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四十年前の冬の日、同い年の少年と二人で、私は世界の終わりに立ち会った。

図書室

岸政彦/著

1,760円(税込)

本の仕様

発売日:2019/06/27

読み仮名 トショシツ
装幀 岸政彦/写真・題字、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 174ページ
ISBN 978-4-10-350722-2
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,760円
電子書籍 価格 1,760円
電子書籍 配信開始日 2019/12/06

定職も貯金もある。一人暮らしだけど不満はない。ただ、近頃は老いを意識することが多い。そして思い出されるのは、小学生の頃に通った、あの古い公民館の小さな図書室――大阪でつましく暮らす中年女性の半生を描いた、温もりと抒情に満ちた三島賞候補作。社会学者の著者が同じ大阪での人生を綴る書下ろしエッセイを併録。

著者プロフィール

岸政彦 キシ・マサヒコ

1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化――戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補、第30回三島賞候補)『はじめての沖縄』『マンゴーと手榴弾――生活史の理論』など。「図書室」が第32回三島賞候補となった。

書評

犬や猫や風とおなじに

川上未映子

 たとえば電車の中で、笑顔で揺られている家族を見たとき。古い瓦がただ光っているのを見たとき。踏切をゆっくりと横切る黒猫を見たとき。駅前の数えきれない人々にまぎれて歩くとき。自分はいま確かに生きていて、現在の出来事を見ているはずなのに、誰かの、何かの記憶の中にいるように感じることがある。つまり、いま目に映っている光景は同時にその光景の過去でもあるのだから、その意味で、いま生きている人にこうして会っているということは、じつは死者と会っていることと変わらないのではないだろうか。子どもの頃から誰にもうまく伝えることのできなかったそんな感覚が、物語になって目の前に差し出された気がした。岸政彦の二作目の小説集『図書室』は、私にとって奇跡のような一冊である。
 語り手の美穂は五十歳。大阪での静かなひとり暮らしの日々は、様々な記憶を呼び寄せる。小学生の頃。スナック勤めだった母が作り置きするカレーやおでん。たくさんの猫に抱かれてくるまったこたつ。体温。淋しさ。そして図書室。美穂と同じように一人の時間を過ごしていた男の子と出会って話をするうちに、支え合うようなふたりの真剣な会話と想像は淀川の河川敷の「秘密基地」に流れつき、やがて、人類が滅亡したあとの世界で生き残るふたりになってゆく。
 著者の、世界をみる目もそれを記述する言葉も優しい。悪い人間は出てこず、目を背けたくなるシーンも存在しない。読み進むにつれ、自分が子どもだった頃に漠然と感じていた、不安や憧れや感情になる前の感覚が思いだされ、自分の物語に出会い直しているような、懐かしい気持ちがこみあげるだろう。しかし、作品の底を流れるその優しさは諦めによく似ていて、その態度はおそらく著者の生来のものであると同時に(感受性は所与のものだ)、社会学者として長く様々な人々の生活の声を聞き取り接してきたことで研がれたのだろう——表題作「図書室」にも、併録されている自伝エッセイ「給水塔」にも、ある人生に起こった出来事や流れが書かれるが、人や、街や、そこから見えた景色や感情がありありと立ちあがり迫ってくればくるほど、その表現は、それらが存在しなかったかもしれない世界をこそ、求めているように感じられるのだ。
 この作品が私たちに本当に思いださせようとしているのは、思いださせてしまうのは、私たちがこうして生きてきた人生の具体的な内訳なのではなく、こうして生きているということ自体が解けてしまうような、そんな邂逅の一瞬なのだと思う。それは著者自身の生活やその作品においても常にかけがえのない存在として登場する、言葉を持たない犬や猫の在りかたを想起させる。言葉を持ってしまった私たちにはもう生きることのできない、もうひとつの生の在りかた。世界や自己を分節化し規定する言葉がなくなり、そこから派生する過去や未来や現在といったものが完全に忘れられる、何かがただ〈ある〉としか言いようのない瞬間。表題作の「図書室」では、最後に不意に甦る高波のイメージに、そして「給水塔」では、語り手がふたりの友人と公園のベンチで浴びた日差しに、その名付けようのない一瞬が現れる。この物語を紡ぐ言葉は、すべてこの瞬間のためにある。言葉以前、犬や猫や風とおなじになるような、その一瞬をこそ目指している。
 追憶し、追憶されているのは何だろう。それが何かはわからないけれど、でも、いつも何かが何かを思いだしているようだ。思いだされているようだ。やがてすべてが失われるときが来て、私たちの生はその「失われ」の中に含まれている。であれば、生きていることと死んでいることは、本当のところは何が違うのだろう。この小説が差しだすあの一瞬と、人の生き死にや言葉には、本当のところはどんな関係があるのだろう。この小説の世界に対する眼差しは私に何度でもそのことを思いださせる。

