伊丹十三の本
2,860円(税込)
発売日:2005/04/22
- 書籍
一九六〇年代~七〇年代、比類なき名エッセイストだった伊丹十三のすべて!
幼児期、青春時代の未公開写真、湯河原の家、愛用品の数々、手紙、スケッチ、映画監督デビュー作「ゴムデッポウ」、懐かしいCM/テレビ番組、未刊行原稿、親交の深かった人々へのインタビューなど、エッセイストであり、デザイナーであり、イラストレーターであり、翻訳家であり、料理人でもあった、空前絶後の才人の全貌。
書誌情報
読み仮名 | イタミジュウゾウノホン |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 考える人から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | A5判 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-474901-0 |
C-CODE | 0095 |
ジャンル | 評論・文学研究、ノンフィクション、芸能・エンターテインメント |
定価 | 2,860円 |
書評
波 2005年6月号より 甘く、酸っぱく、ほろ苦く、噛みごたえのある本 「考える人」編集部 編『伊丹十三の本』
私のまわりには、伊丹十三のファンが多い。
そのほとんどは、青年時代に伊丹のエッセイに親しみ、多大な影響を受けた同世代の男性で、たいがいはちょっと癖のある友人知人である。と、思っていたら、つい先日、泊まりがけで遊びに来ていた友人夫妻の、奥さんのほうが、たまたま棚の上にあった『伊丹十三の本』を目ざとく見つけ、「あ、こんな本が、出たんだぁ! 私も昔から伊丹十三ファンで、『モノンクル』のバックナンバーも大切に保存してたんです……」と、呟いて、私を少なからずうろたえさせた。彼女は私より十歳ほど若い女性だから、私の「伊丹十三ファン、同世代の男性説」が、この発言であっけなく崩れたことになるのである。
ご承知の通り伊丹十三は多芸多才を絵に描いたような人物だったから、ひとことで伊丹十三ファンと言っても、必ずしも似たもの同士にはならない。デザイナーであり、イラストレーターであり、俳優であり、エッセイストであり、料理人であり、ドキュメンタリーやCMの達人であり、映画監督であり、すぐれた趣味人だった伊丹の仕事の、どの分野を高く評価し、また、そのどこに共感したかは、それこそ千差万別、百人百様だからである。私はかねがね、このあたりの色分けをきちんとするために、伊丹十三の人となりや仕事の全貌が見渡せる本が欲しいと思っていたのだが、待ち望んでいたその本が、『伊丹十三の本』なのである。
じつを言うと、私も二十代の初め頃から熱烈な伊丹十三ファンだった。しかし、あまりにも深く伊丹十三に感化されすぎたので、そのことを口外することをやんわり避けてきた。「あ、伊丹十三の真似してる!」なんて人に言われたくなかったのである。つまり私は、いわば「隠れイタミスト」として過ごしてきたことになるのだが、その「隠れ」の時代にも、伊丹十三に関する情報をせっせと蒐集していた。この本には、私が蒐集していた秘蔵のエッセイ(雑誌に連載されたもので、単行本に収録されなかったもの)はもちろんのこと、今まで見たこともなかった伊丹の幼年時代、少年時代、青年時代の写真やデザイナー時代の作品などがふんだんに載せられていて、その大盤振る舞いぶりに年来のファンとしては目を瞠るのである。これだけでも見応えがあるのに、ほかにも、映画「お葬式」の舞台になった湯河原の自邸を撮り下ろした写真や、愛蔵品の写真、息子の万作君や妻の宮本信子さんに宛てた手紙の数々(中でも「愛スルノブコ」は必読モノ)、さらには伊丹が小学一年生の時に描いたという達者なクレヨン画までおさめられていて、それこそ、見どころ、読みどころ満載の本になっているのである。
この本は「伊丹十三のファンであろうとなかろうと、伊丹という人物を知っていようといまいと、なべて人の生涯というものに興味のある人なら、眺めているだけで、否応なく感慨に似た気持ちが湧き上がってくる種類の本」だと私は思う。読者は読み進むうちに、希有な資質と才能を備え、それを様々な分野で見事に開花させたあげく、みずから死を選んだひとりの人間の一生の歩みを、知らず知らずのうちに辿ることになるからである。
そういう意味で、私にとってこの本は、甘く、酸っぱく、ほろ苦く、噛みごたえのある本、だった。
とはいえ、この本は決して重苦しい本ではない。写真ページを眺めていると、伊丹家に上がり込んで古いアルバムを見せてもらっている気分になるし(高校の集合写真で一人だけ学生服を着ていない伊丹少年を発見した読者は「なるほど!」と、ひとりごつことだろう)、伊丹と親交のあった人たちのインタビューを読めば、彼らから肉声で伊丹の思い出話を聞いているような錯覚にとらわれるのである。また、衣服、鞄、食器、本、レコードなどの愛蔵品の写真からは、マニアワセやマガイモノやツキナミを誰よりも嫌った伊丹十三のこだわりぶりが窺われて興味尽きないのである。
