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「男、仕事、結婚、子ども」のうち、たった三つしか選べないとしたら――。

トリニティ

窪美澄/著

1,836円(税込)

本の仕様

発売日:2019/03/29

読み仮名 トリニティ
装幀 宇野亞喜良/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 463ページ
ISBN 978-4-10-325925-1
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,836円

どんなに強欲と謗(そし)られようと、三つとも手に入れたかった――。50年前、出版社で出会った三人の女たちが半生をかけ、何を代償にしても手に入れようとした〈トリニティ=かけがえのない三つのもの〉とは? かつてなく深くまで抉り出した、現代日本を生き抜く女たちの欲望と祈り――。平成の掉尾を飾る傑作!

著者プロフィール

窪美澄 クボ・ミスミ

1965(昭和40)年、東京都生れ。2009(平成21)年、「ミクマリ」で「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞。2011年、『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞、2012年に『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞受賞。他の著書に『よるのふくらみ』『じっと手を見る』など。

書評

彼女たちは石を投げた

川本三郎

 若者の時代と言われた1960年代に青春を送った世代も、新しい元号が始まろうとするいま、七十代になっている。現在の高齢化社会とはかつてのビートルズ世代、「三十歳以上は信じるな」と叫んだ世代が老いてゆく社会である。この小説は、そんないま、1960年代に輝いていた三人の女性の生を辿ってゆく。
 若い女性たちがどう年を取っていったか。青春の終わりの確認であり、老いを迎えて振返った過ぎし青春の物語で、読みごたえがある。多少ともあの時代に深く関わった人間としては、あの頃、われわれ男どもの隣人であった女性たちは、こんなに生き生きとしていたのか、同時に、こんな悩みを抱えていたのかと今頃になって気づいて、時折り、胸が締めつけられる思いがした。
 題名のトリニティとは、三人組、三位一体の意。1960年代のなかごろ、当時の若者文化の中心にいた、ある出版社で出会った三人の女性が主人公になる。彼女たちの友情、それぞれの私生活、結婚、あるいはその破綻、そして仕事ぶりが丹念に描かれてゆく。現代の女性史にもなっている。映画ファンなら、メアリー・マッカーシー原作、シドニー・ルメット監督の「グループ」(1966年)を思い出すだろう。大恐慌時代にアメリカの名門女子大ヴァッサーを卒業した八人の女性のその後を描いた女性映画。大学から実社会へと入っていった若い女性が、それぞれにどんな壁にぶつかってゆくか。
 この小説の三人は、若者の時代と言われた1960年代に活気があった出版界で出会い、女性の時代と言われるようになった1970年代を共に生きてゆく。
 一人は、早川朔(本名、藤田妙子)というイラストレーター。岡山県の山村の出身。苦労して育ち、中学校を卒業して上京。シングルマザーの母親が昼も夜も働いたおかげで、なんとか美術大学を出て、ある幸運からその絵が認められ、「彗星のように」イラストレーターとしてデビューする。
 1964年、東京オリンピックの年に創刊され、たちまち若者文化をリードした週刊誌「平凡パンチ」を思わせる雑誌の表紙に抜擢され、人気イラストレーターになる。
 二人目の佐竹登紀子は、その人気雑誌でフリーのライターとして活躍する。ライターの草分けのような存在。祖母も母親も物書き。東京のお嬢さん。
 三人目は、二人に比べれば地味な宮野鈴子。東京の下町、向島の佃煮屋の娘。高校を卒業して早川朔と佐竹登紀子が仕事をしている出版社に入るが、華やかな編集畑ではなく裏方の事務職。本人はそれで満足している。そして見合い結婚をして専業主婦に徹する。
 三人三様の生き方が、時代と共に丁寧に描かれてゆく。登紀子は、売れっ子のライターの時代にも「ライターなんて使い捨てよ」と醒めていたが、実際、バブル崩壊、出版不況の時代になると仕事が減ってゆく。
 朔もいつしか第一線からしりぞいてゆく。家庭生活もうまくゆかず、子供に「仕事をしているママは嫌いだ」と言われてしまう。
 三人のなかでは鈴子がいちばん幸せそうに見えるが、それでも専業主婦であることに忸怩たる思いを抱いていて、娘に専業主婦にはなるなと言う。
 この小説は、現在、早川朔が死去し、その葬儀で鈴子と登紀子が久しぶりに再会するところから始まり、それをきっかけに過去が回想されてゆく。「思い出される青春」の物語になっている。
 とくに感動したくだりがある。1968年10月21日の国際反戦デーの日。新宿でベトナム反戦を求める大規模なデモがあり、町は騒然となった。その日、ふだんは大人しい鈴子が意外やデモに行きたいと言い出し、登紀子と朔も同意する。三人は新宿の町の反抗の熱気にあおられ、それぞれ思いのたけをぶつけるように石を投げる。男性支配の社会に対する怒りに突然、火がつく。まさに三人の血が騒いだ。
 思えば、若者の反乱の時代と言われたあの時代、その怒りは理性的な言葉で説明出来たわけではない。言葉になる前の感情の塊が噴出したのだ。この新宿騒乱の日の三人の、おそらくは自分たちでも説明がつかない行動には正直、涙が出た。
 朔は死んだ。後年、落ちぶれてしまった登紀子も衰える。共に石を投げた戦友たちが次々に倒れてゆく。鈴子一人が健在。そして力強いのは、鈴子の孫娘、若い世代の奈帆が、祖母たちが生きてきた時代をきちんと記憶しようと決意すること。「石」は確実に手渡されてゆく。

