ひとりで生きると決めたんだ
1,540円(税込)
発売日:2022/11/17
- 書籍
- 電子書籍あり
それは覚悟なのか、諦めなのか――。不器用な日常を綴ったエッセイ集。
しっくりくる肩書きがない、人生が楽しくなる「週5日制」、心を射貫かれた田中みな実さんの一言……。誰もが素通りする場所で足を止め、重箱の隅に宇宙を感じ、「どうでもいいこと」の向こう側で見つけた、自分だけの「いいね」。48歳ふかわりょうが奏でる、芳醇で洒脱なしらべ。彼はなぜ、ひとりで生きると決めたのか。
諭吉は見ています
不揃いの美学
FIRST TAKE
代役魂
SANS SOLEIL(サン・ソレイユ)
しっくりこないまま
ワルツのリズムでまた明日
オークション沼
I’ll Remember April
拝啓 みな実様
砂時計
悪魔は愛情でできている
心の暖簾
いつもそこに笑いがある
敏感中年
人生は弱火で
シンセの神様
シャンゼリゼの奇跡
最後の遠足
先輩風はどこへ吹く
通信簿は続くよ、どこまでも
書誌情報
読み仮名 | ヒトリデイキルトキメタンダ |
---|---|
装幀 | ふかわりょう/カバー写真、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-353792-2 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | ノンフィクション |
定価 | 1,540円 |
電子書籍 価格 | 1,540円 |
電子書籍 配信開始日 | 2022/11/17 |
書評
共感の時代のソリチュード
たとえばニジンスキーが華麗な跳躍を封印して「牧神の午後」を上演したとき、たとえばグレン・グールドがデビュー盤の楽曲に「ゴルトベルク変奏曲」を選んだとき、たとえばココ・シャネルが喪に服す色を使ってコルセットのないミニドレスを発表したとき、賛意を表明する人などごく僅かだったのであって、独創性が常に無理解や批判に晒されることを私たちはよく知っている。そして孤独なしにはあり得なかった革命の歴史を愛し、天才たちの感性を否定した当時の人々の愚かさを得意げに語ってきた。それをした同じ手で、「いいね!」と共感のボタンを押し合い、寄せられた共感の数を比べ、あたかもその数が人の価値を決めるかのように振る舞いながら。
芸人、タレント、DJなどしっくりこない既存の肩書きの間を揺蕩い、「いいねなんて、いらない」と公言する著者の22篇のエッセイはその意味で、共感なんていうものからまるっきり自由な想像力に彩られていた。窓の外の青鷺の巣に一発本番の舞台と重なる雛の巣立ちをイメージし、ネットオークションの品揃えから出品者の人生の節目を思い、オープンカーの革シートに舞い落ちた春の落ち葉と会話を始める。何気ないとしか言いようのない風景の背後に、無数の物語が動き出す。
前作『世の中と足並みがそろわない』には、人間に改良を繰り返され、自らの力では起き上がれずにいる羊たちを起こして回る記述があった。本作で多くの人が見逃しがちな細部の歪さを眼差すのもまた、草原に溺れる羊に気づくのと同じ目だ。誰かを論破することにも共感をかき集めることにも興味を示さないその視線に、想像力こそ優しさの正体であると確信する。砂時計について書かれた章では、かつて番組で扱った砂時計職人が、肌寒い季節に冷やし中華を食べていたことが回想される。「もしかすると、普段時間に支配されている反動が、季節外れの冷やし中華に繋がったのではと、笑みを浮かべて見ていました」。
その気づきは時に不可解で突拍子もない方向に突き進んでいく。平日をワルツのリズムにするために、現状7日の一週間を5日にすることを提唱する。IHの火力を10にすると薬缶を急かすことになるので、弱火の4に設定する。その世界に「わかるわかる~」も「たしかに~」も入り込む余地はない。目が点になり、混乱すらする。面倒な人、ズレた人とラベルを貼ってしまえば、私たちは“正常な”感覚のまま日常を受け流し続けるのだろう。
