邯鄲の島遥かなり 上
2,695円(税込)
発売日:2021/08/26
- 書籍
神生島――それは百五十年の時を映す不思議な鏡。渾身の大河小説三千二百枚、開幕!
神生島にイチマツが帰ってきた。神か仏のような人間離れした美貌の一ノ屋松造は、島の女たちと次々に契る。そして生まれた子供には、唇のような形の赤痣が身体のどこかにあった。またその子供たちにも同じ痣が――。明治維新から「あの日」の先までを、多彩な十七の物語がプリズムのように映し出す。三ヵ月連続刊行スタート。
第二部 人間万事塞翁が馬
第三部 一ノ屋の後継者
第四部 君死にたまふことなかれ
第五部 夢に取り憑かれた男
第六部 お医者様でも草津の湯でも
第七部 才能の使い道
書誌情報
読み仮名 | カンタンノシマハルカナリ01 |
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装幀 | 浅野隆広/装画、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 624ページ |
ISBN | 978-4-10-303873-3 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 2,695円 |
書評
畢生の、大いなる人間讃歌
すごいすごい、時間を忘れて読み耽ってしまった。
なんせ貫井徳郎である。人間の業と悪を鋭く抉る骨太で重厚な、それでいてトリッキーなミステリの書き手という印象が強い。その貫井徳郎の初の歴史小説、しかも描かれるのは百五十年というロングスパン、さらにそれが分厚めの全三巻……。読む前からやや圧倒されていたことは否めない。が。
ひとたび読み出したら、あとはもう一気呵成だった。前述のようなイメージの貫井作品を知っているほど驚くに違いない。軽やかで、ユーモラスで、テンポのいい中短編の連作。それでいてその底には、人間と歴史への大いなる尊敬と慈しみが流れている。
こんな作品を書くのか。書けたのか。
舞台は関東地方の架空の離島、神生島。第一部「神の帰還」は明治維新直後、神生島にイチマツと呼ばれる青年が本土から帰ってきた場面で始まる。
イチマツは一ノ屋松造といい、島の名家の跡取りだ。この一族には何代かに一度、人間離れした美貌の男子が生まれる。それは島にとって吉兆という古くからの言い伝えがあり、そのため一ノ屋家は子作りに励めるよう、働かなくていいように周囲からの貢ぎ物で暮らしていた。
そんなイチマツの帰還で島は盛り上がる。神々しいほどの美貌に女性たちは次々と魅入られ、結果、島のあちこちに多くのイチマツの子が誕生することになる。わはは、何だそれ。
浮かれる女たちに嘆く男たち、それがなんとなく収まる形に収まっていくというこの時点で既にいろいろ面白いのだが、本分はここからだ。イチマツの子には男も女も体に小さな痣があった。それは「イチマツ痣」と呼ばれ、代々受け継がれていったのである。
この「イチマツ痣」を持つ一族の血脈を追いながら、明治初頭から平成の終わりまでの島の百五十年を描いた大河小説が、この『邯鄲の島遥かなり』だ。
といってもそんな大上段に構えたものではない。個人の物語の連なりである。だがそれがいい。次期当主として当然イチマツのようにモテると思ったら、片っ端から振られて首を傾げる少年。島の鍾乳洞に徳川埋蔵金を探して探検に出かける男。与謝野晶子に傾倒し、女の権利を叫ぶ女性。島を混乱に陥れた絶世の美少女。芸術に稀有な才能を持つのに飽きっぽい少年。関東大震災。初めての普通選挙に立候補した青年。火山の火口で心中が流行し、増える観光客と縁起の悪さの間で悩む役場の職員。そして訪れる戦争。次々と戦地に送られる島の男たち。島を襲った空襲。戦災孤児と傷を負った復員兵の交流。野球に熱中し、甲子園を目指す少年たち。火山の噴火での全島避難……。
ユーモラスなもの、ミステリタッチのもの、お家騒動、恋愛、スポーツ。皮肉な話もあれば切ない話もある。独立した短編としても読み応えがあり、実にバラエティ豊かでまったく飽きさせない。
だがバラバラの話の背景に、島の歴史が浮かび上がる。一ノ屋家の神性を知る世代から知らない世代へ。漁師しか仕事のなかった時代から、椿油の製造、観光と産業が生まれた時代へ。戦争と災害。変わるものと変わらないもの。
