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愛する娘は“ボーダー”だった! 63歳にして新人。異能の作家が実体験を基に描く、正真正銘の問題作!

ボダ子

赤松利市/著

1,674円(税込)

本の仕様

発売日:2019/04/19

読み仮名 ボダコ 
装幀 サトウノブタカ/カバー写真、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 332ページ
ISBN 978-4-10-352481-6
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 1,674円

バブルのあぶく金を掴み、順風満帆に過ごしてきたはずだった。やがて事業は破綻し、境界性人格障害(ボーダー)の娘を連れた大西浩平は東北で土木作業員へと転身。再起を賭し、津波避難タワー建設へ奔走するも、それは奈落への序章に過ぎなかった。圧倒的な孤独、極限の恐怖、そして、絶望の頂へ――。あなたは、この現実を直視できるか。

著者プロフィール

赤松利市 アカマツ・リイチ

1956年、香川県生まれ。2018年、「藻屑蟹」で第一回大藪春彦新人賞を受賞。他の著書に『鯖』『らんちう』『藻屑蟹』。『ボダ子』が四作目となる。

書評

ボダ親とボダ男とボダ女とボダ子

岩井志麻子

 読んでいる間中ずうっと、頭が痛い胸が痛い腕が痛い、何より肛門が痛かった。
 この『ボダ子』を知る前から、いろんな業界関係者に赤松利市さんの噂は聞いていた。全身小説家。これは小説家の井上光晴先生の晩年をドキュメンタリーとして撮った原一男監督の映画の題名だが、御本家に並ぶ赤松先生の全身小説家ぶりは、何を聞いてもひたすら圧倒され、あきれ果て畏怖し、「私には無理」と思わせてくれるものばかりだった。
 実はかなり昔、御本人にお会いしたことがある。そのときも全身小説家の片鱗は垣間見えていたものの、正直そこまでの完成形ではなかったように記憶している。
 あの頃の赤松先生は、現世のいろんなものに恵まれ余裕がおありで、何が何でも小説家でいたいお人ではなかったからだ。と、決めつけてしまうのは、私が全身愛読者だからだ。
 それでも、『ボダ子』を読んでしまってからでは、なんだか『ボダ子』以前の作品を読んだときと私の読者っぷりも違ってきた。もちろんこれ以外の作品も傑作揃いなのだが、以前は私の中では作品より御本人の凄さが先行してしまい、私なんかが小説家を名乗っていいのか、とまで考えこんでいたのだ。
 私は居心地よい部屋でのんびりくつろぎ、たまには贅沢な旅行も高い食事も楽しみたいし、自慢の子だといえる息子と平穏に暮らし、というのがまずは大事なことであって、それらがあってこその小説書きだった。
 赤松さんとほぼ同年代で、どこか似た匂いはあるものの生き様や暮らしぶりはまったく違う親しい男性がいるが、彼に赤松さんの話をし、どうしようもなく劣等感と引け目みたいなものを抱いてしまうといったら、
「志麻子さんは小説家を安定した職業にしたい人で、赤松さんは金になろうがなるまいが、とにかく小説を書きたい人なんだから、最初からジャンルが違うだろ」
 と答えられ、ひどく安心した。私はひりひりとした痛みや焦燥を感じず持たず、ただ赤松世界に浸ればいいのだと。
 しかし初めて、肛門が痛いとはいわされた。これは愛読者としては、幸せな悦びの痛みを得られたことになるのか。
 そもそも題名にもなっている通称ボダ子が主役かと思って読み始めたら、どうしても作者と同一視させられる語り手の父親、浩平が主役だった。
 彼はものすごいダメ男として描かれているが、クズ男ではない。ダメとクズは似て非なるものだ。クズ男やクズ女は彼の職場や娘の入院した病院、ボランティアの現場などに遍在し、よく読めば光り輝くダメ男は浩平ただ一人である。
 娘は、ピュアすぎて透き通るような唯一のダメ女だ。
 そしてクズの一人である私は、いろんな濃い登場人物の中から誰より泰子に釘付けになってしまったのだった。
 浩平は薄幸な女がタイプと繰り返し、だから惚れたとなっているが、実は単なる極貧の女だった、という泰子。
 なんというか、全身肛門みたいな女なのだ。常に黴菌にまみれ、排泄物を出す器官なのに、エロな行為にも使われるし、人前で出してはいけない部位。
 浩平も情欲、愛欲は当然のことながら、何やら生存への渇望や成功への熱意、娘を守ろうとすることも含めての真っ当な活力、あらゆる前向きといってもいいものを泰子の肛門に求めつつ、暴力衝動に破壊願望に日々の苦悩や不安や葛藤や恐怖、後ろ向きな感情の捌け口としても泰子の肛門を使う。
 登場人物の誰よりも嫌々ながら感情移入してしまう泰子のおかげで、いや、浩平のせいで、読んでる間ずっと肛門から血が出ていた気がする。
 ちなみに前述の、赤松先生とどこか似て全然違う男性もまた、口癖のように「貧乏臭い可哀想な女が好き」という。いじめる。いじめたい。これは本来、愛が必要なのだからと。
 考えてみれば、ダメ男好きの女というのも一定数いるわけで、すべての人が美しい希望や正しい規範で生きたくもないのだ。人ってみんなボーダーだな、と改めて思うわけだ。
 とはいえやっぱり、私はネットカフェに寝泊まりするのも、肛門を使われるのも嫌で、安全なこちら側にずっといながら赤松先生のあちら側の危ない世界をのぞかせていただく。
 でも、赤松先生を徹底的にあちらに追いやらないボダ子の面影を一緒に追い、待たせてもいただきたい。

