なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない
1,980円(税込)
発売日:2022/03/16
- 書籍
- 電子書籍あり
人生には、迷子になってしまう時期がある。そんな時にあなたを助けてくれる、7つの補助線――。
家族、キャリア、自尊心、パートナー、幸福……。あらゆる悩みに耳をすませば聞こえてくるのは「ひとりぼっち」という苦しみだった。この自由で過酷な社会を、いかに生きるか。僕がいつもカウンセリングルームでやっていることをあなたとやってみたい。紀伊國屋じんぶん大賞受賞の臨床心理士が贈る、新感覚の“読むセラピー”。
生き方は複数である
処方箋と補助線
心は複数である
馬とジョッキー
人生は複数である
働くことと愛すること
つながりは複数である
シェアとナイショ
つながりは物語になる
シェアとナイショII
心の守り方は複数である
スッキリとモヤモヤ
幸福は複数である
ポジティブとネガティブ、そして純粋と不純
書誌情報
読み仮名 | ナンデモミツカルヨルニココロダケガミツカラナイ |
---|---|
装幀 | 植田たてり/装画、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 288ページ |
ISBN | 978-4-10-354491-3 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 心理学 |
定価 | 1,980円 |
電子書籍 価格 | 1,760円 |
電子書籍 配信開始日 | 2022/03/16 |
書評
こころと人間関係をシンプルにしすぎる前に
なんだか最近、「関係性を断ち切るためのアドバイス」を見る機会がうんと増えてきた。
古い慣習を強いてくる家族、干渉してくる隣人、自分の価値を認めてくれない職場、自己肯定感を下げてくる配偶者etc.……状況は違えど、「私らしさ」を阻害されている環境にいる「あなた」に向かって、「断ち切りましょう! あなたには価値があるのだから」と語りかけてくる言葉たちを、書店の自己啓発書コーナーやSNSで非常によく見かける。つまりはまぁ、よくバズりよく売れる、世の中的に支持されやすい言説なのだろう。
もっとも、石の上にも三年だとか、無遅刻無欠席で皆勤賞だとか、そうした忍耐ばかりが美徳とされてきた日本社会の中で「断ち切りましょう!」という言葉に心を救われた人は少なくないだろう。かく言う私も上京・辞職・渡米・離婚、という断捨離フルコースを経てきた側なので、その言葉の有り難さは身に沁みている。断ち切ったほうが良い関係性というのは、確実にあるでしょうよ。そして昨今は、断ち切った後の生活を円滑に過ごせるだけの環境が整備されている。たとえば「妻の役割としての掃除」の代わりに清掃サービスが、「おつかい頼まれてくれない?」の代わりに宅配サービスが、「ちょっと聞いてよ」の代わりにカウンセリングサービスがある。なにごともアプリ一つで依頼できるし、明朗会計。内容に不満があれば担当者を替えれば良いだけで、後腐れもなく快適だ。
こうした「お金を払ってでも取り除きたい痛み」は起業家たちの間で「ペイン」と呼ばれ、新規事業の源泉だとか言われている。彼らは生活の隙間に潜んでいるペインを探し当て、サービスを生み出し、社会にその必要性を訴えかけていく。それは女性活躍だとか、スペシャリスト育成だとかいう文脈で語られることもあるし、実際そうした営みのお陰で私たちは(というか私は)様々な足枷を外すことが容易になり、うんと身軽になったのだ。個性を発揮し、専門性を高め、無駄なストレスから解放。こんなに素晴らしい時代はない(ただし金さえあれば)!