さて。
誰かに、この本の「お薦めのページは?」、または、「気になるページは?」と問われたら、私は迷わずに、巻末近く8ページにわたって続く猫のスケッチのページを挙げようと思う。ここには伊丹十三の成し遂げたすべての仕事をまっすぐに貫いていた鋭敏な感受性に裏打ちされた、観察力、表現力、描写力があますところなく顕れているし、黙々と飼い猫の顔や仕草を描き続け、そのスケッチに「一切空」と書き添えた人間の数奇な運命も、淡い色調で投影されていると思うからである。
そのほとんどは、青年時代に伊丹のエッセイに親しみ、多大な影響を受けた同世代の男性で、たいがいはちょっと癖のある友人知人である。と、思っていたら、つい先日、泊まりがけで遊びに来ていた友人夫妻の、奥さんのほうが、たまたま棚の上にあった『伊丹十三の本』を目ざとく見つけ、「あ、こんな本が、出たんだぁ! 私も昔から伊丹十三ファンで、『モノンクル』のバックナンバーも大切に保存してたんです……」と、呟いて、私を少なからずうろたえさせた。彼女は私より十歳ほど若い女性だから、私の「伊丹十三ファン、同世代の男性説」が、この発言であっけなく崩れたことになるのである。
ご承知の通り伊丹十三は多芸多才を絵に描いたような人物だったから、ひとことで伊丹十三ファンと言っても、必ずしも似たもの同士にはならない。デザイナーであり、イラストレーターであり、俳優であり、エッセイストであり、料理人であり、ドキュメンタリーやCMの達人であり、映画監督であり、すぐれた趣味人だった伊丹の仕事の、どの分野を高く評価し、また、そのどこに共感したかは、それこそ千差万別、百人百様だからである。私はかねがね、このあたりの色分けをきちんとするために、伊丹十三の人となりや仕事の全貌が見渡せる本が欲しいと思っていたのだが、待ち望んでいたその本が、『伊丹十三の本』なのである。
じつを言うと、私も二十代の初め頃から熱烈な伊丹十三ファンだった。しかし、あまりにも深く伊丹十三に感化されすぎたので、そのことを口外することをやんわり避けてきた。「あ、伊丹十三の真似してる!」なんて人に言われたくなかったのである。つまり私は、いわば「隠れイタミスト」として過ごしてきたことになるのだが、その「隠れ」の時代にも、伊丹十三に関する情報をせっせと蒐集していた。この本には、私が蒐集していた秘蔵のエッセイ(雑誌に連載されたもので、単行本に収録されなかったもの)はもちろんのこと、今まで見たこともなかった伊丹の幼年時代、少年時代、青年時代の写真やデザイナー時代の作品などがふんだんに載せられていて、その大盤振る舞いぶりに年来のファンとしては目を瞠るのである。これだけでも見応えがあるのに、ほかにも、映画「お葬式」の舞台になった湯河原の自邸を撮り下ろした写真や、愛蔵品の写真、息子の万作君や妻の宮本信子さんに宛てた手紙の数々(中でも「愛スルノブコ」は必読モノ)、さらには伊丹が小学一年生の時に描いたという達者なクレヨン画までおさめられていて、それこそ、見どころ、読みどころ満載の本になっているのである。
この本は「伊丹十三のファンであろうとなかろうと、伊丹という人物を知っていようといまいと、なべて人の生涯というものに興味のある人なら、眺めているだけで、否応なく感慨に似た気持ちが湧き上がってくる種類の本」だと私は思う。読者は読み進むうちに、希有な資質と才能を備え、それを様々な分野で見事に開花させたあげく、みずから死を選んだひとりの人間の一生の歩みを、知らず知らずのうちに辿ることになるからである。
そういう意味で、私にとってこの本は、甘く、酸っぱく、ほろ苦く、噛みごたえのある本、だった。
とはいえ、この本は決して重苦しい本ではない。写真ページを眺めていると、伊丹家に上がり込んで古いアルバムを見せてもらっている気分になるし(高校の集合写真で一人だけ学生服を着ていない伊丹少年を発見した読者は「なるほど!」と、ひとりごつことだろう)、伊丹と親交のあった人たちのインタビューを読めば、彼らから肉声で伊丹の思い出話を聞いているような錯覚にとらわれるのである。また、衣服、鞄、食器、本、レコードなどの愛蔵品の写真からは、マニアワセやマガイモノやツキナミを誰よりも嫌った伊丹十三のこだわりぶりが窺われて興味尽きないのである。
さて。
誰かに、この本の「お薦めのページは?」、または、「気になるページは?」と問われたら、私は迷わずに、巻末近く8ページにわたって続く猫のスケッチのページを挙げようと思う。ここには伊丹十三の成し遂げたすべての仕事をまっすぐに貫いていた鋭敏な感受性に裏打ちされた、観察力、表現力、描写力があますところなく顕れているし、黙々と飼い猫の顔や仕草を描き続け、そのスケッチに「一切空」と書き添えた人間の数奇な運命も、淡い色調で投影されていると思うからである。
(なかむら・よしふみ 建築家)
著者プロフィール
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