著者の繊細な眼差しからしか生まれ得ない作品は、かなり特異な仕方で私の身体と生に入り込んできた。半分はもとからなくて、半分は今まさに失いつつある何かを見せつけられた気がして、唐突に胸が苦しくなった。今の私の目にはバルサン焚こうの合図としてしか映らないダニが、どこからきてどこにいくのか気になったことは確かにあった。日用品から声が聞こえてくるような感覚も全く身に覚えがないわけではない。それでも荒々しい世界で傷付かずに生きていくために、子どもの頃の感性にヤスリをかけて生きてきた。かつて誰もが持っていたかもしれない独創性も、目の前に降りかかってくるものを薙ぎ倒しながら進むうちに削ぎ落とされ、鈍化していく。私にはそれを否定することはできない。社会の形に合わせて削られた感性は似通っていて、気楽にいいね! と共感しあえる。凡庸さを受け入れる代わりに孤独を逃れる。退屈だけど、仕方がない。
それでも本作に挟み込まれた余情のある言葉たちは、私たちの殺伐とした日常をドラマチックに補完してくれるものだった。風の試着室、襟の悲鳴、太陽のない場所、町内会のG7。本を捲らなければ取るに足らないものだった細部に、小さな世界が少しの間浮かび上がる。本を閉じればやはり荒っぽい神経で、日常に戻るのだとしても。
それにしても。神経が鈍化する前の子どもの繊細さを持ったまま中年になることが、いかにして起こり得たのか。それを保ち続けることこそが最も大きな才能だと言ってしまえば身もふたもないが、本の中で垣間見える「習慣のように同じことを繰り返す」特異な生活は何かしら関係していそうではある。独自の反復の中にいるからこそ、小さな変化や僅かな狂いに敏感になり、そのひずみの中に世界の異常さが見える。そう考えると著者がクラブミュージックを操るDJでもあることは大変合点のいくことでもある。リズムの反復の中に陶酔が生まれ、小さな破綻に高揚がある。タイトルの「ひとり」は、その独自のリズムを保つことを指すとも言えるのだろう。
「横たわったまま吐かれたかぼそい息が天井に消えると、尻尾を揺らして私の周りを歩いていたビーグルは、四角い額の中から私を見つめるようになりました」。胸を抉られるような別れを経てなお著者は孤独を引き受ける。「孤独(solitude)」を「寂しさ(loneliness)」と明確に区別したハンナ・アーレントに倣えば、孤独とは自分が自分自身と豊かな対話をしていること。多くの大人が本来的な意味での孤独に耐えられず、寂しさをいいね! で埋め合わせる時代を、荒野から不安げに見つめる羊の細い足は、あらゆる創造性の源に見えた。
(すずき・すずみ 作家)
波 2022年12月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
「重箱の隅に宇宙を感じる者同士」
以前からふかわさんの著作のファンだという長濱さん。アイスランドへの憧れ、「世の中と足並みがそろわない」自分のこと、肩書に感じるモヤモヤ、体育祭での円陣について……。「わかる!」が連発で、初対面にして意気投合、互いの考えが絶妙にシンクロする、息ぴったりの対談となりました。
ずっと会いたかった
長濱 対談の最初からいきなりこんなことを言うのも僭越ですが、ふかわさんの著作を拝読するたびに、「わかる!!」と勝手にずっと共感していたので、今日はお目にかかれてとても嬉しいです。
ふかわ こちらこそ光栄です、ありがとうございます。2年前に出したエッセイ集『世の中と足並みがそろわない』を長濱さんがインスタグラムに投稿して下さり、そのことを知人から知らされてびっくりして。それが私も嬉しかったので、今回お話しできるのを楽しみにしていました。前作はなぜ手に取って下さったんですか?
長濱 『風とマシュマロの国』(幻戯書房、2012年)というアイスランド旅行記をきっかけに、ふかわさんの文章のファンになりました。
ふかわ え、本当ですか?