(かわかみ・みえこ 作家)
波 2019年7月号より
単行本刊行時掲載

目次

図書室
給水塔

インタビュー/対談/エッセイ

岸 政彦×又吉直樹/会話から生まれる想像力

岸政彦又吉直樹

前篇はこちらから

前号に引き続き、社会学者の岸政彦さんと芸人・小説家の又吉直樹さんの対談をお届けします。前篇では表現することの恥ずかしさがテーマになりました。後篇は、小説に取り組む際に形式を壊すことは考えなかったのか、という岸さんの問いを受けた又吉さんのお話から始まります。

又吉 言い訳できないような王道のど真ん中のものが好きなんです。一部の人に認められるものも好きですが、一番は、自分の作品で批評している人も食わしてるやつ。

 ああ、業界全体をね。

又吉 誰かに文句を言われるとかわいそうに思われたり、守られなければいけない存在には、究極のあこがれはなくて、弱いな、途中やんて思います。

 僕も、好きな映画監督はスピルバーグ、好きな画家はピカソやし。

又吉 僕もピカソ大好きですし、取材でも好きな映画は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と「スタンド・バイ・ミー」って答えてます。

 そういう矛盾したものが又吉さんの中にあるんだろうなって、『劇場』を読んで思いました。永田君のような再帰的で分析的な感覚はたしかに又吉さんの中にあるんだけど、それを真っ当に文学ど真ん中の形式で書いてあるのが面白い。ラストもすごくよくて、王道の恋愛小説ですよね。だから、これを書いているときは、又吉さんはポジションのことを忘れているんだろうなって思わされました。それも含めてのテクニックかもしれませんが。

又吉 変わった表現のものも、作っている人がこれしかないと思って信じているなら、グッとくるんですよね。そういうものを、なに斜に構えとんねんって考えるのも好きじゃないし、信じたものをちゃんとやっていることが好きっていう。

 それは何が違うんですかね。

又吉 狙ってやってる人は、ちゃんと言い訳しますよね。みっともなさをちゃんと出す。

 だから表現って恥ずかしいんですかね。最初の小説の「ビニール傘」を書くときに、技巧に走ったところがあって、それはそう書きたかったからなんですが、時間軸や人称をごちゃごちゃにしたのは、やっぱり照れがあったんです。登場人物に名前をつけることと、セリフをカギカッコでくくること、この二つができなかったから、小説らしい小説になりませんでした。社会学で二十年以上、いろんな仕事をやってきて、今さら小説書くのって胡散臭いでしょ。調査で聞いたことを使いまわしてるんじゃないかとか言われたり。

又吉 十八で吉本の養成所に入ったんですが、まず大きな声を出すことが恥ずかしかったんです。聞こえるくらいの声でいいのになって。

 吉本の芸人さんって声張りますよね。

又吉 もう一つ、例えば女性役の時に、女性っぽい言葉で話すのが恥ずかしかった。セリフをカギカッコに入れられない、というのに似ているんですが、だから、本を朗読するように話をしていました。