本土と隔絶された離島だからこそ、時の流れに夾雑物が少なく、その分、濃密に〈人と時の連なり〉が浮き彫りになる。ごく些細な、半径1キロくらいの個人の物語がつながることで、壮大な歴史物語へと変貌する。なんと見事な手腕だろう。
そしてもうひとつ、一ノ屋という特殊な血脈を軸に据えたことで見えるテーマがある。才能のある人とない人の対比だ。本書には何かに才のある人が描かれる一方で、そうではない人も多く登場する。そのどちらもが、自分に何ができるのか、何になれるのか、理想の自分と現実の自分の間で揺れ動く。時を超えた普遍的なテーマだ。これはそんな人々の話でもあるのだ。
読みながら、さざ波のように幾度も胸に去来する思いがあった。明治でも平成でも、戦争中でも平和な時でも、才能があってもなくても、大人でも子供でも――人というのはなんと滑稽で、なんと愚かな生き物だろう。けれど同時に、人とはなんと逞しく、強く、愛おしいものであることか。この愚かさと強さは、現代を生きる私たちにも連綿と受け継がれている。人は昔からこうして逞しく生きてきたのだ。なんと愛すべき存在だろう。
パッチワークのようにつながる十七の物語。それは貫井徳郎畢生の、大いなる人間讃歌なのである。
(おおや・ひろこ 書評家)
波 2021年11月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
百五十年の「人生の物語」
明治維新から現代まで、島に生きた一族を描く超大作『邯鄲の島遥かなり』。全三巻、三ヵ月連続刊行の驚異の大河小説は、いかにして紡がれたのか。そこに込められた思いは? 書き上げる苦労は?
――ミステリーを中心に書いて来られた貫井さんが、ここまで本格的に歴史を描くのは初めてだと思います。どうして近代日本を描こうという発想が出てきたのでしょうか。
貫井 もともとタイムスパンの長い話が好きなんです。僕は小説では『百年の孤独』くらいしか思いつかないのですが、たとえば手塚治虫の『火の鳥』とか、スケールの大きい長い話が好きだったんです。『ジョジョの奇妙な冒険』なんかも、好みの設定だなと思っていました。なので、自分でも書きたいと考えていたんですが、当然、歴史の勉強もしないといけないので、自分には無理かなと半ば諦めてもいたんです。これを書き始めたのが六年前なんですが、当時、僕は四十七歳で――末國さんと同じですよね?
――僕も1968年生まれです。
貫井 僕らの生まれた年は明治百年ですね。ということは、五十歳になる年が明治百五十年。ちょうどキリがいいから、明治からの百五十年間を通じて、一族が代替わりしていく話を書こうと思い立ったんですね。この明治百五十年のタイミングを逃すと、もう無理だなと思って、エイヤって書き始めたんです。
――物語の舞台は神生島といって、伊豆大島をモデルにした島です。どうして、島を舞台に選ばれたのでしょうか。
貫井 もともと最初の発想は、スチュアート・ウッズの『警察署長』だったんです。あれは三代の警察署長の話ですよね。それで、どこかの地方都市で、と考えたんですが、地続きだと、一ノ屋という独特の風習が成立しにくいんです。はっきりと範囲が限定されないと無理だなと気付いて、島にしました。
――神生島が、日本全体の象徴みたいに描かれていると感じました。だから、あえて島を選ばれたのかなと。
貫井 うーん、それは作劇の都合ですね。むしろ島にしたせいで、日本の歴史の縮図にしにくかった面もあります。
――関東大震災でも戦争でも、島ゆえに情報のタイムラグが起こりますね。それがサスペンスを生んだりもします。
貫井 そもそも水道が通るのが戦後になってからとか、伊豆大島の場合、そんな感じなんですよ。むしろ、よく電気が通っていたなと感じるくらいで。戦前から発電所があったので、水道より先に電気は通っていたようです。そんな切り離された状況なので、話を作る上では、やりやすい面とやりにくい面の両方があるんです。たとえば、この島で、どのように戦争を描けばいいのか、悩んだりもしました。でも、舞台を島にしたことによる面白さも結構あって、選択としてはよかったなと思います。
ラストだけは最初から決めていた
――全三巻、第一部から第十七部まで、エピソードが変わるごとに主人公が変わり、時代も移っていきます。この書き方は、手間も時間もかかって大変ではなかったですか。