(いわい・しまこ 作家)
波 2019年5月号より
単行本刊行時掲載

目次

序章
第一章 あぶく景気
第二章 被災地へ
第三章 薄幸の女
第四章 陥穽
第五章 水泡
第六章 瓦解
終章

インタビュー/対談/エッセイ

共感されたいとは思いません

赤松利市

破壊の道へと突き進むなか、震災ビジネスに縋った男の末路とは――。実体験を基に描いた正真正銘の問題作、刊行にあたって、胸の内を著者本人が曝け出す。

 読者に共感されたいとは思わない。別に共感されることを拒否しているわけではない。ただ少なくとも、読者を意識して書いた作品ではない。小説家としての資質の欠如かもしれないが、ありのままにいうとそういうことだ。長編書き下ろし三冊目になる『ボダ子』が読者にどう読まれるか、一切気にしなかった。気にする余裕がなかった。
 校了のご連絡を新潮社の担当者からいただき、本作に関して、これまでやり取りしたメールを整理した。私の場合という但し書きがいるかもしれないが、ひとつの作品が出来上がるまでに、担当者と夥しいメールのやり取りがある。どれも消さずに持っている。後々過去のメールの時点に戻って、改稿を検討することも珍しくないからだ。
 刊行されて世に出れば、その作品は著者の物ではない。お読みいただく読者の物になる。だから過去のやり取りのあれこれを整理する。消去するわけではない。別のフォルダーに移し替える。私の執筆場所は今も漫画喫茶だ。仕掛中の作品はメールフォルダーに保存している。フォルダー容量を考えて作業の終わりに別フォルダーに移し替える。
 整理しながら昨年十一月の受信メールに目が留まった。「よくぞここまで書いてくれました」そんな文言から始まる担当者からのメールだった。
 六月一日から書き始め、途中先行している別の版元さんの二作品の改稿やゲラチェック、また文庫本の執筆と併行して進め、本作の初稿が書きあがったのが九月一日だった。そこから改稿を重ね(ほぼ全面改稿だった)、二か月かけて漸くそのメールをいただいた。しかしいつになく長文のそのメールには、さらなる改稿点が列挙されていた。正直私は、新潮社の担当者の貪欲さというか無慈悲さに暫し茫然とした。
 そこから泥濘を進むような改稿作業を続けた。何度もメールをやり取りし、また打ち合わせのため、私のもとに何度も足も運んでいただいた。
 もう少し、もう少しで、という言葉に励まされながら(当時の私の感覚では煽てられながら)、漸く脱稿に至ったのが今年の二月末だ。着手から九か月もかかってしまった。
 苦労自慢ではない。本来なら、こんな楽屋内の話もするべきではないと考える。読者にとって重要なのは偏に作品の内容だろう。しかしどうしても書いておきたかったのは、ここまで『ボダ子』に併走してくれた担当者に対する感謝の念だ。先日装丁見本を見せられた。一切注文はつけなかった。デザインだけでなく、帯に書かれた惹句も、すべてに満足した。
『ボダ子』は私一人の作品ではない。等しく担当者の作品でもある。その担当者が考え抜いた装丁、惹句は完璧なものだった。注文の付け所もなかった。この九か月間のことも含め、心からお礼を言いたい。
 私は大藪春彦新人賞でデビューした。舞台は原発事故に翻弄される福島だった。『ボダ子』は復興バブルに沸いた宮城県を舞台にしている。
 宮城県で土木作業員を経験し、福島県では除染作業員を経験した。そんなこともあって、「震災文学」というほど大袈裟なものではないかもしれないが、被災地に関する作品を書かないかと勧めてくれる人もある。
 しかし私が長編書き下ろしで東日本大震災の被災地を扱うのは『ボダ子』を最後とする。被災地を離れて既に三年が経つ。その場所にいない人間が書いていいほど、被災地の状況は甘くない。実際私も、東北で暮らしていたとき、ずいぶんと違和感を覚える意見を耳にしたり、まったく的外れな文章を目にしたりした。同じ轍は断じて踏みたくない。ましてや私は、多くの人を裏切って被災地から逃げ出した人間なのだ。そんな人間に書けるはずがない。
 被災地を書けばきれい事だけでは済まされない。あたりまえに、その土地、土地の葛藤がある。さらに膨大な復興予算が投じられているのだ。金が人の判断を狂わせるのは、いつの時代も変わらない。
 岩手、宮城、福島の十九市町を訪れた。何人かの首長や、それに準じる立場の人と言葉も交わした。被災者の生の声にも日々触れた。募る想いは種々あるが、『ボダ子』をもって総決算としたい。読んでいただければお分かりになるだろう。私は卑怯者だ。これ以上、被災地のことは語れない。

(あかまつ・りいち 作家)
波 2019年5月号より
単行本刊行時掲載

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