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大人のための印象派講座

三浦篤/著

3,410円(税込)

発売日:2024/03/27

  • 書籍
  • 電子書籍あり

あなたはまだ、本当の印象派を知らない――。

「お金」「女性」「名誉」といったシビアな視点からあぶりだす、革新的画家集団の知られざる実像。アカデミスムの画家たちとの出身階層の違いとは? グループ展での確執の原因は? 最新の研究成果を盛り込み、19世紀フランスの社会・制度に生きた彼らの姿を丸ごと捉える。図版200点以上掲載。読めば名画の見方もきっと変わる! 

目次
はじめに 印象派の出身階層は?
第1部 さまざまなる女性たち
第1講 画家の妻たち I マネの定点としてのシュザンヌ
第2講 画家の妻たち II ミューズとして、モチーフとして
第3講 ヴィクトリーヌ・ムーラン、画家になった女性職業モデル
第4講 娼婦の栄光と悲惨 I 高級娼婦メリー・ローランとマネ
第5講 娼婦の栄光と悲惨 II 赤裸々な、あるいは密やかな女たち
第6講 女性画家として生きること I モリゾとカサットの場合
第7講 女性画家として生きること II 男性画家との複雑な関係
第2部 経済と政治における闘い
第8講 知られざる「お金」の問題
第9講 モネの絵はいくらだったのか
第10講 印象派を支えた友情と支援 バジールとカイユボット
第11講 初期コレクターたち オペラ歌手から税官吏まで
第12講 画商たちの戦略 デュラン=リュエルとライヴァルたち
第13講 画家たちと政治性 マネを中心に
第14講 「ユダヤ」問題は印象派に何をもたらすのか
第3部 評価と名誉を求めて
第15講 「印象派展」ができるまで
第16講 グループ展での不和と分裂
第17講 印象派展の知られざる画家たち I 旧世代の多士済済
第18講 印象派展の知られざる画家たち II ドガ派と若い世代
第19講 批評家たちの役割 ゾラからフェネオンまで
第20講 死後の評価と名声の確立
第21講 印象派はどのように研究されてきたのか
第22講 なぜ日本で印象派は人気があるのか
第23講 印象派の最期
あとがき 主要参考文献

書誌情報

読み仮名 オトナノタメノインショウハコウザ
装幀 赤波江春奈+日下潤一/ブックデザイン
雑誌から生まれた本 芸術新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 A5判
頁数 272ページ
ISBN 978-4-10-355581-0
C-CODE 0071
ジャンル 芸術一般
定価 3,410円
電子書籍 価格 3,410円
電子書籍 配信開始日 2024/03/27