貫井 その苦労は全くなかったですね。むしろ自分でも、次はどんな話でどんな主人公になるんだろうと、楽しみながら書いていました。一つのエピソードが百五十枚から二百五十枚くらいで、中編といえる長さです。このくらいのペースが書きやすかったですね。
――エピソードごとにジャンルを変えているのかなと思いました。ビジネス小説系だったり、女性解放の政治ドラマだったり、恋愛小説だったり。エピソードごとにジャンルを変えようというのは、意図的だったのですか。
貫井 いや、意図的じゃないですね。むしろ自分としては、同じようなトーンになってしまったかなと心配していたのですが、僕の印象よりは、バラエティに富んでいたみたいで安心しました。
――中巻は割とミステリー色が強かったかなと。それは意識されていたんですか。
貫井 それも、たまたまですね。そんなに事前の構想ってないんですよ。そんなにというか、ほとんどないんです。一つのエピソードに、構想メモは一行もない。一言という感じです。「新興宗教」とか、「宝探し」とか、構想メモはそれだけしか書いてないんですよ。
――僕は中巻では「人死島」が好きです。すごく悲惨な話に始まって、それが町おこしにつながるという意外な展開で。全体に悪い人が出てこないので、それもよかったなと。
貫井 基本的にユーモラスに書いているので、悪い人が出てきても、絶対的な悪ではないですね。軽くて、さくさく読める話ですよ、ということは強調しておきたい(笑)。
――下巻では、突然スポ根ものが始まって驚きました。
貫井 あの辺になると、これまで書いてなかったジャンルをと考えて、スポーツ物になりました。高度経済成長期の話なので、やっぱり野球だろうと。王、長嶋の時代ですね。
――下巻の最終話は、非常にいい終わり方でしたね。
貫井 最後だけは、事前の構想通りなんですよ。連載前から決めていて、あのラストに向けて、長いマラソンをしていたような感じですね。
大河小説を読む楽しみ、書く苦労
――伊豆大島の歴史を踏まえ、日本の歴史も踏まえというところで、苦労されたんじゃないかと思いますが。
貫井 近代から現代に近づくにつれ、慎重にはなりましたね。その時代を実際に体験し、記憶している人が増えてきますから。時代が下るに従い、実際の出来事に言及することが増え、調べる量がどんどん増えていった感じです。
――前のエピソードに出てきた人が、後のエピソードにちらっと出てきたりするじゃないですか。年表とか作りながら書かれたのかなと思ったんですが。
貫井 違うんですよ(笑)。だから本にする時は、た・い・へ・んでした。矛盾だらけで、辻褄を合わせるのが大変。校了間際になっても、年齢のチェックが入ったりして。僕は、ミステリーでも緻密に伏線を張ってというタイプではないので、今回のような、こういう話の方が向いてますね。
――伏線をしっかり回収しているエピソードや、ロジカルな分析が展開されるエピソードもありましたよ。各巻に系図も出てくるので、事前に緻密に考えて書かれたのかと。
貫井 あの系図も、連載が終わってから考えたんです。僕は、ミステリーでも冒頭に系図が出てくると嬉しくなる。下巻になると、巨大な系図になるじゃないですか。大きな系図が出てくる話が書けて、すごく満足しています。
――絶妙なタイミングで以前の登場人物が出てきたり、前のエピソードが、別の人物の視点からは、全く変わって見えたり、そういう面白さが、たくさんありました。
貫井 書いている時は楽しかったんですけど、後で大変でしたね。たとえば第六部と第七部は、連載中は、同時進行している話として書いていたんです。ところが、よく考えてみると、一方で起きている歴史的な出来事が、一方では起きていないことになっている。これはまずいと思って、時間をずらしました。もうこんなことばっかり。
――やっぱり苦労されたんですね(笑)。女性解放のテーマがよく現れるのは、意識されましたか。
貫井 それも意識していなかったんですよ。中巻の最後のエピソードで、男女の役割分担に疑問を持つ少女の話が出てきますが、本にする時に読み返して、こんな話を書いていたのかと驚いたくらいです。本当に意識していたわけじゃないんですけど、よく戦時中の話で男女平等をやったものだと思いました。自分の中で、自然に出てきたんです。
――多様性がモチーフのエピソードが他にもありますね。