(かわもと・さぶろう 評論家)
波 2019年4月号より
単行本刊行時掲載

彼女が泣く理由

梯久美子

昭和・平成を生き抜いた三人の女性が、半生をかけて手に入れようとした〈トリニティ=かけがえのない三つのもの〉とは――。窪美澄がかつてなく深く抉り出した、夢と祈りの行方。

 大きなクリップでとめられた分厚いゲラ刷りが届いたのは一週間前のことだ。いまこの原稿を書いているパソコンの横にあるそのゲラは、角がぼろぼろになってめくれている。読み始めるや、これは私の物語だと思ってやめられなくなり、取材旅行の飛行機やホテルや列車の中など、いろいろな場所で読んだからだ。読み終えたいま、熱っぽくてリアルで残酷なこの小説を、「私たちの物語」だと思う。
 主人公は、1964年、創刊されたばかりの雑誌の編集部で出会った三人の女。ひとりはライター、ひとりはイラストレーター、もうひとりは編集雑務を担当する出版社社員である。その雑誌は若い男性向けの週刊誌で、新聞社や文芸系の出版社による従来の週刊誌とは一線を画す、ビジュアル重視の新しい雑誌だった。小説の中では潮汐出版の「潮汐ライズ」という雑誌になっているが、ファッションはもちろん、先端のカルチャーから社会問題までを扱い、三島由紀夫野坂昭如も寄稿した雑誌といえば、多くの人は、ああ、あの雑誌かと思い当たるだろう。
 イラストレーターは、二十二歳の若さでこの雑誌の表紙を描き、時代の寵児になった妙子。ライターは、売れっ子のフリーランサーで、同じ出版社がその後に創刊するファッション誌の文体を生み出すことになる登紀子。そして、高卒で入社し、当然のように仕事より結婚を選ぶ鈴子。まったく異なる能力と価値観を持った三人が、当時の先端メディアだった雑誌の世界で、つかの間のかかわりをもつ。
 妙子と登紀子は“稼ぐ女”であるがゆえに孤独である。妙子は結婚し出産するが、第一線で描き続けるために自分の母親に子育てを託し、夫の気持ちは離れていく。登紀子は、子どもは持たず、妻が外で活躍し夫が家事をするという、働く女の新しい夫婦の形を演じる。ライフスタイルを切り売りする、現在まで続く女性の書き手のパターンの走りである。売れっ子になるが、いつかノンフィクションを書きたいという望みは果たされない。一方、鈴子は編集者にならないかという上司からの誘いを断って見合い結婚をする。
 タイトルの「トリニティ」とは、キリスト教における三位一体を意味する。鈴子の結婚式に参列した妙子は、神父の「父と子と聖霊の名において」という言葉を聞きながら、その三つは女にとって何だろうと考える。男、結婚、仕事。それとも、仕事、結婚、子どもだろうか、と。
〈どれも自分は欲しい。すべてを手に入れたい。妙子は思った。/欲深き者、と誹られ、石礫を投げられても〉
 三人の中で妙子だけが仕事と結婚と子どものすべてを手に入れた。得たものを手放さないために死ぬほど努力した彼女は、次第に周囲から煙たがられ、トラブルメーカーと言われるようになる。そして孤独な死を迎えるのだ。ライターとして一時代を画した登紀子も、かつての知人に小金を借りて回る老女となる。経済的にも恵まれた穏やかな老後を送っているのは、専業主婦となった鈴子だけである。
 仕事を選んだ女は、その報いを受けたということだろうか。いや、そうではない。冒頭に老女として登場する三人の、そこに至るまでの過去が語られていく中で、読者が立ち会うのは、それぞれの人生のきらめくような瞬間だ。それは必ずしも幸福な瞬間ではない。だがそこには、選ぶという行為(それは選ばなかったものを「捨てる」行為でもある)のもつ、痛みを伴う美しさがある。
 仕事、結婚、子どもをすべて手に入れた妙子も、その三つを選ぶために多くのものを捨てた。大切なものを捨てなければ、より大切なものを得ることはできない。捨てることで他人を傷つけ、捨てた自分の醜さに泣く彼女といっしょに、私も泣いた。
 この小説が描いているのは、主人公たちの世代だけではない。彼女たちの母、娘、孫と、四世代の人生が語られていく。その中で、私たちは何を手に入れ、何を失ったのか。欲深く生きても、石礫を投げられることのない時代を、果たして生きているのか。そんな問いが、読み終わったいまも消えない。

(かけはし・くみこ 作家)
波 2019年4月号より
単行本刊行時掲載

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