夜の側に立つ
1,870円(税込)
発売日:2018/08/22
- 書籍
親友は死に、僕が生き残った。夜の湖で。愛する女性の前で。どこかで、間違えたのか?
誰にだって秘密はある。後悔もある。欲望もある。嘘だってつく。この人がいなくなればと思うことだって、一度くらいはきっとある――。十代、二十代、三十代、そして四十歳になろうとする現在。四つの時間軸を縦横無尽に行き来して描かれる、残酷にして誠実な青春の残滓。大人は判ってくれないと思っていたあなたへ。この小説は胸にくる。
純然たる十八歳・八月
断章・車
雑然たる二十代・二十一歳
断章・湖
騒然たる三十代・三十一歳
断章・死
決然たる四十歳・現在
純然たる十八歳・九月
雑然たる二十代・二十五歳
騒然たる三十代・三十四歳
決然たる四十歳・現在
純然たる十八歳・十二月
雑然たる二十代・二十九歳
騒然たる三十代・三十八歳
決然たる四十歳・現在
純然たる十八歳・三月
雑然たる二十代・二十九歳
騒然たる三十代・三十九歳
決然たる四十歳・現在
書誌情報
読み仮名 | ヨルノガワニタツ |
---|---|
装幀 | agoera/装画、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 272ページ |
ISBN | 978-4-10-332543-7 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,870円 |
インタビュー/対談/エッセイ
〈痩身対談〉ひとつ、お願いがあるんですけど……
『夜の側に立つ』を矢部さんが読んだ理由。『大家さんと僕』を読んで小野寺さんが断言したこと。共通点に、衝撃に、究極のミニマムな生活。業界を代表する細身のお二人の対談をお届けします。
辛い時、だからこそ
矢部 『夜の側に立つ』、むちゃくちゃ面白かったです。
小野寺 こんな小汚いやつが来て、申し訳ないです。伺いたかったんですけど、どうして、ぼくの本を読んでくださったんですか?
矢部 信頼している編集者さんに「最近読んだ小説のなかで、一番おもしろかったです」と渡されたんです。大家さんが亡くなってすごく辛い頃だったんで、僕を励ます意味もあるのかな、と思って読み始めたんですね。そしたら冒頭で、いきなりボートが転覆して人がお亡くなりになって……。なんでこれを僕に薦めてくれたんだろう、って、不思議な気持ちになったんですね。でも、読み進めていったら、ぐいぐい引き込まれて、小説の世界に没頭できたんですよ。いろんなことを忘れられたというか。小説って、やっぱりいいものだなあ、すごいなあ、と思わせられました。
小野寺 『夜の側に立つ』が二十冊目の本なんですけど、辛い状況にある人に渡す本としては、二十位かもしれません。
矢部 今考えればですけど、あの時期に明るくて優しい、みたいな内容の小説、たぶん読めなかったと思うんですよ。だから逆に、僕は、落ち込んでいる時に読みたい本ランキング一位だと思います。
小野寺 矢部さんは、了治(主人公。『夜の側に立つ』は彼の四十歳、十八歳、二十代、三十代、四つの時間軸で物語が展開していく)と同い歳ぐらいでしたよね。
矢部 そうです、四十一歳です。章タイトルみたいに「決然たる四十歳」という感じでは全然ないですけど、やっぱり今の自分と重なるところはありましたね。主人公の自己評価の低いところとかは、まさにそうでした。
小野寺 ぼく自身もそうでしたから。すげえ恰好いいなあ友達になりたいなあ、という人が学校にいたとして、でも実際には友達になれないだろうし、もしなったとしても、人と人として合わないだろうなっていう感覚がずっとあったんですね。その感じを、この小説ではすごく書きたいと思いました。
天才です
矢部 部活は入ってたんですか。
小野寺 中学ではサッカー部でしたけど、高校では運動部でも文化部でもいいから部に所属しなさいという空気に負けず、入りませんでした。
矢部 僕も部活には、一回も入ったことないんです。学生時代には、小説を書いてはいらっしゃらなかったんですか。
小野寺 書いていなかったです。小学生のときから、いつかは物書きになろうとは思っていたんですけど、いま書き出してはだめだなって、ずっと考えてました。人として成熟するまではだめだ、みたいな。初めて書いたのは、大学を卒業して就職した会社を二年で辞めた、二十四歳のときです。辞めた次の日に、秋葉原にワープロを買いに行きました。たぶん矢部さんも、組織に属するのが好きじゃないですよね?
