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内面からの報告書

ポール・オースター/著 、柴田元幸/訳

2,420円(税込)

発売日:2017/03/30

  • 書籍

外見は変わっても、君はまだかつての君なのだ――。
心の地層を掘り起こして記す回想録。

初めて書いた詩。父の小さな嘘。憧れのスポーツ選手たち。心揺さぶられた映画。エジソンとホームズ。ユダヤ人であることとアメリカ人であること。学生運動の記憶。元妻リディア・デイヴィスへの熱い手紙――。現代米文学を代表する作家が、記憶をたぐり寄せ率直に綴った報告書。『冬の日誌』と対を成す、精神をめぐる回想録。

目次
内面からの報告書
脳天に二発
タイムカプセル
アルバム
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 ナイメンカラノホウコクショ
装幀 Empire State Building Reflected, New York,1967(C)Estate of Andre Kertesz/カバー写真、Higher Pictures/カバー写真、PPS通信社/カバー写真、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 312ページ
ISBN 978-4-10-521719-8
C-CODE 0097
ジャンル エッセー・随筆、ノンフィクション
定価 2,420円

書評

複数の時間にわたる声

滝口悠生

 先行して刊行された前作『冬の日誌』と同様、自らの幼少期の記憶を掘り起こす回想記である。怪我やスポーツ、性欲など、身体的な感覚を手がかりに綴られた前作と対の関係にある本書が沈潜してゆくのは、内面の記憶だ。
「思い出せることを元に、子供のころの心の中を探索するとなれば、間違いなくもっと困難な作業だろう。ひょっとしたら不可能だろうか。それでも君は、やってみたい気持ちに駆られる。」  自身のことを「君」と呼ぶのも前作と同じだ。一見不思議なこの語り方は、読めばごく自然なものとして受け入れられる。むしろ、子どもの頃の自分と現在の自分を地続きの同一人物と考える方が、不自然なことなのかもしれない。
「生きるということが新しいものへの絶えざる飛び込みだった」子ども時代の内面が、細やかに、丁寧に探られ、語られる。無知ゆえの不安定と大づかみな世界観のなか、自分でもそれと認識しない繊細さや厳密さがそこではたしかに働いている。時代や場所を越えて、読者も子どもの頃に自分を取り囲んでいた世界の感触を思い出す。たしかにあの頃、あらゆる事物に命があるように思えたし、世界は球体ではなく平らだった。
 そのような幼少期の世界が、印象的ないくつかのエピソードによって少しずつ変容していく。たとえば、六歳のある土曜日の朝に、突如彼を襲った恍惚感。六歳の今がいちばん素晴らしい、と感じたその瞬間を、五十九年経った現在も彼は鮮明に覚えている。おそらくその瞬間、彼はものを思う自分、つまり自意識を発見した。「その瞬間を境に、人は己の物語を自らに向かって語る力を獲得し、死ぬまで途切れなく続く物語を語り出すのだ」。つまり「君」はこの時に誕生し、以降ずっと彼の過去を支えてきた。彼が思考し存在したことを、ずっと証明し続けてきた。
 成長に従い、内面はそのように複雑に、多面的になっていく。一方で、ひとつに固まっていくものもある。ユダヤ人であるという自覚。移民二世の両親を持つ彼は、自分が単にアメリカ人であるだけでなく、ユダヤ人でもあると知る。まだ戦争が遠くない過去だった時代の空気、妻とふたりの娘をアウシュヴィッツで殺された親戚の存在、そして社会のなかで目にしたいくつかのケースが、まだ幼い彼に、絶対的な悪としてのナチスへの憎悪を根づかせる。そしてそれは、学校の先生が語る素晴らしいアメリカや、シナゴーグで学ぶ聖書のなかの神から、彼を遠ざけることにもなる。後に作家になった彼が、様々な形でそのことについて書き、語り続けていくことになるのは周知の通りだ。
 本書は四つの章で構成されている。子ども時代の内面を探る表題の章に続き、「脳天に二発」では、彼が十歳と十四歳の時に観て衝撃を受けた二本の映画(「縮みゆく人間」、「仮面の米国」)の全篇が詳細に語られる。続く「タイムカプセル」では、大学にいた十九歳から二十二歳までの時期、後に最初の妻となるリディア・デイヴィスに宛てたラブレターを抜粋しながら、葛藤と活気と混乱に満ちた若き日々が語られる。ベトナム戦争をはじめとした不穏な世界情勢のなかで、まとまりと落ち着きを欠いた手紙は、生々しい。そして最後に置かれた「アルバム」には、これまでの三章にちなんだ写真やイラストなどの図版資料が並ぶ。ミッドセンチュリーの古き良きアメリカ、行軍する兵士、故郷での動乱……。彼の人生とともに、様々な背反を抱えた「アメリカ」の姿もそこに見えてくる。
 変わった趣向と構成だが、「君」の記憶が元にあることは一貫している。自分のなかの他者である「君」を巡る語りは、過去の自分に語りかける声のようでもある。その声は、諦観と哀感を帯びつつも、明るく、優しい。
 そして不意に、現在から過去に向かっていたはずのその声が、過去から現在に、つまりかつての彼が未来の自分に向けて「報告」をしているようにも思えてくる。六歳の朝に彼が発見したのは、語られる過去の自分であるとともに、宛先たる未来の自分でもあるということ。思い出し、それを語るということは、過去の自分から思われ語られることでもある。そうやって複数の時間に遍在することで、私たちは同一性を保つことができ、過去の自分から大事なことを教えられたりもするのだ。

(たきぐち・ゆうしょう 作家)
波 2017年4月号より
単行本刊行時掲載

短評

▼ニューヨークタイムズ・ブックレビュー
オースターの自伝的作品群は、寸分の狂いもないカットを施された宝石さながらに、どれもが光を放っている。本書の表題作でもある第一章は「完璧」と言っても過言ではない。

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著者プロフィール

1947年生れ。コロンビア大学卒業後、数年間各国を放浪する。1970年代は主に詩や評論、翻訳に創作意欲を注いできたが、1985年から1986年にかけて、『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表。一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた。他の作品に『ムーン・パレス』『偶然の音楽』『リヴァイアサン』『ティンブクトゥ』『幻影の書』『ブルックリン・フォリーズ』『写字室の旅/闇の中の男』『冬の日誌/内面からの報告書』などがある。

柴田元幸

シバタ・モトユキ

1954年、東京生れ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳するほか、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌「Monkey」の責任編集を務める。

関連書籍

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