テレビの荒野を歩いた人たち
1,760円(税込)
発売日:2020/06/17
- 書籍
未知のニューメディア「テレビ」に挑んだサムライたち、かく戦えり!
1953年、テレビ本放送スタート。そしてその瞬間からノウハウゼロの制作現場で途方もない試行錯誤の日々が始まった! ドラマ、時代劇からバラエティ、コマーシャル、伝説の東京五輪中継まで。現在のテレビフォーマットを作り上げたパイオニア12人の「今だから話せる」貴重な証言を詰め込んだ絶対永久保存版インタビュー集!
石井ふく子 TBSプロデューサー・舞台演出家
杉田成道 フジテレビディレクター
橋田壽賀子 脚本家
岡田晋吉 日本テレビプロデューサー
小林亜星 作曲家
菅原俊夫 殺陣師
中村メイコ 女優
久米明 俳優
小林信彦 作家
小田桐昭 クリエーティブ・ディレクター
山像信夫 関西テレビディレクター
杉山茂 NHKディレクター
書誌情報
読み仮名 | テレビノコウヤヲアルイタヒトタチ |
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装幀 | 新潮社写真部/カバー写真、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 272ページ |
ISBN | 978-4-10-339422-8 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | ノンフィクション、演劇・舞台、タレント本 |
定価 | 1,760円 |
インタビュー/対談/エッセイ
やっぱりテレビは凄かった!
長年テレビ業界を取材してきたペリー荻野さん。このたび念願叶って、レジェンド12人の貴重な証言を収めたインタビュー集を刊行しました。テレビ草創期の驚きの逸話、そして尽きないテレビの魅力を先輩ウォッチャーの泉麻人さんと語り合います。
泉 ペリーさんは1962年生まれでしたっけ。僕より六つ下か。
ペリー そうなんです。
泉 『テレビの荒野を歩いた人たち』では十二人にインタビューなさってますが、この人選はペリーさんが会いたい人をリストアップしてアタックした感じですか。
ペリー そうです。根っからのテレビっ子としてテレビの黎明期を経験した方達の証言を集めるのが夢だったので、いつかお話を聞きたいと念願していた方ばかりでした。ただ、どうしても東京オリンピックの中継に関わった方にお会いしたかったんですが、スポーツ関係に疎いもので、NHKの杉山茂さんだけは人づてに探していただきました。自分の文章は読めば読むほど直したくなりますが、この本の人選には自信があります。
泉 殺陣師の菅原俊夫さん、僕はこの本で初めて知りましたよ。こんなすごい歴戦の殺陣師がいらしたんだ。
ペリー 映画とテレビの両方で長年キャリアを重ね、「水戸黄門」「大岡越前」「柳生一族の陰謀」「影の軍団」などの名作の陰にこの人あり、という方。お話も面白いんですよ。
泉 この中で僕がお会いしたことがあるのは小林信彦さんと中村メイコさんだけだな。メイコさんは『冗談音楽の怪人・三木鶏郎―ラジオとCMソングの戦後史―』(新潮選書)の取材で三年前にお目にかかって、とても紙面に収まらないくらいたくさんお話し下さって。
ペリー 二歳で映画デビューして今年で芸歴八十四年ですから、情報量がケタ違いですよね(笑)。テレビも七十年前の実験放送から出ていらっしゃるので、その話を是非伺いたかったんですよ。とはいえ、あまりご記憶にないかもと思っていたら、実に細かいことまで覚えていらして驚きました。まさか令和に実験放送の話が生で聞けるとは!
泉 すごい記憶力ですよね。僕の本は鶏郎さんがメインだったから、もったいないと思いつつ貴重な話を全部は載せられなかった。そのぶん、この本でメイコさんの語りを堪能しました。
ペリー メイコさんもそうですが、今回取材した方たちは皆さん、卓越した映像記憶力の持ち主でしたね。おかげで映像や写真が残されていない番組の話も、とてもよく伝わってきました。
それに大失敗や大ピンチに遭ってもクヨクヨせずにサッと前を向く切り替えの早さをお持ちの方ばかりで、だからこそ長く第一線で活躍することができたんでしょうね。その潔さと勝負強さには圧倒される思いでした。
泉 ペリーさんは時代劇派だけど、僕は断然、青春ドラマ派で、岡田晋吉さん(プロデューサー)の手掛けた日テレの「青春とはなんだ」「東京バイパス指令」はオンタイムで見てた。だからこの本で岡田さんのドラマが俳優を軸にして脈々と繋がっていることがわかってすごく面白かったね。「太陽にほえろ!」に出たショーケンがもっとハードボイルドにやりたいと言ったから「傷だらけの天使」が出来たとか、「太陽にほえろ!」の松田優作と「俺たちの旅」の中村雅俊が「俺たちの勲章」で合流したこととか。一見、関係なさそうに見える青春学園ドラマと「傷だらけの天使」がまさか繋がっていたとは!
