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風の吹きすさぶ赤い丘に暮らす一家の、四代にわたる物語。カンピエッロ賞受賞作。

風の丘

カルミネ・アバーテ/著 、関口英子/訳

2,268円(税込)

本の仕様

発売日:2015/01/30

読み仮名 カゼノオカ
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 330ページ
ISBN 978-4-10-590115-8
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,268円

イタリア半島最南端、赤い花の咲き乱れる丘に根を下ろして暮らすアルクーリ家の人々。ときに横暴な地主に、ファシズム政権に、悪質な開発業者に脅かされながらも、彼らは美しい丘での生活を誇り高く守り続ける。そしてその丘には、古代遺跡のロマンと一族の秘密が埋もれていた。イタリアの権威ある文学賞、カンピエッロ賞受賞作。

著者プロフィール

カルミネ・アバーテ Abate,Carmine

1954年、イタリア南部カラブリア州の小村カルフィッツィに生まれる。少数言語アルバレシュ語の話される環境で育ち、イタリア語は小学校で学ぶ。バーリ大学で教員免許を取得、ドイツ・ハンブルクでイタリア語教師となり、1984年にドイツ語で初めての短篇集を発表した。その後、イタリア語で執筆した『サークルダンス』(1991年)で本格的に小説家としてデビュー。『帰郷の祭り』(2004年)でカンピエッロ賞最終候補となり、2012年に『風の丘』で第50回カンピエッロ賞を受賞した。2017年現在はイタリア北部トレント県で教鞭をとりながら執筆活動を続けている。

関口英子 セキグチ・エイコ

埼玉県生まれ。翻訳家。訳書にディーノ・ブッツァーティ『神を見た犬』、プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』、イタロ・カルヴィーノ『マルコヴァルドさんの四季』、カルミネ・アバーテ『風の丘』など。『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』で第一回須賀敦子翻訳賞受賞。

書評

波 2015年2月号より 強くあるための方法

小山田浩子

イタリア南部カラブリア地方にあるとされる架空の丘ロッサルコ、そこでは春になると無数の赤い花が咲き、秋になれば果樹や作物が豊かに実る。種々の植物や海、太陽などが織りなす芳しい風が吹く丘と、丘を所有するアルクーリ家の人々は深く結びついている。丘の上で繰り広げられる新たな命の誕生や出会い、収穫の喜び……一方で、丘には不穏で暗い秘密、流血の過去もまた閉じ込められている。そこで何が起ころうとも丘に吹く風は爽やかで甘い。同じように、この小説の文体はどんな悲劇を語るときも平易で軽々としている。読んでいると自分も丘を吹く風の中にいるような気がしてくる。
語り手はアルクーリ家の若者リーノ、故郷を離れ教師をしている彼は、休暇中に父ミケランジェロとロッサルコの丘で過ごしていた。そこで突然父が彼に「よきにつけ悪しきにつけロッサルコの丘と深く結ばれた俺たち家族の」物語を語り始める。「(前略)俺が死に、俺と一緒に家族の物語まで消えて失くなってしまう前に、お前は真実を知っておかねばならん。そしていつの日か、こんどはお前が自分の子どもたちにそれを語って聞かせるんだ。約束してくれるな?」
ミケランジェロの祖父アルベルトから始まる物語、それは丘を守るため多くの犠牲を払い、喜びだけでなく悲しみも受け入れてきた、家族と土地の物語だった。丘を少しずつ手に入れ、岩だらけの土地を耕し人が羨むほどの豊穣の畑にしたアルベルト、第一次世界大戦や無実の罪での告発などの苦難に見舞われながらも丘と家族を守り続けたその息子アルトゥーロ、成績優秀で都会へ進学し教師の職を手にしかけた時に第二次世界大戦に巻き込まれたミケランジェロ。香り立つ丘を愛する彼らには多くの敵が近づいてくる。地主ドン・リコ、力を増すファシスト、風光明媚さに目をつけたリゾート開発会社、風を「無色透明の黄金」と呼び発電用風車を建てようとする人々……お題目こそ時代によって変化するが、甘言で近づき牙を剥く手口は変わらない。一家は嫌がらせを受け流刑の憂き目、血みどろの報復にさえあうが、それでも丘に固執する。全く別の方向から丘にやってくる人々もいる。考古学者パオロ・オルシやウンベルト・ザノッティ=ビアンコ、彼らは丘に古代都市クリミサが眠っていると信じ、発掘調査を始める。期待と不安を感じつつ一家は発掘を見守る。戦争や事件のため何度も中断する発掘は、丘に思いもよらぬ結果をもたらす。
小説の中で、学生時代のミケランジェロは妹にギリシア神話の英雄ピロクテテスについて話をしてやったあとでこう言う。「ピロクテテスのことならホメロスも書いてるし、ソポクレスはピロクテテスを主人公にして悲劇を書いた。ストラボンの著作にも出てくる。そこに自分の空想を加えたんだ。古代の著述家だっていろいろ想像して書いているわけだから、僕が考えた物語のほうが真実に近い可能性もある」いつしか老父となっているミケランジェロがリーノに聞かせた一家の物語もまた、ピロクテテスにしたのと同じように彼なりの編集を加えた物語だと言えるだろう。単なる事実の羅列ではなく、語られ記憶され後の代へと語り伝えられるための、彼らにとって唯一無二の物語、そこでは大切な出来事は詳細に語られただろうし、そうでもない出来事は忘れ去られただろう。邪魔だと削られた事実もあったかもしれない。二世代三世代と時が経つごとに、物語は彼らだけのための真実へと昇華される。その真実は貧困や理不尽に責め苛まれる彼らの心の拠り所となる。リーノもまた、自分の分の歴史を加えて編集更新した物語を真実として次代へ伝えねばならない。「約束してくれるな?」ミケランジェロは息子に何度も念を押す。呪縛ともとれるほど執拗なその老父の態度は、歴史が途切れることへの恐れからきている。しかし、それは死が近づいている自分のための恐れではない。家族の、土地の、記憶の歴史というものが人にとっていかに大切か老父は知っている。泣き怒り絶望しながらも、自らへと続く人々の営みを感じ敬意を抱くことが彼らを支えてきた。その支えを次代さらに次代へと繋げることが、彼らが強くあるための方法、子孫への何よりの遺産なのだろう。

