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作家との遭遇―全作家論―

沢木耕太郎/著

1,980円(税込)

発売日:2018/11/30

  • 書籍

檀一雄、高峰秀子、向田邦子、そしてカミュ。ファン必読! あの卒論も収録した著者初の作家論。

書物の森の中で、あるいは酒場の喧騒の中で、心奪われる出会いをしてきた23名の作家たち。太宰治という天才への狂信と悔恨が檀一雄を『火宅の人』へと走らせたというように、彼らの新たな「素顔」を浮かび上がらせるその過程は、まさにスリリング。著者の原点、22歳の時に書かれた「アルベール・カミュの世界」も単行本初収録!

目次

必死の詐欺師  井上ひさし

青春の救済  山本周五郎

虚構という鏡  田辺聖子

記憶を読む職人  向田邦子

歴史からの救出者  塩野七生

一点を求めるために  山口瞳

無頼の背中  色川武大

事実と虚構の逆説  吉村昭

彼の視線  近藤紘一

運命の受容と反抗  柴田錬三郎

正しき人の  阿部昭

旅の混沌  金子光晴

絶対の肯定性  土門拳

獅子のごとく  高峰秀子

ささやかな記憶から  吉行淳之介

天才との出会いと別れ  檀一雄

虚空への投擲  小林秀雄

乱調と諧調と  瀬戸内寂聴

彼らの幻術  山田風太郎

スポーツライターの夢  P・R・ロスワイラー

苦い報酬  T・カポーティ

旅するゲルダ  ゲルダ・タロー

アルベール・カミュの世界

 作家との遭遇――あとがき

書誌情報

読み仮名 サッカトノソウグウゼンサッカロン
装幀 (C)Fondation Foujita/装画、ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2018 G1546/装画、レオナール・フジタ(藤田嗣治)『印刷工』ポーラ美術館蔵/装画、ポーラ美術館/画像提供、DNPartcom/画像提供、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 448ページ
ISBN 978-4-10-327520-6
C-CODE 0095
ジャンル 評論・文学研究、評論・文学研究
定価 1,980円

