村上春樹 雑文集
1,540円(税込)
発売日:2011/01/31
- 書籍
1979-2010 未収録の作品、未発表の文章から著者自身がセレクトした69篇。
デビュー作「風の歌を聴け」受賞の言葉。エルサレム賞スピーチ「壁と卵」。『海辺のカフカ』中国語版に書いた序文。ジャズ、友人、小説について。そして二つの未発表超短編小説。「1995年」の考察、結婚式のお祝いメッセージ。イラスト・解説対談=和田誠・安西水丸
同じ空気を吸っているんだな、ということ
僕らが生きている困った世界
安西水丸はあなたを見ている
「先はまだ長いので」――野間文芸新人賞・受賞の言葉
「ぜんぜん忘れてていい」――谷崎賞をとったころ
「不思議であって、不思議でもない」――朝日賞・受賞のあいさつ
「今になって突然というか」――早稲田大学坪内逍遥大賞・受賞のあいさつ
「まだまわりにたくさんあるはず」――毎日出版文化賞・受賞のあいさつ
「枝葉が激しく揺れようと」――新風賞・受賞のあいさつ
自分の内側の未知の場所を探索できた
ドーナッツをかじりながら
いいときにはとてもいい
「壁と卵」――エルサレム賞・受賞のあいさつ
ジム・モリソンのソウル・キッチン
ノルウェイの木を見て森を見ず
日本人にジャズは理解できているんだろうか
ビル・クロウとの会話
ニューヨークの秋
みんなが海をもてたなら
煙が目にしみたりして
ひたむきなピアニスト
言い出しかねて
ノーホェア・マン(どこにもいけない人)
ビリー・ホリデイの話
共生を求める人々、求めない人々
血肉のある言葉を求めて
僕の中の『キャッチャー』
準古典小説としての『ロング・グッドバイ』
へら鹿(ムース)を追って
スティーヴン・キングの絶望と愛――良質の恐怖表現
ティム・オブライエンがプリンストン大学に来た日のこと
バッハとオースターの効用
グレイス・ペイリーの中毒的「歯ごたえ」
レイモンド・カーヴァーの世界
スコット・フィッツジェラルド――ジャズ・エイジの旗手
小説より面白い?
たった一度の出会いが残してくれたもの
器量のある小説
カズオ・イシグロのような同時代作家を持つこと
翻訳の神様
動物園のツウ
都築響一的世界のなりたち
蒐集する目と、説得する言葉
チップ・キッドの仕事
「河合先生」と「河合隼雄」
正しいアイロンのかけ方
にしんの話
ジャック・ロンドンの入れ歯
風のことを考えよう
TONY TAKITANIのためのコメント
違う響きを求めて
ポスト・コミュニズムの世界からの質問
柄谷行人
茂みの中の野ネズミ
遠くまで旅する部屋
自分の物語と、自分の文体
温かみを醸し出す小説を
凍った海と斧
物語の善きサイクル
書誌情報
読み仮名 | ムラカミハルキザツブンシュウ |
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発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 448ページ |
ISBN | 978-4-10-353427-3 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | エッセー・随筆 |
定価 | 1,540円 |
書評
村上さんってどんな人?