 めちゃめちゃ現代アートですよ、前衛っぽい。

又吉 でも、いざ舞台で僕が話しても、全然お客さんにウケない(笑)。

 そもそも伝わらないでしょう。

又吉 それで、もう少し声出したほうがええかなって思ってやると、ウケるんですよ。登場人物に似せてやったほうが伝わる。そもそも、なんで人前で話しているのかって、笑かすためなんですよね。だからなに自分の主義主張が勝ってんねんって思って、少しずつ探っていきました。

 やりながら形式を取り戻していく感じですね。

又吉 結局これで合うてたんや、って。

 セリフにカギカッコつけないままだと、三人以上での会話になると誰が話してるかわからなくなる。だから「図書室」で初めてカギカッコでくくりました。その時、近代小説の形式って意味があるんだって思った。形式的なものの強さってありますね。

又吉 芸人が小説を書く場合、おしゃれさを求めるなら、最初は芸人の話にはしませんよね。でも、だからそれをやらないと考える、自分のあざとさが嫌いなんです(笑)。だからやる、これしかないやんというのをやっていく。

 面倒くさいなあ(笑)。でも、やっぱり矛盾したものが同居しているんですね。王道を目指すところと、批評的で分析的なところが又吉さんの中にある。だからこれだけの表現ができているんだなって思います。

又吉 ただ、それが自分の日常をいい風にしてくれているかというと、わかんないですけど。

 しんどいやろうなと思います。

又吉 人の話を聞きすぎるから。

 ずっと覚えているタイプですか。

又吉 いつまで覚えとんねんってよく言われます。「俺が十九の時、あいつは……」とか(笑)。

 そこは違うなあ。僕はぜんぶ忘れる。

男のダメさがよく書かれている

 『劇場』って、ダメな男の子の話でもありますね。経済的にも女性に頼ってて。僕がいま考えてる次の小説って、ジャズミュージシャンの話なんです。そこそこのミュージシャンの男が女の子と出会って……って『劇場』そのまんまなんですが(笑)。

又吉 昔からある、普遍的なものですから。

 永田君が劣等感から相手を傷つけてしまうという場面がよく出てきますが、決定的にダメだなと思ったのが、青山にキレる場面で、それがまたうまい。永田と沙希の関係が、僕らの基準で言えばDVに近いような状況になってくるなかで、青山が介入してくる。もう別れたらって沙希に言う。そこに永田がキレて、長文のメールを何通も送るのがすごくキモくて(笑)。でもこれが男の本質なんだと思う。同じく相談に乗ってる、沙希のバイト先の店長の男には怒りをぶつけないですから。だから結局、永田は女に甘えてるんですよ。自分の彼女に劣等感をぶつけて機嫌悪くなったり。男って機嫌悪くなって黙るでしょ(笑)。

又吉 かと思うと、自分に不都合があるとめっちゃしゃべったり。

 男のダメさが本当によく書かれていると思いました。ちなみに青山への逆ギレのメールを書いているときは、どんな気持ちだったんですか。

又吉 書いてるときは、永田になりきっていますね。でも一方、青山の返事を書いているときは、青山になりきって、こいつ最低やなって思いながら書いていました。平等に。それで、シーンを書き終えて読み直してみて、自分で笑いました(笑)。

同じ幻想を共有できる気持ちよさ

又吉 「図書室」では、少年と少女の会話を、自分の人生とも照らし合わせて、補足しながら読めました。女の子の発言に対して男の子がすぐに突っ込んだら、女の子が「なんで一回乗らへんねん」って言うんですが、それが後の展開の入り口になってますよね。二人で乗って、同じ世界を共有する。日常からその世界に入るところに不自然さがないですね。

