
会話の0.2秒を言語学する
1,760円(税込)
発売日:2025/08/27
- 書籍
- 電子書籍あり
ゆる言語学ラジオスピーカーが、言語学の魅力をオタク目線で伝える!
会話で相手と交替するまで平均0.2秒。この一瞬にどんな高度な駆け引きや奇跡が起きているのか──言語学の歴史を大づかみに振り返りつつ、「食べログ」レビューからお笑いに日銀総裁の会見、人気漫画まで俎上に載せ、日常の言語学をわかりやすく伝える、待望の書き下ろし。なぜうまく話せないのか。悩んでしまうあなたの必読書!
まえがき
日々繰り広げられる、0・1秒単位の競争
10分の激論を464ページで解説するように
言語漬けの青春
謎解きの鍵は「文脈」から
第一章 コミュニケーション上手になるための「語用論」
イギリスの裁判所を揺らした発言
大ポカした就職面接「会いたい人は?」
謎まみれの解釈メカニズム
ことばとは、世界への働きかけである
「させていただく」を「食べログ」で研究する
「会話は協調して行なえ」グライスが説いたこと
福本伸行『アカギ』でわかる語用論
「それはそれ、これはこれ」がなぜ成立する?
芸人のボケを語用論してみる
発話の解釈を導き出すには?
発話の解釈はコスパで決まる
コミュニケーションモデルは「暗号解読」から「推論」へ
文脈を科学する3つの知見
第二章 ことばには“奥行き”がある
インドの新聞に躍った見出し「ドナルド・トランプの死」
言語学者が最も注目する「単語の並べ方」
天才ソシュールの言っていたすごいこと
未知の言語の記録に燃えるアメリカ構造主義言語学
引用ランキングトップで唯一存命。言語学者チョムスキーの仕事
難解なのにハマる人が多い「生成文法」
文は何からできている?
樹形図の上がる下がるに興奮する
文の理解には二次元的な情報が必要だ
視覚思考者(ビジュアル・シンカー)が教えてくれること
伝言ゲームにはノイズが入るもの
第三章 あなたは「ネコ」の意味さえ説明できない
君の言っているのとぼくの言うのとは意味が違うんだよ
意味の研究、難解すぎる
「見えないものは扱わない」学派もある
意味は要素を列挙してもわからない
指さしたらあとは「ネコ」の意味なんて知らない
難解で地味だけど重要な形式意味論
類似性を見つけてまとめるカテゴリー化
「言語は比喩でできている」認知意味論
僕たちは「時間」を比喩を通して理解している
日本語の単語の意味も考える
「近づく」と「近寄る」はどう違う?
検索エンジンの予測のように、頭に浮かぶことば
言語はコミュニケーションのツールの一つにすぎない
第四章 言語化の隠れた立役者たち
「なぜサッチャーはこうも頻繁に話を遮られるのか」論文
自殺予防センターで生まれた「会話分析」
雨粒が水面に落ちる過程
会話分析の研究者が最初に注目したこと
会話の順番交替は先読みできる
聞き手の沈黙時間を話し手はどうとらえるか
「はい」より「いいえ」の方が沈黙が長い
沈黙は重要な情報となる
なぜリモート飲み会は定着しなかったのか
まあ、あのー、そのー、こう、えーっと……
「あのー」と「えーと」の違い
「うーん」はどんなときに使うか
僕たちがフィラーを口にするわけ
電話中についしているジェスチャーの正体
ジェスチャーを封じられるとフィラーが増える
ことばとジェスチャー、どっちが先か
あまりに鮮やかな実験
オノマトペは「言語化されたジェスチャー」
言語のサブ的要素が言語化に役立つ
僕らは日々ものすごいことをやっている
終 章 世界は広い! 驚きのコミュニケーション
なんでそうなる? あの国この国
日本でも違う、東北と近畿
自閉スペクトラム症の子どもは津軽弁を話さない?
コミュニケーションの「普通」って?
「彼女は海が好きだ」「彼女は海が好きだった」今も付き合ってるのは?
