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あの夏の正解

早見和真/著

1,540円(税込)

発売日:2021/03/17

書誌情報

読み仮名 アノナツノセイカイ
装幀 (C)NORIYOSHI KONNO/カバー写真 表、orion/カバー写真 表、amanaimages/カバー写真 表、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 223ページ
ISBN 978-4-10-336153-4
C-CODE 0095
ジャンル 文学・評論
定価 1,540円
電子書籍 価格 1,540円
電子書籍 配信開始日 2021/03/17

コロナ禍で甲子園が中止になった夏。夢を奪われた選手と指導者はどう行動したのか。

「このまま終わっちゃうの?」。二〇二〇年、愛媛の済美と石川の星稜、強豪二校に密着した元高校球児の作家は、彼らに向き合い、“甲子園のない夏”の意味を問い続けた。退部の意思を打ち明けた三年生、迷いを正直に吐露する監督……。パンデミックに翻弄され、挑戦することさえ許されなかったすべての人に送るノンフィクション。

目次
プロローグ 二〇二〇年の夏がどんな夏だったのか、教えてほしい
第一章 高校野球って甲子園がすべてなのかな?
第二章 君たちを支えるものは何?
第三章 なぜ辞めずに最後まで続けるの?
第四章 本気で野球をやる先に何がある?
第五章 このまま終わっちゃうの?
第六章 「もの悲しさ」の正体は何?
第七章 最後に泣けた? 笑えた?
エピローグ 「あの夏」がどういったものだったのかを教えてください

書評

球児との対話の先に

宮下奈都

 夏の甲子園大会、中止。――知らせを受けて、著者は車を走らせた。当事者である高校球児たちに話を聞くためだ。「目に見える形で大切にしてきたものを失った彼らが、この夏、何を感じ、どう振る舞うのか。何を失い、何を得るのか」「僕は素直に彼らに教えを請いたかった」。それが、この本が書かれた強い動機だ。
 甲子園だけが特別なわけではない。コロナ禍のせいで人生を変えられた高校生は、日本に、世界中に、たくさんいる。感染してしまった若者も少なくない。野球以外もほぼすべての大会が中止になった。インターハイも、文化系の発表会も開かれず、夏は燻ったままだ。
 それでも、「あの夏」とは、「甲子園大会が中止になった夏」を指す。直近の山本周五郎賞受賞者である著者は、昔、甲子園を目指す高校球児だった。この本に登場する多くの人たちと同じく、甲子園の魔力に搦めとられた人だったのだ。当時、高橋由伸を擁した桐蔭学園の野球部員であり、彼をきっかけに魔法が捻れてしまった体験を持つという。いてもたってもいられなかったのだろう。甲子園を失うということが、どれほど大きなことか、知っているからだ。