長濱 アイスランドにはもともと興味があったのですが、この本を読んでますます好きになって。今回の新刊のカバー写真は、「マシュマロ」なんですね。仰向けになると自分では起き上がれない、アイスランドの羊。
ふかわ そうなんです。長濱さんは読書家でいらっしゃるので、それで読んで下さったのかなと思っていたのですが、まさかアイスランドの方がきっかけだったとは……。今日はもう、こっち(新刊)の話はやめて、アイスランドの話をしましょうか(笑)。ちなみに、アイスランドへの関心はどこから生まれたのですか?
長濱 きっかけは音楽でした。シガー・ロスというバンドと、アウスゲイルというアーティストが好きで、他にもビョークやムームもよく聴くのですが、彼らがみんなアイスランド出身だということに、あるとき気がついたんです。
ふかわ そういう偶然ってありますよね。私も、「音」が好きだな、と感じていたアーティストたちが皆、スウェーデン出身だった、ということがありました。
長濱 それに、ナビゲーターを務めているMUSIC ON! TV(エムオン!)の「legato~旅する音楽スタジオ~」という音楽番組でアイスランドを特集したときに、国の歴史や風土について調べたところ、とても自由で、他人にあまり干渉しない国民性ということも知り、ますます興味が湧いて……。まだ行ったことはないのですが、いつか絶対に行ってみたい場所です。
ふかわ マネージャーさんや事務所には、その気持ちは伝えているんですか?
長濱 はい。でも、何回言っても、「アイルランドだよね」って間違えられちゃって(笑)。
ふかわ これは私の勝手な希望ですが、できればお仕事ではなく、最初は完全なプライベートで訪れて頂けるといいなぁ。それにしても、アイスランドに関心を持つ人ってそれほど多くないので、こんなに強い興味を示して下さったことにびっくりしています。旅行記を作った甲斐がありました(笑)。
肩書は「ふかわ」?
長濱 アイスランドのことももっとお聞きしたいのですが、新刊についても色々お話ししたいことがあって。先ほども言いましたが、前作のエッセイ集も、今回の『ひとりで生きると決めたんだ』も、共感するところがたくさんありました。例えば今作で特に印象的だったのは、「ワルツのリズムでまた明日」に出てきた、「ひつまぶし」のエピソードです。
ふかわ うわー、嬉しい! 「ひつまぶし」にスポットを当ててくれた感想、長濱さんが初めてです。
長濱 (1)そのまま食べる(2)薬味を入れて食べる(3)出汁をかけて食べる、と、ひつまぶしでは3通りの味が楽しめるというのが売り文句になっていますが、2番目の「薬味を入れる」って少し無理があるよね、との指摘には、「わかる!」と思わず声が出てしまいました。
ふかわ ついに、強力な味方が現れた! 一緒に立ち上がりましょう!
長濱 確かに、単に薬味を入れているだけで、食べ方は変わっていませんもんね。
ふかわ これ以上ない援護射撃に、感動すら覚えています。本の「はじめに」でも書いたように、私が関心を持つことは、世間一般の方のほとんどが気にしないことばかりで、そのせいか、「ふかわはいつも、重箱の隅を突いている」なんて言われることもよくあって。だから逆に言うと、長濱さんがアイスランドに興味を持つのは自然の流れというか、同じタイプゆえにアイスランドに行きついたと言えるのかもしれません。ちなみに、読んでいて理解できなかったところはありましたか?