書評

「読むこと」のレッスン

石戸諭

 かつて沢木耕太郎は、ノンフィクション・ライターという仕事を何よりも「視る人間」であると規定した。ペンを握る前に、意識的に視ることが重要である、と。
 書き手としての沢木を特徴付けるのは、その専門性の無さにある。彼はある分野のインナーサークルに入ることを頑なに拒絶し、アマチュアであり続けることに美学を見出している。取材テーマも自身の関心と興味が〈ひっかかる〉ものを求めることで自然に決まっていくという。
 彼はある時は相場師を描き、ある時は日本ダービーに出走する馬の世話をし、ある時はボクサーと寝食を共にした。一見するとなんの共通点もない題材であっても、すべてにおいて沢木が誠実に取材対象を見続けるという一点は共通している。その上で、いかにして書くのかを自らに問い、方法にこだわり、徹底的に細部を描くことを通じて、ひとつの作品世界が提示される。
 この作家論集もそれらの特徴とプロの「文芸批評家」にはないアマチュアの美学が貫かれていると言えるだろう。本書の中で、沢木は第一義的に「読む人間」として存在している。
 大学の卒業論文として仕上げたアルベール・カミュ論然り、向田邦子山口瞳色川武大吉行淳之介といった接点があった作家然り、彼のノンフィクション同様、一見すると雑多だが、彼がどこかで〈ひっかかり〉を覚えた作家に関心は向かう。
「読むこと」は時に、取材してすなわち、視ることを通じて書くことと同様、容易なものとして扱われる。およそテキストを読むことと無縁のまま人生を終える人はいないし、本を大量に読むだけなら沢木以上に読んできた人間などざらにいるのだから。では、「読む」ということは誰にでもできる簡単なものなのだろうか。
「読むこと」を考えるにあたり、補助線を引いてみよう。優れたノンフィクションとは何か。私はその条件の一つに「取材を受けた当人ですら知らなかった当人の姿を描きだし、一つの世界観を提示すること」があると考えている。人は思いの外、自分のことを知らない。だからこそノンフィクションの書き手は視ること、インタビューで話を聴くこと、そして書くという行為を通じて、彼ら自身も知らなかった彼らに接近する。取材を受けた当人から「そんなことは知っている」あるいは「自分の思い通りに書いてくれた」と思われた時点で、作品としては失敗なのだ。
「読むこと」も同じである。「読む人間」としての沢木が試みているのは、彼がそれまでの作品で積み上げてきた世界と変わらない。〈ひっかかり〉にこだわり、作家自身も知らないであろう作家の姿を浮かび上がらせることに執着する。
 例えば向田邦子だ。1981年に書かれた向田論で沢木は、彼女の鮮やかな文章がもつ特徴を、語りたいことをシーンで描き出す巧みさにあると指摘した。
〈向田邦子が描く対象は、表情、色つや、匂い、などといった細部の急所が的確に押えられ、その結果、読み手は話の流れに沿って、登場してくる人や物や風景を、いとも簡単に映像化することができる〉
 時代を代表する脚本家であり、直木賞作家でもあった彼女の文章の上手さは一読すれば誰もがわかることだ。重要なことは、沢木の読解をもって新しい視座が与えられることにある。この章を読むと、向田邦子のエッセイは単なる身辺雑記ではなく、細部を積み上げることによってシーンを描き、シーンの連続によって言いたいことを表現するという「ノンフィクションの教科書」になる。
 思うに彼にとって「読む」とは、彼自身が書いていく上で、言い換えれば生きていく上で切実な問いについて、作家との対話を試みる時間である。挿話のつなぎ合わせではなく、シーンの連続によって対象をいかにして描くのか。新しい方法の冒険をしていた当時の沢木にとって、向田作品は格好の「教科書」だったのだろう。
 本書を読み終えて嘆息するのは、沢木の文章が持つ強度だ。真摯さに貫かれた読解は、個々の作家「論」をはるかに超えて、作家その「人」の本質を描き出す。それゆえに初出から何年経っても古びることはない。彼が切り開いた道を読み手としても書き手としても知っている私にとって、この論集はどの作家を読むべきか以上に、いかにして「読む」べきかを指し示す道標として存在し続けるだろう。

(いしど・さとる 記者・ノンフィクションライター)
波 2018年12月号より
単行本刊行時掲載

作家との遭遇

作家との遭遇


 私は小学校の六年生くらいから小説を読みはじめた。そして、中学、高校と進むにつれ、自分の嗅覚に従って、さまざまな作家の本を読み漁った。

 しかし、ひとりの作家のすべてを読むというような読み方をしたのは、大学生になってからのアルベール・カミュが最初だったと思う。

 大学の四年になって、いざ卒論を書かなくてはならないということになったとき、経済学部の学生だった私にとって、書くべきテーマの方向は三つほどあった。

 ひとつは、ゼミナールで大学三年の一年をかけて講読しつづけてきたマルクスの『資本論』を同じマルクスの「経済学―哲学手稿」を軸に読み直していくという試み、ひとつは、大学四年のゼミでやろうとして果たせなかった日本経済の現状分析をするという企て、そしてもうひとつは、ゼミの仲間とは離れて単独で進めていた「日本における社会主義と超国家主義」の研究を精密化するという作業。とりわけ三つ目のテーマは、ある会で発表したスケッチ風の論文に眼を通してくれていた指導教官が強く勧めていたものだった。

 だが、そのときの私には、どれも自分とは遠いテーマのように思えてならなかった。

 資本論? 日本経済分析? 社会主義と超国家主義?

