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考えることに終わりはない。

41歳からの哲学

池田晶子/著

1,296円(税込)

本の仕様

発売日:2004/07/16

読み仮名 ヨンジュウイチサイカラノテツガク
雑誌から生まれた本 週刊新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 175ページ
ISBN 978-4-10-400106-4
C-CODE 0010
ジャンル 哲学・思想、思想・社会
定価 1,296円

「平和なときでも人は死ぬ」「信じなくても救われる」「先のことなど、わかるはずがない」――。『14歳からの哲学』の著者が、“この世”で生きている限り、絶対に避けては通れない身近で大事な五十四の問題を、深くやさしく分かりやすく考えた、大人のための哲学エッセイ。

著者プロフィール

池田晶子 イケダ・アキコ

(1960-2007)1960年東京生まれ。文筆家。慶応大学文学部哲学科卒業。専門用語を使わず、哲学するとはどういうことかを日常の言葉で語る「哲学エッセイ」を確立した。2007年2月23日、死去。著書『知ることより考えること』『勝っても負けても―41歳からの哲学―』『41歳からの哲学』『2001年哲学の旅』『死と生きる―獄中哲学対話―』(以上、すべて新潮社)、『14歳の君へ』(毎日新聞社)、『14歳からの哲学』『人生のほんとう』(以上、トランスビュー)、『新・考えるヒント』(講談社)など。

(池田晶子記念)わたくし、つまり Nobody賞 (外部リンク)

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立ち読み

なぜ人は死を恐れるか――戦争

 とりあえず戦争は終わるのらしい。
 とりあえず平和になるのらしい。
 この平和がとりあえずのものだということは、しかし誰にもわかっていて、それで人は次なる戦争を恐れることになるのだけれども、この、戦争を恐れるということはそもそもどういうことなのか、たまには考えるということをしてみたい。
 戦争を恐れるということは、それを恐れる人にとっては、多く、死を恐れるということである。自分の死であれ家族の死であれ、全く知らない人の死であれ、とにかく人が死ぬということを恐れているのである。
 なるほど生物であるところの我々は、本能的に死を恐れるけれども、生物でありながら他の生物と異なるところは、どういうわけか、その本能的な事柄について考えるという機能をもってしまっているところで、したがって、本能的に恐れているところの死についても、考える。死ぬとはどういうことなのか。
 気がついてみると、驚くべき当たり前のことなのだが、この世に存在しているのは、すべて生きている人である。死んだ人はこの世には存在していない。生きている人だけが存在しているのである。したがって、死ぬとはどういうことなのか、知りたくても聞ける人がいない。そして、生きている人は、生きているということしか知らない。ゆえに、人は、生きている限り、死ぬとはどういうことなのか、知る術はないのである。
 知る術がない、それが何だかわからないものについて、恐れることができないのは道理である。それが何だかわからないものだから恐れるのだというのが、まあ普通ではある。しかし、恐れるという態度をとることができるということは、それを恐れるべきものだとやはり知っていることになる。かく考えればわかることなのだが、人は考えることをしないで本能的に恐れたままでいるから、死にたくないために戦争したり、逆に美化して観念のために死んだりするわけである。したがって、戦争の抑止力ということなら、死について各人が考えて気がつく以上のものはないのである。
 各人が、と言ったところで、各国大統領や某国主席に、そうすぐには無理である。そうこうするうちに、次の戦争は遠からず始まるのかもしれない。なんて呑気なことを言っていられるのは、平和ボケした日本人だからかというと、しかしそれはそうではない。
 なるほど戦争では大勢の人が死ぬけれども、平和の時でも人は死ぬ。交通事故や脳卒中で、しょっちゅう人は死んでいる。生まれた限り、人は必ず死ぬものであり、人の死亡率は一律に百パーセントである。この絶対確実平等的事実の側からみれば、いつどこでどのように死ぬかは偶然、平たく言えば、運である。
 我々は、たまたま、運よく、平和の時代を長く享受できていたという、それだけのことではなかろうか。なるほど、日本もこれから戦争に無縁ではなくなるのかもしれないけれども、歴史とはそういうものではなかろうか。自分だけは別だ、別のはずだったと思うのは、自分にだけは死ぬということはないと思うのと、同じところの無理なのである。
 だからと言って、これは、絶望的になるということともちょっと違う。自分が死ぬということを知って絶望的になるとは、死ぬとはどういうことなのか知っていることになるからである。しかし、生きている我々は、死ぬとはどういうことなのか、知っているはずがないのであった。あるいは、ひょっとしたら、死ぬということは、生きていることより希望的なことであったとしたら、どうだろう。人類の歴史は、根底からひっくり返るであろう。
 人は、現実とは、生きるか死ぬかのことであると思っている。だから、こんな話は空想的非現実だと思いがちだけれども、しかし本当は逆なのである。人がそれを現実だと思う生きるか死ぬか、まさにその生きるか死ぬかの何であるかの話をしているのだからである。

