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紫式部本人による現代語訳「紫式部日記」

古川日出男/著

1,980円(税込)

発売日:2023/11/29

  • 書籍
  • 電子書籍あり

『源氏物語』の作者・紫式部の肉声が甦る。一千年を繋ぐ魂のトリビュート。

一条天皇の后が里帰り先で臨月に。その父で朝廷の最高権力者・藤原道長を始め、皆が固唾を飲んで見守る中、后に仕えるわたしはなぜかブルーで、グルーミィ。そのわけをあなたにお伝えします。二〇二四年大河ドラマで大注目、世界的文学を書いた当時の最先端女性のすっぴんダイアリーを、現代の「同業者」がリ・リリース!

目次
紫式部本人による現代語訳「紫式部日記」
自作解題 一千年前の同業者に、ヘルプ・ミーと自分は言った

書誌情報

読み仮名 ムラサキシキブホンニンニヨルゲンダイゴヤクムラサキシキブニッキ
装幀 サイトウユウスケ/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 160ページ
ISBN 978-4-10-306080-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,980円
電子書籍 価格 1,980円
電子書籍 配信開始日 2023/11/29

書評

クラインの壺におさめられた「いま」

いしいしんじ

 自宅から自転車で五分ほどのところに、「源氏の物語」がここで書かれた、と伝えられる邸の跡がある。現在は廬山寺という天台系の寺院が建っている。
 本堂で庭の地面を見ながら風を浴びていると、不意に、千年の時間なんて、五分前と同じ、ほぼ「いま」だな、という気になる。たったいま、道長から贈られた陸奥紙に、彼女は筆を立て、さらさらと仮名を書きしるす、滑らかな流跡が風のなかにひるがえる。
紫式部日記」は、彼女の手による、ふしぎな読みものだ。中宮彰子の出産前後の日々をつづった記録であるいっぽう、随所にため息まじりの独白がちりばめられ、後半にはえんえん、日々の記録とはかけはなれた、宮中の女性たちの「品定め」のような記述がつづく。その「ふしぎさ」に脈絡を与えようと、「冒頭ふくめ、散逸した箇所が少なくない」とか「後半のひとり語りは、どこかの時点で、誰かにあてた手紙とごっちゃになった」とか、これまでいろんな理屈が語られてきた。
 その「ふしぎさ」を、「フィクションライター」古川日出男はまるのまま受けとめる。「現代語訳」をするにあたり、「先輩フィクションライター」紫式部を、時のむこうから「いま」へと招来する。「いま」の上に「日記」を差しだし、そのテキストを書いた本人に「現代語訳」してもらう。という、クラインの壺のようなフィクションを編む。
 当然、複数の「いま」が、ちがう日の光のように交錯する。
(1)いちばん旧い、日記に書かれたできごとの起きた「」(道長が酔って泣いたり、宮中に追いはぎが出たり)。
(2)紫式部がみずからの房で日記を認めている「いま」。
(3)フィクションの紫式部が訳文を語っている、どこにも属さない「今」。
(4)読者がフィクションを読んで、じんときたり、ええっ、と驚いたり、「いま」を忘れてページを繰ったりしている「」。
 これら複数の時間を、古川日出男が語るフィクションの「いま」が束ね、ほどき、つなぎ、重ねる。その楽しさ。自在さ。

 日付とはくさびだわ。おまけに正確な記録というのはこのくさびを要求する。八月二十日すぎに進もう。このころからお邸のありさまがさらに変わりだした。

 とまどいは、あって当然です。ここは――この日記の内側の世界は――少しも「現代」ではないのですから。一千年以上もむかしなんですから!

 やがて「くさび」ははずされる。日々の正確な記録は、跳ばされ、要約され、背景に遠ざかる。かわり、日記の深部から「ノーマルさからは外れ」た感性が噴出し、テキストを「グルーミィ」の色に染めぬく。そこには、死の影、閉塞、偶然、悪夢が、輪郭をとらないまま渦巻く。彼女の著した巨大な「もの語り」で、主人公たちの魂にしみついていたものと同じ。あるいは、すべての「いま」を通じ、自らを生きるほかない人間の、いっそう切実な、普遍の「わたし語り」。
 見取り図にのっとって、ではない。古川日出男は聞きのがさない。「気質というか本質、ネイチャー」で、紫式部はこのように書く。このようにしか書かれない。結果「わたしは日記をつづけようとするモチベーションをうしないました」とまっすぐに語る。クラインの壺が、いつのまにか完結している。
 すべての書物は、読まれる瞬間、読むものによって「現在語訳」される。古川と紫式部の輪唱に乗ってぼくたちの「いま」は未知の生きもののように伸び縮みする。本書と「日記」の原書を携え、廬山寺まで自転車を走らせる。いったいどんな「いま」が、まわりつづけるぼくの車輪に引っかかるだろう。

(いしい・しんじ 作家)
波 2023年12月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

古川日出男

フルカワ・ヒデオ

1966年、福島県郡山市生れ。1998年『13』でデビュー。2002年『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞、日本SF大賞、2006年『LOVE』で三島由紀夫賞、2015年『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞、2016年には読売文学賞を受賞。戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』(2014)ならびに「ローマ帝国の三島由紀夫」(2018)は岸田國士戯曲賞の候補となった。2022年には、全巻の現代語訳を手がけた『平家物語』(2016)がTVアニメとして放送され、続く『平家物語 犬王の巻』(2017)も同年に劇場アニメとして公開された。他の著作に『聖家族』『馬たちよ、それでも光は無垢で』『ミライミライ』『曼陀羅華X』『の、すべて』など。アメリカ、フランス、イタリア等、多数の国で翻訳され、海外での評価も高い。

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