この不寛容の時代に―ヒトラー『わが闘争』を読む―
1,650円(税込)
発売日:2020/05/27
- 書籍
- 電子書籍あり
「他者にやさしくなれない」社会の先に待つ、あの魔術に感染しないために――。
今こそタブーの封印を解き、あえて『わが闘争』を読み込む時だ。拡大する格差、蔓延するヘイト、弱者切り捨てや排除の論理……世界を覆う不寛容や分断と、それに対抗する劇薬としてのファシズム。現代にも残るナチズムの危うい魅力と悪魔性を問い、危機と災厄の時代を生き抜くための知を伝える感動の熱血集中講座!
2 お互いの「耐えがたさ」
3 性も健康も国家が管理する
4 知性の誤使用としての反知性主義
5 総統の逆問題
6 いま生きるナチズム
7 歴史は繰り返すにしても
書誌情報
読み仮名 | コノフカンヨウノジダイニヒトラーワガトウソウヲヨム |
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装幀 | Getty Images/カバー写真、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 320ページ |
ISBN | 978-4-10-475216-4 |
C-CODE | 0022 |
ジャンル | 人文・思想・宗教、社会学 |
定価 | 1,650円 |
電子書籍 価格 | 1,650円 |
電子書籍 配信開始日 | 2020/11/06 |
書評
不寛容への抵抗
タイトルはみな知っているが、実際に読んだ人は少ない。『わが闘争』もそういう本のひとつだ。もっともこの本にかぎっては、敬遠ではなくタブーという意識が働くせいだろう。今あえてそのタブーに踏み込んだのが、本書だ。『この不寛容の時代に―ヒトラー『わが闘争』を読む―』のタイトル通り、ここ数年、資料で見る戦前・戦時中の空気を現実に重ねて感じることが非常に増えた。ポピュリズムが台頭し、不寛容と排除が蔓延したところに、今年のコロナ禍である。人と人の間に否応なく距離が生まれ、ネットでは毎日激しい批判が飛び交い、自粛の名のもとに相互監視、差別がはびこっている。
高まる不寛容と排除が行き着く先を、我々は知っている。とはいえ広く知られているのは単純化された原因と結末だけだ。この「知っているつもり」「わかったつもり」が一番危険だ。当時の世相とヒトラーの思想が詰め込まれた『わが闘争』に今こそ相対する必要がある。なにしろ、発行当時は嘲笑の的だったこの本に書かれていたことを、ヒトラーは後に全て実行できてしまったのだから。
しかし、『わが闘争』は非常に読みにくい。初読時、私は恥ずかしながら挫折したことを覚えている。獄中で口述筆記させたものゆえ無駄や繰り返しが多く、話があちこちに飛ぶせいだ。そもそもヒトラーの思想はさまざまな思想を継ぎ合わせたものなので、ナチズムを体系的に語ることは不可能に近い。しかし佐藤氏はパッチワークのひとつひとつを提示し、猛烈な読書家であったヒトラーがどの思想をどう解釈し継ぎ合わせていったかを、当時の世相およびヒトラー自身の体験と併せて丁寧に解き明かしていく。
この本はもともと、2018年の新潮講座「ファシズムとナチズム」を文字に起こしたものだ。奇しくも『わが闘争』と同じく、話すための言葉が使われている点に意味があるように思う。
ヒトラーは言う。「演説は書物より影響が大きい」。ヒトラー、そしてナチスはこれを徹底して貫いた。社会の底辺に生きる人々をつぶさに観察してきたヒトラーは、文字、すなわち知の効用を信じず、わかりやすい話し言葉だけが大衆に届き、動かしうることを知っていた。『わが闘争』は、だから大仰な語り言葉のままなのだ。
本書は同じく話し言葉で語られるが、根拠を明示し、ウンベルト・エーコはじめ様々な思想をもって多角的に切り込み、展開していく。最初から結論ありきで、それを証明するために数々の事実や根拠のない思想を継ぎ合わせた一本道な『わが闘争』とは、当たり前だが明確に違う。この違いこそが、言葉と知をどう使うか、間違って使うとどうなるかという問いかけになっているのではないだろうか。