貫井 それも自分の感覚が自然ににじむところかなと思います。ただ、上巻あたりだと、時代性を無視するわけにもいかないので、今の感覚ではNGなことも多くなるんです。だって、すごくいい男が現れて、島の女が次々と――あらすじだけ聞くと、ひどい話じゃないですか。女性の読者に、どう読んでもらえるか、ちょっと心配しています。
本当に書きたい物語が書けた
――才能のあり方というか、自分が今いる場所でどう生きるかという問いかけが、全体に共通していた気がします。
貫井 そう、才能がある人と、ない人の話なんですよね。第一部と第二部が特別な人の話で、第三部は特別じゃない人の話になって、そこで自覚したというか。これは特別な人と平凡な人とのコントラストの物語で、でも平凡な人だからといって意味がないわけではない。みんな自分の人生を生きているというのが、全体のコンセプトになるかなと、第三部を書いて気付いたんです。
――考えさせられる話が多かったですね。
貫井 特に第五部の「夢に取り憑かれた男」の話とか、小説家志望の人が読んだら、胸に突き刺さるのではと思いますね。僕自身が、一歩間違えば、ああなっていたかもなと思いながら書きました。
――これで、やりたいことはやり尽くした感じですか。
貫井 この作品については、そうですね。完全燃焼です。僕は自分の作品を自己評価して百点をつけたことはありませんが、今回は百点つけられますね。デビュー当時から、自分の作品に百点つけたらおしまいだなと思っていたので、僕、おしまいですね(笑)。でも、本当に書きたい話が書けて、大満足です。
――貫井さんの中で、この作品は、どういう位置づけになるんでしょうか。
貫井 そうなんですよ。これが代表作とすると、今までやってきたことは何なんだということになりますからね。作者名を伏せて出したら、絶対に貫井徳郎だとは誰も思わない。だから、これまでの集大成では全くなくて、新しい面をお見せしたという感じです。こういうのをまた書いてくれと言われても困るんですけど……。長いのを書いていると、なかなか本が出なくなるんですよね(笑)。
(ぬくい・とくろう 作家)
(すえくに・よしみ 文芸評論家)
波 2021年10月号より
単行本刊行時掲載
一生に一度の作品
タイムスパンの長い話を書きたいという漠然とした願望は、中学生の頃から持っていました。「グイン・サーガ」や「銀河英雄伝説」に憧れていたのです。一方で、そんな長い小説を書いても、デビューできないだろうという常識もありました。
現実にミステリ作家になって、「長い物語」を書くことは諦めかけていました。スチュアート・ウッズの『警察署長』のような三代記も考えていたのですが、構想力が必要だし、歴史の勉強もしなければならないから無理かなと。それが『赤朽葉家の伝説』や『警官の血』といった近年の作品に触れて、願望が具体的になってきました。そして、どうせなら三代記より長い話にしようと考えたのです。
五十歳が目の前に見えてきた頃、ここで書くしかないと思いました。というのは、ぼくは明治百年に当たる年の生まれです。五十歳の年が、ちょうど明治百五十年。このタイミングを逃したら、もう書けない。
勉強も足りなかったのですが、背中を押してくれたのは、夢枕獏さんの話です。時代物を書こうとした時、先輩作家から「書きながら勉強すればいい」と言われたというのです。そんな時に、小説新潮で連載の依頼があり、遂に書き始めることにしました。
今回は書き慣れたミステリではないのですが、不思議なほど苦労はありませんでした。ミステリ的なオチのない話はどうやって書いたらいいかわからないと思っていたのに、特に意識しなくても、ミステリ的とは違う結末が浮かんできました。
ぼくの作品は、重くて、読み始めるのに気合が必要だとよく言われます。今回も分厚いのが三冊ですが、むしろ普段より気軽に楽しんでいただけると思います。バカバカしいと笑ってもらえる話もありますし、全く貫井徳郎らしくない読後感のはずです。今までぼくの本は重くて嫌だと遠ざけていた方にこそ、ぜひ手に取ってほしいです。
今でしか書けなかった、自分にとって奇跡的な作品かもしれません。小説家にとって一生に一度の作品があるなら、ぼくの場合は、この『邯鄲の島遥かなり』がまさにそれです。ぜひ読んでください。こんな面白い小説の作者になれて、本当に幸せです。(談)