矢部 そうなんですよ。居場所がうまく見つけられなくて。大学生のときにがんばって、夏はテニス、冬はスキーみたいなサークルに入ったんですけど、新歓コンパで、絶対無理! と思って、音信不通になっちゃいましたね。
小野寺 ぼくもそうなんです。学生のときもそうでしたし、会社に入ってはみたものの、やっぱりだめでしたね。新入社員研修のために名古屋に行く新幹線の中で、就業規則の退職の欄を読んでましたから。
矢部 それは、早いですね~。
小野寺 会社を辞めて、これは無理にでも書かなきゃと思って、書いてはみたものの、天才じゃないから、全然だめで。最初の本が出るまでの十五年間は、本当に暗黒時代でした。『大家さんと僕』が初めて描かれたマンガなんですか?
矢部 そうです、初めてです。
小野寺 それは、天才です、本当に。たくさんマンガを読まれたり、お笑いのネタを作ったりしてきた経験はもちろん土台にあるんでしょうけど、普通はできないですよ。見たもの、体験したことを、きちんと自分の中で消化して、作品にするというのは。きっかけは、何だったんですか。
矢部 大家さんと京王プラザホテルでお茶してたら、偶然、マンガ原作者の倉科遼さんがそこにいらっしゃって。面識があったので、ご挨拶をしたんです。大家さんのことを僕のおばあちゃんと勘違いされて、いやちがいます、実は、と説明したら、それは面白いからドラマの原案にさせてほしい、とおっしゃって。それで後日、絵コンテっぽいものを何ページか描いて見ていただいたんですね。そのときに、これは自分でマンガにした方がいいよ~、ってアドバイスしてくださったんです。それが、きっかけですね。
下書きの衝撃
小野寺 一話が四ページから六ページくらいの分量ですよね。連載されていたときはどんなペースで描かれていたんですか。
矢部 月に一回、「小説新潮」での連載だったんですけど、最初の頃は、本描きに一日一ページくらいかかってました。その前に、コマ割を考えて、ネームを描いて、と手間はかかるんですけど、全然、負担には感じなかったです。僕、だら~っと進めてたんですね。仕事の合間の空いた時間に、ちょこっとずつやってたんで。だから、一話にこれだけ時間がかかりました、と、厳密にはいえないんですよ。小野寺さんは、どんな風に小説を書かれるんですか。
小野寺 ぼくは一回、全部、下書きするんですよ。手書きで。
矢部 えっ、どういうことですか? パソコンで書かれるんじゃないんですか。
小野寺 プロットも決まって、よし書きだせるという段階で、最初から最後まで、シャープペンシルでノートに書くんです。ぼくにしか読めない字で。
矢部 マンガも、連載一回分のネーム、下書きは描きますけど、それを小説一冊分、手書きで、書かれるんですね。相当、衝撃、受けました……。
小野寺 まずは、そうですね。
矢部 まずはっていうか、それを本にして出しちゃったらいいんじゃないですか!
小野寺 下書きをしたノートを見ながら、パソコンに本書きするんですよ。そのときに推敲できるんですよね。手間はすごくかかるんですけど。
矢部 手間がかかるという認識は、おありなんですね。
小野寺 いろいろ試した結果、このやり方がいちばんしっくりくるんですね。本書きしたあと、ノートは捨てます。
矢部 捨てちゃうんですか!
小野寺 ノートもそうだし、むかし書いた小説のデジタルデータも消しますね。とにかく、物を捨てたいんです。人に出したメールも、すぐ消しちゃいます。携帯にも、写真、一枚も入ってないです。
矢部 ここに行ったとき、楽しかったなあ、とか、この猫かわいかったなあ、とか、思い出の写真もないんですか。
小野寺 全然、ないですね。なんにも持ちたくないんです。押入があったとしても、空っぽにしておきたいですね。
矢部 押入には物、入れたいですよ、僕は……。
欲にまみれて、生きてきました
小野寺 部屋にテレビもないので、矢部さんは、ぼくと同じ坊主のイメージだったんですよ。恥ずかしながら、対談のお話をいただくまで、矢部さんがマンガを描かれていることも知らなくて。ネットで調べてみたら、髪の毛はふさふさだし、『大家さんと僕』もものすごくたくさんの人に読まれてて。今朝も読んできたんですけど、本当に面白かったです。コマとコマの間に空白があるのは、とってもいいですよね。マンガの地の文を抜き出して、セリフの部分を「 」で閉じて全部つなげれば、小説にもなりますよね。
矢部 ありがとうございます。確かに、最初は全部、文章で書くんです。それから絵を描いて、マンガにしていくんです。ちょっと、すいません、テレビ、お持ちじゃないんですか?
