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異常に非ず

桜木紫乃/著

2,750円(税込)

発売日:2026/04/22

  • 書籍
  • 電子書籍あり

残忍な殺人犯を生んで育てたのは母性か女性か社会か。

昭和54年大阪、猟銃を持って銀行に侵入し、四人を殺害して立て籠もった花川清史は香川からヘリで駆け付けた母の説得を拒絶し、射殺された。事件解決後、新聞記者は犯人の生涯を掘り起こし、母は問い直し、愛人は振り返る。『ホテルローヤル』『家族じまい』などで親子、愛憎を描いてきた著者がその究極に迫る長篇小説。 

書誌情報

読み仮名 イジョウニアラズ
装幀 チカツタケオ/題字・装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 週刊新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 480ページ
ISBN 978-4-10-327727-9
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 2,750円
電子書籍 価格 2,750円
電子書籍 配信開始日 2026/04/22

書評

人々を縛る見えないゴースト

海原純子

『異常に非ず』は、昭和54年に大阪で起きた銀行立てこもり事件がモデルになっている。当時この事件を担当した記者は、警察が犯人説得のために緊急ヘリで母親を迎えに行ったところ、ヘリに乗り込む前に彼女が美容院に立ち寄り、二時間戻らなかったという事実に、拭いがたい違和感を覚えていた。「なぜなのか」と繰り返されるその言葉を聞いた桜木紫乃は、フィクションの器に移し替えることで掬い上げられるものがあるのではないかと考え本作を生み出した。
『異常に非ず』は二層で成り立っている。ジャズの音楽のように表層にはテンポ良く流れる潮流がある。読者はその流れで事件の推移を追う。しかし深層には強いエネルギーを持つねっとりと絡みつくような渦があり、それが時として上に向かい突き上げて表面の流れを蛇行させる。小説に描かれた事件を追う記者は、表層の流れを丹念にたどりながら、やがてその深層にうごめく渦──社会や文化に根差した無意識の心理的束縛、いわばゴーストに気づき、引き寄せられていく。記者のまなざしは、すなわち作者自身のまなざしでもある。
 犯人花川清史の育った時代は、戦後の高度成長期だ。しかし、貧しい家庭に生まれた彼の心には生まれた瞬間のスタートラインで不当な差がついているという怒りがある。一方母親のカヨは、貧しい家庭に生まれ、遊郭に飯炊き女として売られた過去を持つ。美しくなく丙午生まれで教育も満足に受けられず、同じように血縁がいないという夫と結婚して、四〇歳を過ぎて生んだのが清史である。女は若く美しくなければ存在価値がない、という心理的束縛が強い社会の中でカヨは自己肯定感を持つことができない。唯一の存在価値は「清史の母親」であるという事実である。
 清史はこのことに無意識のうちに気づき、カヨを自分の葛藤や不安のはけ口にしている。母親しか自分の存在を受け止めてくれる相手がいないことで焦燥感を抱えながらカヨと共依存の関係を作り出しているのだ。
 清史の恋人の亜紀は目を引くような美貌を持っているが、それしか持ち合わせていない自分を肯定できず自らの生を主体的に切り開くことができない。そんな亜紀は清史にとり便利な存在だ。美しい女を自分のものにすることは、男の虚栄心や見栄を満足させる。こうして清史と亜紀も共依存的な関係で繫がっている。清史、カヨ、亜紀の三人はお互いに依存しあう関係から抜け出せずフラストレーションが高まっていく。
 亜紀とカヨは、互いの内に自らの姿を映し出している。カヨが亜紀を娘のように感じるのは、鏡を見るように彼女の中に自分を見ているからだろう。
 金や地位、権力、強さが「男らしさ」の尺度、若さや美しさ、性的魅力が「女らしさ」の価値──そうした観念は、人々を縛る見えないゴーストのような心理である。清史が最後に選んだ行為は、善悪という世間の枠組みから逸脱することで、そのゴーストの鎖を断ち切ろうとする試みだったのではないか。清史が残した「オレは精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや」という言葉は、まさにその内奥から噴き上がる叫びだったのではないか。清史と同じ歳で毎報新聞の連載特集「異常に非ず」の取材をつづけている海原将志はそれに気づき愕然とする。自分もまた、同じゴーストに縛られているのではないか、と。その問いが胸に迫る。
 当時よりも経済格差が拡大し、人々を縛るゴーストの鎖も一段と強まっている今、本作品の投げかける問いは鋭く心に響く。自己肯定感を他者の賞賛や可視的な財産に委ねることの危うさ──本作はそれを象徴的に描き出している。だからこそ、最後に亜紀が自らの意思で一歩を踏み出す兆しを見せたことが、救いとして心に残り、それは作者が置き忘れられた人に向ける温かな眼差しのように感じた。

