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着いたぞ。これから起こることはすべて偶然だ。
無数の命に祝福された世界探しの大冒険!

家の中で迷子

坂口恭平/著

1,512円(税込)

本の仕様

発売日:2018/06/29

読み仮名 イエノナカデマイゴ
装幀 奥山由之/写真、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 140ページ
ISBN 978-4-10-335952-4
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,512円

家の中で迷子になっていた――。見慣れた部屋が森に変貌し、水で溢れる。迷子の相棒は歌、偶然、そしてネズミ。海辺の老人に導かれ、言葉を話さない少女アゲハ、コンパス売りのハジと出会い、自身のなかに湧きあがる尽きせぬ記憶の果てに見た、この世界の姿とは。地上に宿るすべての生が時空を超えて響きあう深遠なる物語。

著者プロフィール

坂口恭平 サカグチ・キョウヘイ

1978年熊本県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。卒論をもとに日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』を2004年に刊行。その後、『TOKYO 0円ハウス 0円生活』『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』を発表し、「都市の幸」をもとに金を使わず生きる術を示す。東日本大震災後の2011年5月、故郷熊本で独立国家の樹立を宣言し、新政府総理大臣に就任。その経緯と思想を綴った『独立国家のつくりかた』が話題となった。その他に、『幻年時代』『徘徊タクシー』『現実宿り』など著書多数。文筆のほか、音楽、美術の分野でも多彩な活動を行う。

書評

迷子になるのは、いつも家の中

佐々木敦

 迷子になるのは、いつだって家の中だ。
 だって、そうではないか。踏み迷うのは、自分がどこにいるのかわからなくなるのは、常に家の中であり、机の前だ。
 なぜならそれが、書くということ、思考するということだからだ。迷いながら考える、書くということではない。考えること、書くこと、それ自体が、文字通りの意味で、迷子になることなのだ。自分の位置が、座標が、とつぜんに失われること。そして、どこまでもいつまでも、失い続けること。
 坂口恭平のさまざまな書きものを、私は一定の関心を持って読んできてはいた。だが本気で吃驚したのは『現実宿り』が最初だった。あの小説の「わたしたち」は、あれ以前の小説の、どの「わたし/たち」にも似ていない。と同時に、あの「わたしたち」たちは、明らかにわたしたちがよく知っている存在、というかわたしたちそのもののことだった。続く『けものになること』には更に興奮させられた。何しろ書き出しが「おれはドゥルーズだ。どう考えてもそうだ」なのだ。もちろんそこには、ドゥルーズという特権的な固有名詞を介して「私、アントナン・アルトー、私は私の子、私の父、私の母、そして私だ」という声が遠く谺している。だが真に重要なのは「アントナン・アルトー」でも「私」でも「子」でも「父」でも「母」でも「ドゥルーズ」でもない。「になること」の方だ。になること自体を、純粋に取り出してみせること。それははっきり言って超難しいことであり、そもそも不可能ぽいのだが、それでもいけるところまではいこうとする試みが嘗て幾らか存在しており、その細く逞しい系譜に坂口恭平も位置している。それは頼もしい態度ではあるが、険しい道であることも疑い得ない。それは、そっちに向かったら絶対やばい、としか言い様のない道なのだ。それは、方向を選ぶというよりも、ふと気づいたらそっちに進んでいた、というようなものである。つまり、迷子になるということだ。
 だから私は「新潮」にこの小説が載った時、貪るようにして読んだ。文字通り文字を頬張るようにして、一息で読んだ。これは明らかに前二作を踏まえた作品だ。もちろん物語が繋がっているわけではない、というか物語などない。ただモノと語りがある。『現実宿り』は「わたしたち」だった。『けものになること』は「おれ」と「わたし」の共同作業だった。そして『家の中で迷子』には、たった一箇所だけ「僕」が出てくる以外、一人称の主語はない。つまり「僕」は小説の中で迷子になっているのだ。
「(僕)」(以下「 」)は、小説が始まるなり「家の中で迷子」になっているのだが、最初それは或る種の心の病いに似ている。そう思って納得しようとすれば出来るような描写がある。だが程なく「ふと、四歳の頃、福岡の天神で迷子になったことを思い出した」と「 」は書きつける。そこから旅が始まる。迷子の旅。それは冒険と言い換えてもよい。相変わらず家の中である筈なのだが、ひとたび迷子になればそこはどこにだってなる。「になること」。あっという間に「 」は異人たちの棲む異郷にいる。異郷なのに郷愁が溢れている。鮮烈なイメージ。それは視覚だけではない。耳も口も鼻も手も足も肌も何もかもが総動員されて、不在のノスタルジーを醸し出す。ノスタルジーであるからには、それは記憶と時間に関係している。体験しているのではなく、思い出しているだけなのかもしれない。いや、逆だ。思い出している筈なのに、いまここで体験しているのだ。ここでいま起こっているのだ。そんなことがどうして可能なのだろうか。可能ではない。そんなことは不可能だ。にもかかわらず、それは起こっている。不可能なまま、可能になっている。そういうことの全部が、迷子になることから始まっている。迷子になるとは未知の只中に放り出されることであり、それは既知であったものたちもあっけなく未知に変容してしまうことを意味する。未知と既知は区別がつかなくなる。全部が懐かしく、新鮮だ。何がなんだかわからない。しかしそれは全然おそろしくはない。むしろ嬉しい。そして、この歓喜は少しさみしくもある。このさみしさは少し甘くもある。文字を言葉を文章を追いながら読者もどんどん迷子になる。「になること」。そこにはやはりよろこびとさみしさと甘さが生じる。そう、読むこと、思考すること、それ自体が、文字通りの意味で、迷子になることなのだ。この小説は、そのことを思い出させてくれる。
 美しい小説だ。「 」と一緒に何度でも迷子になろう。それでも気づけば、やはり家の中だ。机の前だ。目の前にパソコンのディスプレイがある。わたしは、おれは、僕は、これを書いている。もうすぐ書き終える。でもまだ迷子のままだ。

(ささき・あつし 批評家)
波 2018年7月号より
単行本刊行時掲載

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