虚の伽藍
2,200円(税込)
発売日:2024/10/17
- 書籍
- 電子書籍あり
より多くの金をつかんだ者が京都を制する――最後に嗤うのは仏か鬼か。
日本仏教の最大宗派・燈念寺派で弱者の救済を志す若き僧侶・志方凌玄。バブル期の京都を支配していたのは、暴力団、フィクサー、財界重鎮に市役所職員……古都の金脈に群がる魑魅魍魎だった。腐敗した燈念寺派を正道に戻すため、あえて悪に身を投じる凌玄だが、金にまみれた求道の果てに待っていたのは――。圧巻の社会派巨編。
書誌情報
読み仮名 | キョノガラン |
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装幀 | (C)Shutterstock/カバー写真、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 432ページ |
ISBN | 978-4-10-339533-1 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 2,200円 |
電子書籍 価格 | 2,200円 |
電子書籍 配信開始日 | 2024/10/17 |
書評
裏社会とともに肥え太った日本最大の仏教宗派
長かったような、短かったような自民党総裁選挙が終わった。最後は軍事、鉄道オタク対ゴリゴリの保守タカ派の決戦となり、わずか二一票の差で石破茂が高市早苗を破ったのは周知の通りである。今回ばかりは日頃、したり顔で選挙の解説をする専門家たちもなかなか予想がつかない接戦だった。もっとも終わってみれば、壮大な身内のポジション争い以外の何物でもなかったと感じる。
菅義偉が後ろで操った小泉進次郎は総裁レースの序盤こそいちばん人気だったが失速、最終盤では菅を嫌う麻生太郎が高市早苗を推した。その権力争いの間隙を縫って石破茂が新たな日本の宰相に就いたにすぎない。つまるところ自民党総裁選は、今も昔も古狸たちによるキングメーカー争いにより勝ち負けが決まってきた。
中曽根康弘を首相に就けたキングメーカーは田中角栄だったが、中曽根は闇将軍の失墜を見て英米追従路線を歩むようになる。1985年9月22日、当時の先進五か国の財務大臣らがニューヨークのプラザホテルに集まり、日本の対米貿易黒字の削減に合意した。この通称プラザ合意により、日本政府は円高対策に追われ、金融緩和に舵を切る。おかげで日本国中にあぶく銭が溢れ、狂乱景気が訪れた。
本書『虚の伽藍』は泡沫景気が膨らみだしたこの頃のエピソードから始まる。主人公は日本最大の伝統仏教宗派である京都の包括宗教法人「錦応山燈念寺派」の志方凌玄という若い僧侶だ。不動産と株の値段が急騰した1980年代後半から1990年初頭にかけ、金融や不動産業者が大儲けしたのは言うまでもない。半面、その巨大な利益は暴力団にも過去にない富をもたらした。わけても広域指定暴力団と呼ばれた全国規模の組織は、斯界でいうところのシノギの軸足を従来の博打のてら銭や飲食店のみかじめ料から不動産開発に移し、政官財界と一体化して肥え太った。暴力団同士の血で血を洗う熾烈な抗争が繰り広げられる一方、企業経営者たちもまた進んで彼らの経済活動に力を貸し、身を投じていった。
著者の月村了衛はそんな表社会と裏社会が交わる魑魅魍魎の跋扈する世界を描こうとしたのであろう。主人公の凌玄が籍を置いた燈念寺派は、京都の駅前開発に加わって一儲けしようと計画した。凌玄はその地上げを巡る対立の現場で悪戦苦闘しながら、僧侶として出世の道を切り開いていく。
本書で地上げの舞台となっている京都駅前の一等地には、実際に長らく未開発となってきた曰くつきの地域があった。私自身、この地域を取材してきた経験があるので、舞台やストーリー、登場人物が重なって見える。本書の京都駅前再開発プロジェクトでは、サラ金「更級金融」が関東の暴力団「東陣会」を引き入れて地上げに血道をあげる。燈念寺派の凌玄はその東陣会に対抗すべく、京都の「扇羽組」や神戸の「山花組」とタッグを組んだ。扇羽組の切れ者ヤクザ、氷室を参謀にして巧妙に立ちまわる。
もとより小説なので実際の事件とは異なるが、思い当たるフシが少なからずある。現実には、当時、サラ金最大手の「武富士」が京都駅近くの再開発に乗り出し、虫食い状態だった開発用地を地上げしていった。その地上げ現場で反武富士にまわった山口組も絡んで一大騒動になる。山口組系の組員が地上げを巡って対立していた被差別部落運動団体の幹部宅に侵入し、関係者たちを銃撃する事件まで起きた。幹部宅の玄関先に設置された防犯カメラが、山口組系組員たちの襲撃をとらえ、私もその生々しい録画ビデオを入手して愕然とした。そんな記憶が蘇る。
伝統仏教の栄えてきた古都京都では、名刹の住職が敬われ、政官財界の大物たちと通じて大きな権力を握っている。特殊な地域だ。本書で凌玄たちは、サラ金スキャンダルをマスコミにリークし、さらに政財界の顔役を頼んで東陣会を追い払う。
そして泡沫景気が吹き飛び、日本は世に言う「失われた三十年」を迎える。すると、長いあいだもたれ合ってきた表と裏の社会が袂を分かち、さまざまな事件や不祥事が漏れ出した。暴力団対策法の施行により、暴力団組織が壊滅的な打撃を受け、山口組は内部抗争が勃発して分裂する。本書はそのあたりまで踏み込む。
時代が大きく動くなか、錦応山燈念寺派もまた内部分裂を繰り返した。やがて凌玄はバブル期から苦楽をともにし、いっしょに出世の階段をのぼってきた親友大豊海照と敵対する。本書のクライマックスは、その海照と争った日本最大の伝統仏教宗派のトップを決める総貫首選挙だ。両陣営の思惑が錯綜する微妙な票読み。それはまるで自民党総裁選を彷彿とさせる。
(もり・いさお ノンフィクション作家)
波 2024年11月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
月村了衛
ツキムラ・リョウエ
1963(昭和38)年、大阪府生まれ。早稲田大学第一文学部卒。2010(平成22)年、『機龍警察』で小説家としてデビュー。冒険小説の新たな旗手として高く評価される。2012年『機龍警察 自爆条項』で日本SF大賞を受賞。2013年に『機龍警察 暗黒市場』で吉川英治文学新人賞を受賞。2015年、『コルトM1851残月』で大藪春彦賞を、『土漠の花』で日本推理作家協会賞を受賞。2019(令和元)年、『欺す衆生』で山田風太郎賞を受賞している。2023年、『香港警察東京分室』が第169回直木賞候補となる。他の著書に『機龍警察 白骨街道』『脱北航路』『十三夜の焔』『半暮刻』、『対決』などがある。