ペリー しかも、いまだ熱狂的マニアがいる名作揃いなのが圧巻ですよね。
かたやTBSのプロデューサーでいらした石井ふく子さんからは、松本清張や室生犀星、山本周五郎といった大物作家に体当たりでドラマ化のお願いをしに行き、周五郎には気に入られて運転手までさせられていたという仰天の逸話も飛び出しました。
泉 石井さんが山本周五郎を乗せて第三京浜を走る図は考えただけですごい(笑)。それだけ作家とドラマ制作者の結びつきが濃厚な時代でもあったんですね。
ペリー 橋田壽賀子さんにはテレビ脚本家デビューの経緯を語っていただきましたが、名コンビと言われる石井ふく子さんが電話でセリフにがんがんダメ出しをしたというのが面白かった。あまりに酷い言い方だと胸を痛めた石井さんのお母様が、こっそり橋田さんに謝ったって。不倫と殺人は書かないという橋田さんの一貫した姿勢もすごいものです。
また関西テレビのディレクター・山像信夫さんと脚本家・花登筐さんの兄弟のような関係性も印象的でした。私は二人の代表作「どてらい
テレビの履歴は私の履歴
ペリー キー局の中でもフジテレビは比較的後発で若い局だというイメージがありましたよね。「北の国から」を手掛けたディレクターの杉田成道さんには、フジテレビという会社についてもお聞きしたくて取材をお願いしました。一番驚いたのは、昔のフジテレビは女性の定年が二十五歳だったということ。はじめは五十五歳の聞き間違いかと思った。
泉 びっくりしましたね。〈母と子のフジテレビ〉というキャッチフレーズには、女性社員への「早く母になれ」というメッセージが込められてたのかな(笑)。
ペリー 〈母と子のフジテレビ〉、懐かしい! 昔は各局のカラーや得意分野がハッキリしてましたね。
泉 フジは子どもやファミリー向け。テレビ朝日はもともと日本教育テレビだったから教育・教養方面。TBSはドラマ。日テレはバラエティという具合だね。
ペリー 泉さんの記憶にある最古の番組はなんですか。
泉 幼稚園の頃に見た六時台のヒーローものですね。「月光仮面」をやっていた帯枠なんだけれど、僕がハマってたのは「ピロンの秘密」という手塚治虫原作の実写版ドラマ。宇宙人のピロン王子が地球に亡命してきて、女の超人ロボに守られながら東京で活躍するの。
あとはクレージーキャッツ。「シャボン玉ホリデー」より前にフジの「クレージーキャッツショー」という番組が夜十時台にあって、普段は寝てる時間なんだけど、たまに目が覚めて茶の間に行くとうちの大人たちが大爆笑してたのを覚えてる。ペリーさんの最古の記憶は?
ペリー たぶん三歳頃にうちのじいさんの膝に座って見た「三匹の侍」です。じいさんは着物の絵付師で、晩酌しながら時代劇を見ては着物のファッションチェックをするのを楽しみにしてた人でした。
泉 まさに三つ子の魂(笑)。時代劇ウォッチャーの萌芽はそこにあったんだ。
ペリー その後、「木枯し紋次郎」で小学生ながらに「すごいものを見てしまった!」と衝撃を受け、夜十時半スタートの番組にもかかわらず、これを見続けようと誓ったものです。さらにその後「必殺仕事人」にも衝撃を受け、やられっぱなしでかれこれ四十数年ですよ。
泉 そういう意味で僕の原点というか一番懐かしいと思うのは、初期のバラエティだな。嚆矢となった「光子の窓」には三木鶏郎の一派――鶏郎の弟の鮎郎さんや小野田勇、永六輔がずいぶん関わっていて、鶏郎の〈冗談音楽〉の系譜に連なるものなんですよ。僕は「光子の窓」には間に合わなかったけど、洒落た歌とコントで構成された良質のバラエティのエッセンスを受け継いだ「シャボン玉ホリデー」はよく見てました。
ペリー 「シャボン玉ホリデー」は私も見てました。ハイセンスな歌謡シーンと「おかゆギャグ」が共存する世界観に度肝を抜かれたものです。私は「光子の窓」は見ておらず、時代劇でしか草笛光子さんを知らなかったのでステキに歌う姿に驚かされたりもしました。
泉 草笛さんは元SKD(松竹歌劇団)だもの。いまだ現役だからね。
ペリー 草笛さん、すごく華のある方なんですよ。2016年に渋谷PARCO劇場が建て替えで休館する時、劇場関係者が床に記念の落書きをするというので行ったんですが、そこに草笛さんが現れただけで周囲がパアッと明るくなったんです。この華があるから、あのバラエティができたんだと合点がいきました。
「電気紙芝居」は実在した!
