五月の雪
2,200円(税込)
発売日:2017/04/27
- 書籍
目を細めると、今も白い雪山が見える――。米国注目のロシア系移民作家が描く、切なくも美しい9篇の物語。
同じ飛行機に乗りあわせたサッカー選手からのデートの誘い。幼少期の親友からの二十年ぶりの連絡。最愛の相手と死別した祖父の思い出話。かつて強制収容所が置かれたロシア北東部の町マガダンで、長くこの土地に暮らす一族と、流れ着いた芸術家や元囚人たちの人生が交差する。米国で脚光を浴びる女性作家による、鮮烈なデビュー短篇集。
皮下の骨折
魔女
イチゴ色の口紅
絶対つかまらない復讐団
ルンバ
夏の医学
クルチナ
上階の住人
書誌情報
読み仮名 | ゴガツノユキ |
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シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
装幀 | Meryl Sussman Levavi/Original Jacket Design、(C)Louie Psihoyos/Cover photograph、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 320ページ |
ISBN | 978-4-10-590137-0 |
C-CODE | 0397 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 2,200円 |
書評
掬い取る手つき
五月の雪――なんて逆説的な響きだろう。芽吹いた緑は盛りを迎え、強すぎるほどの太陽のひかりが肌に痛いこともある五月。けれどもロシアの北の果て、極東の元流刑地マガダンの“五月”はそうではない。陽光は弱々しく、積雪も溶けかけている程度、あたらしい雪が降ることだってめずらしいわけではない。
Snow in Mayという英語の原題がついている。マガダンで生まれ育った作者は十五歳でアラスカへ移住、そして英語で書かれた短篇集が本書なのだから、英語なのは当然だ。だけどわたしは考える。ロシア語で“五月”をなんと呼ぶのか知らないけれど、その言葉の持つニュアンスは、英語のそれとは違うのではないかと。少なくともマガダンでは違うはずだ。スターリン時代、各地に張りめぐらされた収容所群のうちでも、もっとも過酷な地域への入り口として知られた土地。出身地を打ち明けるのが憚られるような、隠してしまいたくなる過去を持つ街は、けれど収容所がなくなったあとは開発が進み、勤務地として望まれる場所ともなっている。
収められた九つの短篇はゆるやかな連作をかたちづくる。特異な背景を持つマガダンにも、そこに生きるひとびとの日常がある。冒頭の「イタリアの恋愛、バナナの行列」では、マガダンからやってきてモスクワで買い物をする女性の一日が描かれるが、一九七五年のソ連で“買い物”をするとはどういうことか、その過剰さに度肝を抜かれる。わたしたちからすれば異常な、彼女にとっては普通のことのなかに、たくさんの事件と驚きがあり、心を震わせる。またもっとも時代設定の古い「イチゴ色の口紅」は、ある結婚の始まりから終わりまでを描く。家庭内暴力や政治の理不尽さ――これもどこまでも悲惨に描けそうな題材なのに、むしろ当たり前であるかのごとくやりすごす、繊細でありながら力強いひとびとの姿を作者は写し取る。ジュンパ・ラヒリから影響を受けたとのことだが、メルニクの骨太なユーモアとおおらかさは、おなじく移民作家であるイーユン・リーの資質にも近いのではないだろうか。短篇の名手チェーホフの名も思い出す。
当たり前のこと、だけど大切なこと。わたしたちの生活は、そんなちいさな事件の連続だ。うっかりすると見過ごし忘れてしまう幾つもの瞬間を、メルニクの筆は鮮やかに掬い取っては言葉として焼きつける。まるでスナップショットのように。この本を読み終えたとき、家族写真のアルバムのようだと思った。順番にはならんでいない。いろんなひとが好きなところをひらいて持っていってしまうし、家族だけでなく近所のひとや、遠い繋がりの誰かも写り込んでいる。もちろん、死んでしまったひとも。そんな賑やかさと偶有性が、この一冊をとても豊かなものにしている。
