
出版禁止 女優 真里亜
1,980円(税込)
発売日:2025/04/16
- 書籍
- 電子書籍あり
撮影中止か、さもなくば死を! 呪われた映画に挑んだ新進女優に密着する。
主演すべてが不可解な死を遂げてきた、呪われたシナリオ。三度復活した企画に、新進女優が果敢に挑む。モチーフは実際にあった連続殺人事件。昼間は目立たないOLが、夜は街角に立って客を取り、時に絞殺する。主役の殺人鬼の役作りに悩むうち、いつしか女優は心の平穏を失っていく。惨劇はまたしても繰り返されるのか?
ルポルタージュ1 「夢の途中――筧真里亜という女優を追って――」
ルポルタージュ2 「証言」
ルポルタージュ3 「消えた女優」
書誌情報
読み仮名 | シュッパンキンシジョユウマリア |
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装幀 | 新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 272ページ |
ISBN | 978-4-10-336175-6 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,980円 |
電子書籍 価格 | 1,980円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/04/16 |
書評
脳汁が出る快感をあなたに
小説にしろ、映像にしろ、長江作品には必ず何かしらの仕掛けがあるから、毎回、「今度こそ絶対に見抜いてやる!」と、意気込んで読み始める。
この最新モキュメンタリー『出版禁止 女優 真里亜』も、もちろんそうだった。
ヒントらしき情報は、あちこちに散らばっている。それに気付くことは出来る。一つ一つチェックしながら、「きっとこういうことに違いない。今度こそ見抜いた! 今回は簡単だったな!」とほくそ笑みながら読んでいったのに、予想は大外れ。真相は全く違っていて、結局、今回も完敗だった。
最後まで読んで、「そういうことだったのか!」と思わず声が出てしまったくらいだ。
初めて長江作品に触れたのは、伝説のモキュメンタリー番組「放送禁止」の初回放送だった。学生時代、新聞でテレビのチャンネル欄を見るのが大好きだった僕は、深夜に「放送禁止」とだけ書いてある不思議な番組を見つけた。
「なんだ、このタイトルは? 『放送禁止』なのに、なんで放送するんだ?」と興味を持った。
夜中にこっそり祖母の部屋に行って、寝ている祖母の隣で音を小さく絞って見たときのことは、部屋の感じも含めて、今でもはっきり覚えている。見終わっても訳が分からず、最後にネタバレはあるのだけれど、何を信じていいのか判断できなくて、本当にあった話を夜中にこっそり流したんじゃないかとか、とにかく色んな解釈を考えた。それまで、テレビ番組を見てあんなに考えたことはなかった。本当に衝撃的な体験だった。
この「放送禁止」シリーズを初めとして、映像作家としてのキャリアも長く、沢山の作品を手がけてきた長江さんが、自分のメインフィールドである映像業界を舞台に、関係者が謎の死を遂げる「呪われたシナリオ」や、「行方不明になった女優」を題材に書いたのが、最新作『出版禁止 女優 真里亜』だ。満を持して、という言葉がこれだけふさわしい作品もないだろう。それだけに、仕掛けの驚きだけでなく、描かれている世界のリアルさも格別だ。
僕は、テレビの裏方の仕事をしたり、ドラマの脚本補佐などをやった経験があるから、その異様な臨場感が身にしみて良く分かるし、そこに舌を巻いてしまう。
出て来る人たちも、単なるキャラクターではなく、ちゃんと生きている人間としての生々しさが感じられる。それこそ、バレないようにちょっと書き換えているだけで、実はこれは本当にあった話なんじゃないか、と思えてくるほどだ。
だから、長江さんに騙されているというよりは、出て来るキャラクターに騙されているような、なんとも不思議な感覚になる。
以前、長江さんと映像の仕事でご一緒したとき感じたのは、完璧主義、ということだった。
神は細部に宿るというけれど、とにかく細かいところへのこだわりが凄い。普通だったら、「別にいいや」と流してしまうようなところにも、徹底的にこだわる。
ある映像作品では、椅子に女の人が座っているというだけのシーンなのに、どういう部屋なのか、どんな姿勢で座っているのか、表情は? 視線はどこを向いているのか等々、撮影前の打ち合わせの段階で、イメージが完璧に作り込んであった。頭の中にある絵をスタッフと共有して、理想に近づけていくのだろう。
この、「ほとんどの人はスルーするだろうけれど、誰か気付くかもしれない(から、そこもちゃんと作っておく)」というこだわりが、長江作品のリアリティを支えているんだな、と感じた。
映像作家としてのこうした資質は、小説にも遺憾なく発揮されていて、だからあんなに迫力のある、リアルな怖さが書けるのだろう。
そういった細かなヒントが作用して、最終的に「そういうことだったのか!」と全体像が見える快感は、決して他では味わえないものだ。
まさに、「脳汁が出まくる」瞬間である。
ミステリーの解決編を読んで犯人を知る感覚とはまったく違う。そもそも、「犯人」なんて存在しないことだってあるし、勝手な思い込みで読んでいる自分自身が、勘違いの犯人であったりするのだ。
「自分で発見する」という「気づき」の喜び。これこそが、禁止シリーズの醍醐味である。
既にその醍醐味を知っている人も、未経験の人も、ここに新たな脳汁の素がある。
一刻も早く手に取って、共に脳汁が出る快感を味わおうではありませんか!