(平成十五年五月一・八日特大号)

*平成十五年三月二十日、米英軍が大規模空爆を開始し、イラク戦争が勃発。三週間でバグダッドを制圧し、事実上フセイン政権が崩壊した。

死にたいのか、死にたくないのか――人間の盾

 人間の盾という人々は、死にたかったのだろうか、死にたくなかったのだろうか。
 聞くところによれば、それで戦争が止められると、本気で思っていたようだから、だとすると、死ぬつもりは最初からなかったということになる。あるいは、仮に止められずに死んだとしても、反戦の思いを貫いて死ぬのだから本望だと、そんなところだったのかもしれない。
 何か自分の思いのために死ぬ、観念のために命を捨てるというのは、全生物のうちで、人間にのみ可能な行動様式である。他の生物は、間違ってもそんなことをしない。それは、彼らが観念をもたないからというよりも、人間が観念としての死をもつからである。
 難しい話ではない。現実に生きているわれわれは、現実に死んではいないのだから、現実に生きているわれわれにとっての死とは、現実ではなくて必ず観念であるという、当たり前の話である。
 しかし、人は多く、死は観念ではなくて現実だと思っている。これはなぜかと言うと、現実に人は死ぬからである。人が死ぬのを見るからである。しかし、よく考えてみると、死ぬのは常に他人である。現実に自分が死ぬという経験をする時には、自分はいないのだから、自分の死というものは現実にはあり得なくて、やはり観念なのである。死はどこまでも観念、観念でしかないのである。
 観念とは、この意味では、ないものをあると思い込むことである。自分の死は現実にはないのに、あると観念で思い込むから、それをもって別に思い込んだ観念に殉じる、殉じて死ぬという芸当も可能になるわけである。他の生物を見てみればよくわかる。死についての観念など持ち合わせてはいないから、何ひとつ無駄なことをしやしない。完全に現実的な人生である。
 こう言うと叱られるかもしれないけど、反戦という観念に殉じて死のうとした人々は、愛国という観念のために自爆して死んだ人々と、その心性としては同じである。どちらも、自分ひとりで思い込んだ観念によって、現実に対抗できると思い込んでいるのである。しかし、自分ひとりで思い込んだ観念は、自分ひとりで完結しているのだから、そんなことは無理に決まっている。現実とは、大勢の人の観念によって成立しているものだからである。
 人間の盾にせよ、自爆テロにせよ、死をもってすれば何とかなると思って何かをする人々を見ると、真面目にやれ、と私は言いたくなる。あんた、本気でやる気あるの、と。
 彼らは、それら自分ひとりで思い込んだ観念は、自分ひとりのものではなくて、大勢の人にとっても正しい観念、すなわち理想だと思っているはずである。だからこそ、それを人に示すという行動に出ているはずである。しかし、それがわれわれすべてにとっての正しい理想であると、もし本当に思っているなら、それを現実にする努力をするべきではないだろうか。観念を現実に広く知らしめる努力をである。
 言うまでもないが、努力は、生きていなければすることはできない。死んでしまったら努力することはできない。この理由によって、生き続けて理想を現実化する努力をしようとしないあれらの人々の行動を見ると、無責任だ、信用できないと、私は感じるのである。
 自分の思い込みのために死ぬなんてのは、その意味では、最も安直な方法である。思い込んだ人なら誰にでもできる。人間は思い込みの動物だからである。しかし、思い込みとは、右に述べたように、早い話が勘違いなのだから、パッションにまかせて、力いっぱい思い込まれた勘違いは、周囲の人々の迷惑になること必至なのである。
 かくも人間という生物においては、すべてが転倒しているのである。転倒の支点は観念にある。観念を観念と見抜き、まっすぐに現実に立つためには、人は、考えるということを、たまにはした方がよいのである。

(平成十五年五月十五日号)

*「人間の盾」は元々、九〇年の湾岸危機の際、米英軍に空爆などをさせないようにするために、イラク政府が捕虜や人質を攻撃目標施設に収容したことがはじまりだが、欧米の平和活動家たちはこれを逆手に取り、自ら「人間の盾」になることで、衝突や軍による暴力を止めようとしている。イラク戦争の際には、バグダッドに世界中から三百人余りが集結した(うち日本人は十数名)。

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