(おやまだ・ひろこ 作家)

目次

約束
香り
似た者どうし

確証


発掘
真実
エピローグ

注記

訳者あとがき

短評

▼Hiroko Oyamada 小山田浩子
芳香漂う丘と、その丘に根を張る一家をめぐる悲劇、幸運、絶望、歓喜。親から子へと語り継がれるうちに、それらはいつしか彼ら一族だけの真実、唯一無二の歴史へと昇華されていく。小説の語り口は淡々としていて爽やかでさえあるが、自分たちの物語を次の世代へ伝え続けようとする登場人物らの願いは執念めいていて重い。読みながら、なぜそこまで、と思い直後にぎくりとした。堆積した物語を心の拠り所とする彼らは、過去を忘れようなかったことにしようとしているとしか思えないこの時代の私たちより、遥かに強靱なのではないだろうか。

▼Vivere ヴィーヴェレ誌
これは、ひとつの家族の大河小説であると同時に、20世紀のイタリアの歴史そのものでもある。アバーテの揺るぎない語りの力のおかげで、繊細な快楽とともに物語に浸りながら、個々の登場人物の人間的な魅力と、女たちの美しさ、描かれた景色の色や香り、仄めかされた秘密によって増していくサスペンスといった要素に彩られた最高の時間を過ごすことができる。

▼L'espresso レスプレッソ誌
カルミネ・アバーテは現代イタリアで最も優れた作家の一人であり、本好きの読者たちは、彼の小説には決して期待を裏切られることはないと知っている。

▼Giorgio Ierano,Panorama ジョルジョ・イエラノ、パノラマ誌
あたかも考古学的な発掘調査のように、一層、また一層と記憶が掘り起こされ、隠された秘密が明かされてゆく。アバーテは、一世紀にわたるイタリアの歴史を駈け抜ける、叙事詩のような、哀歌のような、味わい深い最高の物語をつくりあげた。