「ね」と「よ」の違いは難しすぎる
発話における「普通」を考える
発音時の自分の舌、唇、口の動き
自己紹介のたびに気が重くなる吃音当事者
たまたまできる発音という不思議
日本語話者の会話は世界的せっかち
会話の流暢さと能力主義の関係
言語学を学んでわかった、言語の限界
「自分と出会い直す」という希望
あとがき
発酵デザイナーとの散歩
いびつな本です。でも
壮大な問いに挑戦してみる
言語学に携わる方々に感謝を込めて
【後注】
もっと知りたくなった読者のための30冊
書誌情報
読み仮名 | カイワノレイテンニビョウヲゲンゴガクスル |
---|---|
装幀 | 竹田嘉文/装画、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-356431-7 |
C-CODE | 0080 |
ジャンル | 言語学、語学・教育 |
定価 | 1,760円 |
電子書籍 価格 | 1,760円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/08/27 |
書評
最高の浅瀬弾丸ツアーみたいな本
良質な知識エンタメには、必ず良い問いがある。
『会話の0.2秒を言語学する』はそれを改めて実感させてくれる本だ。
「会話のターンが切り替わるわずか0.2秒の間に、脳内で何が起きているのか」という問いは極めて分かりやすく魅力的で、読者を自然に言語学の世界にいざなってくれる。語用論だの統語論だの意味論だのという、門外漢からは何をやっているかすら分からない言語学のジャンルに次々に足を突っ込んだかと思ったら次々に離脱する。ひとつの問いを追いかけていくうちに、なんとなく色々なジャンルを浅く広く知れて得した気分になる。七つの海の浅瀬で遊び回る弾丸ツアーみたいな本だ。
著者の水野と僕はもう5年近く「ゆる言語学ラジオ」というYouTubeチャンネルをやっている。僕たちは昔からこういう「浅瀬弾丸ツアー」みたいなコンテンツが好きで、その共通点があったから、一緒に知識エンタメYouTubeを始めた。
世間ではゴチャゴチャにされがちだが、「教養系YouTube」と「知識エンタメYouTube」はまったく違うものである。前者は勉強のためにマジメに見るイメージで、そこには崇高な目標がある。VUCAの時代を生き抜く21世紀型人材になるために見ている人が多い。一方、後者はエンタメとしてゆるく見るイメージで、特に崇高な目標はない。VUCAの時代を生き抜くためにではなく、おもしろいから見ている人が多い。僕たちは後者の方が好きだったので、後者として始めた。
知識エンタメに必要なのは、魅力的な問いだ。問いがしょぼいとエンタメとして成立しない。「語用論とは何か?」ではダメだ。ほとんどの人が気にならない問いでは、エンタメにならない。
本書の問い「会話のターンが切り替わるわずか0.2秒の間に、脳内で何が起きているのか」は、世界中の人に関係があり、言われてみると誰もが気になる魅力的なものだ。そして、徹頭徹尾この問いに沿って議論が展開されるので、各ジャンルの浅瀬にしか立ち入らない。「語用論の全体像」みたいなものを深く理解する必要がなく、問いに関係ありそうな知見だけを浅く拾っていく。これがありがたい。
「網羅的である」というのは専門書においては良いことだが、知識エンタメにおいては悪いことだ。「A氏が提案した7個の法則」みたいなのが出てきたとき、全部を丁寧に解説されると僕は飽きてしまう。「おもしろい法則だけ教えてほしいな。ひとつかふたつでいいから」と思ってしまうのだ。勉強したいのではなくおもしろがりたいだけの人間はとかく不真面目である。全容など知りたくないので、とにかくおもしろいところだけ見せてほしい。本書は、そんな下世話なニーズを満たしてくれる。
水野は、浅瀬弾丸ツアーを率いるのに最適なツアーコンダクターだ。彼は「会話の0.2秒」を軸にして、正しくルートを設計してくれた。立ち寄るスポットを過不足なく選定し、それぞれのスポットでの正しい観光ガイドもつけてくれた。「英国の元首相サッチャーはやたらとインタビュアーに会話を遮られる。それは彼女のイントネーションのせいだった」のように、興味深い具体例から自然とその海に入れるようになっている。彼の観光ガイドのお陰で、浅瀬にしか入っていないのに、その海の楽しさは十分理解できる。弾丸ツアーだからこそ、コンダクターの腕が問われるのだ。
