あなたという国―ニューヨーク・サン・ソウル―
1,650円(税込)
発売日:2016/01/29
- 書籍
- 電子書籍あり
私は母国より、あなたを選んだ……大ヒット「あん」の著者が描く日韓のロミオとジュリエット!
孤独の街(ニューヨーク)で、二人は出逢った。ミュージシャンとして成功を夢見る拓人と、脚本家となり夢の物語を紡ごうとするユナ。互いの心の隙間を埋め合った二人は、日本人と韓国人の障壁も乗り越え世界を共有していく。だが拓人の道が開けかけた時、運命の日が訪れた――9・11を体験した作家が描く、心がちぎれるほど切ないラブストーリー。
目次
第一章 ニューヨーク・サン・ソウル
第二章 摩天楼とキムチ
第三章 アメリカンドリームの幻影
第四章 熱波到来
第五章 稲妻の夜
第六章 あなたという国
第二章 摩天楼とキムチ
第三章 アメリカンドリームの幻影
第四章 熱波到来
第五章 稲妻の夜
第六章 あなたという国
書誌情報
読み仮名 | アナタトイウクニニューヨークサンソウル |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 波から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 232ページ |
ISBN | 978-4-10-339831-8 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 1,650円 |
電子書籍 価格 | 1,320円 |
電子書籍 配信開始日 | 2016/07/08 |
インタビュー/対談/エッセイ
あのテロがなかったら
胸のなかに鍾乳石を育むがごとく、長い時の流れがなければつむげなかった物語がある。私にとっては、二〇〇一年九月十一日のマンハッタンへと向かう青春群像を描いた『あなたという国―ニューヨーク・サン・ソウル―』がまさにそれで、あの日の混沌とした体験からひとつの物語を浮上させ、自分自身も想像していなかったエンディングを導くまでに、気付けば多大な歳月を要していた。
ニューヨークに移り住んだのは、同時多発テロが起きる前年の春だった。日本でのある種の生活のなかで心身ともに疲労を覚え、進むべき道さえわからなくなってしまった私は、まったく新しい環境に身を置く自分を日夜夢想するようになっていた。トランクとギターだけを持って、知り合い一人いない摩天楼の街へと飛び込んでいったのは、その衝動の果ての行為でしかなかった。
結局、私は三年近くをマンハッタンとブルックリンで過ごしたのだが、最初に絡めとられたのは粘り着くような孤独というものだった。言葉が通じない。相手が何を言っているのかわからない。これが大きかった。それなりに英語はできるつもりでいたのだが、地下鉄のアナウンスひとつ聞き取れない。語るにしろ歌うにしろ、言葉で生きてきた人間にとっては過酷な状態が続いた。多人種が行き交う街で、私はいっさいの経歴を失った何もできない一人の東洋人に過ぎなかった。自然史博物館に展示されている隕石に触れ、「助けて下さい。力を下さい」とつぶやいたこともある。
そうした日々のなかにも、しかし光は差し込んできた。言葉を交わす者たちが少しずつ増えていったのだ。午前中だけ通った語学学校で出会った若者たちがその相手だった。
親が決めた結婚から逃げてきたコロンビアの美しい女性、マリア。酒を飲む私を非難するくせ、文具をいつも借りようとする中国のシェン。徹夜の厨房仕事からいつも眠たげな顔でやってきたベネズエラのマリオ。「ハラキリ」という日本語が好きだったアルゼンチンの伊達男、マルセロ。広島と長崎の仇をいつ討つのだとささやいたチュニジアの青年。やたらおしゃべりだったトルコの三人組の男たち。
なかでも忘れられないのは、甥っ子の誕生日プレゼントをいっしょに探すことになったウクライナのナディアと、私の部屋に入り浸るようになってしまった韓国の若者たちだった。米国で育ったわけではない彼らはみな、私と似たようなレベルの英語を話した。そして誰もが、どこか寂しげだった。母国と母語を離れ、不器用な人間どうしとして出会った時、世間一般の会話は意味を持たなくなる。どんな日々を歩んできたのか。今心に何を抱えているのか。互いに自然と、それを語りだすのだ。
やがて私は日米のミュージシャンたちとロックバンドを結成し、ニューヨークでの初ライブに向けて奮闘するようになった。孤独はいつの間にか窓から出ていき、どうしたらバンドを軌道に乗せることができるのか、具体的な難題に追われ始めた。急に忙しくなった私を、ナディアもマルセロも、韓国の若者たちも応援してくれた。
世界を震撼とさせた同時多発テロはその最中に起きたのだった。二機目の旅客機が突っ込むところからツインタワーが崩壊するまで、私は窓辺でただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。そしてあろうことか、そのあとは避難してくる人たちの流れに逆らい、現場に近づこうとした。イメージを越えた多様な人間の姿を見ることになるとは知らずに。