 こんなものが、二十一歳の自分にとって六カ月も七カ月もかけて取り組むべきテーマなのだろうか……。

 何を読んでも虚しいばかりで、茫然と無為な日々を送っていた当時の私に、唯一、胸の奥まで届いてくるようだったのがカミュの著作、とりわけ初期のエッセイ群だった。

 私は、ふと、これについてなら書けるかもしれないと思った。

 そこから、本格的にカミュを読みはじめたのだ。手に入るだけのものをすべて集め、徹底的に読み込んでいく。そして、ひとつのイメージを感受したところで、曖昧なまま揺れ動いているものを言語化していく。それは私にとって初めてのスリリングな経験だった。

 その意味では、私にとって最初に「遭遇」した作家は、やはりアルベール・カミュということになるのかもしれない。

 大学を出て、偶然のことからフリーランスのライターとなった私に、多くの作家と「遭遇」する機会が訪れた。

 まず、新宿や銀座の酒場で、生身の作家と「遭遇」することになったのだ。

 作家やジャーナリストや編集者が集まるような酒場は、多くが小さな空間にひしめくようにして飲むというようなところであるため、居合わせればどうしても言葉を交わすようになる。そのようにして、自分が読者だった作家と何人も「遭遇」することになった。

 酒場で出会い、親しくなった作家も少なくないが、実際には言葉を交わさなかった作家の記憶も鮮やかに残っている。

 銀座では、「きらら」と「まり花」という小さな酒場が私にとっての「学校」だったが、ある日の夕方、早い時間に、そのうちの一軒である「きらら」に行くことがあった。たぶん、誰かとの待ち合わせがあったのだろう。

 店に入っていくと、他に誰も客のいないカウンターでひとりの老紳士が飲んでいた。スーツ姿で、背筋の伸びた白髪のその老紳士は、酒場のマダムである清原さんと、ひとこと、ふたこと、短く言葉を交わしながら、静かにハードリカーを飲んでいた。

 それが一杯目だったのかすでに二、三杯飲んだあとなのかはわからなかったが、そのグラスが空になると、老紳士は立ち上がり、清原さんに挨拶をし、私に軽く目礼をして、店を出ていった。

 外廊下にあるエレベーターのところまで見送って戻ってきた清原さんに、私は訊ねた。

「どなた?」

 すると、清原さんが驚いたように言った。

「ご存じなかった?」

「うん」

 すると、清原さんが言った。

げんけい先生」

 かつて私が少年だった頃、近くにあった貸本屋で、その棚の多くを占領していたのは、時代小説の山手樹一郎と現代小説の源氏鶏太だった。二人とも、批評家には、何を読んでも金太郎飴のようだと揶揄されながら、実に多くの読者を掴んでいた。だが、その源氏鶏太も、花形の「流行作家」の時代は過ぎ、私にはまだ存命中だとは思ってもいなかったほど遠い存在になっていた。

 しかし、その日、酒場で「遭遇」した佇まいの美しさを見て、あらためて源氏鶏太を読み直さなくてはと思ったものだった。

 フリーランスのライターとなった私が、作家と「遭遇」する場は「酒場」以外にもうひとつあった。「文庫」の解説を書くという機会を与えられるようになったのだ。

 通常、文庫の解説には、その作家との交遊のちょっとした思い出話や、さらっとした印象記のようなものが求められているということはわかっていた。しかし、私はそれをひとりの作家について学ぶためのチャンスと見なした。具体的には、あらためて全作品を読み直し、自分なりの「論」を立ててみようと思ったのだ。そのため、執筆する原稿の枚数も、通常の解説の域を超えるような長さをこちらから要求し、それを受け入れてくれるものにだけ書かせてもらうことにした。四百字詰めで十数枚というのが依頼されるときの平均的な枚数だったが、私は二十枚から三十枚、中には四十枚近くまで書かせてもらったこともあった。

 それを書き上げることには、毎回毎回、カミュについての卒論を書いていたときと同じような昂揚感があった。もしかしたら、そうした解説を書くことで、常に私は「遭遇」した作家についての短い「卒論」を書いていたのかもしれない。