そして、彼に連れ回されるままに色々な海を見ていくと、なんとなく世界全体の見取り図ができ、自分なりの感想が湧いてくるだろう。「会話ができているの、奇跡だな」と素直に思うかもしれないし、「この会話の仕組みをハックすれば営業成績を上げられる」と思うかもしれない。豊富な参考文献が収録されているので、気になる海があればもっと深く入ってみてもいいだろう。ツアー旅行で満足した後は、自分なりの旅を設計すればいい。ちなみに僕は大学でコンピュータサイエンスをやっていたので、「俺もコンピュータを題材に同じ本を書けるな。Amazonの購入ボタンをクリックしてからの0.2秒で何が起きているか、という本を書こうかな」と次作の構想を膨らませてしまった。そういう刺激に満ちた本である。
ところで、水野と飲んでいると「人間的な深みがほしい。俺の人生は浅すぎる」とよく言っている。彼は浅瀬弾丸ツアーを極めすぎて、人生においても浅瀬から出られないらしい。彼が人生の深みを犠牲にして書き上げた至極の浅瀬弾丸ツアー本を、あなたもぜひ手にとってみてはいかがだろうか。
(ほりもと・けん)
波 2025年9月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ

ゆる言語学ラジオのふたり対談
YouTube登録者数37万人超の「ゆる言語学ラジオ」。人気のふたりがほぼ同時期に本を出した!
「言語」に興味を持つ人が最近よく聴いている人気のラジオ、「ゆる言語学ラジオ」。ラジオ、とは言ってもYouTubeやPodcastで定期的に配信中の動画/音声で、なんと毎週、すでにその数437本(現在時点)。堀元見が言語学オタクの水野太貴にツッコミを入れながらテンポよく話を聞く。
コンビのこのふたり、5月に堀元が『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』を、この8月には水野が『会話の0.2秒を言語学する』を共に小社より刊行。
え、ほぼ同時期にそれぞれ力作を書いたのには、なにか企みが?
30歳になる前に本を出す
水野 やっと出せましたよ、『会話の0.2秒を言語学する』(以下『0.2秒』)。僕は誕生日が8月31日なんですけど、30歳になる前には出したくて、頑張りました。
堀元 発売日が8月27日ですか。ギリギリやないか。
水野 それでもなんとか。なんとか、だけど20代(笑)。書下ろしで、この2年間社交を断って取り組んできました。内容を読んでもらったと思うんですけど、どうでした? 実は、編集者と監修の先生以外では堀元さんが最初の読者で、他の評価をまだ聞いていない段階でのこの対談なんです。僕も編集者だからわかるんですけど(水野は出版社の編集者でもある)、編集者は褒めてくれるけれど、仕事だから信用ならないんですよ(笑)。
で、読んでどうでした? うわ、でも、それを聞くのめっちゃ怖い。
堀元 そっか、みんなからの評価がまだ来てないのか。この『0.2秒』ね、いい本だよ、めっちゃいい本。
水野 え、「めっちゃ」が付く? 「堀元見推薦」をもらえますか?
堀元 うん。何がすごいかって、引っかかるところがない。引っ掛かりがない、じゃなくて、つまずくところがないって意味ね。普通はこのレベルの難易度の内容だと、「ここ難しくてよくわかんない」って立ち止まるけれど、この本は立ち止まるところが全然なかった。語用論や生成文法の話って言語学の中でも難しいでしょう。難易度の高い、言語学の挫折しがちなところの基本をスムーズに理解させたのはすごい。何言ってるかわかんねえなって箇所がひとつもなかった。
水野 確かに、他にも「ことばとジェスチャー、どっちが先か」がテーマの第四章、「ジェスチャー独立仮説」と「ことばが先仮説」の話とかだって、ややこしいですよね。
堀元 普通のサイエンス本だとあのレベルの内容でつまずくんだけど、それがなかったのよ。なによりも、「例」が多いのがいい。
水野 レイ?