 「図書室」では会話のシーンを評価してもらうことが多いんですが、プロットも何も考えずに、一気に書きました。モデルは何人かいて、そのうちの一人は同い年のいとこの女の子で、十歳くらいまでずっと一緒にいて、もう一人の自分みたいな存在で。その子との会話を思い出しながら書きました。脳と脳が直接つながっているような状態を書きたかったんです。

又吉 子どものころにサッカーをやってると、自分の好きな選手になりたがる。たとえばマラドーナになるとか。それは役を演じているんじゃなくて、当時の世界的なスター同士で本当に対戦している。そんな同じ幻想を共有できる気持ちよさを、読んでいて感じました。

 子ども同士の会話の、どこに進んでいるかわからない感覚と、淀川の河川敷にある小屋に入ったときの、この先どこにたどり着くのかわからない感覚をシンクロさせようと思いました。

又吉 架空の話をしているのに、本当に悲しくなって、もとに戻れるはずなのに二人のルールでは戻れなくて、泣いちゃうじゃないですか。あれ、むちゃくちゃかわいいですね。

 小学校のころに親友と一緒に、お話を作っていたことを最近思い出したんです。お互い交代で、内容がやはり世界が滅亡した後の話で。今日は俺の番なとか言って、続きを考える。

又吉 僕も作ってました。

 どんな話ですか。

又吉 神社がつぶれるのを止めるという(笑)。難波君という友達と一緒に考えるんです、その神社の土地が悪い奴に買い占められようとしていて……。

 めちゃくちゃ現実的やな(笑)。でもそういう会話の相手って、どこかで別れますね。そのいとこの子とも、次第に会わなくなって、もう三十年くらい会ってない。あと犬や猫が好きで、本当に分かり合えるのは犬や猫だけやなって思うんですが、彼らは途中で死ぬでしょう。だから、はかなさ、切なさが残ります。僕の小説って寂しいってばっかり言ってるんですけど。

又吉 そのはかなさが描かれるからこそ、世界の終わりに対する二人の準備や想像が際立ちますよね。

 世界が滅びることが怖いんじゃなくて、二人がいずれ別れなきゃいけないことが寂しい。それは書いてみて思いました。

又吉 その会話の中で、二人が互いを拒絶しませんよね。普通ならもう少し立ち止まって議論するじゃないですか。当たり前のように話を進めているのがいいです。

 「図書室」では、切実なものを描きたいと思って、あの会話は、会議なんです。ただ冗談を言い合っているんじゃなく、問題を解決しようと真剣に討議して、そういうときに会話って噛み合うでしょ。共通の課題があるほうが盛り上がる。そして同時に、批評的かつ再帰的な眼差しを持たない。「滅びるわけないやん」とは誰も言わない。だからロマンチックで、ありえない設定ですけど、楽しく書きました。

又吉 大人になっても、なにかきっかけがあれば、あのモードに入れるんじゃないかって思います。二十代のころ、仕事がなくて後輩とずっと喫茶店に座ってて、外を通る人を窓から見ながら、ふと「今から通る奴の魂吸うわ」って言ったんです。ストローで吸うような音出して。後輩は「なにやってんすか」って言ってたのが、「お前もやってみ」ってやり続けてたら、そいつもやりはじめた(笑)。最初は嘘だったのが次第にはまって、二人の間では本当になってきて、しまいには気抜いてるときに後輩に向かってシュゥッてやったら、「やめろよ!」って本気でキレられた(笑)。

 僕も、二十歳くらいのころ「あなたは私とやりたくなる銃」というのをやってました。大阪の大学に入って、ミナミで毎晩飲んでいたんですが、夜中に酔っぱらって、街を歩いてる女の子をビニール傘で撃つマネをするんです。撃たれた子は自分とやりたくなるという設定で。

