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保田與重郎の文学

前田英樹/著

14,300円(税込)

発売日:2023/04/26

  • 書籍
  • 電子書籍あり

近代文学の極北にして核心。小林秀雄と並ぶ文学者の真髄を示す、決定的評論。

奈良に生まれ古典に通暁し、この国と文学のあるべき姿を終生説き続けた保田與重郎。日本浪曼派の中心人物にして、大東亜戦争賛美者と見なされた彼は、本当は何を書いたのか。日本武尊、大伴家持、後鳥羽院、芭蕉、そして戦場に赴いた無数の兵士たち――彼らの魂に共鳴し続けた文学者の著作を読み、文学の本道を改めて辿る。

目次
序章 やまとうるは
第一章 「注釈」の姿を取った文学
第二章 雄武の悲しみ
第三章 かいこうの祈り
第四章 おおきみの思想(その一)
第五章 おおきみの思想(その二)
第六章 敗れて不滅不朽となる者
第七章 精神の孤島に棲む者たち
第八章 「道」をゆく俳諧
第九章 その細き一筋をたどりうしなふ事なかれ
第十章 批評文学の生れ出る時(その一)
第十一章 批評文学の生れ出る時(その二)
第十二章 英雄の血統を高邁の文に誌す(その一)
第十三章 英雄の血統を高邁の文に誌す(その二)
第十四章 何処で西洋と別れるのか(その一)
第十五章 何処で西洋と別れるのか(その二)
第十六章 和歌の使命に還る道
第十七章 時局逆巻くなかで
第十八章 我、注釈者たらん
第十九章 く者に贈る
第二十章 「道」を論じて、死地に発つ
第二十一章 山河、滅びず(その一)
第二十二章 山河、滅びず(その二)
第二十三章 せいみなぎりて
第二十四章 文学の低き声、響く
第二十五章 述志の歳月(その一)
第二十六章 述志の歳月(その二)
第二十七章 身余堂の日々へ
第二十八章 「畸人」の思想(その一)
第二十九章 「畸人」の思想(その二)
第三十章 民族の造形を讃える(その一)
第三十一章 民族の造形を讃える(その二)
第三十二章 回想の書を未来へと遺しおく
第三十三章 文学に「神語」の淵源が在ること(その一)
第三十四章 文学に「神語」の淵源が在ること(その二)
第三十五章 時雨はやまず
第三十六章 われに萬葉ありて
第三十七章 最後の言葉
人名/神名索引
文献名索引

書誌情報

読み仮名 ヤスダヨジュウロウノブンガク
装幀 『藍紙本万葉集』より/カバー、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 A5判
頁数 802ページ
ISBN 978-4-10-351552-4
C-CODE 0095
ジャンル 評論・文学研究
定価 14,300円
電子書籍 価格 14,300円
電子書籍 配信開始日 2023/04/26

