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魔力。誰の? みんなのだよ。この小説集は、ご覧のスポン。

ゴランノスポン

町田康/著

1,512円(税込)

本の仕様

発売日:2011/06/30

読み仮名 ゴランノスポン
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 252ページ
ISBN 978-4-10-421502-7
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 1,512円

楠木正成に会いに行こう、ハッピーな音奏でよう。素敵な会社に入社して、尻から泉が湧き出して、姫にくんくんになったって、僕らはあの「魔力」から逃れられないから。そう、すべてに感謝。明日またくる朝。浅漬。――十一年前に書かれた秘蔵小説から、最新作「先生との旅」まで、六年ぶり待望の短篇集は七篇全部マチダ凝縮。

著者プロフィール

町田康 マチダ・コウ

1962年大阪府生まれ。1996年に初小説「くっすん大黒」を発表、翌年ドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞を受賞。2000年「きれぎれ」で芥川賞、2001年『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、2002年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、2005年『告白』で谷崎潤一郎賞、2008年『宿屋めぐり』で野間文芸賞を受賞。他の著書に『夫婦茶碗』『パンク侍、斬られて候』『人間小唄』『ゴランノスポン』『ギケイキ 千年の流転』『ホサナ』『生の肯定』『猫にかまけて』シリーズ、『スピンク日記』シリーズなど多数。

OfficialMachidaKouWebsite (外部リンク)

目次

楠木正成
ゴランノスポン
一般の魔力
二倍
尻の泉
末摘花
先生との旅

インタビュー/対談/エッセイ

波 2011年7月号より 【刊行記念インタビュー】 「ハッピー」と「魔力」の浸透

町田康

『宿屋めぐり』『人間小唄』など、精力的に長篇小説を発表し続けている町田康氏の最新小説集『ゴランノスポン』が発売されます。六年ぶりとなる短篇集の刊行にあたり、全収録作について語っていただきました。

  横道に逸れていっても

――まず、『ゴランノスポン』というタイトルについて教えてください。
町田 僕の『犬とチャーハンのすきま』というCDにある「あなたにあえてよかった」という曲の最後にナレーションが流れるんですけど、それを聴けば大体ニュアンスは分かると思います。全部説明してしまうと面白くないんで言いませんが、そこから付けました。自由に響いてもらえるとうれしいです。
――六年ぶりの短篇集で、バラエティーに富んだ魅力的な小説集となっています。町田さんにとっての短篇小説の位置付けをお聞かせいただけますか。
町田 長篇だといろんな考えが入ってくるんですが、短篇の場合は一つの考えを書きます。根本は長篇も短篇も同じかも知れないけど、短篇は書く期間も短いので一つのことを書く。このところ続けて長篇を書いていたので短篇を書きたいなと思っていたんです。それが集まって今回の本になりました。
――この本の装画は奈良美智さんがお描きになっていますね。
町田 中田英寿さんの“REVALUE NIPPON PROJECT”というイベントで茶碗の絵付けをしたんです。そのオークションを京都でやったときに奈良さんも参加していて、初対面だったんですけどホテルのバーで酒を飲みました。その折に「今度装画を書いてください」「いいよー」って。それでこれが出ることになって、お願いしたら快く引き受けてくれた。
――二〇〇〇年から一一年までに書かれた作品が収録されています。執筆が長期間にわたる短篇をあらためて読まれて、変化を感じましたか?
町田 いまならこうは書かないなという部分があって面白いですね。書き方がかなり変わったと思います。何かをやる。そうするとやったことが増えていく。やったことが増えていくと技術的には蓄積されるのかも知れないけど、次に同じことをやったってしょうがないなという感じになってしまうんですよね。「やったこと」が自分にのしかかってくる。だから「やった」前提で次のことをやれば当然変わっていくんです。その意味では、昔のものは昔のもの、今のものは今のもの。変化と言えば変化だけど、ものを書く上での変化ってそういうことを言うんだと思います。技術は下手になった方がよくて、違うものを作っていく方がよい。それが無残な横道で、どんどん脇道に逸れていって、ついに行き止まりになる。そうやるべきじゃないかなと思います。