又吉 むちゃくちゃアホですね(笑)。

 でも効果はなくて、毎回「効果なし!」と言う(笑)。それを連発した奴がいて、めっちゃ撃ちまくってる。「それずるいやん。一人一発やろ」となる。

又吉 もともとなかったルールなのに。

 機関銃というカテゴリーが新しく生まれて、緊急会議が開かれたりしました。「週末はいいことにしよう」。ちなみに、吸われた相手はどうなるんですか。

又吉 ちょっとだけ魂が減ってしまう(笑)。

 もらうとちょっとだけ寿命が延びる(笑)。似たようなことやってますね。

又吉 『図書室』に併録されている「給水塔」というエッセイも面白かったです。あそこで書かれていた友達と飲んでいたんですか。

 そうですね。今でも飲んでます。

又吉 あれも面白かったです。エッセイとなっていますが、小説みたいに読めました。

 実は、「給水塔」は五年くらい前に書いたんです。まだぜんぜん無名だったんですが、あるところから大阪についてのエッセイを頼まれて、それで書いていたら、「あ、これ小説も書けるんちゃう」と思った。だから、実際に小説を書くきっかけになりました。

又吉 「図書室」でも「給水塔」でも、完全な時間のようなものが急に出てくるのがすごくよかったです。一つずつ積んでいくんじゃなくて、突然出てくる。

 無意味にフィジカルに肯定される瞬間が好きで、僕が沖縄にはまったのは、それを沖縄の海で得たんですね。自分の身体を取り戻していくような。『図書室』の書評で何人かの方が触れてくださったのが、言語以前のことが書かれているということで、それは僕が犬や猫を好きだということからも来るのでしょうが、言語以前の実在のレベルで肯定されることが、僕の人生では大事なんです。だから、生活史という、人の人生を言葉で残していくことを仕事にしていますが、言葉以前の世界に対するあこがれがある。ですから、そこを読んでくださったのはすごくうれしいです。

又吉 僕も、言葉はめっちゃ好きですけど、どれだけ言葉を尽くすより、恥ずかしくなるくらいシンプルな「大好き!」のほうが圧倒的に強いことってありますよね(笑)。

 永田が沙希のコメントにいちいちこだわりますね。「アホのサンプルみたいな発言やで」とか。ああいうとここだわっちゃうの、僕もやりがちなんですが、でもそうじゃなくて、存在を肯定されるのって大切ですよ。自分のどこが好きって答えが「優しい」だと、相手に優しくしなきゃいけないじゃないですか。でも「顔が好き」ってそれだけ肯定度が深い。それもまたベタな話ですが。ちなみに、又吉さんって僕めっちゃタイプなんですよ。

又吉 えっ。

 又吉さんとは六月末に沖縄のテレビ番組で初めてご一緒させていただいたのですが、あの後、連れあいに「ええ男やったわあ」とずっと言ってました。こんなにセクシーな人はいない。

又吉 ありがとうございます(笑)。

 小さな声でぼそぼそっと面白いことを言う人に弱いんですよ。僕が量でねじふせるタイプだから。今は又吉さんとiPS細胞の山中先生が二大タイプです(笑)。

(9月5日、於・神楽坂 la kagu
 (きし・まさひこ 社会学者)
 (またよし・なおき 芸人・作家)
波 2019年11月号より
単行本刊行時掲載

岸 政彦×又吉直樹 対談・前編/表現するって恥ずかしい

岸政彦又吉直樹

沖縄や生活史が専門の社会学者であり、最近は小説も好評を博する岸政彦さんと、芸人としての活動はもちろん、小説家としても『火花』『劇場』と話題作を刊行してきた又吉直樹さん。神楽坂la kaguで行われたお二人の対談を二号にわたりお届けします。