ペリー つい先日、レナウンの経営破綻のニュースが飛び込んできましたけど、小林亜星さんとクリエーティブディレクターの小田桐昭さん両方のお話に、広告の新時代を作ったCMとしてレナウンの「ワンサカ娘」「イエイエ」が登場するんですよ。まさかこのタイミングでレナウンが……という気持ちでした。
泉 レナウンのCMは「逃亡者」なんかをやっていた土曜八時の外国ドラマ枠で流していたから、かっこいいイメージがあったんです。それだけに破綻のニュースには時代の流れを感じましたね。それに本書でインタビューされている久米明さんも……。
ペリー 四月に亡くなられて……本当に残念でした。
泉 僕は久米さんといえばナレーションや洋画の吹替えのイメージが強いんだけれど、「ザ・ガードマン」に出ていらしたとは知らなかったな。
ペリー 学校の先生や弁護士といった実直な役の多かった久米さんが珍しく犯人を演じたんですよね。久米さんには「演劇人の目から見たテレビ業界」といったお話もしていただきました。テレビ初期は映画スターが出演できなかったので、久米さんをはじめ舞台俳優がいろんな形でテレビに呼ばれた。はじめは「テレビなんかに出るのか」とずいぶん言われたそうです。
泉 テレビは映画やラジオより格下だと思われていたものね。メイコさんが高峰秀子や沢村貞子から「電気紙芝居みたいなチャチなものに出るのはやめなさい」と言われた話もこの本に出てくるし。
ペリー 本当に「電気紙芝居」って言うんだ! と思いましたね。小田桐さんも最初は憎みながらテレビコマーシャルをやっていた、自分の作品が評価されても嬉しくなかったと仰っていたし、菅原さんもテレビの仕事をしたことで太秦(東映京都撮影所)で陰口を叩かれた。私の世代には「テレビは格下」という感覚がないので、生々しい証言がかえって興味深かったです。
泉 まさに「荒野を歩いた」感じだったんでしょう。
ペリー 本当ですね。この本のタイトル、最初はもっと柔らかくてもいいかなと思ったんですけど、取材リストを作ってみたら独自の姿勢を貫いた一匹狼タイプの方が多くて、「大変だったろうな。何もない場所を風に吹かれて一人で歩くような気持ちだったんじゃないのかな」と思った瞬間に「荒野」のイメージが浮かんだんです。取材を進めるにつれ、そのイメージが全く間違っていなかったことがよくわかりました。
リモートで甦るテレビ黎明期
ペリー テレビ史を語るのに東京オリンピックは欠かせませんが、私、全然記憶にないんですよ。泉さんは?
泉 小二だったから記憶ありますよ。うちは新宿区の外れにあって、開会式でブルーインパルスが描いた五輪を家の外で見たし、学校で掃除当番しながらチャスラフスカを見たのも鮮明に覚えてます。区立小学校の高学年は観戦に招待されて、うちの学校も六年生が行ってたし。
ペリー NHKの杉山さんが仰ってた、人気のない駒沢競技場のホッケーの試合に世田谷の小学生がたくさん見に来てたっていうのはそれですか! 競技場のある区の児童が動員されたんでしょうか。
泉 いや、そうとも限らない。当時、葛飾にいたなぎら健壱さんが、やっぱり人気のない種目を見に行かされて、つまんないから途中で退出して青山墓地で弁当食って帰ってきたって言ってたもの。
ペリー マイナー競技とはいえ、東京の子どもたちには広く観戦チャンスがあったんですね。杉山さんは名古屋支局に籍を置きながら東京で中継に携わっていらしたんですが、オリンピックが終わって名古屋に戻ると大きな温度差を感じたそうなんですよ。東京では、当時、四谷に住んでいた小林信彦さんが大阪に〈オリンピック疎開〉するほどの熱狂ぶりだったのに、名古屋では「ああ、オリンピックね」程度だったらしい。
泉 そんなものかもしれないね。でもテレビでは前年の紅白からオリンピックムードを盛り上げてたんですよ。まず渥美清が聖火ランナーの格好で日比谷の街を走るところから始まるの。それで歌合戦の会場である宝塚劇場に入り、ハリボテで作ったようなショボい聖火台に火をつける。これがオープニング。
ペリー すごい、見たい!