小野寺 いまは『大家さんと僕』に出てくるようなワンルームのアパートに住んでて、部屋にあるのは、パソコン、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、あとプリンター、主だったものはそれくらいですね。
矢部 テーブルはないんですか?
小野寺 パソコンで作業をする用のテーブルはあります。その前で、めし食ってますね。ちくわを食パンにはさんで。
矢部 それ、『夜の側に立つ』を薦めてくれた編集者さんにきいたことがあります。なんか、牢屋みたいな部屋ですね。
小野寺 ほんと、そうですよ。監獄だと思います。
矢部 監獄! 僕が「電波少年」で監禁されていた部屋、そんな感じでしたよ。
小野寺 恥ずかしい話、部屋に本も置いてないんです。フローリングの上に布団を敷いて寝てますからね。
矢部 いやそれ、江戸時代ですよ。
小野寺 それでいて寒がりだから、冬は大変です。
矢部 ちくわに食パンは、毎日なんですか?
小野寺 食べるものは決まってますね。朝、四時くらいに起きてバターロール二個とお茶一杯。昼は、一斤六十三円の食パン半斤に、ちくわを一本ずつはさんで食べてます。
矢部 醤油とかマヨネーズとかつけるんですか?
小野寺 なにもつけないですね。部屋に調味料がないので。
矢部 部屋にない! ちくわってそんなに味ないですよね?
小野寺 『ひりつく夜の音』という小説にも書きましたけど、食パンにちくわをはさむだけで、もう充分ですよ。
矢部 バラエティの企画でやるやつですよ、「ちくわ生活」。
小野寺 夜は、レンジで温めて食べるパック入りのご飯と、三パック四十一円の納豆をひとつ、で、豆腐を一丁とキャベツの千切り。これが、毎日ですね。
矢部 えっ、毎日同じものを?
小野寺 肉とか魚とか、全然食べてないですよ。たぶん、刑務所の食事よりも粗食だと思います。
矢部 ミニマムな暮らしにあこがれる方、最近多いじゃないですか。いい意味で、求道者的というか、まったく憧れられないタイプのミニマムな生活ですね。自分のことを、欲がないほうだと思ってたんですけど、小野寺さんのお話を伺ったら、僕なんて欲にまみれた、俗世の男だったんだなと思いました……。「アウト×デラックス」出た方がいいですよ。
小野寺 なんですか、それ?
矢部 テレビないんでしたね……。小野寺さんが持ってこられた『大家さんと僕』、帯がついてないですね。
小野寺 すいません、帯は読むときに邪魔なので。
矢部 カバーがついてるだけ、よかったです。ひとつお願いがあるんですけど。『大家さんと僕』、気に入っていただけたということで、お部屋に置いていただけないでしょうか。
小野寺 気に入る、という偉そうな言い方はできませんが、本当に面白かったですよ。
矢部 置く、とおっしゃっていただけない……。小野寺さん、絶対、捨てちゃうでしょ!(笑)
(おのでら・ふみのり 小説家)
(やべ・たろう お笑い芸人/マンガ家)
波 2018年11月号より
単行本刊行時掲載
夜のすべて
夜のはじまり
『ひりつく夜の音』(2015年9月刊)が出てすぐくらいの打ち合わせで、次は凝った構成のものでいきましょう、ということになったんです。打ち合わせを何度か重ねて、プロットを出して、そのときには物語の根幹は完成していたように思います。
主人公(野本了治)の、十代、二十代、三十代、そして四十歳になっている現在、四つの時代の一人称で書き進める。過去に三つの悲劇があって、物語が進むと、悲劇がなぜおこったのか、それによって人生がどんな風にかわったのかが浮かび上がってくる。ただ、冒頭においたエピソードは、プロット段階では見えていませんでした。打ち合わせを繰り返しているうちに、ああ、前からいつか使ってみたいと思っていた、ボート転覆のシーンをここに入れられる、と。実際に、河口湖で友人のボートが転覆したことがあって、ずっと記憶に残っていたんですね。肝になる場面を思いついたときに、ああ、これはやったな、いいものができるなと思いました。全体像ができて、2016年の10月に書き始め、12月8日に第一稿、四百三十六枚のデータを編集者に送りました。
夜の書き方