けれども、臨床心理学者・臨床心理士の東畑開人さんは『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』の中で、こうした状況を「社会の小舟化」だと指摘する。小舟化する社会では、遭難しようが沈没しようが自己責任。それは自由で、同時に孤独な社会でもあるのだ、と。
本書の中には、東畑さんのもとへカウンセリングにやって来た人……つまり小舟の上で孤独を抱える人たちの物語が群像的に描かれている。そんな登場人物の中の一人が、外資系コンサルで管理職を任されながらも、起業を目標としている30代半ばのミキさん。不眠症という悩みを解決すべくカウンセリングにやって来た。
能力が高く、ホスピタリティに溢れていて、職場でも必要とされている彼女。なんなら落ち目にいる恋人に八つ当たりをされても、嫌な顔をしない。そんなミキさんには他者に迷惑を掛けるという能力が欠落しているようだった。
〈ミキさんがすべての人間関係をギブアンドテイクの取引だと考えていたことも特徴的でした。
相手の求めているものを提供する。ニーズを満たす。そうなってはじめて、相手は自分に好意を抱き、良いものを返してくれる。それが彼女の信念でした〉
とはいえ、ギブアンドテイクな関係はとても脆い。そのバランスが壊れてしまった瞬間に、彼女は相手との関係性を断ち切ってしまうような癖があった。ただ、恋人側にも落ち度があるので、「断ち切って次に行きましょう!」という路線もアリかもしれない。が、本書はそうしたスッキリ感を得られる読み物ではない。
〈スッキリは傷つきを外側へと排泄することで、自分らしさを回復させる。モヤモヤは傷つきを内側で消化することによって、自分を成長させる〉と著者は語る。つまり幸福な人生とは、複雑な現実をできるだけ複雑に生きることなのだと。そんなカウンセラーのもとで、ミキさんは徐々に自分を知り、傷を受け入れながら、恋人との関係性を深めていく。そして彼女はついに、利害関係を抜きにした居場所を手に入れ、他人に迷惑を掛けられるようになった。
――といったカウンセリングの一部始終が伝わる一冊ではあるが、そこで東畑さんが提供しているのも、また小舟化した社会に向けた「サービス」である。だからミキさんのような人が、対価を支払って利用することが出来たのだ。けれども著者の本当の目的は、こうした本を書くことによって世の中にカウンセラー代わりの人を増やすことなんじゃなかろうか? と思えてくる。小舟化した社会を航海するために必要なのは、ペインを解消するためのサービスだけではなく、ただ居ることを許し、ノーチャージで話を聞いてくれる隣人の存在なのだろうし。もっとも、この一冊を読んだところで著者が大学で8年、現場で10年以上の歳月を注いで得た境地に立つことは難しいとわかっちゃいる。けれども読了後、心の中にはいくつかの補助線が残り、そのことがなんとも心強く思えるのだった。
(しおたに・まい エッセイスト)
波 2022年5月号より
単行本刊行時掲載
私が歌詞で書きたいことは全てこの本に書いてある
8年前に新宿駅南口を一人歩いていたら声をかけられた。「すみません。アンケートに答えてくれませんか?」と。柔らかな表情の小柄な女性だった。自分で言うのもなんですが、声かけられにくい顔なんです、私。目はきついし、表情も柔らかくないし、歩くのも速い。それなのに声をかけてくる人は、よっぽど切羽詰まっているか私という人間にどうしても聞きたいことがあるのでは、と思い、時間があるときはなるべくアンケートには答えるようにしている。
いくつかの質問に答えた後聞かれたのが「今、あなたは幸せですか?」という質問だった。私が、はい、と即答するとびっくりされた。幸せだと答える人は全体の2割にも満たないらしいのだ。アンケートに答えるような時間に余裕のある人が対象なのに。そのことがあってから、幸せとは何かをよく考えるようになった。
考えてみれば、なぜ私は幸せなのだろうか。その頃、付き合っていた彼氏の度重なる浮気に心はすり減っていたし、今ほど音楽の仕事もなかった。未来はないし、お金もなかった。なのになぜか、幸せか、については迷わず幸せだと答えていた。なぜなのか。その答えが、実はこの『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』に書いてあったのです。驚きました。8年前の私の答えが見つかることもあるんだから。これだから、生きることはやめられない。