(うみはら・じゅんこ 心療内科医)

波 2026年5月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

「地獄」と『異常』 ひと晩で読破した話題作

瀧本智行

Netflixのドラマ「地獄に堕ちるわよ」の記念すべき配信初日の夜、メガホンを取った瀧本智行監督が読んでいたのは、桜木紫乃さんの長篇小説『異常に非ず』だったそうです。冷酷非情な大ヒット作を放った監督が「不覚にも泣いた」「大好きなシーンや唸る台詞があった」等々、話題作について熱く語ります。

一気読み、シビれました

「地獄に堕ちるわよ」の配信がスタートした4月27日、桜木さんの新刊が出ていると聞き、読まなくてはと書店に行ったら、文字だけのカバーがやたらと目立っていました。買って、その晩のうちに読破。一気読みでした。
 僕の師匠は高橋伴明で、三菱銀行立て籠もり事件を「TATTOO〈刺青〉あり」で映画化し、犯人の母を渡辺美佐子さん、元恋人を高橋(当時は「関根」)惠子さんが演じてます。ですから、どうしても同じ事件をモデルにした『異常に非ず』はふたりの女優のイメージで読み進めていました。でも途中から母のカヨは自分の死んだお祖母ちゃんに、元恋人の亜紀は何十年も前につきあって別れた女性の顔がチラつき、いつしかこのふたりになっていた。
 映画屋は小説を読むとき、絵を思い浮かべてしまうのですが、この長篇小説にはさらに自分の実人生とシンクロする瞬間があり、自分の知ってる人物と物語にも思えてきた。さすがに犯人の花川みたいに猟銃で四人も殺した男は、まわりにいませんが。花川によって人生をメチャクチャにされた母と元恋人がひとつ屋根の下で一夜をともにして泣くところは、救いを求めあおうとしているとか、かわいそうな者同士の連帯といった説明はできなくもない。しかし言葉にすると何か違っていそうで、言葉を超えて感情が揺さぶられ、ここで不覚にも僕も泣きました。
 小説の本筋からはずれるところかもしれませんが、大好きなシーンや「映画だな」と唸る台詞があった。そのひとつは、クラブのホステスの亜紀が1970年の大阪万博景気で羽振りのいい土建屋の社長から愛人にならないかと口説かれるシーン。このようなやりとりを桜木さんはどこで拾ってきたのか知りたくなるくらいリアルでした。社長はその後、仕事で穴をあけて自殺し、失意の亜紀に「しんどくないんか」と声をかけるのは店の黒服だった花川、そして亜紀は「あのひとことで、人生狂ってしもた」と花川との出会いや過去を毎報新聞の近藤に洩らしていく。人の出入りと流れも絶妙で、憎いほどにうまい。
 亜紀と近藤は週に一度、ミナミの喫茶店で会う茶飲み友達から、いい仲になりかけるものの、いい仲になれない。法善寺横丁の石畳で亜紀は近藤に別れのつもりの口づけをし、つづく彼女の啖呵は「鬼龍院花子の生涯」や「極妻」の脚本家、高田宏治さんが書いたみたいにパンチが利いてます。
「暗くて狭いとこにおると、そういう気分になるんよ、相手が誰でも。これがうちらのお商売や。騙されたらあかんよ(略)これ以上は金かかるで、っちゅうコマーシャルみたいなもんや。うちらがよう使う手やねん。悪いけどな、うちは毎報の安月給で囲えるもんやないで」(注 瀧本監督はノートに書き出したメモを見ながら、朗読しました)
 僕ならこのあと、亜紀はひとりタクシーに乗るとカーラジオから流行歌が流れていて、泣き崩れるというシーンを撮ります。ただ桜木さんの手にかかると、甘くなく、本当に底意地が悪い(笑)。タクシーのなかで亜紀が「これでええ──/これでええんや──」と頭の中で自分をなだめる声が花川の声に変わり、ドヤしつけられる。「お前のお陰でえらい目に遭うた。こん先どんだけかかっても、貸しは返してもらうで。わしは取り立てが仕事なんじゃ。死んでもお前から取り立てたる」。予想外の展開もいかにも桜木さんらしい。これぞ桜木節、シビれました。

