
はじまりのスープ、夏ゼリー
1,870円(税込)
発売日:2026/07/29
- 書籍
- 電子書籍あり
「おいしい」の一言が、明日の私を連れてくる──。本屋大賞作家の心あたたまる感動作!
つぶれそうな食堂のオリジナル親子丼。涙が止まらない、海の味のスープ。ごはんをお代わりさせる豚キムチ。熱中症を救った牛乳小豆シャーベット。そして、思い出のカラフルゼリー。中森リリーが作る料理には、人の心をつなぎ直す力があふれている。読めばきっと、誰かとごはんを食べたくなる、やさしさに満ちた物語。
第一章 はじまりのスープ
第二章 とじないで、親子丼
第三章 ホワイトリリーの小豆シャーベット
第四章 作って食べて、力を抜いて
第五章 夏ゼリー
書誌情報
| 読み仮名 | ハジマリノスープナツゼリー |
|---|---|
| 装幀 | イオクサツキ/装画、新潮社装幀室/装幀 |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 288ページ |
| ISBN | 978-4-10-468604-9 |
| C-CODE | 0093 |
| ジャンル | 文芸作品 |
| 定価 | 1,870円 |
| 電子書籍 価格 | 1,870円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/07/29 |
書評
味だけでは完結しないもの
あまじょっぱくて、ほろ苦くて。口当たりはすっきりとしているのに、喉越しはなめらかで濃く熱い。でも、これを単に「おいしい小説」と呼んでしまうのは──なんだかすこしちがう気がする。
語り手のリリーは高校卒業とともに実家を出て以来、定職につかずいろんなバイトを転々としながら生計を立てている二十六歳の女性だ。しがらみのない働き方は自分の性に合っていると自覚しているが、なにぶんこのご時世ゆえ生活に余裕はない。現にいまも二か月ぶんの家賃を滞納し、節約のために前日の夕食を抜いて済ませているような有様。そんな彼女が十万円の賞金をあてこんで地元の市の料理コンテストに参加するところから物語の幕があく。
うっかり寝過ごし、ひとりだけ集合時間ぎりぎりに会場に駆けこむ姿もさることながら、制限時間三十分なのに事前にレシピも決めていない。優勝を狙っているにしてはずいぶんとのんびりした様子に、はじめのうちはハラハラさせられることだろう。なにせ彼女自身の朝食は、パックごはんの上に残り物の白菜の漬物とフリーズドライの味噌汁を載せてお湯をかけただけの代物なのだ。コンテストの説明にあった「春を感じさせる」などという洒落た文言とはほど遠い食生活。ところが、わたしたち読者の心配をよそに、リリーは事実上優勝にあたる料理をみごとに作りだしてみせるのだ。その一皿──アサリで出汁をとった新玉ねぎのスープ──が思わぬきっかけとなり、停滞していた彼女の生活にささやかな晴れ間がのぞく。
本作の肝となるのは調理の過程だ。充分な時間がとれないアサリの砂抜きは、よく洗って熱めのお湯につけることで代替する。そのあいだに玉ねぎは十字に切れ目を入れて圧力鍋へ。フライパンにアサリとワインを入れてふたを閉じたら余計なことは一切しない。ただし使わなかった身の部分は、もったいないので殻を外してしぐれ煮にして自宅への持ち帰り用にとっておくというちゃっかりぶり。あれやこれやと足し算で趣向を凝らしている他の参加者たちをよそに、リリーの調理はいたってシンプルだが、その無駄のない動きのひとつひとつに積み重ねてきた生活の知恵が透けて見える。実際、忙しい両親に代わって幼いころから台所に立ち続けてきたリリーは、料理が上手であることは自分でも認めている。けれど「自分の料理が好き」だとは思っていない。それは自己評価の奇妙な低さと関係がある。
リリーの両親の離婚が決まった際、母は二歳違いの妹だけを連れて出ていった。父は二人暮らしとなった最初のうちこそリリーの作った料理をありがたがっていたものの、次第におざなりになって外食を繰り返すようになった。〈私は誰にも選ばれなかった〉──そのときに刻まれた傷は、まだ小学校を卒業したばかりのリリーのなかで劣等感と結びつき、仲良しだったはずの妹との関係までぎくしゃくしてしまったという経緯がある。ほんとうは「百合」と書いて「リリー」と読む自分の名前を好きになれないのも、昔から「かわいい子」と持て囃されてきた妹の花梨に対するコンプレックスの裏返しだろう。
だが他人の好意をあてにしないぶん、つねに目の前のことに一生懸命に取り組むリリーの料理は、同じように懸命に生きてきた人びとの心を摑み、彼らの生活の支えになっていく。例えばコンテストの審査員のひとりで編集者の下倉は、くだんのスープをもう一度食べたいがためにリリーを追いかけ「十万払う」と持ちかける。当初は突飛な提案に引き気味だったものの、地域の暮らしに寄り添った下倉のフリーペーパーの丁寧な仕事ぶりに触れたリリーは、「子どものころ潮干狩りに行った」という彼の思い出をなぞるように、わざわざ自分も潮干狩りに出かけアサリを漁ってくるのだ。
良心的ゆえに赤字経営からなかなか抜け出せない定食屋の大将のため、目玉となるメニューの考案のみならず材料の発注を効率化し調理場の動線まで整えてやる。料理下手を自認する大将の娘さんには、大量のレトルトといったインスタント食品を用意してアドバイスする。リリーの「料理」は最初から最後まで、つねに食べる人のことを考えて作られている。それは食べ終わった後も続いていく彼らの暮らしへのエールとなり、めぐりめぐってリリー自身が生きてきた時間をもあたたかく照らしていく。