 『劇場』が文庫になりましたが、映画化も決まったんですね。

又吉 山崎賢人さんと松岡茉優さんが出演して、来年公開の予定です。

 原作者としてカメオ出演とかなさるんですか。

又吉 いえ、まったくお声がかからなかったです(笑)。僕が出ても邪魔になるでしょうし。

 『劇場』、読ませていただいて最初におっと思ったのが、飲み会で主人公の永田がほかの劇団員ともめる場面で、劇団員の辻という男の描写があって、〈地味な男だったが、特徴のある高い声をしていて、どうしようもなく目立つ時があり、よく芝居の邪魔になった〉。こういうテクニカルな描写が僕はすごく好きなんです。プロの芸人さんとしてコントや漫才を作ってこられて、こういう風に人を見ているんだって思いました。批評的な視点が随所にある。だから今日は緊張しています。僕もそうやって見られてるんだろうなって。

又吉 (笑)そんな風には見ないですよ。

 「声でかくて発言量多いけど、一つ一つはあまり面白くない」とか(笑)。量でねじ伏せるタイプなんです(笑)。

又吉 人前に出てコントとかやっていると、僕を知ってくれているお客さんの前だと、例えば野球少年の格好をしていても「あ、又吉が演じているんだ」って理解してくれるんですが、昔まだテレビとか出てなくて知られていない頃にそのネタをやったら、前列のお客さんが「えっ……」と言った(笑)。なんかおっさんが少年の格好して出てきたって思われてしまって。次第に、ああこれは演じているんだって思ってくれましたが。最初に言った「邪魔」っていうのはそういうことです。

 コンテクストを共有していない時って、キャラというか、声の高低のような物理的なパラメーターがもろに出ちゃいますよね。以前、上野千鶴子さんとトークイベントをやったのですが、ウェブで「デイリーポータルZ」というサイトの編集長をやっている知人の林雄司さんが来てくれて、リアルな鳩の頭のマスクを二つお土産にくれました。アメリカで売ってる全然可愛くないやつ。それを楽屋で見た上野さんが「被って出ましょうよ」。

又吉 (笑)

 絶対あかん、大怪我しますよって僕は止めたんですが、上野さんは「東京の客なんかちょろいわよ」って……でもトークのテーマは社会学にまつわる真面目なもので、お客もそれを期待して来ているわけです。上野さんが登壇するんだし。そこに、一切説明抜きに、二人でマスクを被って、僕が上野千鶴子の手を引いて舞台袖から出てきたんですが、人生で一番スベりました。

又吉 お客さんも、どう受け取ったらいいのか分からないだろうし。本物の社会学が始まったのかな、みたいな(笑)。

 あれはマイノリティの象徴なんじゃないか(笑)。

又吉 それは回収しなかったんですか。こんなにスベるとは思いませんでした! とか。

 もうそれも無理で、だからすごく真面目な話から入りました。「社会学って何なんでしょうね」とか(笑)。最後まで説明せずに終わった。

又吉 むちゃくちゃ怖いじゃないですか。もう、毎回被って押し通すしかないですよね。

 これが社会学なんやで、って。

悔しいから明晰になる

 主人公・永田の恋人の沙希が一回だけ、永田が書いた芝居に出ます。その場面で、なぜ沙希に出てもらったかについて、複雑な感情を複雑なまま出してる子やからって書かれていましたね。

又吉 人の顔を見るのが好きなんですが、あまりにも発言と表情が一致してると、作為的なものを感じて怖くなる。この人、役者やなって。逆に、「面白いですね」って言ってるのに全然笑ってないとか、そういうのが好きで。いろんな感情が混ざっている人のほうが、こちらの思っていることを伝えられる、託せる気がします。

岸政彦さん 芸人さんとして活躍されて、小説もこれだけ評価されている方ですから当たり前ですけど、よく見ていらっしゃるなって思います。
『劇場』に演出家の小峰という、永田のライバルというか、同い年で認められている人物が出てきます。永田は小峰の芝居を見て打ちのめされるんですが、「ここで諦めたら楽だ」と思うんです。「だから適切に傷ついて帰ろう」と。これすごくいいですね。そして小峰のインタビューがある雑誌に載っているのを見つける、その場面がまたリアルで、めっちゃわかる。最初にバーッと流し読みするんです。字面だけ拾って、ああ、大したこと言ってないなって安心するんですが、でも後からめっちゃ読む(笑)。ああいう経験は実際にあったんですか。

