ふたりぐらし
1,595円(税込)
発売日:2018/07/31
- 書籍
夫婦になること。夫婦であること。ひとりでも楽しく生きていけるのに、なぜ、ふたりで? その答えが、ここに輝く。
夢を追いつづけている元映写技師の男。母親との確執を解消できないままの看護師。一緒にくらすと決めたあの日から、少しずつ幸せに近づいていく。そう信じながら、ふたりは夫婦になった。貧乏なんて、気にしない、と言えれば――。桜木史上〈最幸〉傑作。この幸福のかたちにふれたとき、涙を流すことすらあなたは忘れるだろう。
家族旅行
映画のひと
ごめん、好き
つくろい
男と女
ひみつ
休日前夜
理想のひと
幸福論
書誌情報
読み仮名 | フタリグラシ |
---|---|
装幀 | 赤津ミワコ/アートワーク、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 216ページ |
ISBN | 978-4-10-327724-8 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文学賞受賞作家 |
定価 | 1,595円 |
インタビュー/対談/エッセイ
毎日出会って、毎日別れて
『ラブレス』の文庫刊行時(2013年12月刊)、書店さんへ、ご挨拶に伺ったんです。山手線に乗って移動しているときでした。席がひとつあいて、当時「小説新潮」担当だった編集者に、どうぞおかけください、といってもらったんです。すみません、と座り、ちょうど目の高さに、彼女のお腹がきたんですね。結婚指輪も確かめ「これは妊娠している」と思いました。この人を座らせないといけない。慌ててふっくらしたお腹に手を近づけて「もしかして……」と、目で問うたんです。彼女は冷静にひとこと「これは、肉です」と言いました。一緒に電車に乗っていたふたりの男性編集者が、無言で目をそらしたのを覚えています。
電車を降り、地下道を歩きながら、彼女に「私、書くから。なにをおいても書くから」と、失言の詫びの言葉がそれしか思いつかなくて。しばらくして彼女から「裏切り」というテーマは如何でしょうか、と提案がありました。書ける! という気持ちになるまで少しかかりましたが、沈黙を含めて自分のためではない小さな嘘を重ねる関係もあるのではないかと思ったとき登場人物を「夫婦にしよう」と決めたんです。
彼女が異動することになり(いくつか部署を変わり、いまは『ふたりぐらし』の営業担当者)、新しく、若い男性編集者が担当者になりました。「夫婦」のお話楽しみです! と彼に(「小説新潮」に『ふたりぐらし』収録作を掲載している間に結婚し、いまはふたりぐらし満喫中)いわれ、三か月に一編、短編をあずけることになりました。
当時、三十枚の勉強がしたかったんです。新人賞をいただいた(2002年)あと、三十枚の短編を毎週、「オール讀物」の担当者に送っていました。『砂上』(2017年9月刊)に登場する編集者の台詞モデルのひとりになった方に「桜木さん、いま日本で、三十枚の短編を書ける作家がどのくらいいると思いますか」とたしなめられました。「その枚数で短編を書くのがどれだけ難しいことなのかをあなたは知らない」と言われてから、いつか三十枚できちんと成立する短編を書く、というのが目標になったんです。「こおろぎ」に始まって「幸福論」で終わる十編は、ひとつひとつ独立した短編として読めるようにと思いながら書きました。
ゲラを読み返し、この一冊、このふたりにはきちんと時間が流れている、と感じました。二年と少しかけて、ゆっくりと書き進めることができたのも、良かったのだと思います。一本につき三か月という時間をもらうことによって、毎回視点人物のふたり(元映写技師の信好と看護師の紗弓)とほどよく離れられたんですね。
本のタイトルは、ぼんやりテレビをみているときにふってきました。気がつけば、信好と紗弓以外にも、両親だったり実家の隣に住んでいる老夫婦だったりと、ふたりぐらしをしている登場人物や、一緒に暮らしたいと願っていたり、元ふたりぐらしというひとが出てくるお話になっていました。私自身も、子どもたちが独立し、実生活でもふたりぐらしが始まったことが影響しているのかもしれません。
価値観は人の数だけあるし、ひとりでもふたりでも、自分の折り合いのつく生活を選べばいいと思うんですよ本当は。結婚も離別もタイミングとご縁のたまものだし、いつどうなるかわからない約束ごとです。年齢を重ねてみて思ったのは、夫婦に限らず、人と人の関係って、薄い水色を塗り重ねてできる水彩画のようなものではないかということでした。出会ってパッと熱を持つ場合もあるけれど、心の弱い人間同士だから、一瞬の熱を持続するのは難しい。同じひとと何年も関係を続けるには、ちいさな更新によって心が毎日大きく変化しないことも大切なのかなと。そう思って担当者に、プロットを作る前に「水色を塗り重ねるような小説を書かせてくださいませんか」と伝えたんです。一編目の「こおろぎ」を読んでもらったら、「夫婦っていつから夫婦になるんでしょうね」という名言が飛び出して。あのひとことはいい栄養になりました。タイトルが「結婚」に片寄らなかったのは、このひとことのお陰かもしれません。夫婦は、ゆっくりと時間をかけて夫婦になって行けばいいんだな、と思えたんです。
約束の十本を書き終えた後、もういちど、夫婦について考えました。私自身も、『ふたりぐらし』の信好と紗弓のように、同じ人と毎日出会って、毎日別れながらやってきた気がしたんです。仲のいい日ばかりではないし、不愉快な日もあったと思うんですが、子供や小説という毎日姿を変えるものが側にあってくれて助かりました。夫とは、いま一緒にいても、何度も知り合って、何度も別れたひと、という気がするんです。塗り重ねてきた薄い水色がずいぶんと濃くなっている感じもあります。結婚して三十年目ですが、明日知り合う夫は私の知らない男かもしれないと思うようになりました。人間関係は時を経てもけっこうあやふやなんですね。紙一枚で人をひとり分かったような気持ちにはなれなかったです。おそらく信好と紗弓も、この一冊がおわったあとの時間、お互いの関係について考えつづけると思うんです。喧嘩したり悩んだりする理由に気づくまでに、何十年かかかる。気づいたときにはお互い白髪頭だったりあちこち痛かったりするんですが、それもまたふたりの到達点のような気がするんですよ。
今回『ふたりぐらし』で、理由のある喧嘩をしましょう、と書きました。ちいさな諍いは、毎回姿を変えて現れるけれど、根っこはひとつだから、楽しんで解いていきましょうよ、って。謎の多い関係ですよね、夫婦――。
(さくらぎ・しの 作家)
波 2018年8月号より
単行本刊行時掲載
イベント/書店情報
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著者プロフィール
桜木紫乃
サクラギ・シノ
1965年、北海道釧路市生まれ。2002年、「雪虫」でオール讀物新人賞を受賞し、2007年、同作を収録した単行本『氷平線』でデビューした。2013年、『ラブレス』で島清恋愛文学賞、『ホテルローヤル』で直木賞を、2020年、『家族じまい』で中央公論文芸賞を受賞。ほかの著書に『硝子の葦』『起終点駅(ターミナル)』『裸の華』『ふたりぐらし』など多数。『孤蝶の城』は『緋の河』の第二部にして完結篇である。