長濱 全然なかったです。他にも共感することばかりで、気になった箇所をメモしてきたのですが……そうそう、「お笑い芸人」「タレント」「マルチタレント」など、どんな肩書きもどうしてもしっくりこない、というふかわさんの違和感は、私も同じように抱いているモヤモヤです。今から2年前、22歳頃までは、自分にピタッと当てはまる肩書きがないことにソワソワしちゃったのですが、最近は社会の変化もあるのか、肩書きがない人がすごく増えているように感じて、それで少し楽になれました。
ふかわ そこにも共鳴してくれたとは、本当に嬉しい。30年近く前のデビュー当時から私は、「長髪は芸人らしくない」「お笑い芸人がDJやるなんて調子に乗るな」「芸人に情報番組のコメンテーターなんてできるの?」など、「芸人らしくないこと」をするたび批判されてきたんですね。私自身も「らしくないこと」に多少の罪悪感もあって、「自分はいったい何者なんだろう……」というのがコンプレックスだったのですが、確かに時代の変化もあるのか、そんな「何者でもないこと」が、胸を張らないまでも、決してコンプレックスに感じなくてもいいことなんだなと、最近思えるようになりました。
長濱 有名なロックスターさんのように、“最後の手段”は「肩書きは、ふかわです」という記述や、自由に肩書きを作れるならば「へそ曲がリスト」が一番しっくりくる、というのには思わず笑ってしまいました。
ふかわ その肩書きも、「へそ曲がリスト」の「リ」を、ひらがなにするかカタカナにするかで何日も悩んで……。ちなみに、私のことを、へそ曲がりだと思いますか?
長濱 思います!
ふかわ でも自分ではその自覚はなくて、いたって「まっすぐだ」と思っているんです。
長濱 その気持ちもわかります!
ふかわ こんなにわかり合えると思いませんでした。もう、私のマネージャーより理解してくれています(笑)。
違和感の正体を掘り下げる
長濱 私も月刊誌でエッセイを連載させて頂いていて、書くこと自体はとても好きなのですが、毎月締め切りが近づくと、大抵、「今月も大きな出来事はなかった……うー書けない……」ってかなり苦しんでいます。旅行にでも出かけていれば別ですが……。ふかわさんはどんなタイミングでエッセイを書かれているのですか?
ふかわ 私の場合、前作も今作も、出版社から執筆の依頼をされたわけではなく、締め切りに合わせて書いたのではありません。それに、私が書きたいことは大きな出来事や特別なハプニングというよりも、日常生活でふとした時にひっかかって、胸の奥深くに沈んで溜まった小さな違和感という「澱み」を、少しずつ水に溶かして、文章にしているといった感じなんです。
長濱 なるほど。今のお話だと、私の場合、文章を書く時に少し構えてしまっているのかもしれません。というのは、エッセイを読んで下さるって、とても「能動的」な行為だから、「エッセイでは、正直でいなきゃ」って強く意識しちゃうんです。ちょっとでも格好つけたりすると、読む人に見抜かれちゃう気がして、それが怖くて。それに、素の自分は、世の中に対してちょっと斜に構えている部分があるのですが、それをストレートに出してしまうことへの恐れもあり……。
ふかわ 私も最初は、「ほとんどの方から見れば、重箱の隅を突くようなこと」ばかりを書き連ねることに、戸惑いやためらいがあったのですが、担当編集者の方が「大丈夫だよ、その視点は面白いよ、だから安心して見せていいよ」と背中をさすって励ましてくれたおかげで、ワーッと全部、吐き出すことができたんだと思っています。長濱さんの場合も、例えば、「自分に当てはまる肩書きが見つからない」という先ほどのモヤモヤを深く掘り下げていけば、あっという間に一編書けてしまうような気がしますよ。ちなみに、そういった「違和感」って、他にも何かありますか?
長濱 違和感とは異なるのかもしれませんが、ある番組の収録前、私が本番で課せられたある役割に緊張していたとき、周囲にいた方が、「長濱さんなら大丈夫、持ってる人だから!」と声を掛けてくれたことがありました。でも、結局私は本番で失敗してしまい、「ああ、やっぱり私は持ってないんだ」と、自分のスター性のなさを突き付けられたような気持ちになって、勝手に落ち込んで……。その方はもちろん、励ますつもりで言って下さったわけですから、本来、深く考える必要なんてないはずなのですが。
ふかわ 端から見たら何でもないところに起伏を感じ、葛藤している――完全にこちら側の人間ですね(笑)。でもそういう思考回路があるならば、やっぱり、「特別な出来事」に頼らずにエッセイを書けるんじゃないかな。
長濱 うーん……。もし万が一、その人がエッセイを読んだとき、無駄に傷つけてしまうかもしれないから、それも申し訳なくて。
ふかわ あー、それは全然気にすることないです。なぜなら、そういうタイプの人って、自分が発した言葉について、まったく何も考えてないから。きっと覚えてすらないですよ(笑)。
長濱 ありがとうございます。ちょっとしたカウンセリングみたいですね(笑)。
どうしてもできなかった「アレ」
ふかわ 今作のタイトルにもある「ひとりで」という意味では、長濱さんはお仕事をする上で、少し前に「グループ」から「ひとり」になったわけですが、心境の変化はありましたか?