又吉 若いころは、同業者や同世代の活躍は直視できませんでしたね。

 ものすごく悔しいのに、だからこそ明晰に、過剰に分析的に読んでいる。永田もインタビューの受け答えをいちいち批評していて、この答え方うまいなとか、こう返すと批判しにくくなるな、そして最後にちょっと実存的なこと入れてきたな、とか……。

又吉 面倒くさい主人公ですね(笑)。

 又吉さんの小説に出てくる人物って、永田をはじめ、みんな分析の射程が長いですよね。単に朗らかだったり暗かったりするんじゃなくて、分析が何周も回ってる。これは又吉さん自身を反映しているんですか。

又吉 視点や感じ方は、若いころの僕に近いですね。

 今の自分とは違う?

又吉 今は変わってきていると思います。

 まあ、今ど真ん中だったら書けませんし。

又吉 昔は、例えば居酒屋で、一人の女の子ばかりしゃべってて、別の女の子が疎外感を抱いているだろうから、そっちに話振らないと、みたいなことを考えながら、その話し続けてた子が話し終わったときの表情とかよく見ていました。

 意地悪やなあ(笑)。

又吉 話し終わった余韻に浸っているのか、別の子の話に協力してあげようと思っているのか……その時は、その子、メニュー見てた。

 (笑)もう離れちゃってるんだ。

又吉 それで、僕はその子に「普段どういう人と遊んでるんですか」って聞いたんです。子供のころの友達少なめやろなって思ったんで。そしたら、地元の友達とはあまり遊ばないって答えで(笑)。

 プロファイリングを常にしている。

又吉 そういうことを常に気にしている時期がありました。

勝つにはドラマがないと

 永田が鍵を使った芝居を作りますね。あの場面もすごくよかった。観客を舞台に上げて、その人が使っている鍵を受け取った役者が、イメージをふくらませて話を作るという内容なんですが、これが見事にスベる。その記述の容赦のなさがすごかった。僕らは人前に出るといっても授業やこうしたイベントですから、見に来る人も好意的ですが、舞台でコントをするときとかは「お手並み拝見」みたいな人も多いですよね。

又吉 明らかにアウェイやなってことは、若いころはありました。

 そういう中で表現をしていると、否が応にも再帰的な、リフレクシブな眼差しに、自分自身がなる。あと、永田の劇団にいた青山という女性が小説を書くんですが、この内容やタイトルがちょっと変わっているというか、イキッた感じで、それに対して永田が「これが許されるのはめちゃくちゃ売れる人だけだよね」って言ってて、意地悪やなあと(笑)。

又吉直樹さん又吉 僕じゃないですからね。そこまで意地悪じゃない(笑)。

 あのダメ出しの容赦のなさがよかったです。僕も本業の社会学ではポジションを気にしますけどね。学問ってポジションをどこにとるかで論文を書かなくちゃいけない。

又吉 大会とか出ると、ポジション気にします。どこで負けたらいいかとか。

 優勝したらダメなキャラだってご自身でも思ってるんですか。

又吉 段階を経てドラマを作って、「次、こいつが優勝しそうやな」って思わせてから優勝だと思うんです。だから自分は自然なところで負けようと思うんですが、意識すると、それより手前で負けてしまう。それこそ一回戦で負ける(笑)。子どものころからそうでした。

 めんどくさい子どもやなあ(笑)。でもちょっとは勝ちたいという気持ちもあるんですか。僕は子どものころから勝負を降りちゃうんです。体育、特に球技が全然できなくて、ドッジボールでは自分から当たりに行ってました。