むかしから同じやり方なんですよ。まずは、B5のノート(三十枚/六十頁/五冊で二百五十円くらい)にシャープペンで(以前はボールペンで書いていたが、二本に一本はノートの紙粉を吸い込むためか途中でインクが出なくなる現象におそわれ、断念)手書きで下書きをします。文法や接続詞のことはあまり考えず、消しゴムも使わず、書き進めます。紙一枚(二頁)で、四百字詰め原稿用紙六枚くらいの分量になるんです。一日でノート四枚、原稿用紙でいうと二十四枚書きます。最後まで、下書きの状態で書き上げるんです。
下書きが終わったら、パソコンで本書き(清書)するんです。本書きのときは、一日ノート三枚分。推敲しながら、清書をします。これも前から変わっていないんですけど、たまに、この文字、読めない……、という困難にもぶつかりますが、そこはがんばって乗り越える。打ち込んだあとにも、推敲します。それで、一日のしめくくりに、清書した分のノートを手でびりびりと破って(過去にはシュレッダーを使っていたこともあったが、すぐに機械が熱くなって、しばらくお待ちください状態になるため、断念)ゴミ箱に棄てる。全部清書し終えたら、パソコンのディスプレイ上でまた推敲して、納得がいったら印刷します。そこでまた推敲をして、データを修正し、その段階で編集者に提出します。修正の提案をいただいたら、考えて、データを修正し、打ち出してまた推敲します。推敲が好き、というわけではないんですけど、重視はしていますね。整えたい、という気持ちが強くて、自分の納得のいく推敲ができていないと落ち着かないんです。
登場人物の名前は、さいしょから全部決めます。アイデアを編集者に出すときに、もしかしたら小説には出てこないかもしれない人物の名前まで決めています。なるべく、印象の似ている名前は使わないようにしようとか、名前の持つイメージの強すぎるもの、たとえば有名人や知人の名前は使わないようにしようといった命名のルールも作っています。これまで小説で使った名前は、全部メモもしています。正直、もう名前のストックがなくて、本当に困っています(笑)。
おもしろいもので、名前、年齢そして職業を決めると、そこからストーリーが広がったりもするんです。物語の筋はまったく決まっていないのに、二十人くらいの名前を決めて、さてどうしようと考え始めると、プロットがみえてくることもあります。
夜のおわり
本筋のストーリーとは別に、書きたいことがいくつもありました。たとえば、青春時代と大人になったときの社会的なポジションの変化。高校生のときには誰からも尊敬されるような、学校でトップクラスにいた人が、偶然なのか必然なのかはわかりませんが、社会人になってクラスメートに追い越されてしまっている。その切なさについて。もうひとつ、高校時代、憧れのこの人と仲良くなりたいけど、でも仲良くはなれないだろうな、人としての相性としては無理だろうな、とあきらめてしまう劣等感。人間と人間の、考える必要はないかもしれないけれど確かにある微妙な関係性について、感じてもらえたら、これほどうれしいことはありません。
いちばん書きたかったことは何だ! と質問されたら、『夜の側に立つ』は、なが~い青春、のおわり、ではなくて、なが~い、青春のおわり、を描いた小説です、と答えるのが正解だと思います。主人公の二十二年をかけての「青春のおわり」、を描いたものなんですね。十八歳の4月にバンドやろうぜ、と声をかけられ青春がはじまり、それが8月の夏休みにおこった悲劇によっておわりがはじまり、四十歳になってやっと、おわりがおわる。何年かけて、おわらせてんだよって話ですけど(笑)。
(おのでら・ふみのり 作家)
波 2018年9月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
小野寺史宜
オノデラ・フミノリ
1968(昭和43)年、千葉県生れ。2006(平成18)年「裏へ走り蹴り込め」でオール讀物新人賞を受賞。2008年、『ROCKER』でポプラ社小説大賞優秀賞を受賞。他の著書に「みつばの郵便屋さん」シリーズ、『リカバリー』『ひりつく夜の音』『ひと』『夜の側に立つ』『縁』『今日も町の隅で』『食っちゃ寝て書いて』『今夜』『天使と悪魔のシネマ』などがある。