だが、『あなたという国―ニューヨーク・サン・ソウル―』はそこで見聞きしたものを伝えるために書いたのではない。あの日失われた命のほぼすべてに、心を寄り添わせた人がいたはずだ。犠牲者は数字でカウントされるが、本当の損失と消滅は数えることができない。私は不条理の極みのなかでこの世から去らなければならなかった人たちへの追悼を通じ、もしあのテロがなければあり得たかもしれない別の世界を描いてみたかったのだ。それを書く必要性を感じたのは、人が人であることを苛むような現在の状況が、あの日を起点として始まったのではないかという思いがあるからだ。
人は、もう一度、人を取り戻さなければならない。長い歳月のなかでのその覚悟が、私にこの小説を書かせた。
ニューヨークに移り住んだのは、同時多発テロが起きる前年の春だった。日本でのある種の生活のなかで心身ともに疲労を覚え、進むべき道さえわからなくなってしまった私は、まったく新しい環境に身を置く自分を日夜夢想するようになっていた。トランクとギターだけを持って、知り合い一人いない摩天楼の街へと飛び込んでいったのは、その衝動の果ての行為でしかなかった。
結局、私は三年近くをマンハッタンとブルックリンで過ごしたのだが、最初に絡めとられたのは粘り着くような孤独というものだった。言葉が通じない。相手が何を言っているのかわからない。これが大きかった。それなりに英語はできるつもりでいたのだが、地下鉄のアナウンスひとつ聞き取れない。語るにしろ歌うにしろ、言葉で生きてきた人間にとっては過酷な状態が続いた。多人種が行き交う街で、私はいっさいの経歴を失った何もできない一人の東洋人に過ぎなかった。自然史博物館に展示されている隕石に触れ、「助けて下さい。力を下さい」とつぶやいたこともある。
そうした日々のなかにも、しかし光は差し込んできた。言葉を交わす者たちが少しずつ増えていったのだ。午前中だけ通った語学学校で出会った若者たちがその相手だった。
親が決めた結婚から逃げてきたコロンビアの美しい女性、マリア。酒を飲む私を非難するくせ、文具をいつも借りようとする中国のシェン。徹夜の厨房仕事からいつも眠たげな顔でやってきたベネズエラのマリオ。「ハラキリ」という日本語が好きだったアルゼンチンの伊達男、マルセロ。広島と長崎の仇をいつ討つのだとささやいたチュニジアの青年。やたらおしゃべりだったトルコの三人組の男たち。
なかでも忘れられないのは、甥っ子の誕生日プレゼントをいっしょに探すことになったウクライナのナディアと、私の部屋に入り浸るようになってしまった韓国の若者たちだった。米国で育ったわけではない彼らはみな、私と似たようなレベルの英語を話した。そして誰もが、どこか寂しげだった。母国と母語を離れ、不器用な人間どうしとして出会った時、世間一般の会話は意味を持たなくなる。どんな日々を歩んできたのか。今心に何を抱えているのか。互いに自然と、それを語りだすのだ。
やがて私は日米のミュージシャンたちとロックバンドを結成し、ニューヨークでの初ライブに向けて奮闘するようになった。孤独はいつの間にか窓から出ていき、どうしたらバンドを軌道に乗せることができるのか、具体的な難題に追われ始めた。急に忙しくなった私を、ナディアもマルセロも、韓国の若者たちも応援してくれた。
世界を震撼とさせた同時多発テロはその最中に起きたのだった。二機目の旅客機が突っ込むところからツインタワーが崩壊するまで、私は窓辺でただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。そしてあろうことか、そのあとは避難してくる人たちの流れに逆らい、現場に近づこうとした。イメージを越えた多様な人間の姿を見ることになるとは知らずに。
だが、『あなたという国―ニューヨーク・サン・ソウル―』はそこで見聞きしたものを伝えるために書いたのではない。あの日失われた命のほぼすべてに、心を寄り添わせた人がいたはずだ。犠牲者は数字でカウントされるが、本当の損失と消滅は数えることができない。私は不条理の極みのなかでこの世から去らなければならなかった人たちへの追悼を通じ、もしあのテロがなければあり得たかもしれない別の世界を描いてみたかったのだ。それを書く必要性を感じたのは、人が人であることを苛むような現在の状況が、あの日を起点として始まったのではないかという思いがあるからだ。
人は、もう一度、人を取り戻さなければならない。長い歳月のなかでのその覚悟が、私にこの小説を書かせた。
(どりあん・すけがわ 作家)
波 2016年2月号より
著者プロフィール
ドリアン助川
ドリアン・スケガワ
1962年東京生まれ。作家、道化師。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒業。放送作家などを経て1994年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。1999年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、明川哲也の筆名で詩や小説を執筆。2011年よりドリアン助川を復活し、現在は語りと歌の道化師「アルルカン」として活動中。2015年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『多摩川物語』『ピンザの島』など著書多数。
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