田辺聖子の古典まんだら(下)
1,540円(税込)
発売日:2011/01/31
- 書籍
- 電子書籍あり
古典は、いつの世でも実はいちばん新しい。
女でも男と対等の生活をしたいという夢を描いた『とりかへばや物語』。女手だからこそ子を失った悲しみを綴ることのできた紀貫之。おませな少女の会話をリアルに描いた『浮世床』。『古事記』『万葉集』から『枕草子』『平家物語』『徒然草』、さらに江戸文学まで、古典をこよなく愛する田辺聖子が、その魅力を縦横無尽に語る。
目次
死ぬときはいっしょだぞ――平家物語
この世の地獄を見た――方丈記
田舎はなんてすごいんだ――宇治拾遺物語
噂になってしまった――百人一首
院、どうしてなの?――とはずがたり
物をくれる友がいちばん――徒然草
金が敵の……――西鶴と近松
Uターンして第二の人生――芭蕉・蕪村・一茶
女房はやはりありがたい――古川柳
なんとか浮き名を流したい――江戸の戯作と狂歌
この世の地獄を見た――方丈記
田舎はなんてすごいんだ――宇治拾遺物語
噂になってしまった――百人一首
院、どうしてなの?――とはずがたり
物をくれる友がいちばん――徒然草
金が敵の……――西鶴と近松
Uターンして第二の人生――芭蕉・蕪村・一茶
女房はやはりありがたい――古川柳
なんとか浮き名を流したい――江戸の戯作と狂歌
書誌情報
読み仮名 | タナベセイコノコテンマンダラ2 |
---|---|
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 248ページ |
ISBN | 978-4-10-313430-5 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 古典、文学賞受賞作家 |
定価 | 1,540円 |
電子書籍 価格 | 1,232円 |
電子書籍 配信開始日 | 2011/07/29 |
書評
波 2011年2月号より 田辺マジックの素晴らしさ
「古典に触れてみたいのだけれど、いろいろありすぎて、何から手をつけていいのかわからない」「勉強は、もうこりごり。古典を楽しく読みたい」「古典って、ほんとうにおもしろいの?」……そんな人たちに、これなら間違いありません!と自信を持っておすすめできるのが本書である。
「古事記」にはじまり、「万葉集」、「土佐日記」、王朝女流歌人……とほぼ時代順に、日本の代表的な古典の魅力を、田辺聖子さんが、本当にわかりやすく、面白く伝えてくれる。「落窪物語」や「とりかへばや物語」など、「ザ・王道」というイメージではないものも、ラインナップに入っているのが楽しい。
単に時系列の紹介というのではなく、古典を通して、日本の歴史をおさらいできるという側面を持ち合わせているのも魅力だ。文学と時代は、常に密接に関わりを持っていて、文学を時代背景とともに読むということは、歴史をたどることでもあるのだと、あらためて思わせられた。
そして下巻の最後は、古川柳、江戸の戯作と狂歌、でしめくくられる。これらを含めているところに、「えらそうなものばかりが古典じゃないんですよ」という著者の心意気が感じられる。
本書は、二〇〇〇年の四月から、二年をかけて連続講演で語られた名講義を、まとめたもの。一般市民を対象に、誰にもわかるよう、そして楽しめるよう、けれど古典の肝となる部分ははずさず、要所要所では田辺聖子さんらしい視点で語られる古典入門である。
私自身、そもそも古典に興味を持ち、古典が好きになったのは、高校生のころに読んだ『文車日記』や『新源氏物語』(いずれも田辺聖子著・新潮文庫)によってだった。田辺マジックにかかると、古典の登場人物たちが、いっきに身近な存在となり、生き生きとした表情を見せはじめる。そしてそのマジックの素晴らしいところは、この親近感は、古典ゆえであり、読者である自分ゆえであると、感じさせてくれるところだろう。つまり、話者である田辺聖子さんは、前面には出てこない。
話がややそれるが、私は息子の小学校で読み聞かせのボランティアをやっている。そのとき、よく言われることの一つに「今日のおはなし、おもしろかったね、と子どもたちに言われたら成功です。決して、今日のおばちゃん、おもしろかったね、と言われることを目指さないでください」というのがある。
あたりまえのようなことだが、生身の人間を相手にしていて、どっと笑いがおこったり、すすり泣きが聞こえたりすると、話者は必要以上にはりきってしまう。いわゆるウケをねらって、おはなしの魅力を伝えるという本来の使命を忘れてしまっては、本末転倒だ。
田辺聖子さんほどの人なら、いくらでも脱線やこぼれ話で、聴衆をひきつけることができるだろう。が、本書の基本姿勢として「あくまで古典が主役」ということが、清々しいほど貫かれている。