 強豪校である済美高校(愛媛県)と星稜高校(石川県)を訪れ、インタビューを繰り返す。取材というより対話に近いかもしれない。渦中の球児たちの最もつらかったであろう時期に、話を聞かせてほしいと頼み、「彼らの口にする言葉に、この夏を通して導き出すであろう答えに強く期待している」と書く、怖ろしいほどの正直さには驚く。無茶とも呼べるそれができるのは、著者にかかった甲子園の魔法がいまだに解けていなかった証拠だ。
 その熱量に圧倒される。著者自身も、迷い、考え、愛媛県と石川県を車で何往復もする。考えてほしい、と彼らを促すけれど、著者を含めた大人たちにも正解はわからない。そもそも正解があるのかどうかさえわからない。少なくとも誰もが認める正解などないことは、序盤の混沌からすでに浮かび上がってきていた。ただ、正解があるにしろないにしろ、それを求めて考え続けることに意味があるのだろう。ひたすら歩いてきた道が突然閉ざされて立ち止まる。悩み、泣き、彼らは野球について、自分自身の人生について考えていく。
 人生そのものであったはずの甲子園が中止になって傷ついているであろう選手が、思いがけない言葉を口にする。中止を理不尽だと感じ、仲間たちと何度も話し合い、その上で気づいた自分のほんとうの気持ち。それを引き出せただけでも、このインタビューには意義があったと思う。その一方で、その意見とは反対の言葉をいう選手もいる。「いまの自分にしかできないことがきっとある」と語る選手もいる。どの選手の言葉にも重さがある。
 夢中になって読んだのは、ひとりひとりにドラマがあったからだ。これがノンフィクションの持つ力か、と思う。執念の取材をした著者の力の賜物だろう。野球をやるという、たったひとつの目的のために集まった彼らには、揺れ動く感情がある。生い立ちも、家族の環境も、部内での立ち位置もさまざまな彼らの共通点は、今、同じ場所から甲子園を目指しているということだけだ。考えや行動に違いがあって当然だ。それがリアルに伝わってくる。まるでよくできた小説のようだ、と感じる場面が何度もあった。でも彼らは実在する高校生たちだ。日中は登校して授業を受け、放課後になると野球部のユニフォームを着てグラウンドに集まる現役の高校生なのだ。小説と決定的に異なるのは、彼らが現在を生きている点だ。結末はまだ見えない。
 だからこそ、正解などないのではないか、という思いが大きくなる。正解は、たぶん、つくるしかない。これから、彼ら自身がつくっていくしかないのだ。答え合わせをする権利は誰にもない。彼ら自身にさえない。なぜなら、それが人生だからだ。彼らの生きていくそれぞれの人生そのものが正解になっていくと信じたい。
 高校球児たちは、きっとそのことに気づいている。たしかに特別な夏を経験した。だけど、自分たちだけが特別に不運なわけではない。ここからまた歩きはじめるしかない。だから、それぞれのやり方で顔を上げている。ちゃんと前を向いている。
 彼らのために右往左往する大人たちの連帯にも希望を感じる。でも、それ以上に、どんどん成長していく高校球児たちの中に大きな希望があると思った。彼らは甲子園のない、かけがえのない夏を生きたのだ。彼らを全力で追いかけた著者も、ほんとうのところ彼らの強さには敵わないとどこかで思っていたに違いない。

