56日間
1,045円(税込)
発売日:2022/09/28
- 文庫
新型コロナ禍で出会った男女。56日にわたる愛と悲劇を描いた奇跡のサスペンス小説。
新型コロナウイルスが猛威をふるうなか、ダブリン市内の集合住宅で身元不明の男性の遺体が見つかる。遡ること56日、独身女性キアラは謎めいた男性オリヴァーと出会っていた。関係が深まるにつれ二人には、互いに明かせぬ秘密があるとわかるが……。遺体発見の現在と過去の日々を交互に描き、徐々に明かされる過去。そして待ちうける慟哭のラスト。コロナ禍に生まれた奇跡のサスペンス小説。
書誌情報
読み仮名 | ゴジュウロクニチカン |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | (c)Justin Paget/カバー写真、DigitalVision/カバー写真、Getty Images/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 文庫 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 576ページ |
ISBN | 978-4-10-240221-4 |
C-CODE | 0197 |
整理番号 | ハ-59-1 |
定価 | 1,045円 |
書評
コロナ禍を背景にした企みに満ちた物語
なんて企みに満ちた物語なんだろう。
本書は二つのストーリーで成り立っている。現在である「今日」のパートと、タイトルにも使われている56日前を起点とする過去のパート。「今日」のパートで進んでいくのは、ある集合住宅で発見された遺体を巡る物語――遺体は誰なのか? 事故なのか、事件なのか? 死因は?――で、過去パートは男女の出会いとその別れに至るまでの物語だ。どちらも、背景には「コロナ禍」がある。
死体の話と恋愛の話が別々に進んでいくうえに、現在と過去が交互に、さらに恋愛の話では女性視点と男性視点、双方で語られていくので、軽く戸惑いながら読み始めたのだが、読み進めていくうちにその複雑さは全く気にならなくなる。まるで映画のカットバックのように、それぞれの場面が立ち上がってくるようになるのだ。そこからはもう、ぐいぐいと物語に引き込まれてしまう。
うまいな、と思うのは、現在、過去、それぞれの物語への導き方だ。現在パートでは、アイルランド警察の警部であるリー・リアダンと部下であるカール・コナリー巡査部長の登場のさせ方がとりわけ巧みだ。
金曜日の朝、リーが車を走らせているのは、カールを“救出”するためだ。出向いたのはカールの家で、彼は寝室で両手をベッドに手錠で繋がれていたのである。しかも素っ裸で(かろうじて下半身はフィット・シーツで覆われていたが)。
要するに、カールが見知らぬ女性とワン・ナイト・スタンドを楽しんだ“後始末”(手錠の鍵は女性によって捨てられてしまった)に、リーが駆けつけたのだ。カールの手錠を手荒く扱いながら、リーは尋ねる。「それで、彼女はどこにいるの? それは誰なの?」。「知るかよ。いろんな意味でな」と答えたカールに、リーは返す。「ロマンティックな気持ちになったことはあるの、カール?」
このシーンだけで、リーとカールの関係が浮かび上がってくる。女性の上司であるリーを、隙あらばセクハラまがいで揶揄しようとするカールと、1ミリの隙も見せず、返す刀で切りつけるリー。二人のこの、軽口の応酬、は全体的にアンダーなトーンで進む本書の中での、良いスパイスにもなっている。
「56日前」で始まる、過去パートの導入もいい。いわゆるボーイ・ミーツ・ガールのシーンなのだが、女性主人公のキアラ視点なので、ガール・ミーツ・ボーイと言うべきか。自分と同じように、〈テスコ〉というスーパーのセルフ・サービスのレジ・カウンターの行列に加わろうとしている男から、キアラは声をかけられる。「進んだら」と。男は、自分より先に行列に並ぶように譲ってくれたのだ。キアラは男がとても魅力的で、自分とは住んでいる世界が違うと察知する。けれど、店を出たキアラに、再び男は声をかけてくる。「いい袋だね」と。キアラのトートバッグには、スペースシャトルの絵がついていた。
そこからスペースシャトルの話になった二人は、オリヴァーと名乗った男からの提案でコーヒーを買いに行き、堤防に座って一緒に飲み、語り合う。時間が来て会社に戻るキアラに、オリヴァーは言う。月曜に、アポロ計画のドキュメンタリー映画を一緒に見に行かないか、と。
こうやって要約してしまうと、ごく普通の微笑ましくさえある男女の出会いのようなのだが、実際にはそうではない。いわく言い難い不安定さが、緊張感が、漂ってくるのだ。気にしなければそのうち飲み込んでしまえる程度ではあるものの、確かに喉に刺さっている小骨のように。うっすらとした、残り香のように。
その小骨に、残り香につられて読み進んだ先には何があるのか。キアラとオリヴァー、二人の関係はどうなっていくのか。そして、「今日」のパートで語られる、腐敗した遺体を巡る謎は? 二つのストーリーは、いつどこでどんなふうにリンクするのか。
途中、何度もページを遡り、“何が起きているのか”を確認しつつ読んでいったのだが、最後の最後の捻りには、思わず、えっ、と声が出そうになった。そしてその時、ようやく、作者が物語の中に張り巡らした細い糸の全てが見えてくる。そして、この物語が、コロナ禍の社会というかつてない背景を、あらゆる意味で生かしきったものであることも。
読み終えた瞬間、最初のページに戻って読み返したくなる一冊だ。
(よしだ・のぶこ 文芸評論家)
波 2022年10月号より
著者プロフィール
キャサリン・ライアン・ハワード
Ryan Howard,Catherine
1982年、アイルランド・コーク生れ。小説やノンフィクションの自費出版を経て、デビュー作『遭難信号』(2016年)がCWA新人賞(ジョン・クリーシー・ダガー)、翌々年発表したThe Liar's Girlは、MWA最優秀長篇賞の最終候補に選ばれる。さらに『ナッシング・マン』(2020年)も、CWA賞イアン・フレミング・スティール・ダガーの最終候補となった。
高山祥子
タカヤマ・ショウコ
1960年、東京生れ。成城大学文芸学部卒業。バロン『世界一高価な切手の物語』、ドーソン『アメリカのシャーロック・ホームズ』、チャールズ『あの図書館の彼女たち』、ソログッド『マーロー殺人クラブ』、ハワード『56日間』『ナッシング・マン』など訳書多数。