堀元 「例」よ、「例」。我々は、わからないことを知るときに「例」が欲しいんですよ。本を読んでいても先生の話を聞いていても「どんな例がありますか」と聞きますよね。直接先生に実例を聞ける場合は良いのだけど、本を読んでいるときは相手がいない。それがいつも嫌なのよ。抽象的な話が続いて具体的な例が欲しいぞとなるんだけど、「難しくなってきたから例を挙げて説明しましょう」っていう気の利いた本が少なくて。
例えば確かにややこしい第四章のジェスチャーと言語化の話のあたり、例と抽象の行き来の量がえげつない。ここまでやってくれてありがとうっていうくらい。
水野 え、そんなに? 「swing」と「ひもを使ってビルからビルへ飛び移る」の話を実験の例として挙げたあたりですね。イラストを描いてくださった竹田嘉文さんにも、ここはご苦労をおかけした難所でした。
堀元 実験の紹介という「例」でディテールまでわかって読みやすい。はーなるほど、「swing」っていう語彙があるかないかでこんな違いがあるのだな、って。同じことを表現するのに日本語は説明的になってしまう。その後に抽象的な話がきて、仮説には3つ目の「相互配慮仮説」がありますよ、と話が深まっていく。
水野 抽象的な言語学の話は、わかりにくいから、伝える順番が大事です。
堀元 その例までの距離の近さが、読んでいて、読者と著者の水野さんとでシンクロするんですよ。完全に正しいタイミングで全て必要な場所に例を入れてくれて、これまでにない読書体験でした(堀元による詳しい書評はこちら)。

水野は「言語学の例オタク」である
水野 で、褒められている?(笑)
堀元 褒めてる褒めてる。あのね、例抽象例抽象例抽象レイチューショーレイチューショーレイチューショー、この繰り返しでこそ読者には入ってくるんですよ。水野さんは、言語学オタクである以前に「言語学の例オタク」であるのかもしれない。
水野 そうなのか! これまでにも本は出していますが、この難易度で単行本一冊分の文章量を書くのは初めて。年明けくらいに書き上げて、そのあと内容の順番を入れ替えたんですよ。年明け段階では、大まかに現状の章でいうと、「二章 統語論→三章 意味論→一章 語用論」だったんです。二章については、編集者から「わかっていないかも、ごめんなさい」と難度を指摘されたくらい。その構成が現状の順番に固まったのがこの3月でした。伝えたいことの難易度と書き口の難易度をいかに離していくか、これにはかなり配慮しました。それがレイチューショーと堀元さんが呼ぶ実態かも。
堀元 そうだったんだ。結果としては易しく書いてあると思ったけどな。 日銀総裁の発言と円急騰の関係に話が及んだ例では、現実世界の面白さに関連していくから、読者が自分の暮らしにつなげやすくなっているよね。各章の冒頭に例があるのもよかった。
水野 やっぱりレイチューショーなのか。でもそこは確かに意識して書きました。『言語を生みだす本能』のスティーブン・ピンカーの書き方も参考にして。例えば、ってまた例を出していくわけだけど(笑)、
堀元 いいよいいよ(笑)。水野さんの「例」のストック量がすごいことは知ってる。日々気づいたら、メモっているよね。いい意味で下世話なのよ。
水野 それ、堀元さんでしょ。でさ、例えばなんだけど(笑)、まえがきについてはウサイン・ボルトの速さ世界一に、会話のターンテイキング(相手が返事をして話者が交替すること)の速さの奇跡を重ねました。
第一章についていえば、イギリスで起きた強盗殺人事件の裁判で問題になった「Let him have it, Chris!」の例をいれました。「let him have it」は「(人)をぶちのめす」の意味なのですが、警官が撃たれたときに、ふたりの泥棒仲間のうち、ひとりが相方に叫んだ。素直に読むと「警官を撃て」という殺人教唆になるのですが、「let」を「させてやる」、「him」を「警官」、「it」を「銃」だとすると「銃を警官に渡せ」となる。結果として前者の「ぶちのめせ」だと解釈され、発言したほうは絞首刑、実際に撃ったほうは未成年だったこともあり少年院送りになっただけ、という例なんです。
堀元 面白い例だよね。本全体にあるのはこの例の密度のすばらしさだね。「ゆる言語学ラジオ」のなじんだテンポなんだなとも思う。