訳者あとがき

 本書、『風の丘』(原題La collina del vento)は、イタリア南端カラブリア州の、スピッラーチェという架空の村で、土地に根差して生きるアルクーリ一族の、第一次世界大戦前から現代まで百年あまりの営みを四世代にわたって描いた物語だ。二〇一二年に発表されると、広い読者層に支持され、他の候補作を大きく引き離し、第五十回の「カンピエッロ賞」に輝いた。
「力のある者たちの横暴に屈することなく生きていく家族の物語を描きたかった」と著者のカルミネ・アバーテは語っている。傷つきながらも変わらぬ美しさでそこにあり続ける「風の丘」ロッサルコを守り、風に託された丘の声に耳を傾けながら、ひたむきに生きていく家族。丘に秘められた一族の記憶が、父の語りをとおして、単なる郷愁としてではなく、いまを生きる者たちの足もとを照らす一筋の光として息子の代へと受け継がれていく。
 無理難題を押しつける地主、息子たちを次々に奪う戦争、ファシズム、リゾート開発業者と裏で結託し、暴力で服従させようとする犯罪組織ンドランゲタ、自然エネルギー推進の名のもと、景観のことなど顧みず各地に発電用の風車を建ててまわる業者……。横暴に振る舞う者たちの姿は時代とともに変わっていくが、その本質は変わらない。だが、アバーテは、不条理に対する安易な告発に流れることなく、強さを湛えた静かな筆致で終始家族の営みに寄り添う。
 美しすぎるゆえに仲間から妬まれ、群れから追われるアルビノの白燕。自分たちをそんな白燕になぞらえながら、島流しに遭っても、父が行方不明になっても、決して屈することなく生きていくアルクーリ家の人々の誇り高き姿は、読む者の心を強く揺さぶる。彼らがどんなときでも毅然とした態度を保てたのは、家族が深い絆で結ばれていたからだとアバーテは言っている。そして、一家につねに存在していた世代間の対話こそが、そんな絆を育む所以だったとも。たとえ故郷を離れることを余儀なくされようとも、土地の記憶や家族の絆はそれぞれの心に刻まれ生き続ける。

〈土地は嫉妬深い愛人さながらに絶対的な忠誠を求めてくる。見捨てようものなら、いつの日か必ず、その人を土地に縛りつける秘めた物語を持ち出して脅すのだ。土地を裏切ろうものなら、秘めごとを風に託して解き放つ。どこにいようとも、たとえ地球の果てにいようとも、必ず届くという確信のもとで。それが真実というものだ……〉

「父」は、丘に秘められた家族の物語を「僕」に語ることにこだわり続ける。さもなければ、その物語は埋もれてしまうのだから。土地に伝わる伝説の要素を幻想的に交えながら、埋もれていく運命にある一族の営みを言葉にとどめようという試みは、アバーテの作品を語るうえでしばしば引き合いに出されるG・ガルシア=マルケスに通じるものがある(アバーテ自身は、マルケスの影響を受けているのかと訊かれるようになるまでマルケスを読んだことはなかった、と自嘲気味に語っていたものの、のちのインタビューで、「これまで読んだ本のなかでもっとも夢を見させてくれた作品は?」という問いに、『百年の孤独』を挙げている)。私たちは、このアルクーリ家の物語を通して、その向こうにある、あるいは自分たちのすぐそばにある、いくつもの語られなかった家族の物語にまで思いを馳せることができるのだ。