(みやした・なつ 作家)
波 2021年4月号より
単行本刊行時掲載

最後の夏をなくし、〈新しい言葉〉を求めて。

重松清

 本書には、三つの顔がある。
 まずなにより、新型コロナ禍に翻弄された2020年夏の高校野球を描いた、スポーツ・ノンフィクションとしての魅力。これはもう、早口に梗概を語るだけでわかっていただけるに違いない。
 周知のとおり2020年は、すでに出場校が決まっていた春の選抜大会が中止になり、夏の選手権大会は地区予選すらおこなわれずに終わった。
 早見和真さんは、愛媛県の済美高校と石川県の星稜高校を繰り返し訪ね、甲子園という大きな目的地を失った部員や監督への取材を重ねる。とりわけ最後の夏を理不尽に奪われてしまった三年生部員は、現実をどう受け止め、それぞれの高校野球をどう締めくくったのか――。
 済美高校も星稜高校も、高校野球ファンにはおなじみの強豪校である。この両校を取材先に選んだことで、本書にはまた新たな魅力が加わった。
 甲子園への距離感は、学校によってまったく違う。強豪校の部員にとって、甲子園は決して遠い夢や憧れではない。現実的な目標である。手を伸ばしたほんのわずか先に、確かに見えている。だからこそ、彼らはこの学校に来た。猛練習に耐え、厳しいレギュラー争いを続けた。
 そんな甲子園が忽然と消えてしまったとき、彼らは自問せざるを得なくなる。野球部に残るかどうか、甲子園を目指さない野球とはどんな野球なのか、自分にとっての済美の/星稜の野球部とは、高校野球とは、がんばることとは……。さらにその問いが、プロ志望の主力選手から、チームをまとめるキャプテン、ベンチ入りのメンバーを支える部員まで、さまざまに分光していくのである。自問、そして自答。あの夏の正解――それは、部員の数だけある。
 早見さん自身もかつて高校球児だった。小説デビュー作『ひゃくはち』の主人公・雅人クン同様、強豪校の補欠部員だったのである。部員たちの自問は、早見さんの内側にも響きわたる。すると、ひと夏の取材をへて、早見さんの「あの頃」への微妙で複雑な思いも変わってきた。となると、小説家・早見和真の新作への期待もグッと高まるのだが……それはまた別のお話。
 もっとも、早見さんは取材にあたって、「あの頃」に依拠する部分を極力減らして、「いま」の高校球児たちに向き合った。それは、なぜか。
 本書の冒頭には、夏の選手権大会中止の決定後に朝日新聞に寄稿した文章が置かれている。その締めくくりは、〈どの大人も経験したことのない三年生の夏を過ごすすべての高校生〉へのメッセージになっていた。
〈強豪も、弱小も関係なく、もちろん野球部だけの話でもない。この年に高校三年生だったことの意味を考えて、考えて、考えて、考えて……。/そうして考え抜いた末に導き出す、僕たちには想像もできない新しい言葉をいつか聞かせてほしいと願っています〉
 早見さんは、「目指せ、甲子園」という合言葉を失った高校球児から〈新しい言葉〉を引き出そうとした。だからこそ、つい「あの頃」を重ね合わせたくなるのを自制したのではないか。「わかるよ」という相槌は、彼らを安心させる一方で、言葉を〈考え抜いた末に導き出す〉機会を奪ってしまうことにもなってしまうのだから。
 そう考えると、本書の三つめの魅力――〈新しい言葉〉をめぐる対話の記録という顔が浮かび上がってくる。
 戦争や天災、疫病など、さまざまな厄災は世の中を「以前/以後」に分けてしまう。このたびの新型コロナ禍も、むろん、その例外ではない。
 時代が変わると、言葉も更新される。2020年の高校野球は、〈新しい言葉〉が否応なしに求められる時代の先取りにもなっていたのだ。
 合言葉を失ったのは、部員だけではない。彼らの最もそばにいる大人、すなわち野球部の監督もまた〈新しい言葉〉で部員に語りかけなければならなくなった。
 本書には済美高校の中矢監督と星稜高校の林監督の姿も描かれている。二人の監督は、部員の無念や葛藤をどう受け止め、三年生の最後の夏にどんな道筋を示したのか。
 苦闘である。試行錯誤の連続でもある。時に自縄自縛に陥り、時に部員たちを混乱させてしまいながらも、手探りで進むしかない。
 一方、早見さんも部員や監督に対して、決してユルい問いは放たない。質問の場面の端々に、こんな前置きがある。〈覚悟を決めて〉〈失礼を承知で〉〈あえて意地悪な質問を〉〈そんな気持ちを思い切ってぶつけてみると〉……そこには、早見さん自身の苦闘の跡も刻まれているのだ。
 だからこそ、本作は高校野球を描きながら、「いま」の普遍へと開かれている。〈新しい言葉〉を求められているのは高校球児や監督だけではないはずなのだ。
 済美高校の中矢監督は、夏の選手権大会中止を断腸の思いで部員たちに伝えたあと、こう言った。
〈早見さんならどんな言葉をかけましたか?〉
 その〈早見さん〉は、あなた――僕たち一人ひとりでもあるのだろう。

(しげまつ・きよし 作家)
波 2021年4月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

早見和真

ハヤミ・カズマサ

1977年神奈川県生まれ。2008年、強豪校野球部の補欠部員を主人公にした青春小説『ひゃくはち』で作家デビュー。2015年『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞。2020年『店長がバカすぎて』で本屋大賞ノミネート、『ザ・ロイヤルファミリー』でJRA賞馬事文化賞と山本周五郎賞を受賞。『ひゃくはち』『イノセント・デイズ』以外にも、『ぼくたちの家族』『小説王』『ポンチョに夜明けの風はらませて』が映像化されている。他の著書に『かなしきデブ猫ちゃん』(絵本作家かのうかりん氏との共著)などがある。

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