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書かずにはいられない―北村薫のエッセイ―

北村薫/著

1,870円(税込)

発売日:2014/03/28

  • 書籍

「この一冊に、時の流れの中に浮かんだ、いろいろな思いを閉じ込めました」

記憶の底の事物や、ふと感じる違和感にも《美しい謎》をみつける作家の日常に、《ものがたり》誕生の秘密を垣間見る――。独自の読みどころを教えてくれる、おすすめ本の書評、装幀の魅力、父の日記、愛猫ゆずとの日々など、1990年代から2005年までの書評と随筆を収録。《時と人》を結ぶ読書の愉悦を共有できる、滋味あふれるエッセイ集。

目次
1|身辺探索
2|読書 1992-2003
3|記憶の発見
あとがき
作品リスト
初出一覧
北村薫 著者リスト

書誌情報

読み仮名 カカズニハイラレナイキタムラカオルノエッセイ
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 352ページ
ISBN 978-4-10-406609-4
C-CODE 0095
ジャンル エッセー・随筆、文学賞受賞作家
定価 1,870円

インタビュー/対談/エッセイ

波 2014年4月号より 書かずにはいられない

北村薫

彼は死んでゐるのではないかといふ噂は打ち消されたり死去のニュースに

中地俊夫の歌集『妻は温泉』中の一首である。この人の作には、微妙なユーモアと真実がある。《そうそう、そういうことあるなあ》と思ってしまう。
さて先日、聞いたところによるとシャープのワープロのメンテナンスが打ち切られたそうだ。わたしは、ずっと「書院」を使っている。パソコンでは書けない――と、公言して来た。この文章も、その最終タイプで綴っている。そんなわけで、
「北村さん、ピンチですね」
と、いわれた。冗談ごとではない。これが使えなくなると困る。だが、実は打ち切りのニュースを聞いた時、反射的に浮かんだのは中地の、冒頭の歌だった。
つまり、
――何だ、まだメンテナンスやっていたのかっ!
と、思ったのである。
経年劣化で、プラスチックが弱ったのだろう。表示画面を支える根元の部分が割れてしまった一台がある。開閉する部分だ。開いていないと文章が作れないし、閉じないと印刷出来ない。ワープロの機械そのものは《使える》のに、事実上使えないという口惜しい状態になってしまった。
ほかにも、こちらはあそこが駄目、こちらは別のところが壊れた――という組み合わせもある。
そうなった時点であきらめていた。だが数カ月前なら、まだ直してもらえたのかも知れない。わたしはひたすら、
――彼は死んでゐる。
と、思い込んでしまった。《電器店に持ち込んでも仕方がない》と考えてしまったのだ。直せば直ったのかも知れない。手を尽くさなかったことが悔やまれる。生き返ったのかも知れない。
――役に立ってくれたワープロ達にすまない……。
と、しみじみ思う。
取り返しのつかないことは、さまざまにある。ありがたいことに、わたしのうちにはまだ、ワープロが残っている。せめては、いくつかの、消える筈の思いを言葉にして残そう。
読み、かつ書くのが、わたしの日常だ。
今日、開いたのは、ぺりかん社から出ている『山東京伝全集』の第一巻。小学生の頃に読んだ『江戸生艶気樺焼(えどむまれうはきのかばやき)』なども入っていて懐かしい。中に『手前勝手 御存商売物(ごぞんじのしやうばいもの)』というのがある。天明二年というから、今から二百三十年も前の作だ。流行遅れになりそうな本達が、売れている本達の足を引っ張ろう――と、あれこれ画策する。そういうと不思議だが、要するに《本》という存在が擬人化され、戦うわけだ。ワープロがパソコンに一矢報いようとする――ようなものだ。物語だけでなく、数学書の『塵劫記(じんこうき)』や、案内書の『吉原細見』なども出て来る。
地球のはるか遠くイギリスの地で、『ガリバー旅行記』でおなじみのジョナサン・スウィフトが、図書館の本達による『書物戦争』を書いたのは、それよりさらに前のことだ。奇才は東西に分かれ時を隔てても、似たアイデアを得る。
京伝の作中では、争いの仲裁に『唐詩選』と『源氏物語』が乗り出す。双方をさとした後、日本の古典はいう。
「必ず、叱る源氏だと思うまいぞ」
いやあ、やっぱり京伝の本だ――と嬉しくなってしまう。
山東京伝とわたしが、その瞬間、確かに手を繋ぐ。しかし、書かなければこんな思いも一瞬に過ぎ去ってしまう。だから、《書く》というのは有効な手段だ。
それをしなければ、わたし《は死んでゐるのではないか》と思うに違いない。

(きたむら・かおる 作家)

著者プロフィール

北村薫

キタムラ・カオル

1949年埼玉県生まれ。早稲田大学ではミステリクラブに所属。1989年、「覆面作家」として『空飛ぶ馬』でデビュー。1991年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞を受賞。小説に『秋の花』『六の宮の姫君』『朝霧』『太宰治の辞書』『スキップ』『ターン』『リセット』『盤上の敵』『ニッポン硬貨の謎』(本格ミステリ大賞評論・研究部門受賞)『月の砂漠をさばさばと』『ひとがた流し』『鷺と雪』(直木三十五賞受賞)『語り女たち』『1950年のバックトス』『ヴェネツィア便り』『いとま申して』三部作『飲めば都』『八月の六日間』『中野のお父さん』『遠い唇』『雪月花』『水 本の小説』(泉鏡花文学賞受賞)などがある。読書家として知られ、『謎物語』『ミステリは万華鏡』『読まずにはいられない 北村薫のエッセイ』『神様のお父さん――ユーカリの木の蔭で2』など評論やエッセイ、『名短篇、ここにあり』(宮部みゆきさんとともに選)などのアンソロジー、新潮選書『北村薫の創作表現講義』新潮新書『自分だけの一冊――北村薫のアンソロジー教室』など創作や編集についての著書もある。2016年日本ミステリー文学大賞受賞、2019年に作家生活三十周年記念愛蔵本『本と幸せ』(自作朗読CDつき)を刊行。近著に『中野のお父さんと五つの謎』。

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