書評

印象派と新たに出会うために

野崎歓

 印象派の人気には絶大なものがある。毎年必ず展覧会が開かれているのではないかと思えるくらいだ。ときには、「日本人は印象派が好きだからなあ」などと何やら非難がましく(あるいは自嘲気味に?)言う人もいる。でも、いいではないか。われわれは確かに印象派の絵が大好きなのだから。モネやルノワールやセザンヌの作品は“泰西名画”のなかでいちばん親しいものだし、マネやドガの絵だっておなじみだ。
 とはいえ、そんな日本人は本当に彼らのことをよく知っているのか。ひょっとすると、単に知っているつもりなだけでは? そうなのである。われわれには大事なことがわかっていなかったと、本書を読み進めながら実感させられる。
 著者の選んだ論点はこのうえなく明快だ。すなわち「女性」、「お金」そして「名誉」。いずれも男性画家たちにとって、人生を左右する要素だったに違いない。著者はそれらに着目することで、彼らの生き方の実相を浮かび上がらせようとする。その目論見は、見事に成功している。ここには、画家たちの肖像がいきいきと、人間味豊かに描き出されている。しかもその姿を知ることは彼らの作品との思いがけない、新たな出会いにつながっていく。
 多様な画家たちを論じるにあたり、「参照軸」として選ばれているのがマネである。「草上の昼食」や「オランピア」はみなさん、すぐ脳裏に思い浮かべることができる名画だろう。しかし、そこで肢体をさらしている女性はいったい「だれ」なのかと聞かれたら、言葉につまる人が大半では。正解は職業モデルのヴィクトリーヌ・ムーラン。そのヴィクトリーヌはマネの絵に登場したのち、どんなキャリアを歩んだのか。最新の研究によれば、やがて彼女は、19世紀には極めてまれな、モデルから女性画家へという転身を果たしたのだった。そのことを踏まえて「オランピア」に向かいあうとき、この絵の衝撃は、ヴィクトリーヌの「強靭な人間性」があってこそのものだったと思えてくる。そう著者は述べるのだが、卓見に違いない。
 かくのごとく第1部、画家たちとモデルの関係をめぐる話だけでも興奮の連続である。マネは妻シュザンヌの絵をたくさん描いているが、同様に(正式な、あるいは内縁の)妻にモデルをさせた例は多い。そうすればモデル代が浮くからだという。第2部に入ると、経済面の調査・分析が自在に展開されていく。サロンに入選できず、全然買い手のつかなかった絵に、やがてとてつもない巨額の値がつくというのが、われわれのあまりに大雑把な認識であろう。著者は精細な数字を上げながら、その逆転劇がどのようにして起こったのかをつぶさに追う。たとえば、象徴的な意味をもつこととなった、かの有名なモネのタブロー「印象―日の出」。この絵は第1回印象派展で酷評にさらされたのち、何とか800フランで売れた。そんな具合で、モネの絵は1870年代には数百フランだったのが、やがて1890年前後に高騰し始め、ついには画家に36万9000フラン(3億6900万円)もの年収をもたらすようになる。その裏には、アメリカ市場を開拓した画商デュラン=リュエルの先見の明があり、連作による量産体制を敷いたモネ自身の「洗練された商業戦略の成功」があった。
 デュラン=リュエルに目をかけてもらえなかったのがセザンヌだが、彼にはヴォラールという敏腕画商がついていた。とはいえセザンヌの絵は最初は1点わずか50フラン。ヴォラールはそれに1万フラン超の値がつくようになるまで辛抱したのだった。今日からすると、印象派に対する当時の有力批評家たちの無理解ぶりは異様にさえ思えるが、それだけに熱い擁護の筆をふるった小説家にして美術批評家、エミール・ゾラの慧眼が際立つ。そこには「アカデミック・システム」から「画商=批評家システム」という大きな転換があった。
 徐々に評価が高まり名声が訪れるとはいえ、画家たちのあいだには対立と不和が深まっていたようだ。彼らは決して「一枚岩」ではなかったという事実を、著者は第3部に至って解き明かす。とすると、結局のところ印象派とはいったい何だったのか。それは決して集団の大義に殉じる同志たちの集まりではなかった。強烈な意思と個性を備えた画家たちが、共通の敵に直面したときに党派をなして抵抗を試みたのは確かだ。しかしおのおのにとって、それは結局「挿話的な出来事」にすぎなかったのかもしれないと著者は言う。なるほど、100年後の「新しい波(ヌーヴェルヴァーグ)」の映画作家たちみたいだと深く納得する。同時に、グループの枠に収まらない多様な才能がいっせいに出現した奇跡的事件として、印象派への憧憬の念を新たにするのである。
 それこそ「アカデミック」な研究の領域で、堂々たる業績を積み重ねてきた著者が、だれにとっても興味津々な内容を、温かく親しみやすい筆致で綴っている。第1回印象派展の150周年を飾るにふさわしい、なんとも嬉しい贈り物だ。

(のざき・かん フランス文学者/翻訳家)

波 2024年4月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

三浦篤

ミウラ・アツシ

1957年、島根県生まれ。大原美術館館長。東京大学名誉教授。専門は西洋近代美術史、日仏美術交流史。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。パリ第4大学にて文学博士号(美術史)取得。フランス共和国芸術文化勲章シュヴァリエ受勲。紫綬褒章受章。『近代芸術家の表象―マネ、ファンタン=ラトゥールと1860年代のフランス絵画』(2006年、サントリー学芸賞)、『エドゥアール・マネ―西洋絵画史の革命』(2018年)、『移り棲む美術―ジャポニスム、コラン、日本近代洋画』(2021年、和辻哲郎文化賞、芸術選奨文部科学大臣賞)など、著書多数。

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