長濱 これも先ほどの話と繋がるのですが、何事も考えすぎてしまう私の癖は、集団行動では結構厄介でした。例えば、楽屋でメンバーと一緒だけど一人になりたい時、それこそイヤホンをしたら「話しかけないで」ってアピールしているみたいでちょっと感じが悪いから、本を読むことにしていました。読書ならば、ゆるやかに、柔らかく、周りと距離を取ることができるから……。
ふかわ いや本当に、最高ですね。大部屋の楽屋で、イヤホンで音楽を聴くか読書をするかというのを、自分の欲求ではなく周りとの関係性で悩んで決めているわけでしょう。もうすぐに、それで4000字書けちゃいますよ。同じようなことで言えば、私も家を出る前に、玄関でサングラスをするか否かで15分以上考え込んでしまいます。
長濱 わかる! すごくわかる!!
ふかわ 「芸能人だからってサングラスかけちゃって。お前なんて別に騒がれねーよ」という声と、「何お前、堂々と素顔さらして。誰かに見つけて欲しいのかよ」という声が頭の中で延々と言い合いをして、結局出かけられないという……。
長濱 私はそれを打開すべく、最近、メガネにサングラスのレンズをカポッと被せられるタイプを買いました。紫外線が気になるので、外ではサングラスにして、楽屋入りのときにはその部分を外しています。「長濱、イキがってるな~」って思われないように(笑)。
ふかわ それは私より重症かもしれませんね(笑)。今のお話で感じたのは、私も「自分を客観視する冷静な自分」が常にいて、その自分が、例えばみんなが盛り上がっている瞬間、その“ノリ”に全力で乗っかることを邪魔してくる傾向にあるのですが、長濱さんも同じようなこと、ありませんか?
長濱 ……ふかわさん、アレできますか?
ふかわ えっ、何ですか!?
長濱 円陣になって、伸ばした手を重ね合わせながら、「おー!!」って大きな声を出す、アレです。高校生のとき、私はどうしてもアレができなかったんです。無心で手を伸ばせばいいのに、って思いながら、どうしてもできなかった……。
ふかわ なんで、できなかったんだと思いますか?
長濱 うーん……まだ言語化できないです。
ふかわ ちなみにそれを求められたときの状況って、どんなでした?
長濱 高校の体育祭でした。
ふかわ 何の種目ですか?