とはいえ、折りにふれて、古典への愛情や思い入れ、あるいは自身の体験をまじえた読み方が語られるところがあって、これはまことにぐっとくる場面である。
たとえば「方丈記」が天災を描写したところでは、戦時中の空襲や阪神大震災で、田辺さん自身が目にした光景が重ねあわされる。その結果、鴨長明の文章の普遍性ということが、私たちにすんなり入ってくるのだ。
必然として、ふっとあふれたプライベートな数行の背景にある人生の厚みと教養の深さは、静かな迫力をたたえている。
『「小町」という言葉から、「とても美しかったが、生涯は幸福ではなかった」というイメージがすぐに湧くというのは、民族の共通の遺産です。』と著者は語る。そんな、民族共通の遺産の源泉にふれる豊かな時間を、本書は必ずもたらしてくれるだろう。
「古事記」にはじまり、「万葉集」、「土佐日記」、王朝女流歌人……とほぼ時代順に、日本の代表的な古典の魅力を、田辺聖子さんが、本当にわかりやすく、面白く伝えてくれる。「落窪物語」や「とりかへばや物語」など、「ザ・王道」というイメージではないものも、ラインナップに入っているのが楽しい。
単に時系列の紹介というのではなく、古典を通して、日本の歴史をおさらいできるという側面を持ち合わせているのも魅力だ。文学と時代は、常に密接に関わりを持っていて、文学を時代背景とともに読むということは、歴史をたどることでもあるのだと、あらためて思わせられた。
そして下巻の最後は、古川柳、江戸の戯作と狂歌、でしめくくられる。これらを含めているところに、「えらそうなものばかりが古典じゃないんですよ」という著者の心意気が感じられる。
本書は、二〇〇〇年の四月から、二年をかけて連続講演で語られた名講義を、まとめたもの。一般市民を対象に、誰にもわかるよう、そして楽しめるよう、けれど古典の肝となる部分ははずさず、要所要所では田辺聖子さんらしい視点で語られる古典入門である。
私自身、そもそも古典に興味を持ち、古典が好きになったのは、高校生のころに読んだ『文車日記』や『新源氏物語』(いずれも田辺聖子著・新潮文庫)によってだった。田辺マジックにかかると、古典の登場人物たちが、いっきに身近な存在となり、生き生きとした表情を見せはじめる。そしてそのマジックの素晴らしいところは、この親近感は、古典ゆえであり、読者である自分ゆえであると、感じさせてくれるところだろう。つまり、話者である田辺聖子さんは、前面には出てこない。
話がややそれるが、私は息子の小学校で読み聞かせのボランティアをやっている。そのとき、よく言われることの一つに「今日のおはなし、おもしろかったね、と子どもたちに言われたら成功です。決して、今日のおばちゃん、おもしろかったね、と言われることを目指さないでください」というのがある。
あたりまえのようなことだが、生身の人間を相手にしていて、どっと笑いがおこったり、すすり泣きが聞こえたりすると、話者は必要以上にはりきってしまう。いわゆるウケをねらって、おはなしの魅力を伝えるという本来の使命を忘れてしまっては、本末転倒だ。
田辺聖子さんほどの人なら、いくらでも脱線やこぼれ話で、聴衆をひきつけることができるだろう。が、本書の基本姿勢として「あくまで古典が主役」ということが、清々しいほど貫かれている。
とはいえ、折りにふれて、古典への愛情や思い入れ、あるいは自身の体験をまじえた読み方が語られるところがあって、これはまことにぐっとくる場面である。
たとえば「方丈記」が天災を描写したところでは、戦時中の空襲や阪神大震災で、田辺さん自身が目にした光景が重ねあわされる。その結果、鴨長明の文章の普遍性ということが、私たちにすんなり入ってくるのだ。
必然として、ふっとあふれたプライベートな数行の背景にある人生の厚みと教養の深さは、静かな迫力をたたえている。
『「小町」という言葉から、「とても美しかったが、生涯は幸福ではなかった」というイメージがすぐに湧くというのは、民族の共通の遺産です。』と著者は語る。そんな、民族共通の遺産の源泉にふれる豊かな時間を、本書は必ずもたらしてくれるだろう。
(たわら・まち 歌人)
著者プロフィール
田辺聖子
タナベ・セイコ
(1928-2019)1928(昭和3)年、大阪生れ。樟蔭女専国文科卒業。1964年『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で芥川賞、1987年『花衣ぬぐやまつわる……わが愛の杉田久女』で女流文学賞、1993(平成5)年『ひねくれ一茶』で吉川英治文学賞を、1994年菊池寛賞を受賞。また1995年紫綬褒章、2008年文化勲章を受章。小説、エッセイの他に、古典の現代語訳ならびに古典案内の作品も多い。
関連書籍
判型違い(文庫)
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