味だけでは完結しないもの。
瀬尾まいこの小説を読むことは、たぶん「味わう」よりも「生きる」に近い。
(くらもと・さおり 書評家)
波 2026年8月号より
単行本刊行時掲載
優しい出汁のように
時には、自分が作ったんじゃないものを食べたい……。
昔、家事に疲れた母親がよく言っていて、そんなもんかなあ、と子どもの頃は思っていたが、本書を読んでしみじみわかった。
時には、他の人が書いた料理を読みたい、いや、読みたかったのだ、私は、と。
私も時々、食についての小説を書いていて、ありがたいことに時には「おいしそう」などというお褒めの言葉をいただくこともあるけれど、自分が書いた料理にはちょっと飽きてしまうこともある。
そこに瀬尾さんの新鮮な料理が優しい出汁のように流れ込んできたように思えた。
白菜の漬物味噌汁、あさり出汁を加えた玉ねぎのスープ、焼いた鰺といんげんの胡麻和えがのった出汁茶漬け……どれもわたしの小説には出てこない、考えもつかない料理だ。
小説家が体験していないことが書けるのかどうか、ということはネットで定期的にバズる話題ではある。そんなこと、数多くのミステリー作家が殺人事件を書いていることだけで結論は出ているのに。
ただ、こういったちょっとした料理レシピというのはその作家の経験から出てきていることが多いのではないか。フランス料理を作るところを描くなら、ロブションの料理本を開いて参考にするかもしれないけど、こういった、ささっと作ってお腹をみたす料理は書き手の生活や料理のセンスが如実に表れる気がする。瀬尾さんの描く料理はどれも「あ、これ、真似してみたい」と自然と思えて、あっという間に夢中になってしまった。
主人公リリーは二十六歳、世に言うフリーターというか、きままな働き方というか、ボロ安アパートに住み、さまざまなアルバイトをして生活している。
この働き方の温度感もとてもよい。さまざまなアルバイトをしている、と聞くと、何か必死に仕事を掛け持ちして、命からがら生きている、という悲惨さがにじみそうだが、リリーはそうではない。まとまったお金があれば平気で仕事を休むし、お金がなくなれば手頃なバイトを探す。彼女には料理の能力があってそれを活用して料理コンテストに出場し、賞金を稼ぐという、コンテストあらしの一面もある。
ただ、過去に両親が離婚し、その時のある出来事により、心に小さな傷……と言ってしまうとなんだか簡単な言い方になってしまうが、それよりもう少し微妙な、何かもやもやした割り切れない気持ちがある。
しかし、それがまた、彼女を独り立ちさせている一因になっている。
そう、「独り立ち」。
リリーのさわやかで強い空気感はなんだろうと考えた時、その独立独歩の姿勢から来るものだろうと気づいた。決して恵まれているとはいえない環境の中で、力むことなく、自然に一人で生きている。そして、彼女が生きることによって、まわりの人たちも少しずつ変わっていく。
今、「まわりの人たちも少しずつ変わっていく」とつい書いてしまったし、それは噓ではないのだが、こういう書評などで定型的に書かれる「変わっていく」ではない。
リリーは決してまわりを変えたい、と思っているわけではない。ただ、ベストを尽くしたいと思っているだけだ。でも皆、何かしら改善されていく。この流れをぜひ、たくさんの人に読んでいただきたい。
また、主人公が料理コンテストで賞金をもらうことで生活の足しにしているという設定も新鮮だった。
というのは、私自身が「漬物グランプリ」というコンテストの審査員を長く務めているからである。コンテストには法人の部と個人の部があり、実際、最終審査では応募者自身が現れて漬物のレシピについて発表する場面もある。中には毎年のように出てくれる人もいて、その成長や変化を勝手に楽しみにしていた。当然、彼らの発表の時間はじっとその言葉やしぐさを観察して審査に役立てているつもりだった。
でも、ニーチェの言葉ではないが「深淵をのぞいている時、深淵もまたこちらをのぞいている」のだ。リリーのように、出場者もこちらを観察している、とは夢にも思わなかった。
そういう意味でも、この作品は非常に大きな気づきを与えてくれた。
わたくしごとになるが、最近、年齢を重ね、集中力や視力のせいなのか、なかなか本が読めなくなってきている。量も少ないし、早さもぐんと遅くなった。
ただ、決してお世辞とかではなく、この作品はめずらしく「あとが気になってしかたない」という感情に突き動かされるようにあっという間に読んでしまった。主人公の気高さ、彼女を囲む人たちの個性、巧みな文章とストーリーが最後まで心を捉えて放さなかった。
作中のまわりの人たちだけじゃない、私自身も何かが変わったような気がした。
(はらだ・ひか 作家)
波 2026年8月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール
瀬尾まいこ
セオ・マイコ
1974年大阪府生まれ。2001年「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞、2009年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞、2019年『そして、バトンは渡された』で本屋大賞を受賞、2026年『ありか』が本屋大賞7位となる。他に『あと少し、もう少し』『夜明けのすべて』『そんなときは書店にどうぞ』など著書多数。

































