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幾度めかの命

暖あやこ/著

2,420円(税込)

発売日:2022/02/18

書誌情報

読み仮名 イクドメカノイノチ
装幀 カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ/カバー装画、Artothek/カバー装画提供、アフロ/カバー装画提供、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 287ページ
ISBN 978-4-10-350854-0
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 2,420円
電子書籍 価格 2,420円
電子書籍 配信開始日 2022/02/18

残された寿命を譲る場に、国家資格者として臨場する私。ここはユートピアなのか、それとも!?

母は私たち姉妹のどちらに寿命を贈るつもりなのか決して明かさない。女性問題から家を出た父は、再会した直後から妻や子供に「譲命」を迫られていると漏らす。遺産相続問題よろしく、社会の人間関係が奇怪な形に変ってゆく……。「保管士」資格者の使命感で事故現場を駆け回る私に忍び寄る悪意。異色ファンタジー長編。

書評

命をトリートする技能者

紫野京作

 なぜか「耳」なのである。
 耳が、生死を分けるきわめて重要な機能をもっている、らしい。
 そういえばこの小説に引用されるゴッホも、拳銃自殺する少し前に自分の耳を切り落とすといった奇行があった。ゴッホは耳に何らかの強いこだわりがあって死を選んだのだ。
 この小説の舞台は日本には違いないのだが、耳のなかに生死の境界があるような、そんな世界なのである。フィクションの中で人間が人間の生命をコントロールしようとすると、その行先は安楽死か、過度の人工授精といった、ネガティヴな方向にむいてしまうものだが、この小説は、そのどちらでもない。
 日本の人口減少をこれ以上看過するわけにはいかない――この目的意識から、社会全体が今ある余命を互いに融通しあうことができるよう、国家が命そのものを管理する体制づくりをした、というのがこの作品の基本的な着想になっている。
 主人公は通常は消防署に勤務する女性である。事故や火災があるたびに緊急出動する。保管士――これが彼女の職名だが、これは本来誇るべき国家資格である。なぜなら、例えば事故現場においてトリアージの必要が生じたとき、的確な判断を下して有為な命を守らねばならないが、そのための処置を任されているのが、この保管士だからである。
 人口の減少を食い止めるためなら、国籍法を血縁主義から出生地主義に変えて、海外からの流入人口を増やす以外に方法がないのは世界史が証明しているとおりである。それがどうしても嫌で、諸外国がためらってきた「命の国家管理」を逸早く実現するのだから、この設定が現代日本と地続きであることは明白だろう。著者のたくらんだ設定の背景にもまた、国政批判、あるいは国民の風潮への批判が潜んでいることが窺えて面白い。そういえば、前作の『さよなら、エンペラー』も、近未来SF的設定の中で、政治のダイナミズムが効果的に使われていた。他の若手作家には決して見られない資質であろう。
 この小説に幾度も出てくるとは言え、それに出会うたびに緊張してしまうのは「譲命」のシーンである。自分の余命が尽きる前に、少し余裕を残した段階で子や孫に命を譲るのだ。これは制度化していて、その現場で処置を行うのが保管士である主人公だ。処置の対象がたまたま自分に縁の深い人物であった場合はどうするのだろうと多くの読者が感じるに違いない。いや、それが自分の仇であろうとも、平常心ではいられまい。
 この「譲命」という制度があるために、家族関係が変わってゆく。あたかも遺産相続をめぐる骨肉の争いのようなものが、財産とは別の次元で発生し、その時々の家族の状況に応じて変化するのだ。
 離婚によって離れ離れになった親子ならどうなのか、身内で深刻な喧嘩が起こったらどうするのか。そうした社会学的な問いが、この制度によって投げかけられる。しかしそれは、現代日本の家族がそもそも抱えている問題が顕在化しただけと言えるかもしれない。
 それが主人公の「周辺事態」であるうちはまだ良かった。後半になって、両親との関係に思わぬ変化が起こり、彼女はジレンマの中でその都度決断を迫られる。保管士というプロフェッションに対する誇りもまた、揺らぎ始めるのだ。
 やむを得ず生まれたにせよ、この制度は社会史の中の怪物に相違ない。しかしその運営に携わる者たちは怪物であってはならないだろう。主人公は物語の最後まで怪物にならずに済んだのだろうか。
 それを見届けることが出来たのは、冒頭から彼女に質問を浴びせ続ける、一人の塾教師だった。彼の耳には「あるべきもの」がなかった。ゴッホは耳を切り落した少し後で自死したのだが、彼もまた生死の境を行きつ戻りつした経験があるのだろうか……。
 社会学的ifの設定された、とても珍しい作品だ。設定過多のSFと違って、情景描写は極めてリアルだし、そのぶん感情移入も容易である。ファンタジーかSFか、はたまた――読者が本書のジャンルをどう決めるか、私は秘かに注目している。

(しや・きょうさく 文芸評論家)
波 2022年3月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

暖あやこ

ダン・アヤコ

1978年、東京生れ。上智大学および同大学院経済学研究科に学ぶ。放送作家、元明海大学非常勤講師。著書に『恐竜ギフト』『遠く海より来たりし者』『14歳のバベル』『さよなら、エンペラー』がある。ファンタジー小説界の期待の星。

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