書評

窮極の保田與重郎論

片山杜秀

 保田與重郎論は難しい。たいていは失敗していると思う。そうなるのには大きな理由があろう。保田は自ら日本浪曼派と名乗った。イロニーという言葉も使った。だから当然、保田はドイツ・ロマン派に影響されてイロニーを駆使するロマンティックな文学者であり思想家なのだろうと、大抵の書き手は誘導されてしまう。かの有名な橋川文三の『日本浪曼派批判序説』も結局はそうだろう。橋川は戦時期に接した保田の同時代の文業を「私たちの失われた根底に対する熱烈な郷愁をかきたてた」と評した。失われたものへの郷愁! 異界への憧れ! ロマン派の本質でもあろう。時間的には昔、空間的には遠方。決して自らが手にし得ぬものを理想化して崇拝し、昔や遠方から力を得て自我の空想を肥大させ、そこから反転して、没理想的な今あるここの現実に、イロニーの集中砲火を浴びせる。それがロマン派の戦略というもので、日本浪曼派も同様であると考える。
 が、そのようなヨーロッパのロマン派にひきつけての日本浪曼派理解では、保田の膨大な著作はうまく読み解けまい。嵌らぬ文章が多すぎる。ではどうする? 本書にはコペルニクス的転回がある。保田の文学世界に失われたものなどありはしないし、失われていないものに対して郷愁を抱こうはずもない。本書の言わんとするところと思う。
 そもそも日本浪曼派という名乗りが一種のイロニーなのかもしれない。保田論のためには、西洋近代文芸批評流にロマン派にこだわるよりも、大切な足場があるだろう。それは何か。素直に保田を読めば、誰の目にも明らかである。国学だ。本居宣長だ。伴信友だ。鈴木重胤だ。鹿持雅澄だ。国学の思考はロマン主義やイロニーでは測れない。したがってその種の西洋の言葉で保田を分析しても隔靴掻痒だ。本書は国学の道にしたがって保田を虚心坦懐に読む企てである。
 はて、国学の道とは何か。そこにはロマン派のイロニーのような捻りはない。たとえば本居宣長が天照大神をどう考えたか。天照大神が天岩戸の内に隠れると高天原が真っ暗になったと神話は伝える。隠れて暗くなるのだから、天照大神とは太陽そのものズバリに決まっている。太陽の化身とか象徴とか擬人化とは考えない。森鴎外の『かのやうに』のような象徴的論理操作やあらゆる喩の作用を認めない。間髪いれぬのだ。そのものズバリだ。
 そのような国学的思考を少年期から身に沁ませた保田の思想も、そのものズバリに、ありのままに読めばよい。本書を貫く著者の構えであろう。太平洋戦争期、戦局が困難になるにつれ、保田は「神州不滅」を言い募り、狂信的戦争イデオローグの代表人物と同時代的に思われた。保田を思想家としてそれなりに救済しようとする者は、必敗と滅亡の段階に至ったからこそ「神州不滅」と言い出すのが絶望状況を批判するための保田独特のイロニーなのだと解そうとしてきただろう。ところが本書はたとえばこの「神州不滅」を字義通りに取る。保田の若き日から晩年までの著述に接すれば、保田の思うこの国の存在理由とは「米作りをして共に生きること」に尽きると分かるだろう。著者は言う。米を作り食べることには「植物的循環によって、動物がその生を養い、全うさせる暮らしの神髄があるからだ。連作のきかない麦と違い、米には年々の確実な収穫があり、働き手の数を上回る食糧が供給される。たとえば、五分づきの玄米として食べ、少しの野菜、豆類を加えれば、その栄養価はほぼ完全になる。人はこれによって、闘争、簒奪、殺戮の運命から解き放たれる」。こうして永続する世界が神州日本であり、敗戦しようが何だろうが、稲作が保たれていれば神州として継続されうる。それはリアルな日本であって、決してロマンティックではない。その神州のリアルが文明開化的リアルにどこまで抗しうるか。保田の関心事とはついにはそれだけであろう。そして、神州のリアルに棹さす性根を神話から近代までのこの国の文学史に確認し続けることが、保田の文業に他ならなかった。著者の保田論の要諦であろう。
 本書は八〇〇頁になんなんとする大著だが、その内容は米作りの国としての神州を言挙げする作業の無限反復と呼べる。著者の保田への同化には恐るべき迫力があり、その理由は、保田と著者が稲作に適した大和の国という空間を原郷として共有していること、それから、ありのままを素直に無心に感じ取る国学の道の極意を著者が武道を嗜む者として感得できているということの二点にあると思う。ついに著された保田論の決定版である。

(かたやま・もりひで 思想史研究者)
波 2023年5月号より
単行本刊行時掲載

担当編集者のひとこと

 保田與重郎を知っていますか。「日本浪曼派」という文学運動を率いて、戦前の日本で大きな影響力をもった批評家です。そのため戦後は戦争賛美者として批判され、彼について語ることは半ばタブー視されてきました。
 日本近代文学の批評家と言えば、まず挙がるのが小林秀雄です。実は、彼の向こうに、保田與重郎というもう一つの高峰がそびえています。しかし、イデオロギーの分厚い雲が邪魔をし、これまで山容が見えませんでした。その著作を虚心坦懐に読み、保田が本当は何を説いていたのかを明らかにするのが、前田英樹さんの長篇批評『保田與重郎の文学』です。
 保田與重郎の著作に通底するのは、イロニーという概念です。負けると分かっていても正しい方に賭ける心意気、とでも言いましょうか。日本武尊、大伴家持、後鳥羽院、芭蕉……保田が心を寄せた人々は、この心意気で共通しています。そして、戦争に赴いた多くの兵士たちも。彼らが守ろうとした「正しさ」とは、「国学」が見出した日本の伝統であり、保田によれば、米作りと祭祀に基づいたくにの形です。確かに「反動的」かもしれませんが、この本を携え「保田岳」に登れば、まったく新しい景色が眼下に広がっていることでしょう。全800頁、簡単に手は出せませんが、本当の文学を求める読者の感動を呼び、このたび増刷が決まりました。(出版部・TS)

2023/06/27

著者プロフィール

前田英樹

マエダ・ヒデキ

批評家。1951(昭和26)年、大阪生、奈良に育つ。中央大学仏文科卒。立教大学仏文科教授、同、現代心理学部映像身体学科教授を歴任。2023年4月現在、同大学名誉教授。著書に『沈黙するソシュール』『倫理という力』『定本 小林秀雄』『言語の闇をぬけて』『セザンヌ 画家のメチエ』『信徒 内村鑑三』『日本人の信仰心』『民俗と民藝』『ベルクソン哲学の遺言』『剣の法』『小津安二郎の喜び』『批評の魂』などがある。

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