(ぬくい・とくろう 作家)
波 2021年9月号より
単行本刊行時掲載
『邯鄲の島遥かなり 上』7つの物語
第一部 神の帰還
〈新たな神話が生まれる〉
御一新直後、神生島に一ノ屋の末裔、イチマツが帰ってきた。神々しい美貌に島の女たちは魅入られていく。
第二部 人間万事塞翁が馬
〈しみじみ爽快な成長譚〉
イチマツの子は、体のどこかに特別な徴がある。顔立ちは平凡、言葉が遅い平太にも。だが彼には意外な能力が。
第三部 一ノ屋の後継者
〈笑って泣ける人生の物語〉
島にいるイチマツの子の中から、晋松がくじ引きで跡継ぎに選ばれた。本人は父親譲りの美貌と信じているが……。
第四部 君死にたまふことなかれ
〈女たちの反乱が始まる〉
与謝野晶子に傾倒する容子もまたイチマツの血筋。彼女の周りに島の女たちが集まり、従順さをかなぐり捨てる。
第五部 夢に取り憑かれた男
〈宝探しに生涯を賭ける〉
イチマツの孫・小五郎は、幕末に消えた徳川御用金が、この島の洞窟の奥深くに隠されていると信じていた――。
第六部 お医者様でも草津の湯でも
〈予測不可能な悲喜劇〉
皮肉にも、イチマツの血筋に美女は生まれない。しかし、鈴子だけは絶世の美少女。男たちを狂わせてしまう。
第七部 才能の使い道
〈親と子。深い感動の一編〉
良太郎は神童だった。いずれは有名画家と両親は信じた。だが良太郎は絵筆を捨てる。子の才能とは、進路とは。
『邯鄲の島遥かなり 中』
第八部〜第十三部
6つの物語(9月下旬刊行)
『邯鄲の島遥かなり 下』
第十四部〜第十七部
4つの物語(10月下旬刊行)
神生島
江戸から遠く離れた小さな島。明治初期の主要産業は漁業。のちに一橋産業によって他の産業も発展する。
くが
「りくち。地面」(新潮国語辞典)。神生島では、本土を「くが」と呼んだ。
一ノ屋
島の特別な家系。何十年かに一度、いい男が生まれ、島に福をもたらす。イチマツは一ノ屋の最後のひとり。
一橋産業
一ノ屋の血筋が興した会社。さまざまな産業で島を発展させ、本土にも進出する。多くの島民が働くことになる。
波 2021年9月号より
単行本刊行時掲載
担当編集者のひとこと
著者が長年の念願だったと語る作品です。
「小説新潮」で五年余にわたって連載された超大作ですが、数年前に連載をお願いするために、著者にお目にかかった際、即座にこの作品の構想を話されました。それを伺った時の興奮は、今も鮮やかに覚えています。
明治維新直後に始まり、現代に至る超絶スケールの大河小説です。実在の島をモデルに、そこに生きた一族の百五十年間が多彩に物語られます。
著者はちょうど明治百年に当たる年の生まれで、明治百五十年、つまりご自身の知命を目前にして、ここで書くしかないと決断されたそうです。
デビュー作の『慟哭』から、緻密な構成と濃密な人間ドラマ、そしてあまりに意外でダークな結末で知られる著者です。その著者による全三巻、三千二百枚の大河小説となると、ヘビー過ぎるのではと後退りされるかもしれません。でも、そのような心配は、ぜひ振り払ってほしいのです。
全三巻が、十七の物語から成り立っています。上は「明治・大正編」、中は「戦前・戦中編」、下は「戦後・平成編」。ある物語の登場人物が数十年後に別の物語に再登場するといった、大河小説らしい楽しみも随所にありますが、基本的にそれぞれの物語は独立した「読み切り」なのです。
鮮烈な幕切れが用意された話もあれば、思わず笑える人間喜劇もあります。突然のスポ根物語に驚かれるかもしれません。そして、ぜひ各巻のカバーを繋げてみて下さい。これも著者のアイデアです。(出版部・TT)
2021/11/27
著者プロフィール
貫井徳郎
ヌクイ・トクロウ
1968(昭和43)年、東京生れ。早稲田大学卒。1993(平成5)年、鮎川哲也賞の最終候補作『慟哭』でデビュー。本格ミステリーとしてのトリックを執筆の中心に据えながら、さまざまな分野や手法に挑んだ意欲的な作品を、次々と発表している。2010年、『乱反射』で日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門、『後悔と真実の色』で山本周五郎賞を受賞。ほかに『灰色の虹』『邯鄲の島遥かなり』『空白の叫び』『愚行録』『新月譚』『微笑む人』『龍の墓』『ひとつの祖国』などがある。