  現在の感じの源流として

――それぞれの作品についてうかがいます。「楠木正成」は収録作中で最も早い二〇〇〇年に発表されました。
町田 最近、理由はわからないけど日本中世に関する本ばかり読んでいました。なんでこんなこと考えてるんやろと思って「楠木正成」を読んだら、あ、なんだ十年前から書いてたのか、と思いました。十年前からひっかかってたということがわかりました。
――表題作の「ゴランノスポン」(〇六)は、雑誌掲載時「ホワイトハッピー・ご覧のスポン」というタイトルでした。音楽活動をする若者の生活が書かれていて、ハッピーに過ごす青年たちの持つ不穏さを感じる一篇です。
町田 書いたのは五年前です。アンダーグラウンドな音楽関係者の話として書いたのですが、今はもっと「そんな感じ」で、普通の常識、ベーシックな認識になって、「ハッピー」の空気がだんだん強烈になってきています。浸透して、これが前提になっている。ちょっとやばいですよね。
――郊外に住む家族の日常を切り取った「一般の魔力」(〇六)の主人公は、他人に対する想像力がないような人物です。「ゴランノスポン」と同年の発表で、共通する空気が描かれているとも思うのですが。
町田 そうですね。この主人公はかなり特殊でアグレッシブな人に書いてあるけど、発表から五年経って、今だとそういう人が被害感を感じるようになってきている。めちゃくちゃアグレッシブに振る舞いながら、「俺はこんなひどい目にあってるんだ!」みたいな。これも「ゴランノスポン」と同じ現在の感じのもう一方の源流としてある。「魔力」が一体どういうものか。「ゴランノスポン」の「ハッピー感」とこの小説の「魔力感」はセットになっていると思います。
――「二倍」(〇九)は、業績好調な会社に就職した青年が「送魂機」という機械に関する業務に携わります。「仕事」や「嘘の世界」というものが書かれていますね。
町田 仕事って結果を伴うものだけれど、フィクションとしての結果を作ることができる。「場面で」とか「流れで」とか言いますが、場面というのは、場面場面において対応を変えるということで、つまり目の前のものを自由に切り替えることができる。でも結局どこかで誰かが身体で責任をとっています。この小説に出てくる社長は僕らの世代ですが、おっさんなんだけど格好だけロックで、ロックなんて完全に終わっているのに、それでもまだあることにしている。ないことをあることにして、なくなった魂をあることにして物事を進めている。あることにしないと自分が悲しくなるから。でもそのことがないということを認めないと、まともに生きていくことはできないと思います。

  太宰、源氏、そして先生

――「尻の泉」(〇九)以降の三作は、文芸誌「新潮」でテーマが予め決まった短篇として発表されたものです。「尻の泉」は「人間失格」特集でした。お尻から清らかな泉が湧き出るという力に悩む主人公ですが、彼と太宰治との関係は?
町田 特殊な能力を持つ人とか、ものすごく天才的な人、天才。そういう人はいると思うんですけど、彼らを特殊な人として除外して考えて、自分が神から何か与えられたものがあるとする。それを自分以外の誰かが安易に分かって、認めたり賞賛したりした場合、それはもしかしたら完全な贋物なんじゃないかと思ったんです。本当に自分が神から与えられたものって、優れたものであればあるほど自分にとってはすごい重荷で、持っていることによって自分の人生が破壊されてしまうようなものではないかって。これって太宰だな、と考えて書きました。
――「末摘花」(〇八)は「源氏物語」特集。町田さんの翻案された源氏と姫君の愛は、発表時にも話題になりました。
町田 「『末摘花』をやれ」と言われたので、自分でこの話を選んだわけではないんです。笑い担当として割り振られて(笑)。実はストーリーもシーンも会話も基本的にそれほど変えてなくて、わりと忠実な訳です。僕の創作にみえるようなところも原典にあるんです。ただ違うところは一人称だということ。源氏の内面が出てくるところは大きく違います。
――最後の「先生との旅」(一一)は「旅」がテーマでした。講演をすることになった男が名古屋駅で「先生」と出会い、講演会場へ向かう道中が描かれますが、先生の不思議な語りが印象的です。
町田 あの先生がタクシーの中で自分の考えを語るわけですが、先生が言っていること自体は、そんなに間違ったことを言ってるように僕には思えないんです。例えば、一足す二は三なんてことは現実にはないんだよと。「一階と二階を足しても三階にならないだろ/どうなるんですか/平屋になるんだよ。」正しいことを言ってるなと思います。合ってるか分からないけど間違ってはいない。
――全七篇、本当に粒揃いの作品集です。発表媒体も内容も様々ですが、そこに通底するものはありましたか?
町田 「魔力」と「ハッピー」です。あとは特にないですね。

判型違い(文庫)

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