 物語の舞台となっているのは、長靴の形をしたイタリア半島の爪先の部分にあたるカラブリア州。東はイオニア海、西はティレニア海と、二つの紺碧の海に挟まれ、雄大な自然に抱かれた土地だ。この一帯には、紀元前八世紀ごろから古代ギリシアの植民都市がいくつも築かれ、「大ギリシャマグナ・グラエキア」として栄えていた。その後、古代ローマ人、ノルマン人などさまざまな民族によって征服され、異文化が混淆しながら現代に至っている。カラブリアの各地には、かつての文化の繁栄を物語る遺跡がいまなお、広大な大地にひっそりと佇んでいる。悠久の時の営みのなか、大地とともに生きる人々は、自然の恵みと家族のつながりを大切にしながら、自分たちの物語を淡々と紡いできた。
 ところが、十九世紀になってイタリアの統一が果たされ、北中部を中心とする近代国家としての体裁が整うにつれ、産業が立ち後れ、交通の便も悪かった南イタリアは、発展から取り残され、国政からも見放され、貧困の支配する土地となっていく。痩せた傾斜地でも栽培の可能なオリーブやぶどう、柑橘類といった作物を栽培する以外は、鉱山ぐらいしか働く場所がなく、男たちは仕事を求めて北イタリアやフランス、ドイツ、そしてアメリカなどに移住していった。行政も警察も当てにならないなか、用心棒役を買って出る犯罪組織が次第にはびこるようになる。むろんカラブリアも例外ではない。
 シチリアを拠点とするマフィアや、ナポリを拠点とするカモッラを凌ぎ、近年とみに勢力を伸ばし、北イタリアのみならず中南米にまで進出しているのが、カラブリアを拠点とする「ンドランゲタ」と呼ばれる犯罪組織だ。「ンドランゲタ」の実態や組織構成については、誰も口をつぐんで語りたがらないために、イタリアにおいてさえあまり知られていない。それでいて、「ンドランゲタに支配されている土地で生きる者たちは、守るべき不文律があり、それをすり抜けることはきわめて困難だということを、誰もが知っている」と言われ、暗然と人々の暮らしを覆っている。現に本書でも、「ンドランゲタ」との結びつきがあることをにおわせるリゾート開発業者からの脅迫に悩まされるアルクーリ家の人々の姿は描かれているものの、「ンドランゲタ」という名称はおろか、マフィアや犯罪組織の存在がはっきりと語られる場面はない。一度だけ「僕(リーノ)」の軽口のなかに「ンドランゲタ」という言葉が登場するだけだ。
 それは、著者アバーテが故意に言及を避けているのではなく、脅迫を受けている者たちはもちろんのこと、警察や行政も含めた地元の人々の会話でもめったに名指しされることのない組織なのだ。本書の語り手である「僕」は、そうした「性根の腐った卑怯者ども」の報復を恐れる父により、ある日とつぜん北部の母の実家に移り住むことを命じられるが、実際にこうした脅しの犠牲となり、抵抗する術もなく、無言のままカラブリアをあとにする人々は現在もなお少なくない。