でも、その答えを言葉にすると間違いになってしまうような気がするので書きません。ごめんなさい。それは、言葉にできない部分に幸せがあると思うからです。だから、私の幸せは私だけに理解できるようにこっそり胸の中に置かせてください(シンガーソングライターなのに、言葉にするのを放棄するのは少し気まずいのだけど)。でも、この本を読めばちゃんと自分なりの幸せを確認できるように手を引いてくれるから大丈夫です。そして言葉にできない、という意味も理解できるはず。
言葉にすると、答えになってしまうことが多い。SNSのせいか、言葉の力は以前より強くなったような気がする。140字にするために削られた言葉、切り取られたニュースの見出し。どれだけ相手の気をひくか、の勝負を日々見せられている。言葉の責任は重い。書けば残るし、口で言ったことだって消せないからこそ永遠だ。
私は日記にハマっていた時期があって、とにかくなんでもいいから毎日、あったことと感じたことを箇条書きでスマホに書いていた。何もやらなかった日でも無理矢理書いていると、自分が何者かであるような気がしたので、自己肯定感を上げたい人にはオススメしたい。でもある日、曲が全く書けなくなったことに気付いた。なぜこんなに書けないのだろうと考えていたのだが、答えは、日記を書いていること、だった。毎日を言葉にして、全てをスッキリさせる。その行為はとても気持ちよくて寝つきも良くなったし、考えることも少なくなった。でも、そうなると曲にするようなことがなくなる。誰かの心に寄り添うような弱さに気付かなくなる。ラーメンの上に浮く油みたいに、上澄みの言葉しか出てこなくなる。それに気づいてから日記を書くのをやめた。やめたからと言って、めちゃくちゃ曲が書けるわけではなかったけど(曲なんてものは書けないものなのだ!)、毎日小さな答えを出すことよりも、大きな気付きのために言葉にしないモヤモヤとした日々も大切なのだと知れたことがよかった。
『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』を読んでいると、夜な夜な一人で文章を考え、加筆修正を続けている自分の説明書に下線をひきたくなるような箇所がいっぱいあった。正直、私が歌詞で書きたいことは全てこの本に書いてある。これほどまでに、答えを出さないことを答えとして、言葉にできない部分を言葉にできる本があるのかと、心底驚いた。そして、こんな本が世の中にあってよかったとも思った。今この瞬間に発光し燃焼することが全てなのではなく、今病んでいる心がすぐにスッキリすることが全てなのではなく、長くなってもいいし一度ぐちゃぐちゃになってもいいから、生まれてから死ぬまでの一生を考えてくれる本がこの世に存在してくれて本当によかった。
私は日々思う。一番大切なのは、仕事でもなく恋人でもなく家族でもなく、あなたが、私が、生きることなのだ。生き続けることが一番大切なのだ。ルービックキューブのように、全面揃えるために全てを一度壊すことも必要なのだ。いつだって自分のためだけに時間を使ってあげてほしいし、たくさん考えてあげてほしい。ぜひ『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』と共に、夜の航海へ出発してほしい。怖いことは何もない、とは言えない。それでも、明けない夜はないから。
(ひぐちあい シンガーソングライター)
波 2022年4月号より
単行本刊行時掲載
関連コンテンツ
著者プロフィール
東畑開人
トウハタ・カイト
1983年東京生まれ。専門は、臨床心理学・精神分析・医療人類学。京都大学教育学部卒業、京都大学大学院教育学研究科博士後期課程修了。精神科クリニックでの勤務、十文字学園女子大学で准教授として教鞭をとった後、2022年3月現在、白金高輪カウンセリングルーム主宰。博士(教育学)・臨床心理士。著書に『野の医者は笑う―心の治療とは何か?』(誠信書房 2015)『日本のありふれた心理療法―ローカルな日常臨床のための心理学と医療人類学』(誠信書房 2017)『居るのはつらいよ―ケアとセラピーについての覚書』(医学書院 2019)『心はどこへ消えた?』(文藝春秋 2021)。訳書にジェイムス・デイビス『心理療法家の人類学―こころの専門家はいかにして作られるか』(誠信書房 2018)。『居るのはつらいよ』で第19回(2019年)大佛次郎論壇賞受賞、紀伊國屋じんぶん大賞2020受賞。