泉 横浜の放送ライブラリーに完全版があるから見るといいですよ。すごく面白いから。この年は宮田輝、江利チエミが司会で、江利チエミはちょうど「マイ・フェア・レディ」が当たってる時で、劇中歌の「踊り明かそう」を歌うし、司会もじつに達者にこなして、お客の反応もすごくいい。
ペリー 紅白はその年の集大成ですもんね。そうなると今年は一体どうなっちゃうんでしょう?
泉 全出場歌手がリモート出演する「おうち紅白」ってどう?
ペリー それは伝説になるなあ。
泉 でも今回のコロナウイルス禍で芸能人がリモート出演して番組を作ったりしているのを見てると、テレビ初期の生放送のグダグダな部分を見ているようで、なんだか懐かしい感じがしない?
ペリー しますします。変な間が生まれたり、画像が静止しちゃったり。
泉 とにかく材料をかき集めて番組を作らなきゃという手作り感に、新鮮な懐かしさを覚えたなあ。
ペリー テレビが生まれて約七十年。すでにいろんな表現をやり尽くしたように思ってましたけれど、図らずもいつもと違う角度からテレビを見ることができた感じがしますね。テレビの可能性はまだまだあるんじゃないでしょうか。
(ぺりー・おぎの コラムニスト/時代劇研究家)
(いずみ・あさと コラムニスト/作家)
波 2020年7月号より
単行本刊行時掲載
担当編集者のひとこと
70年前の未知のニューメディア「テレビ」の世界に飛び込んだ人々の奮闘を、インタビューで構成した「テレビ創世記」です。取材に応じて下さったのは石井ふく子、杉田成道、橋田壽賀子、岡田晋吉、小林亜星、菅原俊夫、中村メイコ、久米明、小林信彦、小田桐昭、山像信夫、杉山茂の12氏。ドラマ、時代劇、CM、バラエティ、東京五輪中継など各ジャンルを語るにふさわしいレジェンドの話は、まばゆい驚きに満ちています。
たとえば中村メイコさんは80年前に6歳で出演した「実験放送」(実験だからとスタッフは全員白衣を着ていた!)の様子を、石井ふく子さんは清張、犀星、周五郎らにドラマ化のお願いをした際の劇的なやりとりを、小林信彦さんは間近に見た稀代のバラエティプロデューサー・井原高忠氏の才能溢れる仕事ぶりを、惜しくも今春亡くなった久米明さんは舞台人の目に映ったテレビ業界のフシギを、生き生きと語って下さいました。
著者は時代劇研究家。太秦の東映京都撮影所で古参の職人たちから、テレビ黎明期の混乱ぶりや本編(映画)至上主義の撮影所でテレビ時代劇がいかに見下されたかを長年聞き、遠からず消えてしまうこの貴重な証言を残そうと企画を立て始めました。とはいえ、昔の話なのに昔話ではないのが本書の大きな魅力。若い起業家やITメディア関係者からも共感の声が寄せられているのは、未知の世界に漕ぎ出す者たちの普遍的な物語が詰まっているからでしょう。自信をもってお薦めする良書です。(出版部・K)
2020/10/27
著者プロフィール
ペリー荻野
ペリー・オギノ
1962年、愛知県生まれ。コラムニスト、時代劇研究家。大学在学中より中部日本放送でラジオパーソナリティを務め、コラムを書き始める。時代劇主題歌オムニバスCD「ちょんまげ天国」をプロデュースし、「チョンマゲ愛好女子部」を立ち上げるなど多くの時代劇企画に携わる。著書に『ちょんまげだけが人生さ』『ちょんまげ八百八町』『バトル式歴史偉人伝』『時代劇を見れば、日本史の8割は理解できます。』(山本博文氏との共著)『脚本家という仕事 ヒットドラマはこうして作られる』などがある。