(はやせやすひろ 怪異蒐集家)
波 2025年5月号より
単行本刊行時掲載
不穏な虚構を演じる読者
タイトルどおり、本書は「ある事情」で出版禁止と判断された内容が記された物語だ。読者はその「ある事情」を三つのルポルタージュをとおして目の当たりにすることになる。
ルポルタージュの内容はいずれも、無名の役者である一人の女性を追った内容だ。その女性――真里亜は素朴ながらも、どこか不思議な魅力のある人物だ。役者としては無名な彼女だが、懸命にオーディションを受け続け、一本の映画の主役をつかみ取る。夢への第一歩を踏み出し、喜ぶ彼女。ルポルタージュの筆者である女性も、それを温かく見守る。
彼女が出演する映画の脚本は、実際にあった殺人事件を下地にしている。一人の女性が売春を繰り返すなかで動機不明の殺人に次々と手を染めるというもので、真里亜は主役である犯人の女性を演じることになる。役作りに当たって真里亜は女性になり切ろうと努力する。どうして女性は殺人を犯したのか。演じるうえで避けては通れない登場人物への感情移入に苦心する彼女。過去の記事などを読み漁るが、どうしても真意を理解できない。
思い悩むうち、演じるという、第三者を自身に憑依させる行為が、次第に真里亜の心を蝕んでいく様子が描かれる。
読者はルポルタージュの文章というフィルターを通して彼女の軌跡を辿る過程で、様々な謎に出遭う。動機不明の殺人、ある役者の自死、呪われた脚本、奇妙な言い伝え、そして、真里亜という女性。一つだった謎が二つに増え、さらに三つに増え、謎同士がシンクロしながら膨張していく。目の前にうっすらと垂らされた細い糸をたぐるような、つながりそうでつながらない点と点を見つめているような据わりの悪さを感じながら、ページをめくることになるだろう。
こう書くと、本書の最大の見せ場が最後に待ち受けるカタルシスだと思われるかもしれない。だがそれだけではないところが長江作品の魅力だ。職人芸ともいえる絶妙なバランスで配置された謎は、恐怖をはらんだ不穏さとなって、私たちの心に黒いシミを広げていく。この不穏さの正体はオカルトなのか、人の悪意なのか、恐怖のジャンルを反復横跳びしながら物語を追ううち、疑心暗鬼に陥ってしまう過程こそが楽しいのだ。この、不穏な過程に慄きつつ楽しむという魅力は、映像作品の「放送禁止」シリーズや「出版禁止」シリーズのいずれの作品にも共通したものだといえるだろう。それは、マジックの種を当てる楽しさとは一線を画している。出口の見えない暗闇を恐々と歩く体験にも似た楽しさだ。だからこそ、暗闇の先に見えた物語の結末を目にしたとき、心が大きく揺さぶられる。それが希望であっても、絶望であっても。
本書の不穏さを醸成するもうひとつの重要な要素として、リアリティが挙げられる。出版禁止に至る経緯はもちろんのこと、演者が抱く葛藤や映像業界の裏側、事件のディテールに至るまで、全ての要素が迫真性をもって提示される。私たちは虚構と現実の境が曖昧かつ不安定な状態で、物語世界を彷徨うことになるのだ。このリアリティの表現は、映像業界と文芸界、二つの分野に精通している著者だからこそなせる業だろう。
かようにして醸成された不穏さの先に待つのは、鮮やかに描かれる真実だ。だがここでも種明かしに終始しない不穏さが漂う。驚きは出口ではなく、その先にまた暗闇が広がる。私たちは最後のページを読んだあとも、見えない真実を追いながら心地よく彷徨い続ける。
作中でたびたび語られる「演じる」という行為。それは役者にとって過酷でありつつも神聖で、なおかつ罪深いものとして描かれている。それはなにも役者に限ったことではないだろう。私たちも、読書という行為をとおして登場人物を脳内に描写し、その視点に立ち、意識に共感している。疑似的に演じているとも言えるのではないだろうか。
それが第三者であれ、想像上の人物であれ、神であったとしても、自身になにかを憑依させることはアイデンティティを揺るがすリスクを伴う。
本書のある箇所で、読者は実際に声に出して演じることを求められることになる。いや、演じたくなってしまうという表現が正しい。フィクションだと断じてそれをしないという選択も可能だ。だが虚構と現実が揺らぐ物語のなか、目の前に垂らされた細い糸を前にして、無視できる人間がどれくらいいるだろうか。
演じた先にしかたどり着けない真実があるのだ。「口に出すな」と書いてあっても。そうすることで、物語のなかを彷徨い続けることになったとしても。
(せすじ・作家)
波 2025年5月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
長江俊和
ナガエ・トシカズ
1966年生まれ。大阪府出身。テレビディレクター、ドラマ演出家、脚本家、小説家、映画監督。モキュメンタリー「放送禁止」シリーズは、不定期な深夜放送ながら、放送開始から二十年以上を経ても依然カルトな人気を誇り、多くのモキュメンタリーファンを生み出した。小説家、映像作家にもファンが多く、現代ホラーを代表するクリエイターの一人。小説「出版禁止」シリーズは累計で三十万部を突破している。