 アルクーリ家の人々が暮らすスピッラーチェは、著者カルミネ・アバーテによって考え出された架空の土地だが、その位置は具体的に描写されている。カラブリア州クロトーネ県(ギリシャの植民都市、クロトンのあった場所)、こくのあるワインの産地としてその名を知られるチロにほど近い、アリーチェ岬から内陸にいくらか入った小村。それは、著者アバーテの故郷、カルフィッツィのある場所とほぼ一致する。
 住民が千人にも満たないカルフィッツィは、異文化が混じり合うカラブリアのなかでもひときわ特殊な歴史を持つ。十五世紀から十六世紀にかけて、アドリア海を挟んでイタリア半島の対岸にあるアルバニアから、オスマン帝国の侵攻を逃れて移り住んだアルバニア人によって築かれたのだ。村の共通語は、古代アルバニア語に近いとされるアルバレシュ語(アルバレシュ・アルファベットと呼ばれる独自の表記法が用いられている)。話者の数はおよそ八万人と推定され、危機に瀕する言語のひとつに指定されている。
 この村で生まれ育ったカルミネ・アバーテは、六歳までアルバレシュ語しか話さず、イタリア語は学校で「外国語」として習ったそうだ。自分の村ではなぜアルバレシュ語しか話されないか、その理由をきちんと理解できるようになるのはのちのことだが、幼いころから耳にしていた村の祭りなどで歌われる歌には、故郷を追われた民族の悲哀が感じられたとアバーテは語っている。彼にとって、「移民」は自らの祖先のルーツであり、運命として受容せざるを得ないものだった。祖父は「アメリカ合衆国ラ・メリカ」に二度出稼ぎに行き、父は、毎年「来年はずっと家にいるよ」と約束をしながら、フランスやドイツに働きに出ていた。そんな境遇に育ったアバーテは、おのずと土地と人との関係や家族の結びつきについて、幼いころから嫌というほど考えていたにちがいない。アバーテ自身も、十六歳のときの夏休みを利用して、父のいるドイツのハンブルクに初めてアルバイトに出ている。以来、大学を卒業するまで、毎年夏休みになるとドイツでアルバイトをしていた。それでも父は、息子が自分たちのような思いをしないですむよう、きちんとした教育を受けさせることにこだわった。それは、出稼ぎが生きるうえでの唯一の選択肢だった世代の多くの親たちに共通する思いだろう。
 最終的にアバーテは、南イタリアのバーリ大学(プーリア州)文学部を卒業し、イタリア語(国語)の教員免許を取得したものの、故郷カラブリアには教師の職はなく、北イタリアで臨時採用教員としてしばらく暮らしたあと、ドイツに渡り、イタリア語を教えるようになる。ものを書くようになったのは、カラブリアからの移民としてドイツで暮らしているうちに、住み慣れた故郷を後にして移住を余儀なくされる不条理に対する怒りの捌け口が必要だったからだという。
 当時アバーテは、足では「北」の地を踏みながらも、心は「南」に置き去りにした乖離状態に苦しんでいた。自分は、ドイツ人から見れば「イタリア移民」だし、イタリア人から見れば南部野郎テッローネだし、イタリア南部の人間からしてみれば「カラブリア人」だし、カラブリア人から見れば「アルバレシュ人」だし、アルバレシュの村に戻れば「根無し草」となる。つまり、行く先々で排除の対象にされると感じていたのだ。そんなある日、発想を百八十度転換し、自分はそれらすべての要素を足し合わせた存在なのだと思うことにした。複数の言語を持ち、いくつもの根を持つ多文化の人間なのだと。そのときから、「移住」を、痛みを伴う別離として捉えるのではなく、自分の生まれ育った環境を外から見つめなおす新たな視点を育み、人生を豊かにしてくれるものとして捉えることができるようになったとアバーテは述べている。複数の世界を生き、複数の文化の中で育ち、複数の言語を理解し、別の土地の人と知り合うことは、人を豊かにする。単一の純粋なアイデンティティーを追い求めることによって自分の中にある魂を窒息させてしまうのではなく、複数のアイデンティティーを紡いでいけばいいのだと。アバーテはこれを、「足し算の生き方(vivere per addizione)」と名付け、自らの短篇集のタイトルにも用いている。
「移住」せざるを得ないことに対して抱いていた怒りを、「豊かさ」と言えるまでに昇華させ、自らの生きてきた足どりを本当の意味で受け容れたアバーテが、亡くしたばかりの父に捧げるかたちで一気に書きあげた小説が、本書『風の丘』であり、故郷カラブリアを舞台に、「移民」をテーマにした作品を書き続けてきたアバーテの集大成と呼べる作品なのだ。そこに至るまでのアバーテの葛藤が、本書の主人公の一人でもある「風の丘」の包容力の大きさに結集されている気がする。
 語りの随所にカラブリア方言やアルバレシュ語が織り交ぜられているのも、アバーテの作品に共通する特徴だ。とはいえ、意識的に交ぜているのではなく、物語を書いていると、そうした言葉たちが勝手に文章のなかに入り込んでくるのだそうだ。それは物語に魂を与えてくれるものだから、あえて消したり、あるいは標準のイタリア語に書きなおしたりはしないのだという趣旨のことを、アバーテはインタビューで語っている(翻訳では、そうした言葉たちの魅力を存分にお伝えできないことが残念だ)。
 