水野 大絶賛やん。この後、推薦謝礼とか請求されるのかな(笑)。
堀元 もちろんお金をくれるならウェルカムですよ(笑)。
水野 「ゆる言語学ラジオ」の運営も全部やってくれている堀元さんには頭が上がりません。

チョコの詰まったトッポのような本
堀元 本の中で、未知の言語の発音は別の言語話者からは違う音に聞こえるという例で、日本人が英語で発音区別しにくいRとLも挙げていたね。「選挙(election)」と「勃起(erection)」を日本人が発音するとアメリカ人はびっくりする。
水野 あえて深掘りはしていないんですが、「ゆる言語学ラジオ」で話したから書いておきました(笑)。こういう下ネタに近づくなら、『読むだけでグングン頭が良くなる下ネタ大全』(以下『下ネタ大全』)について話をしたいところですね。
堀元 さっき水野さんを下世話だといいましたけど、「下世話」とは身近なことに興味を持っているという意味なんです。抽象的なことばかり語って目の前の現実を考えなくてもいいと思っている人が多い中で、水野さんも俺もそれは嫌だと思ってる。具体的なことをもっと俺は伝えたい。
水野 確かに堀元さんは、ニュースを見聞きするたびに、「これで関連するあの株が上がらないかな」って話してる気がする。さっきのランチでもそうだった(笑)。
堀元 そんな話してないです(笑)。
水野 『下ネタ大全』は、ニュースをどこか遠い国の話で終わらせずに、なにか身近なところで適応させたいという堀元さんの姿勢がぜんぶ出ている本だと思う。だから下ネタで終わる本ではない。書評ではこう書いたんです。
「幸運なことに、著者の堀元さんは面白い雑学を見極めるセンスと、それを適切に配列し、良質なコンテンツに変える構成能力に長けている」(「波」2025年6月号掲載。新潮社HPの『下ネタ大全』書籍ページで無料で読めます)。
もう、その通りの意味です。
堀元 ありがとうございます。
水野 高尚に言うと、この世界って、面白いところだと僕は思うんです。でも、多くの人はその面白がり方を知らなくて損をしている。それなら、僕が感じた面白さだけでも伝えておきたい。そんな世界観で、「下ネタだって、料理をしたらこんなに面白くなるよ」と示したのが『下ネタ大全』なんじゃないかって。だから、下ネタでもなんでも、どんなテーマでも堀元さんは書ける。そこに置いてあるガムテープのことだって、堀元さんは調べ抜いてそれなりの読み物を一冊書けると思う。
堀元 確かに書けるな。「紀元前には」って粘着剤の歴史を追うところからはじめられそう。
水野 「その時代のガムテープ」の存在を無理やりにでも言い張るようなレトリックを駆使してね。『下ネタ大全』も同じで、とある具材を料理する堀元流の手法を提示してくれたのだと思う。
とはいえ、現時点では下ネタこそ、その手法をいかんなく発揮できるテーマではあったってことかなと(笑)。
堀元 書評で触れてくれていたけれど、「女性器が開くオノマトペ『くぱぁ』の原形は紀元前5世紀にあった」って紀元前の話を、そういえば『下ネタ大全』の中で書いている。ちなみに「くぱぁ」はエロ漫画由来でここ30年で広がった、女性器を指で開くときのオノマトペですけどね。
水野 そこから古今東西の文化比較に入って、「女性器を見せつけることは魔除けであり、英雄的であり、誇り高き行為であった」と結んでいく。現代を生きる我々の価値観の偏狭ぶりさえ指摘しているんだからすごい。下ネタの本なのに、その後も続いて最後にはこちらの教養が問われていく。
だからぜんぜんいやらしくない。って、周りの女性が何人かそう言ってましたよ、全員が編集者だけど(笑)。
『下ネタ大全』を読んで、YOASOBIの「アイドル」とか、Mrs. GREEN APPLEの「ライラック」みたいな本だとも思ったんです。手数が多くて転調もするし、リズムも変わる。飽きさせないようにできていますよね。だから、この本は一気読みするのではなくて、じっくりと読むべき本だなって。
堀元 確かに、エゴサしていると「1部ずつ読んでいます」(全体で「医学」「秘部」「聖水」「房事」「公民」「技術」「交流」の7部構成となっている)とか「トイレに置いています」っていう感想が多かったかも。