又吉 めっちゃ想像できますね(笑)。僕にも勝ちたい気持ちはあって、そういう時はエゴイストになります。

 今日は俺の日だって感じですか。そういう記述が『劇場』にもありましたね。小峰の舞台を見た後に「今日は俺の夜じゃない」というような言葉が。

恥ずかしさを逆ギレで克服

 「鍵」の芝居で、舞台上でのインタラクションがうまくいかなくて、役者がみんな我に返ってしまうでしょう。前日のリハーサルがうまく行っていただけに、よけい白けて、崩壊していく。先ほどからお話ししている分析的になるって、没頭しないことじゃないですか。それは表現する上では邪魔になりませんか。

又吉 そこからどうやって、恥ずかしいという感覚の外に出られるのか、ということだろうと。

 表現って恥ずかしいですよね。

又吉 ギャグなんてめちゃくちゃ恥ずかしいですよ。でも、そういう職業やから、逃げられない。

 出番も迫ってきますし。

又吉 それに、だれも照れてないんですよ。芸人がギャグやるのって当たり前やし。でも、例えば舞台上で、女性の体のどこに惹かれるかって話になったとき、僕だけすごく恥ずかしいんです。おっぱいとか、お尻とか、言うのがすごく恥ずかしい。だから、「うなじ」にしておこうかなって思ったりするんですが。

 わかる(笑)。ちょっと気取ってる感じがする。

又吉 「手のひら」とか言っても「そういうのいらんって」となって、もうおっぱいかお尻かどっちか選ぶしかないってことになる。それをみんな普通に言ってるんですが、僕はむちゃくちゃ抵抗があるんです。その場に八人くらいいて、僕は主役じゃない四番目くらいだから、パーツにならなあかんから、普通に言えばいいだけやのに、ずらしたらあかん、分かりやすく当たり前のように提示しなきゃあかんって思ったときに、自分、邪魔くさいなって思いますね。

 ずらしてるときに、そのことがばれると、ものすごくいやらしくなりますよね。メタメッセージまで考え出すと、何も言えなくなる。僕は音楽も好きでベースをやっていますが、劣等感が強すぎて、弾いているときに、格好つけられなくなるんです。自分のベースに没頭できなくなって、音程とか気になってしまう。だから、ジャズミュージシャンの綾戸智恵さんには「岸君は音楽ムリやな、音楽好きすぎるねん」って言われました。

又吉 なるほど。

 小説を書き始めるときは、そういう恥ずかしさはなかったですか。

又吉 最初は「なんで自分が」という思いがありました。でもいくつかきっかけがあって、恥ずかしさについては、考えすぎてきたらムカついてくるんですよ。なんでここまで考えなあかんねん、という。

 (笑)ひとり逆ギレみたいな。

又吉 おもろかろうがどうだろうが、書きたいから書くという以外に理由はないなって。

 僕もそう思います。でもその理屈って自己満足の時と同じで、商業的に世に出る作品を書く場合には、逆ギレだけじゃないだろうとも思うんです。永田君が企画する演劇のアイディアは、いかにも現代アートにあるようなリアルな内容で、コンセプチュアルですよね。これまでの演劇を壊してやろうというような。でも一方、それを書いている又吉さん自身は、きわめてオーソドックスな小説の形式を守っていて、それがすごく面白いと思います。これぞ小説、ザ・文学、という感じじゃないですか。小説の形式を壊してやろうとは思わなかったんですか。

又吉 たぶん何周もしていると思うんですけど、僕、すごくベタなんです。芸人にも誤解されていると思うんですが。好きなサッカー選手はマラドーナで、作家なら太宰芥川漱石とか。変わった小説も勧められて読んだら面白いし好きなんですけどね。そんなに批評的でもないと思っていて、カレーライス好きですし。

 (笑)カレーライス、うまいですよね。

次号後篇に続く
(9月5日、於・神楽坂 la kagu
 (きし・まさひこ 社会学者)
 (またよし・なおき 芸人・作家)
波 2019年10月号より
単行本刊行時掲載

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