佐藤氏は、TwitterやLINEで使われる言葉は、書き言葉ではなく話し言葉であるという。Twitterではかぎられた文字数の中、人の印象に残りやすいよう簡潔に、そしてインパクトのある言葉を選んで文をつくる。わかりやすいフレーズを繰り返し、聴衆にたたみかけていくヒトラーの手法と同じだ。ぱっと目に飛び込んできた、巧みな言い回しの短文に納得しそうになることもよくあるし、実際一気に拡散してパニック状態に発展するような現象も頻発している。
どの時代でも、多くの人はわかりやすさを求める。そしてなにより人は本質的に不寛容なのだ。この不寛容とはエーコ曰く、縄張り意識、そして自分とちがうものへの本能的な嫌悪である。もともとプロテスタントとカトリックはお互い徹底的に殺し合い、このままでは共倒れだと悟ってはじめて併存という名の寛容に行き着いたと佐藤氏は語る。要するに寛容とは生き残るための手段として生まれたのだ。よって本質たる不寛容は、隙あらば顔を出す。現に今、誰も予想しなかったウイルスの災禍によって何が起きているかは誰もが知るところだ。このまま流れていけばどうなるかも含め。
不寛容を抑えこめるのはただ教育であり、知性である。「わかりやすさ」へ疑問をもつこと、自分にとって正しいことも他人にとってはそうではないという視点を常にもつこと。これしか対抗手段はないという。
あの時代におそろしく似てきたこの時代に個人がどう向き合うか。本書は、思考の恰好の助けとなるはずだ。
(すが・しのぶ 作家)
波 2020年6月号より
単行本刊行時掲載
担当編集者のひとこと
『いま生きる「資本論」』『ゼロからわかるキリスト教』『学生を戦地へ送るには』など、新潮講座での佐藤優さんの講義からは何冊もの刺激的かつ胸を打つ本が生まれてきました。最新作はヒトラー/ナチズムの思想を克明に読み解き、いま現在の私たちの危機的状況を浮き彫りにしていきます。
ウンベルト・エーコの〈不寛容〉をめぐるエッセイを精読することから始まり、ネトウヨもリベラルも関係なく不寛容になっている今の世界を諄々と分析していく序盤から読む者を離しません。そして、ヒトラーがいかに資本家も保守層(教会も含む)も貧困層(彼らは労働組合からも教会からも見捨てられた存在でした)も取り込んでいったかという博覧強記の解説は、歴史の筋道をわかっていてもなお手に汗を握らせます。
コロナ禍で(その前に検察庁法改正の動きもありましたね)、今後おそらく行政権が強化され、司法権や立法権が相対的にないがしろにされそうな時代だからこそ、読んでおくべき一冊です。
「ヒトラー? 気が重いなあ……」という方は、本文(あとがきでなく)の最後の一ページ半だけ、まず読んでみてください。ここで示される佐藤さんの思想に共感できる方には、これは大切な本になるはずです。(出版部・K)
2020/07/28
著者プロフィール
佐藤優
サトウ・マサル
1960年生れ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了の後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、1995年から外務本省国際情報局分析第一課に勤務。2002年に背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、東京拘置所に512日間勾留。2005年2月執行猶予付き有罪判決を受ける。2009年6月に最高裁で上告棄却、執行猶予付き有罪確定で外務省を失職。2013年6月に執行猶予期間を満了、刑の言い渡しが効力を失った。2005年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。以後、作家として外交から政治、歴史、神学、教養、文学に至る多方面で精力的に活動している。主な単著は『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、『獄中記』『私のマルクス』『交渉術』『紳士協定―私のイギリス物語』『先生と私』『いま生きる「資本論」』『神学の思考―キリスト教とは何か』『君たちが知っておくべきこと―未来のエリートとの対話』『十五の夏』(梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞)、『それからの帝国』など膨大で、共著も数多い。2020年、その旺盛で広範な執筆活動に対し菊池寛賞を贈られた。