「村上さんってどんな人ですか?」
と、これまで私は何百回となく訊かれてきた。『アンダーグラウンド』の取材に同行したこともあり、彼の人となりを間近に見た者として報告義務でもあるかのように問われるのだが、これは非常に答えにくい。そもそも人様をひと言で形容するのは難しいし、ましてや世界のムラカミである。下手に、電車に乗った時に切符を失くして改札口で体中をまさぐっていたとか、ビールを飲むと時々自分のことを「僕」ではなく「俺」と言って、その後「僕」に戻ったりする、などというエピソードを披露してしまうと、それにヘンな尾ひれがついてハルキワールドを損なうことになりかねない。とはいえ、「わからない」と答えるのも能がないし、彼がまるで人間味のない人に思われても困るので、私は暫定的にこう答えることにした。
「その通りの人です」
どの通り? と訊かれても「その通り」。一種のごまかしでもあるのだが、あながち外れてはいないだろう。実際の村上さんは、作品の文章と印象があまり変わらないのである。日常会話でも彼の言葉は一つひとつが屹立しており、ウソやごまかしがない。言葉の裏に作為のようなものが感じられず、「牡蠣フライが食べたい」と言えば、それは牡蠣フライを食べたいということしか含意していない。曖昧な時も曖昧さがクリアで、語尾も私のように「○○なんじゃないかと思ったりして……」などと濁らず、きっぱりと句読点を打つのだ。
という意味で、本書は村上さんの実像を味わえる貴重な一冊といえるだろう。依頼に応えて書いた本の解説や雑誌記事、様々な授賞式や結婚式での挨拶、さらには未発表の超短編小説まで収録されており、読むとまるで村上さんの肉声を聞くようである。「雑文集」と名付けられてはいるが、文章はやはり雑ではない。それこそ長距離ランナーのように、リズムを崩さず着実に言葉を積み上げていく。そういえば『アンダーグラウンド』の時もそうだった。被害者のインタビューを終えると村上さんは規則正しく原稿を仕上げ、チェックする私が「ちょっと待ってください」と頼みたくなるほどだった。長距離走に譬えるなら、私が小休止する間に彼はどんどんグラウンドを回り、気がつくと50周くらい抜かれている感じである。しかしマイペースゆえに時として突っ込みを入れたくもなる。例えば授賞式での挨拶。「賞は作品が受けたのであって、僕個人がどうこう言う筋合のものではない」とか、「作家にとってのいちばん大事な賞とは、あるいは勲章とは、熱心な読者の存在であって、それ以外の何ものでもない」などと、なにもそこまで正論を語ることはないだろう。ボツになったという短編も「やっぱりそれは止めておいたほうがいいんじゃないですか」と忠言したくなる。もうちょっと適度な社会性のようなものがあってもよさそうな気がするのだが、いかなる場面でも変わらず走り続けられることが村上さんの特質であり、才能なのだろう。安西水丸さんや河合隼雄さんなどのことを書いた人物評も興味深い。私もそのひとりなので断言できるが、彼の描写は実に正確。正確すぎて否定したくなるくらいだ。なぜここまで正確なのかというと、本書冒頭「自己とは何か」にあるように、彼は「自分」自体は書けないが、牡蠣フライなど何らかの対象物についてなら書く。自身と牡蠣フライとの相関関係や距離について書くことでおのずと自分というものが描き出されるという。つまり人物描写は彼自身のことでもあり、観察眼は自分に向けられているのである。
やっぱり村上さんにはウソがない、と私はしみじみ感心した。ウソをつかない小説家というのも形容矛盾のようだが、彼は頭に浮かぶ世界を正直に正確に言葉にしており、その揺るぎない姿勢が多くの読者をつかんでいるのだろう。
「村上さんはこの通りの人だと思います」
と私は本書を読者の皆さんに差し出したい。この通りの言葉で生きている人です、と。参考までに村上さんの声は地響きを起こすような重低音で、チューバを思わせる。彼の人となりは詮索せず、調律の行き届いたひとつの楽器だと思って、これからもその作品世界を堪能していただきたい。
(たかはし・ひでみね ノンフィクション作家)
波 2011年2月号より
著者プロフィール
村上春樹
ムラカミ・ハルキ
1949年京都生れ。『風の歌を聴け』でデビュー。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ねじまき鳥クロニクル』『アフターダーク』『海辺のカフカ』『1Q84』『騎士団長殺し』『街とその不確かな壁』などの長編小説、『神の子どもたちはみな踊る』『東京奇譚集』などの短編小説集がある。『レイモンド・カーヴァー全集』、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』『フラニーとズーイ』、トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』、ジェフ・ダイヤー『バット・ビューティフル』など訳書多数。