 一九五四年生まれのアバーテは、「風の丘」の語り手リーノと同様、若い頃に故郷を後にし、現在はイタリア北部トレンティーノ(トレント自治県)で教師の仕事をしながら、執筆活動を続けている。アルバレシュ語、カラブリア方言、イタリア語、ドイツ語と、特殊な言語環境のなかで言葉に対する独自の感性を磨いてきた。「移住によって多くの伝統が失われてしまうが、言語への帰属意識は強く残る。言語はコミュニケーションの道具であるだけではなく、現実を自分なりに捉えるための手段なのだ」と彼は語っている。
 そんな彼の処女作は、一九八四年にドイツ語で発表した短篇集(これは後に「壁のなかの壁(Il muro dei muri)」としてイタリア語に訳された)。その後、一九九一年の「サークルダンス(Il ballo tondo)」によってイタリアで本格的に小説家としてデビュー。二〇〇二年の「二つの海の狭間で(Tra due mari)」で注目され、二〇〇四年には、出稼ぎに行って家を留守にしている父と息子の確執を描いた「帰郷の祭り(La festa del ritorno)」でカンピエッロ賞の最終候補にノミネートされた。次いで、「雄大な時のモザイク(Il mosaico del tempo grande)」(二〇〇六年)などを経て、二〇一二年に発表された本書『風の丘』で、「カンピエッロ賞」を獲得する。同賞は、イタリアにおいて「ストレーガ賞」と双璧を成す文学賞であり、アントニオ・タブッキやプリモ・レーヴィ、ダーチャ・マライーニなど名だたるイタリア人作家が受賞している。『風の丘』ののちに発表された最新作「パンのキス(Il bacio del pane)」(二〇一三年)では、過去を抱える謎の男との出会いを通して成長する高校生の淡い恋心と一夏の体験が語られている。一連の小説はいずれも故郷カラブリアを舞台としたものであり、なんらかの形で「移住する人」たちの姿が描かれている。
 
 カラブリアの小村では、いまだに昔ながらの暮らしが息づいている。その一端は本書の随所に描きこまれている食文化や習慣、迷信といったものからもうかがえる。たとえば、父ミケランジェロが、北イタリアにある母マリーザの実家を訪ね、カラブリア地方に伝わる昔ながらの結婚の申し込みの台詞、「お嬢さんのをいただけますか」と口にするシーンがあるが、これは、家父長である父親が娘の「支配権(手権マヌスという)」を握っていた古代ローマ時代の名残である。同様に、祖父母のアルトゥーロとリーナの婚姻の光景も、古代ローマ時代の風習がそのままに受け継がれたものだ。
 
 なお、注記にもあるとおり、本書に登場する考古学者、パオロ・オルシ(一八五九~一九三五年)も、活動家であり政治家であり考古学者でもあるウンベルト・ザノッティ=ビアンコ(一八八九~一九六三年)も、実在の人物である。パオロ・オルシは、実際にカラブリアの史跡監督官を務め、数々のギリシア時代の古代都市の遺跡の発掘を指揮しただけでなく、レッジョ・カラブリアにある国立マグナ・グラエキア博物館の設立に尽力した。また、ウンベルト・ザノッティ=ビアンコは、反ファシズム運動を指揮し、南部農村での識字の普及に奔走したほか、「イタリア南部の公益のための国民協会」を創設し、南北格差の是正に努めた。
 
 本書を初めて読んだときから、春になるとスッラの花で赤く染まる「風の丘」ロッサルコと、丘を慈しむようにして生きていくアルクーリ家の人々が私の頭にすみついて離れなくなり、この物語をぜひ日本の人たちと共有したいと思うようになった。その思いがこうして実現するまでに、多くの方々のお力添えをいただいた。
 イタリアと日本の出版社の橋渡しをしてくださったタトル・モリ・エイジェンシーの川地麻子さん、「風の丘」の物語に一緒に惚れてくれ、出版までの地ならしをしてくださった新潮社の須貝利恵子さんと、翻訳作業の伴走をしてくださった佐々木一彦さん、多くの言語に精通し、古代ギリシアの地名やカラブリア方言まで細かくチェックしてくださった同社校閲部の井上孝夫さん。そして、イタリア語の解釈や方言の理解などの手助けをしてくれたマルコ・ズバラッリ。また、著者のカルミネ・アバーテさんは、最後まで調べのつかなかった方言などに関する私の質問に丁寧に答えてくださった。皆さんに心より感謝します。
 スッラの蜂蜜をたっぷりと入れたレモンティーをすすりながら、丘から吹く風の物語にどっぷりと浸かるのは、私にとってたいへん幸せな時間だった。いつかまた、アバーテの多文化の深い懐から紡ぎ出されるカラブリアの人々の物語をお届けできる機会があることを願っている。
 
 二〇一四年 晩秋

関口英子

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