いつか自分が映像化したいと思っていたのです。50代になり、お金は全く無かったのですが、今作らなければという危機感があり、映画化する決意をしました。
政治的なことはよくわかりませんが、当時、憲法改正の議論があり、その内容が僕には権力者の都合の良い内容に思えました。論理の飛躍は重々承知ですが、この考えで突き進めば戦争になってしまう、と強く感じたのです。
生きるか死ぬか、戦場という異常な状況にいると人間は獣になる。人を殺さないとか、食わないとか、余裕があればいくらでも口にできますが、戦場で美徳を貫くのは難しい。綺麗事を言う前に、人間の叡智があるのですから、なんとか戦争に近づかないようにしたいというのが僕の作品のテーマです。
(2023年)11月25日に公開された最新作「ほかげ」は戦後を描いています。僕は戦争はもちろん反対ですし、お客様には戦争はいやだと思って欲しいですが、そういう方向に拳を振り上げて導くようなことはしたくない。戦後も苦しむ姿をご覧になって、「だから武器なんか要らない」とおっしゃる方もいるでしょう。「戦争をしないためにも、武器をしっかりと持たなければならない」と考える方もいらっしゃるでしょう。そこは皆さんに考えて頂きたいのです。
はっきりと言えるのは、戦争の一線を超えるのは、特別じゃない。普通の一歩で、人間は平気で暴力の世界に足を踏み入れます。
僕は戦争を二度としないための一石を投じたい。どれほどの効果があるのかはわからないですが、あと一作は作りたいと思っています。
(つかもと・しんや 映画監督/俳優)
波 2023年12月号より
優しい不条理小説
装画の仕事をしていたご縁から初めてエッセイを書く機会を頂いた。
仕事柄、細かに自分について語ることはない為初めて人目を気にせずありのままに書いてみる。
読書家とはいえない私だが、好きな本を聞かれた時まず思い浮かぶのは『車輪の下』だ。
真面目で臆病な少年ハンスは、親や周囲の重圧の中神学校に入学する。彼の青春は勉強と規則ずくめの日々に奪われ、次第に反抗し学校を去り、故郷へ戻って人生をやり直そうとする。
多感で傷つきやすい青年の心理描写が繊細に描かれたヘッセの自伝的小説。
ハンスと同じ年の頃、私は小中高一貫のミッションスクールで育った。一言で言えば監獄のような学生生活で、籠った教室に響く同級生の甲高い笑い声と、意味を持たない厳しい校則の中、卒業までの日にちを数える退屈な日常を過ごした。
脳内は常に、なぜ生まれたのか、私は生まれる事を希望したのか、理不尽についてとかそういうことで満たされ、十六〜十七歳の頃には同級生に馴染む努力をやめひとりで過ごした。
そんな時映画や本の中に表現された「不条理」に出会い居心地の良さを感じた。『車輪の下』はそのうちのひとつだ。
後半このような一節がある。
「この苦しみと孤独の中にあって、別な幽霊が偽りの慰め手として病める少年に近づき、しだいに彼と親しみ、彼にとって離れがたいものとなった。それは死の思いだった」
うっすらとした暗い影が落ちる物語の中で、彼の生きづらさだけが優しく、適切で、美しく表現されたこの作品に私は自らを投影し、同時に安堵した。
名作『変身』は子供の頃の課題で読んだが記憶に薄く、大好きな伊集院光さんの番組で取り上げられていた事から再び手に取ることになった。
冒頭の一節で不条理の特徴全てが端的に表現されている。
「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変っているのを発見した」
私たちは人生の中で遭遇する悲劇の殆どを、一年前、一週間前、前日に、少しでも予想出来ただろうか。
ある日突然訪れる。それこそが不条理。
人間は起きる全ての出来事に悪い事の次には良い事があるとか、これは試練だ、バチが当たった等と意味を付け乗越えようとするが、自然界の法則に従い雨や雪が降るように、意味など無く淡々と物事が連続するだけだ。
この乾いた事実は『変身』を通して苦悩の時には私のお守りとなった。
不条理小説が続いたから、次は前向きな一冊を。私が好きな哲学者、ショーペンハウアーの『幸福について―人生論―』。
烏滸がましくも初めて彼の思想に触れたとき、今まで腐るほど考えてきた人間・死・世の中についてが彼の思想と合致して、自分はひとりではなく偉大な先人がいたのだと胸が高鳴った。
幸福についての指南書は数多あるが、この本は至極真っ当な事実を分析しただ淡々と論じている。
人間には「人の有するものについて」「人の与える印象について」「人のあり方について」の三つの根本規定があり、この中で「人のあり方」つまり人柄こそが誰にも奪われず絶えず活動する力をもつという。他の二種は相対的な価値だが人柄の価値は絶対的なもので、例えば哲学や芸術を追求し続けるものは快楽を自分の中で作り出すことが可能となり次第に孤独を歓迎するようになると述べている。
わかっていてもやめられないのが相対的な価値による一時的な快楽だが、この事実を認識しているのといないのとでは苦悩への対処の仕方がかなり変わる。
私は今はまだ一時的な快楽もある種楽しもうと思うが、歳を重ねる自分への投資として徐々に絶対的な人の在り方を追求する努力をしている。
以上が私の選ぶ三冊だ。
最高の本に出会った時、同じ苦悩を抱えて生きた人がいること、そしてそれを読んで感銘を受けた読者が数多いると実感し、自分はひとりではないという事実に強く励まされる。
自分も作品を通して微力でも誰かにとってのそういう存在になりたい。
(ゆきした・まゆ アーティスト)
波 2021年4月号より
著者プロフィール
フランツ・カフカ
Kafka,Franz
(1883-1924)オーストリア=ハンガリー帝国領のプラハで、ユダヤ人の商家に生れる。プラハ大学で法学を修めた後、肺結核に斃れるまで実直に勤めた労働者傷害保険協会での日々は、官僚機構の冷酷奇怪な幻像を生む土壌となる。生前発表された「変身」、死後注目を集めることになる「審判」「城」等、人間存在の不条理を主題とするシュルレアリスム風の作品群を残している。現代実存主義文学の先駆者。
高橋義孝
タカハシ・ヨシタカ
(1913-1995)東京生れ。東大独文科卒。九大、名大、桐朋学園大等で独文学教授を歴任。翻訳の他、評論、随筆でも高い評価を得た。『森鴎外』(読売文学賞)『現代不作法読本』『文学研究の諸問題』『近代芸術観の成立』等著書多数。