左右田に悪役は似合わない
1,870円(税込)
発売日:2023/12/20
- 書籍
- 電子書籍あり
この男がいるから現場が回る――名探偵の正体は、無名のオジサン俳優!
左右田始、職業俳優。ベテランだがその名を知る人は少ない。しかし脇役だからこそ見えてくることがある。低予算ドラマ撮影、子役オーディション、映画のレッドカーペットイベント……様々な現場で生じる謎を左右田は人知れずに解決していく。エンタメ業界の「あるある」もふんだんに交えながら描く、ライトミステリー。
2019年12月 ライト
2020年5月 ステージママ
2021年8月 きっかけ
2022年10月 雲がくれ
エピローグ
書誌情報
読み仮名 | ソウダニアクヤクハニアワナイ |
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装幀 | 中野カヲル/装画、新潮社装幀室/装幀 |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-339683-3 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,870円 |
電子書籍 価格 | 1,870円 |
電子書籍 配信開始日 | 2023/12/20 |
書評
しなやかに奪い返す
給食調理員として働く元凄腕料理人を主人公にした「給食のおにいさん」シリーズや、流行りのほっこりご飯小説とは逆を行く短編集『キッチン・ブルー』など、遠藤彩見は食をテーマに据えた作品に定評がある。全五編+α収録の最新刊『左右田に悪役は似合わない』は、これまでの路線とは大きく異なる。映画やドラマ、演劇制作の舞台裏で織りなされている俳優やスタッフ陣の群像を描き出す、いわゆるバックステージものなのだ。タイトルロールが探偵を務め、人が死なない「日常の謎」を解き明かす本格ミステリーでもある。そして、重要なファクターがもう一つ。
連作の出発点は、やはり食だった。第一話「2019年10月 消えもの」は、「小説新潮」2019年3月号の「『何、食べよっか?』――食とその風景をめぐって」特集のために発表された一編だ。そのお題をもらい、消えもの(=撮影に使われるフードやドリンク)にフォーカスを当てた着想が素晴らしい。
第一話の語り手は、深夜ドラマでホテルのバトラー役を務めることになった五〇歳の俳優・左右田始。自他共に認める「無名の俳優」だが、実は三〇年近いキャリアがある。その経験から培われた観察眼と想像力が、探偵役の武器となる。高級ホテルのスイートルームで撮影が行われる予定だったこの日、ドラマの重要なシーンで登場するエクレアが忽然と消えてしまった。三〇分ほど前に冷蔵庫に収められる様子を、みんなで見ていたのに……。このままではシーンがカットされ、エクレアをサーブするバトラーの役も消えてなくなってしまう。左右田は関係者に雑談のていで話を聞き、事件解決に向けて動き出す。一連の流れはコミカルで、クール。犯人の動機部分には現在の映像業界ならではの問題が反映されており、同時代小説としても楽しめる。
元は読切短編として構想されたであろうこの一話を連作化し、一冊としてまとまりがある作品にするためには発想をどう進めていけばいいか。バックステージものにして「日常の謎」の本格ミステリーという方向性は速やかに固まったであろうが、細かな部分では無数の選択肢があったはずだ。そこから絞り込んでいくうえで、冒頭でほのめかしたもう一つの重要なファクターが、作家の想像力の中へ無理やりに入り込んできたように思われる。コロナ禍だ。
巻末の初出一覧によれば、第一話の次に雑誌掲載されたのは、収録話数としては第三話に当たる「2020年5月 ステージママ」だった。左右田がオーディション会場で出会った、子役とステージママの「入れ替わり」の謎を解く物語だ。その謎の背景には、新型コロナウイルスの感染が拡大し、エンターテインメント業界が次々に作品制作を取りやめていた現実がある。コロナ禍はこの世界のどこかにこのような心情を生み出したのかもしれない……と、驚きと共に納得を抱かせる一編となっている。おそらくはこの一編が、この中に書き込まれたバランスこそが本書全体の方向性を決定付けた。この連作集は、過去にさまざまな作家がトライしてきたバックステージものとは一味も二味も違う。コロナ禍のエンターテインメント業界の舞台裏を描く作品となっている。
格別光り輝いていると感じられる一編は、第四話「2021年8月 きっかけ」だ。時はコロナ禍真っ只中。とある舞台作品の衣装チェックが予定されたこの日、制作担当の目黒は、主役を務める俳優のワガママに振り回されていた。ワガママを共演者たちに気付かせないために、良かれと思って軽いウソをついたところ、事態は悪化の一途を辿る。端役として舞台に参加する左右田は、ウソを見抜いているようで……。犯人視点が採用された倒叙ものミステリーならではの、犯人が窮地に追いやられれば追いやられるほど盛り上がる、バレるバレないのドラマは快感だ。その過程で現れる、コロナ禍がエンターテインメント業界から奪ったものについての記述には切実さが宿る。何より重要なことは、コロナ禍が奪ったものを、しなやかに奪い返す人間たちの営みが書き込まれていることだ。そこには、左右田の暗躍があった。
シェークスピアは『お気に召すまま』でこんなセリフを書いた。「この世は舞台、人はみな役者」。本書の登場人物たちが抱いた悩みや葛藤は、芸能の世界の中でのみ通用する特殊な出来事ではない。目の前に広がるこの社会と繋がる出来事なのだ。そうであるならば、本書に記された悩みや葛藤を打ち砕くための解決法や思考法は、読者それぞれの現実にも適用できるはず。
物語の最終盤で顔を出す、あなたの利他的な行動はきっと誰かが見てくれている、評価してくれる……というメッセージは、コロナ禍で育まれた相互監視社会化の恐怖を反転させるパワーが感じられるものだった。エンターテインメントに何ができるか? コロナ禍で多くのクリエイターたちが直面した問いかけに対する、力強いアンサーがここにある。エンターテインメントとは、面白さを通して、現実を生き抜くための力を与えてくれるのだ。
(よしだ・だいすけ ライター)
波 2024年1月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
遠藤彩見
エンドウ・サエミ
東京都生まれ。1996年、脚本家デビュー。1999年、テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、『給食のおにいさん』で小説家としてデビュー。著書に、シリーズ化された同作のほか、『キッチン・ブルー』『バー極楽』『千のグラスを満たすには』『二人がいた食卓』などがある。