長濱 ムカデ……ムカデ競走でした。
ふかわ ムカデ競走!? 長濱さん、それは円陣で手を伸ばさなきゃだめですよ、チームのみんなと呼吸を合わせなきゃいけない競技ですから! 「明日、体育祭だね~頑張ろうね~」っていう、軽いノリの円陣とはワケが違うでしょう!(笑)
長濱 はぁ……やっぱりそうですか。こういう、ある種の頑固さが、自分ではすごく嫌なんです。嫌だし、恥ずかしい。
ふかわ でも、たかが円陣、されど円陣で、今日こうしてお話ししてみて、長濱さんのイメージがガラッと変わりました。メインストリートをまっすぐに歩かれている印象が強かったので。
長濱 お仕事では、例えば番組を作るスタッフさんやインタビューをして下さる方が求める「長濱ねるのイメージ」に、できるだけ添いたいな、と思うんです。それが私なりの誠実さというか……。
ふかわ ある種、鎧をまとって戦ってらっしゃる。私も若い時、同じような気持ちだったので、よくわかります。それもすごく素敵な姿勢だと思いますが、でもきっといつか、その鎧を取っ払って、生身の体で勝負したくなるとも思いますよ。
長濱 今はまだ、怖いかも……。生身で勝負して、もし否定されたら、きっと致死量くらいの血が流れちゃう気がする……。
ふかわ 長濱さん、あなたは本当に書くべき人です! 要は、「裸の自分」で勝負して傷ついたとき、その「真実」はごまかしようがないから、きっと立ち直れないんじゃないか、ということを恐れているんですよね。だから、求められる「イメージ」になるべく寄り添おうとしていると……。それに24歳で気がつきましたか。万人ではないかもしれないけれど、その葛藤に激しく共鳴する人は多いんじゃないかな。
長濱 「イメージ」とはまた違う自分の一面も知って欲しいという思いも昔はあったのですが、今は、求めて下さる「イメージ」の私でいたい気持ちが強くて、「誤解されたくないと思うのは、もうやめよう」と思っています。
ふかわ 誤解されたくないと思うのは、もうやめよう……。長濱さん、私の新刊と同じタイトルでエッセイ集を出しませんか? あなたの方がよほど説得力あります。私の『ひとりで生きると決めたんだ』は単なる強がりで、中身が全然伴っていないと今、痛感しました。私は誤解されたくなくて、世間の私に対する誤解をときたくて、エッセイを22編も書いたわけだから。お恥ずかしい……。でも、今のお話は、すごく人間の本質に迫っていることだと思います。それに、目の前の出来事を自分なりの視点で見つめ、考え、自分なりの答えを出している。その感覚をお持ちならば、きっと、書くテーマには枯渇しないとも思います。本当に、すごい。大きな温泉を掘り当てた気分で、これでもう、旅館は大繁盛です(笑)。
長濱 ありがとうございます。すごく、嬉しい。日々を忙しくこなしていると、自分が抱いた「違和感」としっかり向き合えないままになっている気もしていて、そういう意味でもアイスランドに行って、自分をリセットじゃないけれど、真っ白にしてみたいな、って考えています。アイスランドのこと、また詳しく教えてください。
ふかわ はい、機会がありましたら、またゆっくりお話ししましょう。
長濱 ぜひよろしくお願いします!
(ふかわりょう タレント)
(ながはま・ねる 俳優/タレント)
波 2023年1月号より
単行本刊行時掲載
編集者の手土産 #03 ふかわりょう 編
ふかわりょうへ贈る文学的な手土産? 「5時に夢中!」卒業以来1年半ぶりの中瀬ゆかりとの再会も|ふかわりょう 編|編集者の手土産 #03
手土産に詳しい編集者たちが、“本当は教えたくない、とっておきの一品”を紹介していくシリーズ。美味しい手土産を口にし、どんどん饒舌になっていく作家が、身の回りのことや新刊の読みどころなどを語ってくれました。
シリーズ第三回の動画では、ふかわりょうさんが登場。最新作『ひとりで生きると決めたんだ』の刊行を記念して、編集者が手土産を持って行きました。
インタビュー中、中瀬ゆかりがまさかの乱入!? ふかわさんが「5時に夢中!」を卒業して以来、約1年半ぶりの再会を果たします。気の知れた仲だからこそ語ることのできる制作秘話や番組裏話など、ここでしか聞けない内容も盛り沢山!
著者プロフィール
ふかわりょう
フカワ・リョウ
1974(昭和49)年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学在学中の20歳でお笑い芸人としてデビュー。長髪に白いへア・ターバンを装着し、「小心者克服講座」でブレイク。後の「あるあるネタ」の礎となる。以降、テレビ・ラジオほか、DJや執筆など、その活動は多岐にわたる。近著に『スマホを置いて旅したら』(大和書房)、『ひとりで生きると決めたんだ』『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)、アイスランド旅行記『風とマシュマロの国』(幻戯書房)などがある。