怪物と何者か

「地獄に堕ちるわよ」と『異常に非ず』のストーリーや構成が似ているというご指摘は、自分にはわかりませんが、どのようなことに興味を持つかという点で近いかもしれません。ドラマでは細木数子という占い師の怪物が誕生するまでを丹念に追い、怪物になってからは僕はまったく興味がありませんでした。エンタメですから、それなりに入れたつもりですが、ネットでは「いちばん観たいところが描かれてない」と批判を受けています(苦笑)。ただ、その人の本質は何者かになるかまでにあり、怪物になってからは保身や美化によって変質し、それこそ別人格の怪物になっている。
 桜木さんも事件そのものはほとんど書いていませんよね。犯人が遺した「オレは精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや」という言葉に近藤は引っかかり、海原たちと彼の三十年の生涯を取材し、事件に到るまでを掘り起こしていく。
 花川は戦後のベビーブームで大勢の同級生に囲まれ、芋洗いみたいな環境で育ち、三十になるまでに何者かにならなくては、何かデカいことをしなくては埋もれてしまうと焦る。その気持ちは僕には痛いほどわかった。自分がまさに、そうでしたから。自分の場合、何者かになるは映画監督でしたが、二十代でフリーの助監督になったものの、全然、食っていけなくて、二十六で結婚した奥さんには二年後に出ていかれ、三十を過ぎても状況は変わらず、お酒を呑むと誰彼かまわず絡んでた。
 あの事件は僕が小六のときに起き、京都に住んでいたから関西キー局の中継をワクワクしながら見ていました。アウトローという存在が辛うじて市民権を持っていた時代で、犯人がアウトローに思え、ハットにサングラス、ジャケットを肩に引っ掛けた、あの有名な写真を見て、かっこいいとさえ思った。こころのどこかで「逃げろ」と祈っていたので、射殺で事件が終わり、虚脱感をおぼえた記憶があります。その後、銀行内で行員を裸にして人間の盾にしたとか、死んだかどうか確認するため、耳を削がせたといった凄惨な話を知って、さすがに思い直しましたが、強烈なインパクトのある事件でした。
「本人なりに、ひと花咲いたと思うたやろ」と近藤は花川の心境を想像します。銀行強盗するつもりが、銀行内に閉じ込められてしまい、籠城するうちに、ここが自分の死に場所であり、皮肉なことに大舞台に思えてくる。状況が勝手に舞台を用意し、最初から、そのつもりであったように追い込まれていく。近藤の見立て、もとい桜木さんの見方が腑に落ちました。

見栄と諦め

 記者の海原があの世の花川に問いかけるところもよかった。「大人になるのは、強烈に無様で格好悪いことだった。お前は格好悪さを認めて生きて行くことが、なぜできなかった。なぜ拒絶した」のかと。グッときて、胸を衝かれました。何者かになろうとし、何者かにならなくてもいい、そうやって人は大人になっていく……いま納得して、そう思えるのは大人になったからで、自分も認めることができず、拒んでいた年月が、たしかにありました。
 丙午という干支のカヨが、その年に生まれた女性は男を食い殺すという言い伝えを信じているところも考えさせられました。というのも、僕はカヨから六十年後の丙午で、産まれたとき、親は女の子でなくてホッとしたと話していた。
 この小説を桜木さんが書こうとしたきっかけは、母の心理を知りたかったからだそうですね。大阪府警が銀行に立て籠もる息子を母に説得させようと香川までヘリを飛ばして迎えに行ったところ、「郵便局で貯金を下ろしてくる」と言って二時間も待たせ、美容室で髪を整えていた。この行為は母の見栄か、そうではないのか。
『異常に非ず』を読んで、僕なりに思ったのは、やはり見栄、それと裏表をなす恥でしょうか。丙午の女性で器量がよくなかったとか、読み書きができなかったとか、見栄と恥の裏表が自分でも手におえないコンプレックスになっていく。うちのお祖母ちゃんにも、そんなところがあって、「わかる!」とわかったつもりになっていました。
 もっともカヨと亜紀には人生や世の中に対する諦念というか、諦めと見極めがあったと思うんです。他方、花川には、そういったものはなかった。差別と虐待を受けながら育っていれば、なにくそと思い、諦念なんて持ちようがなかったのかもしれません。圧倒的な存在感と説得力がそれぞれの登場人物たちにあって、とりわけ女性ふたりに惹かれた。だから泣けたのだと、改めてそう思います。

(たきもと・ともゆき 映画監督)

波 2026年7月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

桜木紫乃

サクラギ・シノ

1965(昭和40)年、北海道釧路市生まれ。2002(平成14)年「雪虫」でオール讀物新人賞、2013(平成25)年『ラブレス』で島清恋愛文学賞、同年『ホテルローヤル』で直木賞、2020(令和2)年『家族じまい』で中央公論文芸賞を受賞。他の著書に『氷平線』『砂上』『ふたりぐらし』『緋の河』『孤蝶の城』『ヒロイン』『谷から来た女』『人生劇場』など多数。

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