「絶対つかまらない復讐団」や「夏の医学」は子どもの気持ちがリアルで、作者がまるで幼な子のように、この世のあらゆるものを不思議がり、面白がっているのが伝わる。また芸術もひとつのテーマだ。というのも強制収容所に閉じ込められた囚人たちの多くは、反政府的言動により取り締まりを受けた文化人たちにほかならなかったから。「上階の住人」は、収められたもののうちもっとも長い、中篇と言っていい分量の作品だが、ちいさな笑いや悲しみを人物たちと共有してきた読者は、ここに辿り着いて、突きつけられる。強制収容所がいかに人間を破壊したか――マガダンの背負ってきたものの重さを知ってしまうのだ。実在したテノール歌手をモデルとしたその物語に耳を傾けるのはソーニャ。各篇に少しずつ、もっとも頻繁に登場してきた少女は、やがて作者同様アメリカに渡り、そこで医者になるという夢を果たす。
“クルチナ”という言葉が出てくる。日々の落胆といったものを越えた、実存的、運命的な消えることのない悲しみをあらわす――「たとえ幸福の絶頂にあっても、クルチナが去ることはない」。クセニヤ・メルニクという作家の美質は、そんな悲哀とユーモアが独特の仕方で同居していることにあると思う。不幸の直後になんの前触れもなく訪れる感情の高揚や、ふいに切り替わるひとの心の不思議。その底には、英語で書き、アメリカで暮らしながら、クルチナを抱き続けること――「二つの国を生きていること」が、あるのではないだろうか。
(たにざき・ゆい 作家・翻訳家)
波 2017年5月号より
単行本刊行時掲載
短評
- ▼Tanizaki Yui 谷崎由依
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家族写真のアルバムをめくっていくようだと思った。古いものでは1958年から、最近では2012年までの、さまざまな場面を切り取ったスナップショット。九つの連作すべてが一家族の物語というわけではない。けれど彼らはマガダンという土地の、その血を通じて繋がっている。かつて強制収容所のあった、そしてそれゆえ逆説的にも文化都市となっている街。ひとびとの骨太なユーモアは、海を渡ったアメリカでも健在だ。時に奇跡のようなきらめきを放つ、日々のいとなみ、喜び、悲しみ。忘れがたい姿の向こう側に、ロシアの現代史が透けて見える。
- ▼The Seattle Times シアトル・タイムズ紙
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実に感動的。聞いたこともない場所の物語なのに、まるで心の内側から浮かび上がってきたかのようだ。
- ▼San Francisco Chronicle サンフランシスコ・クロニクル紙
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この作家は細部を大切に描き出し、とんでもないことでも、つまらないことでも、美しいものへと昇華させている。
- ▼Star Tribune スター・トリビューン紙
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並外れて魅力的! 過去を掘り下げると、美しくも哀しい鉱脈が見つかった。
- ▼Publishers Weekly パブリッシャーズ・ウィークリー誌
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さらりとしたユーモアと綿密な描写力で、知らない世界の歴史を照らし出すタイムカプセルを見事に作り上げている。
- ▼ニューヨーク・タイムズ
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過去が現在に生きている、じっくりと噛みしめたい物語。
著者プロフィール
クセニヤ・メルニク
Melnik,Kseniya
1983年、ロシア北東部の町マガダンに生まれる。1998年、15歳のとき家族とともに米国アラスカ州に移住。ニューヨークのコルゲート大学で社会学を専攻したのち、様々な仕事に従事しつつ、文芸誌に小説を発表し始める。ニューヨーク大学で創作修士号を取得した後は、教鞭を執りながら執筆を続け、2014年に第一短篇集となる『五月の雪』を刊行する。2017年4月現在はロサンゼルスに在住。
小川高義
オガワ・タカヨシ
1956年横浜生れ。東大大学院修士課程修了。翻訳家。『緋文字』(ホーソーン)、『老人と海』(ヘミングウェイ)、『ねじの回転』(ジェイムズ)、『変わったタイプ』(トム・ハンクス)、『ここから世界が始まる トルーマン・カポーティ初期短篇集』(カポーティ)など訳書多数。著書に『翻訳の秘密』がある。