 かつて『路上の視野』や『象が空に』に収載したものを含め、新たに編み直したこの二十三編は、私がさまざまな分野の作家について正面から書いていこうとした文章の、ほとんどすべてである。なぜ彼らだったのか。それもまた一種の偶然だったが、ただ、彼らの多くは、私と似て、どこか「境界線上」に身を置いている作家であったような気がする。この本のタイトルを、最後まで『作家との遭遇』にしようか『境界線上の作家たち』にしようか迷っていたのも、それが理由だった。

 村上春樹に「植字工悲話」というエッセイがある。

 自分ムラカミは原稿の締め切りを守る方だが、それは印刷所に勤める活字の植字工の家庭でこんな会話をされたくないからだ、というようなことを面白おかしく書いている。

《「父ちゃんまだ帰ってこないね」なんて小学生の子供が言うと、お母さんは「父ちゃんはね、ムラカミ・ハルキっていう人の原稿が遅れたんで、お仕事が遅くなって、それでお家に帰れないんだよ」と説明する。

「ふうん、ムラカミ・ハルキって悪いやつなんだね」》

 これを読んだとき、笑いながら、しかし同時に、私の胸はまさしく「ドキン」と音を立てたような気がした。

 私はかなり遅筆で、締め切りを過ぎてもまだ呻吟しているというようなタイプの書き手だった。そのときの私には編集者のことは視野に入っていたが、どこかに「よりよい原稿にするためなら許してもらえるはずだ」という甘えのようなものがあったにちがいない。

 だが、印刷所で働いている人のことまでは深く考えたことがなかった。そう言われれば、私が締め切りを遅らせることで、編集者ばかりでなく、印刷所で働く人たちに迷惑をかけるのだということを、あらためて思い知らされたのだ。

 以来、私は原稿の締め切りを守るようになり、遅れるということをほとんどしなくなった。

 村上春樹のエッセイは、少なくともひとりの物書きに対して、締め切りの期限を守るという点において「真っ当」な人間にする力があったということになる。

 しかし、にもかかわらず、この『作家との遭遇』に収められた作家論を書いていく過程で、机にその作家の著作を山のように積み上げ、片端から読んでいき、どのように論を組み立てていくか、何日も何日も考えつづけたあげく、結果的に締め切りを延ばしてもらわざるをえなくなるということが続いた日々を懐かしく思わないわけではない。

 可能なかぎり大きく網を広げ、それを打ち、力いっぱい引き絞り、できるだけ大きな獲物を引き上げようともがいていた日々。確かに、そうしなければ、引き上げ切れない獲物もなくはなかったのだ。

 この本の表紙に使わせてもらったのは、『銀河を渡る』のときと同じく、ふじつぐはるの「小さな職人たち」シリーズの中の一枚「印刷工」である。

 もし、こんないたいけな少年が印刷してくれているのだと知ったら、どんな遅筆の作家でも絶対に締め切りに間に合わせようとすることだろう。言うまでもなく、絵の中の少年がやっているようなプレス作業はもちろんのこと、村上春樹のエッセイに出てくるような印刷所の植字作業も、いまはすでに遠くなってしまっているのだが。

  二〇一八年十月

沢木耕太郎

著者プロフィール

沢木耕太郎

サワキ・コウタロウ

1947年、東京生れ。横浜国大卒業。『若き実力者たち』でルポライターとしてデビューし、1979年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1982年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、1985年『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞を受賞。1986年から刊行が始まった『深夜特急』三部作では、1993年、JTB紀行文学賞を受賞した。ノンフィクションの新たな可能性を追求し続け、1995年、檀一雄未亡人の一人称話法に徹した『檀』を発表、2000年には初の書き下ろし長編小説『血の味』を刊行。2006年『凍』で講談社ノンフィクション賞を、2014年『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を、2023年『天路の旅人』で読売文学賞を受賞。ノンフィクション分野の作品の集大成として「沢木耕太郎ノンフィクション」が刊行されている。

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