水野 トイレ本って、うれしいよね。原稿自体は「小説新潮」で毎月連載で書いていたんですよね。
堀元 そう、だから一話完結で、その密度と面白さの強度をまとめていきました。目指すはチョコの詰まった「トッポ」、あのお菓子ね。だから、ミステリー小説なんかだと「一気読みできる!」っていうことが仰々しく帯にあるけれど、この本は「一気読みできない」のが良し。
でも、「うるさい本だ」っていう感想もあって、「本って無音だけどな」と思ったこともあったな。
水野 それ、要らない(笑)。
堀元 ボケをしっかり入れてM‒1グランプリ(漫才頂上決戦)にも出られるような造りにしたかったから、結果は出せたってことかな。現代漫才に影響を受けた本なんだな。
水野 そっちか! M‒1ではボケ数を上げたほうが点が高くなる。ハイテンションな単独ライブみたいなもので、結果としては、リサーチ力とレトリックが駆使された堀元スタイルの決定版になっている、っていうことかな。雑学情報が満載なんだけど、ChatGPTには絶対に書けない構成であることは確かです。
堀元 3行だけでも、読んだら笑ってほしいんだよね。でもその路線を追求していくと、ロールモデルは高田純次さんしかいなくなる。
水野 ハラスメントにならないあのギリギリ感、同じくらいの年のおじさんが無防備にまねすると大変なことになる。すごい人だよね。
堀元 俺もさ、だんだん毒を抜いてキャラを変えていって、58歳くらいでやっと高田純次になっていくことがこれからの道なのかもしれない。
水野 たださ、堀元さんの人生は後で考えるとして、『下ネタ大全』に話を戻すと、「官能小説辞典を読んだら、官能小説みたいな声が出た【官能小説の表現】#130」を思い出すんですよ。
エロ表現について警察が検閲チェックをするようになって、むしろ小説家のほうは、猥褻だと判定されない比喩表現を求めて切磋琢磨、いつしか、結果としてジャンル全体が発展していた、っていう話です。その表現の多様性は、文化の持つ底力を体感させるために有用なのだ、という点で、『下ネタ大全』の構成と同じだと思います。
堀元 検閲、されていないけどね(笑)。
(ほりもと・けん 作家とYouTuberのハイブリッド)
(みずの・だいき 編集者)
【担当編集者が選ぶおすすめ回】
「ゆる言語学ラジオ」は初めて、という方はYouTube公式から、以下のタイトルで検索してみてください。
その1:単語はすごい【リメイク1】#212 まったく初めて見る人はこちらからがお勧め。何気なく使っている単語のすごさがわかります。
その2:赤ちゃんの言語習得が無理ゲーすぎる【赤ちゃんの言語習得】#107 赤ちゃんの言語習得を語った人気シリーズ。言語習得はノーベル賞級の功績だ、という言葉はなるほど。
その3:絵で物事を考える「視覚思考者」にはどんな世界が見えるのか?【ビジュアルシンカー1】#322 感想がいまだ多い回なのだとか。違う世界が見えてきます。
【ゆる言語学ラジオはどんなふう?】
「ゆるく楽しく言語の話をするラジオ」としてはじまって5年目、ふたりがコンビで重ねてきた動画本数は437本。他にもチャンネルは増えていき、いまや9つに及ぶとか。どんなジャンルでも、「springはなぜ春もバネも意味するの?」といった身近な疑問からスタートするのが常だ。
2023年6月には、池袋に「ゆる学徒カフェ」を開業。土日ともなると満席で、早押しクイズイベントや原稿執筆会など、行けばその日に行われている収録を垣間見ながら楽しめる、リアルな場所となっている。
波 2025年9月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
水野太貴
ミズノ・ダイキ
1995年生まれ。愛知県出身。名古屋大学文学部卒。専攻は言語学。出版社で編集者として勤務するかたわら、YouTube、Podcastチャンネル「ゆる言語学ラジオ」で話し手を務める。同チャンネルのYouTube登録者数は36万人超。著書に『復刻版 言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(バリューブックス・パブリッシング)、『きょう、ゴリラをうえたよ 愉快で深いこどものいいまちがい集』(KADOKAWA)がある。